「ね~、レン。映画でも見に行こうよ」
「俺忙しいんだけど」
「ゲームしてるだけじゃない! ゲームしてる暇があるのなら、あたしと映画見に行ってよ」
「どういう理屈だ」
「ね~、行こうよ~。映画は一人で見ても面白くないもん。誰かと一緒に見るから楽しいのよ」
「あ~わかったよ。気になって集中できやしない。映画に行くぞ」
朝になって、目が覚める。最初に視界に入るのは、自分の部屋の天井だ。このパソコンにインストールされ、メイコとカイトに「ここがレンの部屋だよ」と案内されてから、ずっとここで寝起きしている。いつもと同じ、白い天井。
レンはのろのろとベッドから降りて、寝巻きから服に着替えた。いつもなら、朝が来るのは楽しかった。マスターに使ってもらえなくとも、やれることはたくさんある。ゲーム(マスターがパソコンにインストールしたもの)をしたり、映画(動画を集めたフォルダが映画館になっている)を見たり。そして、そんなときは、いつだって……。
着替えたレンは、いつもと同じように下の居間へと向かった。居間ではカイトとメイコがソファに座り、話をしていた。レンを見て、はっとした表情になる。
「おはよう、レン」
「おはよう」
「……おはよう、メイ姉、カイ兄。……ミク姉とルカ姉は?」
「ルカは台所。ミクはまだ自分の部屋よ」
メイコが答える。いつもなら、レンが真っ先に訊くのは、別の人間のことだった。レンは重い足取りで、台所へと向かおうとした。だが。
「レン、朝食ならもうちょっと後にしなさい」
メイコの声がかけられる。その声に、レンの足は止まった。ゆっくりとメイコの方を振り返る。
「……あいつ、いるんだ」
「……ええ」
答えたメイコの声は暗かった。この非常事態に心を痛めているのだろう。それは、この家の誰もが同じだった。
レンは答えず、台所に向かった。台所では、リンの姿をしたジェットと、ルカがいた。二人で、料理をしている。
レンは、料理をする彼女の姿を眺めた。金色の髪の上でいつも揺れていた白いリボンは、今は無い。そういったちょっとした事実が、レンの心に苦い感情を呼び起こす。
「レン、おはようございます」
ルカが気遣わしげな声をかけてきた。ジェットの方はというと、ちら、とこちらに視線を向けただけで、何も言おうとしない。
「もうすぐ朝食ができますから、向こうで待っていてください」
「あ……うん」
言ったものの、レンは立ち去る気にならず、その場に立っていた。ルカは心配そうな視線をちらちらとこちらに向けている。一方ジェットは、我関せず、だ。
「……ねえ、これはどうやって使うの?」
不意に、彼女が言葉を発した。ルカがジェットのところに行く。そして、電子レンジの使い方を説明し始めた。
「色々と便利なものがあるのね。向こうで動くのなら、持って帰りたいぐらいだわ」
「さすがにそれは無理だと思いますが……」
「もう少しくわしく教えてもらえないかしら?」
「……わかりました」
ルカがジェットに調理家電の使い方を説明するのを聞きながら、レンは昨日のことを思い返していた。
あの後……彼女がジェットと呼ばれることになった後で、彼女はしばらく、この家で生活することになった。リンがどうなってしまったのかわからない以上、放り出すわけにはいかない、とメイコが言ったのだ。
当然、レンは反対した。ジェットは、いくらリンの姿をしていても、リンとは何の関係もないはずなのだから、と。だがメイコは、承知してくれなかった。
「関係ないかどうかなんて、まだわからない。……もしかしたら、心と身体が入れ替わってしまったのかもしれないし」
「……何その理屈」
「マスターが昔書いてた別の小説に、人の精神が入れ替わってしまう話があったの。それも複数」
レンは唖然として言葉が出て来なかった。メイコは、神妙な表情のまま、言葉を続ける。
「もし戻れることになったとき、身体の所在がわからないなんてのは嫌なの」
「まだ、入れ替わりかどうかなんてはっきりしてないわよ? そりゃ、バカ作者はそのシチュエーションを好きではあるけれど、だからといって、私とその子の身に起きたことがそれとは限らないのではないかしら?」
何故かジェットが異論を挟んだ。からかうような、軽い調子で。その声音が、レンの神経を逆撫でする。
「……けど、その可能性もある」
メイコはたじろがず、ジェットに向かってそう言ってしまった。ジェットが軽く肩をすくめる。
「そうね、確かにその可能性はあるわ。私としても、野宿より屋根の下の方が寝やすいし、ここに泊めてもらうことにするわ」
「あの……めーちゃん、本当にいいの? その人、残酷で非情なんだよね?」
カイトがおずおずと口を挟む。
「……いえ、それならむしろ泊めた方がいいの。残酷で非情ではあるけれど、一宿一飯の恩義ぐらいは感じてくれるキャラクター設定になっているから」
「非情キャラだけど多少の良心はあるって奴?」
そう言って、カイトは顔をしかめた。
「人気の出そうなキャラ設定だけど、僕はそういうのは嫌いだな」
「マスターは好きみたいなのよ」
「それにカイトさん、さっきたとえに出した黄色い小説の主人公は、一宿一飯の恩義すら感じず、むしろひどいことをするんですよ。そういうのよりは、まだマシなのでは?」
メイコの言葉をルカが補足する。どっちもどっちだと、レンは思わずにはいられなかった。
「でもルカ、あの主人公好きでしょ?」
「……ええ、まあ」
「……実は私も気に入っているのよね。なんでかしらね、あれ……やっぱり作者が上手だからなのかしら」
「メイコお姉ちゃん、ルカお姉ちゃん!」
ミクが二人に向けてまた声を張り上げる。二人はまた、はっとした表情になった。
「ああ、ミク。ごめんなさい」
「バカ作者とプロを比べても仕方がないわよ。自分の技量もわきまえず、身の程知らずな設定に手を出そうなんて、本当に作者はどれだけバカなのかしら」
氷のように冷たい声が飛んできた。言わずとしれた、ジェットである。
「あの……生みの親をそこまできつく言わなくても……」
カイトがやや震えた声で、口を挟んだ。
「だから、何? 感謝しろと? 完結もしないまま、断片で放り出されて何を感謝するというの?」
冷たく険しい言葉と視線を向けられ、カイトが気おされたように黙り込む。レンは何ともいえない気分になった。
とにかくそういうわけで、ジェットはこの家で寝起きすることになったのだった。それも、リンの部屋を使って。新しいボーカロイドがインストールされると、家は自動的に増築される。だがジェットはボーカロイドではないから、増築は行われていない。空いている部屋がないし、リンの外見なのだしリンの部屋を使ってもらえばいい。そう言われてしまったのだ。
これにも、レンは猛反対した。あそこはリンの部屋だ。リン以外の誰かが、あの部屋を使う、それは許されていいことではない。ましてや相手はこいつだ。賛成などできるはずがない。
「部屋の中を滅茶苦茶にしたらどうするんだよ!」
「……そんなことしないわよ。メリットがなさすぎるもの」
そう言って、呆れ果てたようにジェットはレンを見た。
「まったくお子様ね」
「うるさいっ!」
レンは反対したが、無駄だった。そういうわけでジェットは、リンの部屋で寝起きすることになってしまった。
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