今日もまた残業だった。どんなにペンを走らせようと、押印しようと、机の上から書類はなくならず、2時間に一回部下がまた新たに書類を追加していく。
量が増える一方の書類処理をなんとか日付が変わる前に終わらせ、執務室を後にした。
既にふらふらとした足取りで頑丈だけが取り柄の隊舎へ向かう。あの硬いベットが恋しい。早く倒れこんで眠ってしまいたい。
「早く帰って来ないかなぁ……」
疲れた身体を引きずり、なんとか部屋まで辿り着いたカイトは一人ごちた。
この王国には王国騎士団があり、それぞれ赤、青、黄、緑、黒、白と6つの隊から構成されている。
白は近衛隊、黒は隠密行動、赤は武力主体など、特化した者が集められ構成されている。
そのなかでも異質なのが青の隊だ。奇襲や先陣からしんがりまで、何かに特化しているというわけでもなく全て一通りのことは対応する、所謂"何でも屋"である。
必然的に、そんな隊に集まるのは、一癖も二癖もあるような連中で、傭兵あったり、元スリであったり、農民であったり経歴は様々だった。
そして、その青の隊の隊長を務めるのがこのカイトである。
家が名の知れた名家だったが、元々剣を振り回すのが好きで、義務教育が終わるとさっさと騎士団に入隊し、気付いたら異例の若さで隊長に抜擢された。
家名による力も大きいが、"気に入らなければ実力行使"というモットーで喧嘩を吹っかけてきた者を地に沈めていったカイトにも関わらず、周囲の評判が良かった。
とんとん拍子に出世していったが、役職が上になるにつれ、実地だけでなく事務仕事も増えていく。
カイトは、本を読む事は好きだったがこの事務仕事といものがどうも苦手で、いつも苦心していた。
何とかこなすことが出来ているのは優秀な副官の補助が常に傍らであったからこそである。
彼はカイトに上がって来る前にある程度のより分けをし、簡単なものは処理をしてくれているのだった。
その優秀なカイトの副官であるが、現在休暇を取っていた。
副官のメイトは、カイトの補佐をしてもう3年になる細身の美丈夫だ。
口は悪いが腕が立ち、その身体のどこに消えていくのか分からないほど酒を飲む隊一番の酒豪で、おせっかいとも取れるほどの面倒見が良い。おおらかな性格ながら、仕事に関してはキッチリとこなす彼は、隊の内外どころか、老若男女問わず誰からも好かれている。
他の隊士が年の変わり目で休みを取っている中、一年の締め作業と来年度の予算を2週間こなすというおよそ騎士団に似つかわしくない山場を、隊舎に戻る時間すら惜しくほぼカイトの執務室に泊り込むような形で越えた後、やっと取れた休みだ。
カイトの実家は隊舎がある城から30分歩けば着く距離だが、彼の実家は山を2つ越えた場所にあり、馬車を使っても1日は掛かる。彼の家族たちも気軽に会いに来られる距離ではない上、メイトは所謂"出稼ぎ"というヤツで、豊かではない家族を養う為に騎士をしているのだった。家族を呼び寄せるより自分が行く方が経済的だ、とは彼の弁である。
今回は実に1年振りの帰郷だった。家族仲はとても良く、週末になると彼を慕ってやまない双子の妹弟たちから彼宛に手紙が届く。(余談だが彼はこの双子を溺愛しており、街へ出ると何かと色違いのペアのものを買っては実家に送っている)
今のこの疲労感は、いつも2人で処理する事案を1人でこなしているから生まれたものだったが、いつも苦労を掛けている彼への恩返しと思えば高くない代償だった。
首をぐるぐる回しながら、隊服をくつろげると、こちらに向かってくる足音に気付いた。ややあって扉が控えめにドアがノックされる。
「カイト、俺だ」
「メイト」
そう言って入ってきたのは彼の副官だった。確か帰るのは明日だと聞いていたが。
「帰ってきたんだ」
「おう」
手を挙げて応えたメイトは丈夫そうな生成りの長袖シャツだけというラフな格好で(そういえば、彼はいつも長袖だ)、最近は2人とも仕事尽くめで制服でずっと顔を突き合わせていたので、彼の私服は久し振りで何だか新鮮だった。
「予定より早いよね?」
「ちょっとな。今帰ってきたんだ。馬車乗りすぎてケツがいてぇよ」
心底嫌そうな顔で尻をさするので、思わず笑みがこぼれた。
「そりゃあお疲れ様。久し振りの実家はどうだった?」
「双子は怪獣」
げえ、という顔でメイトが言う。本当に彼は表情豊かだ。
「今度は何されたの?」
「着せ替え人形だよ。あーでもないこーでもないって色々着せやがんだ。趣味じゃねえっつーの」
「準備万端で待ってたんでしょ」
「そうなんだよ、俺が帰ったら待ってましたとばかりに着せ替えタイムでよー…」
「メイト、顔が笑ってるよ」
「しょうがないだろ。俺はあいつらに弱いんだよ。可愛くてしょうがねえの!」
「だろうね」
「俺は…あいつらが可愛いんだ」
小さくそう繰り返したメイトに疑問を持ちつつも、
「じゃあ明日からまた宜しく。メイトが居ないと俺の仕事量が増えてしょうがないよ」
カイト言うと、メイトはまたえらく神妙な顔立ちになった。何か今の会話でまずいことを言っただろうか?
「メイト?」
黙ったままのメイトを呼んで続きを促すと、やがて意を決したようで、やっと口を開く。
「お前に話さなくちゃならないことがある」
「何だよ、改まって」
「わりぃ。ここ、辞めさせて貰うわ」
「はあ?」
考えもしない言葉に思わず間抜けな声で聞き返した。
そして今度はしっかりと「俺は騎士団を辞める」と言った。
意味が分からない。彼はこの仕事が好きな筈だ。「俺はこんなのがしょうに合ってるんだ。お前もだろ?」と常々酒の席でカイトに言っているのは、このメイトだ。
「何言ってるんだよ、辞めてどうするんだ」
「家に帰らなきゃならなくなった」
実家に戻ったのはその話をするためだったのだろうか。自分に何も知らせず一人で何もかも決めてしまったのだろうか。そんなに自分は信用に足りない男だったのか。相談くらいして欲しかった。過程はなく、結論だけ告げられたことがショックだった。全部自分で抱えるのは彼の悪い癖だ。いつもひとりで解決してしまう。
どんどんヒートアップする思考を、努めて落ち着かせる。
今、渦巻く脳内を露にするのは得策とは思えなかった。
「……理由を訊いても?」
「結婚する」
「…………ごめん。もう一度言ってくれないかな」
言われた言葉をカイトは理解出来なかった。
乱暴な言葉遣いだが変なところが生真面目な彼の優秀な副官ははっきりと一言一句違えずに繰り返した。
「結、婚、する」
もう聞かなかったふりは出来なかった。
カイトは諦めてこの話を掘り下げる。
「……誰と」
「決められた相手と」
「どんなひと?」
「さあ」
「さあ?」
「会ったことない」
さっきから爆弾発言ばかりだ、メイトはそういうところがある。つまり、どこか抜けているのである。それを異常と思わないので、時々肝が冷やされる思いをしているのは専ら自分であったことをカイトは思い出した。
現実逃避の為についついトリップしそうになる思考をなんとか立て直して話を促す。
「……家の為に?」
「そうだ」
ギラリ、とその瞳が光った。いつもそうだ。彼はこの瞳に強い力を宿す。
「元々俺は給料がいいから騎士団に入ったんだ。住み込みの働き口で一番いい場所だからな」
「婿養子って訳だ」
「婿…?ああ、そうかもな」
自嘲の色が濃くなった。
「あちらさんは、どうしても俺が欲しいんだと。相手は貴族。条件もいい」
条件!条件ときた。
どこの令嬢か知らないが、条件ごときでこの男を縛り付けるだなんて思い上がりもいいところだ。
彼は何かに縛られる人ではない。
だからこそ、優秀な副官として自分の傍らに存在するのだ。
「貧乏庶民には思っても見ない良縁だ。いかない理由がねえな」
理由ならある。
この隊にはメイトが必要なのだ。
不可欠なのだ。
「カイト。どうしようもねえんだ」
取り付く島もなかった。
踵を返すメイトに何か言わなくてはと焦るが、頭は何も言葉を生み出してはくれなかった。
「また会えるよね」「奥さんを大切に」「何か困ったことがあったら何でも言ってくれ」…
どれも違う。
自分が伝えたいのはそんな言葉ではなく、
「待て!」
「もう決まったことだ」
振り向いたその鳶色の瞳には、強い意志が感じられた。ふっと和らげると、
「明日の朝一番で出てく。ここは楽しかった」
とシニカルな笑顔で告げた。
「お前のことも、まぁ、好きだったぜ」
と、踵を返し部屋を出ようとする。
「メイト!!」
気付けば体が動いた。
彼を引き止めるように手を伸ばすが、メイトはそれに気付き、とっさに手を引いてしまう。しかし腕は抜け切れておらずカイトは力任せに袖を掴んで引っ張る。
ビリっと大きな音を立てて、布が破ける音がした。
ボタンが弾け飛ぶ。
乾いた音をたてて、床を転がった。
時が止まったのかと思った。2人とも動けなかった。
はじかれたように先に動いたのはメイトだった。
合わせ目を掻き抱いて、走り去る。
大きな音をたててドアが閉められ、バタバタと走り去る音がしても、カイトはまだ動けなかった。
先ほどの絵が目にこびり付いて離れない。
体験をしたことがないわけではない。
若い時は誘われれば乗ったし、花街で女を買ったこともある。
肩の丸いライン、つるりとした脇、晒の下の少しふっくらとした質量を押さえつけたもの、日に当たっていない軽く縦に割れた白い腹部、小さな臍、齧り付きたくなるような首筋、赤い痕を残してしまいたい鎖骨。
どれもこれもが彼の本当の性別を語っていた。
(おんな…?)
彼は、彼女は紛れもなく女だった。
それも、とびきり極上の身体を持った。
「…………えっ……」
「えええええええええええ!!!!!」
青の隊長は寝ずにこの問題について頭を悩ませた。
そして、翌日自室から出ようとする副官を荷物ごと部屋に押し戻し、しっかりとドアに鍵を閉めて、こう言った。
「もし条件が相手の男より俺の方が上だったら、俺と結婚して。家族全員呼んでもいい。まとめて面倒見るから」
悩んだ末がこれかよ、と自分でも思ったが、カイトは必死だった。
縋るように言ったプロポーズじみた言葉に副官は呆れ返った。
そして、それから数年後、元副官は大きくなった双子の妹弟に義兄との馴れ初めを聞かれてこう漏らした。
「あれはズルイ。そもそも国王陛下の甥であるあの男より条件が上の貴族なんて、皇太子殿下を除いてこの国に1人と居ないんだ」
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