悪食娘コンチータ 第一章 王宮にて(パート5)
「十人目?」
オルスが思わず、鳥籠に閉じ込められた鑑賞鳥のように呆けた口調で聞き返してしまったのは、フレアの回答がそれだけ現実感の無い回答であったためである。その言葉に対して、フレアは心の底から嫌悪するように眉を潜めながら、変わらずの厳しい口調のままでこう言った。
「馬鹿面。」
思わず言葉に詰まる。先程のバークとやらに対する対応とはまるで正反対であった。そのまま、つんと鼻を立てながら、フレアは言葉を続けた。
「別に、あなたには関係ないでしょう。」
「関係無くは、ないだろう。」
「じゃあ、一体どういう目的だって言うの?」
ぐい、と顔を近付かせると、フレアは今にも噛み付かんとばかりの勢いでオルスに接近してくる。その動きにオルスは反射的に背筋を軽くのけぞらせた。自分と同年代の少女とは思えぬ、強い圧迫感をオルスは覚える。思わず息の詰まるような感覚を覚えながら、たどたどしく、オルスは答えた。
「コンチータ男爵は、俺の師匠なんだ。」
オルスがそう答えると、フレアは意外そうな表情で何度か、少し早い速度で瞳を瞬かせた。ただでさえ大きな瞳が、瞬きをしたせいで余計に大きく、少し潤んで見える。それがまた愛らしい。思わずそう考えて、オルスは内心、全力で首を横に振った。一体何を考えている、しっかりしろ、オルス。
「あなた、そういえば赤騎士団だっけ?」
「そうだよ。」
オルスがそう答えると、フレアはふーん、と小さく声を漏らしながら、取りあえずの納得をした様子でオルスから離れた。漸く、オルスはそれまで受けていた強い圧迫感から開放され、安堵を表すように吐息を漏らした。
「お義兄さまの従者でもしていたの?」
続けて、フレアがオルスに向かってそう訊ねた。どうやら勘の鋭さと飲み込みの早さは天性のものらしい。
「そういうこと。」
「その割には、弱そうだけど。」
睨みつけるでもなく、まるで雨期の気温のようにじめっとした視線でオルスを眺めながら、フレアはオルスに向かってそう言った。
「それは・・。」
思わず、言葉に詰まる。確かに、赤騎士団に入隊できたとはいえ、未だにこれと言った実績の無い、若造であることは紛れもない事実であったから。
「まぁ、いいわ。」
だが、フレアもこれ以上の追求は時間の無駄だと感じたらしい。ふっと緊張にガス抜きをするような吐息まじりの声でそう答えると、ふわりとその態度を軟化させた。
「それよりも、料理人の件だけど。」
漸くこちらから言葉を発する機会が来た。オルスはそう考え、とっさにそう尋ねる。その言葉に、フレアはああ、と一度間を図りながら、言葉を続けた。
「さっき言った通りよ。最近、お姉さまがすぐに料理人を変えてしまうの。」
「味が気に入らなかったのでは?」
「だったらいいけれど。」
フレアはそう言うと、軽く肩を竦めて見せた。そのまま、表情に僅かな影を見せながら、続ける。
「いくらなんでも異常だわ。この三ヶ月で十人目よ?」
そう言われて、オルスは脳内で軽く計算を行なった。一ヶ月三十日だとして、合計九十日。
「十日に一度、料理人を替えているのか?」
「確かに、料理人を替えるのは今に始まったことではないけれど。」
オルスの回答に対して、フレアは深い溜息を漏らしながら、そう答えた。
「お姉さまが美食家であるのは、あなたも知っているでしょう?」
「もちろん。」
当然、バニカ夫人が選択した料理を口にしたことがあるオルスにしてみれば、その事実は十分すぎる程に理解している。
「だから、稀に新しい料理や調理法を求めて、料理人を替えることがあったの。でもそれだって、せいぜい一年に一度あるか、無いか。」
「一体、どうして?」
「わからない、けれど。」
フレアはそこで、疲労を見せるように気だるそうに、オルスに向けて視線を寄越した。オルスの方が一回り背丈が大きいせいで、上目遣いになっているような格好になる。大人と少女の色が交じり合った、魅惑的な視線にオルスはもう一度、鼓動が高鳴ることを自覚した。そのオルスの様子を知って知らずか、何事もなかったかのようにフレアは言葉を続けた。
「あたしは、お義兄様の戦死が原因じゃないかと思ってるの。少し、精神が過敏になっているのかな、って。」
その口調には、それまでのフレアらしくない戸惑いの色が、ありありと見て取れる。
「・・そっか。」
フレアの言葉に、オルスもまた、沈痛の色をその表情に浮き上がらせた。あの時。コンチータ男爵が戦死した様子は今でも、ありありと思い浮かべることができる。あの時、オルスが所属していたコンチータ隊は前線への突撃を敢行していた。危険な任務であることは十分に承知していた。だが、押され始めていた黄の国王立軍を立て直すには、あれ以外の方法は存在していなかった。その時、敵兵へと切り込む直前、敵が発砲した何百というマスケット銃の弾丸の一つが、不運にもコンチータ男爵の額を突き破ったのである。その瞬間、まるで物事が全て停止したような、世界が瞬時に色あせたような、そんな感覚をオルスは覚えた。オルスの絶叫はコンチータ男爵へは届かず、また乱戦の最中にコンチータ男爵を看取ることもできず、ただオルスは腹の奥底から湧き出る怒りだけを唯一の感覚として、敵兵を切り裂いていった。一体何人殺したのか、覚えていない。だが、戦が終わり、兵が引き上げたのちに、オルスはまるで眠るように死んでいるコンチータ男爵の遺体を発見し、そして騎士になって初めて、周りの視線すらも気に留めずに、ただ号泣したのである。
「・・とりあえず、行きましょ。」
暫くの沈黙ののちに、フレアがそう言った。相変わらず、セミが無邪気に、そして遠慮なく、周囲でその生を思う存分まき散らしていた。
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