度重なる手術、長引く入院は徐々に人々の心を蝕んだ。それは十音だけではない。彼女の両親もまた金と体力の消耗に耐えかねていた。病室で度々会っていた母親はいつからか全く姿を見せなくなった。ナースの噂話によると、鬱病になったらしい。
見舞いに来る父親の顔は憔悴しきっていた。病院の入口で携帯電話をかけ、借金の督促から逃れている様子も何度か見ている。
俺は間違った判断をしたのだろうか。多くの人を不幸にして、俺のエゴで十音を生かした。何も持たない、何の責任も取れない子供の俺が下してはいけない決断だったのかもしれない。
苦しそうに眠る十音を見ていると、後悔の念も湧きあがってくる。
「高瀬君、ちょっといいか」
十音の父親に呼ばれ、廊下へ出る。
病室で何度も顔を合わせているうちに、彼とも親しくなっていた。自分の父親より話したかもしれない。十音を大切に思う気持ちを共有しているから、今の関係になるまで時間はかからなかった。
「すまない」
開口一番、彼はそう言った。こけた頬、無精髭、よれたシャツ。何よりその濁った瞳が彼の限界を訴えていた。
ああ、ここまでなんだ。俺は悟った。
「私はもうここには来られない。娘の身を案じてのことだ」
高利貸に手を出していることは知っている。その中でも過激な所から借りてしまったのだろう。容易に想像できた。
「君が信頼できる人間だとわかったからこその決断だ」
彼はスーツの内ポケットから一冊の真新しい通帳とキャッシュカードを取り出した。名義は彼の妻になっている。
「今後、ここに金が振り込まれる。使い道は君の自由だ」
万策尽きて困窮している彼が調達できる金と言えば……。
「ただし、その金を狙ってくる連中もいるだろう。君を危険に巻き込むことになるかもしれない。その覚悟をして、受け取ってほしい。そして、一日でも長く娘の傍にいてほしい」
俺は何も言えなかった。自分の身に危険が迫ることは構わない。十音と一緒にいると決めたときから覚悟していたことだ。
だけど、その金はあまりに重い。二人分の命の重さだ。それを、こんな一学生が受け取っていいのだろうか。
「私たちは君に感謝している。一瞬ではあっても、家族全員でまた顔を合わせることができた。もう叶わないと思っていたことだ。それが実現できた」
最初は些細なすれ違いだった。娘を想う親の愛と、歌を愛する十音の気持ち。どちらも強引で不器用で、歩み寄れなかっただけなのに。
「そして、もう一人子供ができたようで嬉しかった」
穏やかな笑み。なぜだろう、俺は喉が渇き、目頭が熱くなっていた。
「ありがとう。君もよく頑張ってくれた。娘を愛したのが君で本当に良かった」
そして彼は涙を零した。どんなに苦しいときでも決して見せなかったのに。
「それじゃあ、失礼するよ」
赤い目を隠すように踵を返す。何か言わないと。でも胸が苦しい。指先がチリチリと痛む。
「おとうさん……」
かすれる声。俺はこの人に何をしてあげられるだろう。自分の全てを娘に捧げるこの人に。
「十音を俺にくださいッ!」
きっと「ダメだ」とか「出直してこい」とか、そんな言葉を何年も前から用意していたに違いない。
父親としての理想を叶えるため。彼を安心させるため。そして俺自身の腹をくくるための言葉だった。
彼は嗚咽を堪えながら、何度も深く頷いた。
「娘を頼む……ッ!」
そう言い残し、彼は立ち去った。
三週間後、生命保険金として二千万が通帳に振り込まれた。
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