第七章 赤い騎士の除隊
間に合ってくれ。
カイトは祈るような気持ちで、ただひたすらに緑の国に向かって進軍を続けていた。グミが急報を告げてから三日が過ぎている。カイト率いる青の国の精鋭部隊は、強行軍の甲斐あって僅か三日で国境付近の砦まで到達していたのである。
明日にも緑の国に侵入できる。そうすれば、後二日の距離だ。
カイトがそう考えながら砦に入城しようとした時である。
緑の国の方角からやって来た早馬が、息を切らせながら砦に迫ってきていた。遠目から見て、カイトは背筋が凍るような感覚を味わった。
背中に刺さった矢じりを抜くこともなく駆けているその人物は、緑の国の隊服を着用していたからである。
まさか、もう陥落しているのか。
カイトがそう考えた時、その兵士はカイトの隣で同じように青ざめているグミに向かって、こう告げた。
「ぐ、グミ様・・も、申し訳ございません。」
息も絶え絶えという様子で、その兵士はそう言った。
「どうしたの、一体、何があったの。」
緊張の為だろう、グミの乾いた声が響いた。
「み、緑の国は、三日前に・・陥落致しました・・。」
「なんですって!そ、それでミク女王は?」
「う・・討ち死に・・なさいました・・。」
今にも消え入りそうな声で、その兵士はそう告げた。
「そ・・そんな、嘘を言わないで!緑の国にはネルもハクもいるのよ!二人はどうなったの!」
「お、お二人も・・残念ながら・・。」
そんな。
グミは視界が真っ黒になるような感覚を味わった。
間に合わなかった。
せっかく、ここまで連れてきたのに。やはり、使者などに任じられるのではなく、最後までミク様と一緒にいるのだった・・。
後悔が、グミの心を揺さぶった。自然に、涙がこぼれた。
そのやり取りを聞いていたカイトは、右手を強く握りしめた。
血が一筋、右手から滴る。
どうして、どうしてこうなった。
神よ。
どうして俺に、愛する人を守る権利すら与えてくれなかった?
なぜミクを殺した?
ミクの代わりに、俺を殺せばよかっただろう!
心の奥底で、カイトは絶叫した。
「カイト王。」
そのカイトに、声をかけたのは従軍に同行していたルカであった。心中の動揺を隠すように、ルカは少し声を落としながらこう言った。
「どう、されますか?」
そうだ。この後、どうするかを決めなければならない。
決まっている。
「・・復讐だ。」
カイトはそう、宣言した。
「いつの日か、必ず俺は黄の国を滅ぼす!ミクを奪った者を、俺は絶対に許さない・・!」
自らの血に染まった右手を胸に当てながら、カイトはそう呻いた。
「そう。ミクは死んだのね。」
黄の国の王宮に戦の勝利を伝えにきた伝令兵に対して、リンは面白く無さそうにそう告げると、兵士に退出を促した。
ミクの首級を挙げたのはレンだという。あたしの召使は今回も、あたしの望み通りの成果を上げてくれた。
なのに、どうしてこんなにつまらないのだろう。
カイト王を誑かしたミクを消せば、多少は気が晴れると思ったのに。
心に湧き起こった感情は、虚無だった。
そう思いながら、リンは私室に戻った。今は口うるさい内務大臣もいない。
あたしが処刑したから。
他にも、何人か処刑した気がする。
どれも、あたしに逆らったからだ。
「あたしはこの国の女王。そうよね、レン。」
窓の外、暗く落ち込んだ城下町を眺めながら、リンはなぜだかそう呟いた。
街が紅く燃える。
メイコの前に、恐怖に表情をゆがめた市民たちの表情が浮かんだ。その市民たちに、メイコは槍を突き出す。
無抵抗な市民を虐殺するなんて!
メイコの良心が弱々しくそう叫んだが、メイコの体は言うことを聞かなかった。そのまま、殺戮を続けてゆく。
やめて!
もう一度、メイコの良心がそう叫んだ。
目の前に現れたのは、乳飲み子を抱えた母親だった。我が子だけでもかばうつもりなのだろう、メイコに背中を向けてうずくまった彼女に向かって、メイコは槍を構えた。
「やめて!」
その声で、メイコは飛び起きた。あたりは暗い。軽く息を切らせながら、メイコは額にびっしりと冷や汗をかいていることに気が付いた。
また・・同じ夢か。
メイコはそう判断して、枕元に置いてある手拭いで額と、胸元の汗を丁寧に拭いとった。
今、メイコ達は凱旋の最中だった。緑の国を滅ぼした後、最低限の守備兵を置いた黄の国の軍隊は今、黄の国の王宮まであと一日という距離の場所で野営をとっている。
その帰還の最中、メイコは何度も同じ悪夢にうなされ続けていた。
無力な市民を殺す夢。
嫌な戦いだったと、一週間が過ぎた今も思う。
あの時、武器を持っているからという理由で市民に手をかけたことは大きな間違いだった。
メイコはそう思い、深く後悔しているのである。
あの時、レンを止めていたら、虐殺など起こらなかっただろう。
歴史上稀に見る虐殺の引き金を引いたのは私だ。
そう悩み続け、そして夜になると悪夢にうなされる。
ふう、と溜息をついたメイコは、手拭いと同じように、最近枕元に置きだしたウィスキーの瓶を手にとって、原液のまま喉に流し込んだ。
酔わぬ酒を飲んだところで、寝つけるはずがないのだが。
そのことは十分に分かっているのだが、それでも飲まずにはいられなかった。
明日になれば王宮に戻る。
お父様がこの話を聞いたら、一体どのような顔をされるのだろうか。
少なくとも、悲しませることになるのだろうな。
メイコはそう思い、アキテーヌ伯爵に対する謝罪の言葉を考え始めた。
翌朝。
眼の下にひどい隈を作ったメイコは、隣を騎乗しているレンが自分と同じ様に大きな隈を作っていることに気が付いた。
「昨夜は眠れなかったのか、レン。」
メイコがその様に訊ねると、レンは暗く落ち込んだ、力のない瞳をメイコに向けて、こう言った。
「最近、熟睡した記憶がありません。」
「貴殿は初陣にも関らず、一番の成果を挙げたのだ。もっと誇ってもいいだろう。」
慰めるつもりで、メイコはそう言った。おそらく戦で血を見過ぎたせいだろうとメイコは考えたのである。
「・・別に、嬉しくありません。」
レンは消え入りそうな声で、そう言った。
レンにとって人生で初めて愛した女性は既に土の中で永遠の眠りについている。どうして殺さなければならなかったのだろう。
どうして、他の選択肢が与えられなかったのだろう。
そのことを、レンはずっと考え続けてきたのである。
「戦とは因果なものだ。」
遠い目をして、メイコはそう言った。
「因果?」
「ああ。私は今回の戦いで、戦が心底嫌になったよ。」
メイコは自嘲気味に笑うと、そう言った。
「そう・・ですね。」
レンは、メイコとは違う意味で、その言葉に同意した。
愛した女性であっても、それが他国の人間だという理由だけで殺害の対象になる。
それはレンにとっては耐えがたい事実だったのである。
ミク様、ごめんなさい。
レンは、心の中で何十回と繰り返した謝罪を今一度繰り返しながら、ミクの形見と思って持ち出した、ミクのツインテールを束ねていた髪飾りを強く握りしめた。
なんだか、殺風景になったな。
それから数時間後、無事に黄の国に凱旋したレンは、城内の様子を見てついその様な感想を持った。そのまま、ロックバード伯爵とメイコと共に、レンは謁見室に案内された。
リン女王から慰労のお言葉がある。
案内を務めた従者の言葉を聞き流しながら、レンはどんな表情でリンと会えばいいのだろうか、と思った。
僕が、リンの兄?
ミクの最後に伝えられたその事実を確認すべき相手は誰なのだろうか、とレンは考えた。少なくとも、リンはそのことを知らない。嘘の苦手なリンのこと、知っていたら何らかの態度が出るはずだった。
でも、どうして僕はリンのことをそう思うのだろうか。
双子は相手の心理状況を的確に把握することができるという話を聞いたことがある。もしそれが正しいとすれば、僕がいつもリンの心理を把握して行動してきたことにも一応説明が付くのかもしれない。
何より、それで僕とリンの顔が似通っているということも、説明が付く。
レンがその様なことを考えているうちに、謁見室に到着したらしい。
従者が重厚な扉を開けたその先に、玉座に収まったリンの姿がレンの目に飛び込んできた。
「このたびの戦は良くやってくれたわ。」
ロックバード伯爵以下の三人の姿を確認すると、リンはその様に告げた。
「お褒め頂き、まことにありがとうございます。」
ロックバード伯爵が代表してそう答えた。
「特にレンは敵将一人に加えて、ミクの首級まで挙げたと聞いているわ。よって、レンを第一の功績とするわ。」
「はい・・ありがとうございます。」
妹かも知れない女性の言葉に、レンは素直な一礼をした。
「そしてロックバード伯爵、良く軍をまとめて戦ってくれたわ。あなたを第二の功績とします。」
「それは・・至極光栄でございますが、第二の功績でしたら赤騎士団隊長のメイコがふさわしいかと存じます。」
ロックバード伯爵は不信に思ってそう返答をした。敵将一人を打ち破り、そして全ての戦いで先陣を切って敵陣に突撃していったメイコの方が第二の功績にふさわしいと考えたのである。
しかし、それに対してリンは冷酷に、こう言い放った。
「メイコに報酬は無いわ。」
「そ、それはいかなる理由でしょうか。」
予想外の言葉に、ロックバード伯爵は焦りを隠さずにそう言った。
「アキテーヌ伯爵の不作法については知らされてないの?」
呆れたように、リンはそう告げた。
「ぶ、不作法でございます・・か?」
「そうよ。アキテーヌ伯爵は処刑したわ。あたしへの反逆がその罪名。」
処刑。
その言葉を聞いた瞬間、メイコは足元がふらつくような感覚を覚えた。そのまま、乾いた喉でメイコは口を開く。
「わ、我が父上が一体どのような不作法を・・。」
信じられない、という様子でメイコはリンに食い下がった。
「言ったでしょう。あたしに対する反逆だと。アキテーヌ伯爵は緑の国への進軍に反対したの。だから処刑したのよ。」
「そ・・・そんな・・。」
珍しく震える声で、メイコは呻いた。途端に目頭が熱くなることを覚えた。
そんな、嘘。
お父様に、お話しなければならないことがあったのに。
無邪気に戦争に参加した私を諫めて欲しかったのに。
悪夢にうなされる私を、慰めてほしかったのに。
なのに、その父親は私が知らない間に殺されていたの?
リンの手によって。
「メイコ。父親の反逆罪は本来あなたも責任を取らなければならないものだけど、この度の戦の功績を持ってその罪は帳消しにするわ。感謝しなさい。」
リンはそう言うと、冷たい視線をメイコに送った。
「は・・ご恩赦・・痛み入ります・・。」
メイコは今にも倒れそうな弱い声でそう告げた。
「じゃあ、皆下がっていいわ。レンはこの後私室に来なさい。」
リンがそう告げて、奥の私室へと引っ込んだ。
リンの姿が見えなくなると、メイコは両膝をつき、顔を覆って、少女の様に泣きじゃくった。
騎士になると決めてから十年余り、ずっと封印し続けていた涙だった。
「レン、ありがとう。ミクを殺してくれて。」
謁見室での会合を終えた後、リンの私室を訪れたレンは、久しぶりに笑顔を見せたリンにその様に声をかけられた。
「お褒め頂き、ありがとうございます。」
リンの笑顔を見て、レンは僅かに笑った。昔の様な笑顔ではなく、少し影のかかった笑顔だった。それでも、リンは上機嫌だった。久しぶりにレンが戻って来たので、愚痴のはけ口が見つかったと思っているのだろう。
「今日は特別にレンもおやつを食べていいわ。今日のおやつはブリオッシュよ。」
そう言えば、もう三時だったな、と考えていると、一人の女官がブリオッシュを片手に入室してきた。普段ならレンの仕事なのだが、レンの遠征中はこの女官がリンの周囲の世話をしていたのだろう。
「下がっていいわ。」
ブリオッシュをカットしようとした女官に対してそう告げると、リンは取り皿の一つをレンに手渡した。
「レン、カットして。あなたの分も取っていいわ。」
「ありがとうございます。」
レンはそう言うと、慣れた手つきでブリオッシュをカットした。剣に慣れた体には、ケーキナイフはひどく小さなものに映る。
同じ剣といっても、用途次第で人の生活を助ける道具にも、人を殺す道具にもなる。
そう考えながらレンはブリオッシュをカットし終えると、一欠片をリンに、そしてもう一つを自分の小皿に乗せた。
「じゃあ食べましょう、レン。」
そう言ってリンは無邪気に笑った。
見たかった笑顔を見ているのに、レンの心はどうしても晴れなかった。
その日の夕刻。
「いいのか、メイコ。」
ロックバード伯爵は平民が着用するような軽装に身を包んだメイコに向かって、そう言った。
「構いません。この度の戦いで戦が嫌になっていたところですし、それに私がここにいる理由はもうありませんわ。」
「そうか。」
ロックバード伯爵はそう言って、今メイコから手渡された紙を惜しむように眺めた。
その紙には、丁寧な文字で除隊願いと記載されている。
「それでは、お世話になりました。ロックバード伯爵。」
「うむ。達者でな、メイコ。」
「はい。」
「時に、メイコ。」
「どうされましたか?」
「貴殿は男言葉より、女言葉の方が似合うな。」
騎士を捨てると覚悟した時に、無意識に女言葉を話していたのだろう。
それに気付かされ、僅かに頬を染めたメイコは最後にこう述べた。
「これからは、一人の女性として生きていきます。」
そう言って、メイコは王宮を立ち去って行った。
アキテーヌ伯爵、俺はどうすればいい?
一人残されたロックバード伯爵は、天国で見守っているであろうアキテーヌ伯爵に向かって思わずそう訊ねた。
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聞きた...インビジブル_歌詞
kemu
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