辿る足跡
「来たね。やっぱ」
来ないはずが無い。リリィは座ったまま呟き、使用人室に現れたリンに顔を向ける。
「あれからちょっと迷ったよ。本当に聞いてもいいのかって」
リンは席に近づきながら返す。そもそも、得体が知れないのは自分も同じ。リリィが接している後輩メイドは、レン王子の姉であり黄の国王女リン・ルシヴァニア。それを隠してリンベルと言う偽名で過ごしている。
周囲を欺いて生きる王女。なのに、他人の素性に疑問を持つ。そんな矛盾さに嫌気がして、リリィの過去を聞く資格なんて無いと思った。だけど同時に気付いた事もある。
彼女の事を何も知らない。兄弟姉妹はいるのか。出身はどこなのか。何故王宮で働く事になったのか。正体を伏せている負い目があるからか気にも留めなかった。言い方は悪いけれど、自分には興味も関係も無い事だったから。
だってそうだ。昔がどうだったのか知らないけど、今のリリィが素敵な人なのを良く知っている。なんだかんだ言っても面倒を見てくれて、窮地を助けてくれた先輩。大切な友人で、仲間で、姉のような存在。
レンがリリィを信頼しているのを改めて納得して、再度疑問が頭をもたげた。
リリィは一体何者なのか。
男二人を相手取った時の洗練された身のこなし。剣と棒の違いがあって全く同じ立ち回りではないものの、あの動きはレンが野盗と戦っていた時と似ている。ただ者じゃないのは明白だ。
「昔取った杵柄」リリィはそう言っていた。その『昔』は果たしていつの頃か。何がきっかけでメイドになったのか。聞くからには受け入れると覚悟を決めて、こうしてリリィの元を訪ねた。
勧められた椅子に座り、リンはリリィと向かい合う。同僚の召使やメイドは皆逃げ出し、使用人室は二人の私物状態になっていた。お茶とカップがテーブルの上に置かれているのは、リリィが用意したに他ならない。
リンの分のお茶を注ぎ、リリィは椅子にもたれかかる。
「さて……。確認するけど、本気で聞く気ある?」
面白半分なら許さない。射すくめられたリンは無意識で背筋を伸ばす。目を逸らせば覚悟が足りないと見なされる。おそらくリリィの過去は重く辛いもので、本来なら胸にしまっておきたい秘密なのだ。
軽蔑をされるのではないか。変わってしまうのではないか。隠し事を明かすのにどれ程の恐れと不安を伴うかを知っている。そして、信用する相手でなければ話せない事も。
こんな私を信じてくれているのか。国に裏切られ、恋した人を己の身可愛さに犠牲にした私を。
突如涙ぐんだリンに驚き、泣かせたと思ったリリィが気遣って声をかける。
「無理して聞かなくていいんだけど……」
「違うよ。リリィは私を信じてくれてるんだなって」
「は? 何を今更。でなきゃ話す訳ないでしょ」
恥ずかしい事を言わせるな。リリィは照れ隠しのようにお茶を飲む。涙を拭ったリンは陶器が当たる音を合図に仕切り直す。
「聞いてもいいかな。リリィは王宮に来る前は何をしていたのか。どうして王子のメイドになったのか」
真っ直ぐに訊ねるリンからは微塵の迷いも感じられない。決心を目にしたリリィは後輩を見つめ、長い話になると前置きをして語り出した。
「あたし、元は地方の貴族の生まれでね。王都から南西の辺境に住んでたんだ」
首都と掛け離れた田舎町が故郷。貴族と言っても位は低く、王宮の華やかさとは無縁の環境で過ごしていたそうだ。
「家族は優しくて、近くの村にも友達がいた。良い思い出が全部って訳じゃないけど、あの頃は凄く幸せだった。レン様のメイドで働いてる今と同じくらいに」
両親に心から愛されていたに違いない。根拠なく確信出来る程に、リリィは満ち足りた顔をしていた。彼女の出自に驚きつつリンは耳を傾ける。
親から礼節を教えられる一方、時には近隣の森や丘へ出掛けて遊ぶ。静かで穏やかな時間。幸せな日々が続いて行くと信じて疑わなかった。
でも、とリリィは伏し目になって表情を陰らせる。
「黄と緑の紛争……。十年前の戦争で全部無くなった。始めの頃は巻き込まれずに済んでたんだけど、戦いが長引いて泥沼化した戦争末期、緑の国の奇襲を受けて町は壊滅しちゃったんだ」
半鐘が鳴り響き、非常事態に気が付いた時にはもう遅かった。町では既に戦闘が発生しており、外からは破壊音や絶叫が聞こえた。恐怖に晒されたリリィは助けを求め、弾かれたように屋敷を走り回った。
誰かに会いたい。不安に押し潰されそうになりながら、必死で家族や使用人を探していた。とにかく一人でいるのが怖くて堪らなかったのだ。
ようやく父と弟の姿を見つけた瞬間、心が凪いで恐れが消え失せた。大丈夫だと安堵して傍へ行こうとした。
しかし、運命はリリィに苛烈な現実を突き付ける。
「父様と弟はあたしの目の前で殺された。今でもはっきり覚えてるよ。二人を殺した兵士が血まみれの剣を持って笑ってたんだ。……同じ人間とは到底思えなかった」
既の所で駆け付けてくれた母と屋敷を脱出し、我に返ったのは近くの森に逃げ込んだ頃。今にして思えば、母はよくそこまで走り続けられたと思う。子ども一人を抱えて町から森まで逃走したのだから。
ただ泣きじゃくるしか出来なかったリリィを宥め、母はしっかり状況を説明した。
緑の兵士がいきなり襲って来た。すぐにここにもやって来る。
「母様はもう覚悟を決めてたんだろうね……。自分が追手を食い止めるから、少しでも遠くに逃げなさいって言われたんだ」
当然リリィは渋り、一緒に逃げようと母にしがみついた。だが娘を守ると決意した母の意思は揺るがず、早く行きなさいと檄を飛ばされた。リリィに出来たのはその言葉に従う事。すなわち一人で逃げる事だけだった。
「それが母様を見た最後。消息は分からないけど、多分……」
身内と故郷を一度に失い、しばらくは何も考えられずにいた。自分が今どこにいるのかさえ把握しきれない状態が続いて、気付けば知らない町の片隅で蹲っていたのは記憶している。
頼れる親族も仲間もいない。天涯孤独になった貴族の娘に待ち構えていたのは、その日を生きるのにも苦労する毎日。恥も矜持もかなぐり捨てて食べ物を盗み、人から金品を掠め、泥水をすする生活を余儀なくされた。
住人に目を付けられ、今いる場所に居られないと悟ればどこかに移る。町や村を当てもなく彷徨って、いつしか王都に流れ着いた。独りになってからの記憶は酷く曖昧で、いつ頃辿りついたのか詳しく覚えていない。
ただ、六年は前なのは確実だ。王都に来てしばしの時間が流れてから国王夫妻は身罷られた。つまり、レン王子が黄の国に君臨する前だと断言出来る。
「まあ、ちゃんとした年数を知ったのはレン様付きのメイドになってからだけどね。その頃は時間の間隔が全然無くて、自分の正確な歳もあやふやだった」
レガート国王の統治が終わりを迎えたのは十二歳の時。王都に居付くまでの過程を話し、リリィは一度区切りを入れた。
「弟が、いたんだ……」
声が震えるのをリンは自覚する。胸が張り裂けそうな程に辛い。リリィの境遇は自分と良く似ていて、まるで古傷を抉られた気分だ。しかしリリィに負った傷は更に深く、与えられた運命は重い。聞く事に再三確認をしていたのも頷ける。
「うん。リュウトって名前。生きていればレン様やリンベルと同じくらいの歳だった」
リリィが世話焼きの性格をしているのはその影響かもしれない。レンを弟のように思っていると話していたのは、亡き弟の面影を重ねているのだろうか。おこがましいと言っていたけれど、リリィの経験を踏まえれば情が湧くのは不思議じゃない。
あくまで推測でしかないけれど。
「あの戦争から十年。黄と緑が和平を結んで八年経ったけど、未だに緑の国は許せない」
リリィは固く握った手を震わせ、人が憎ければ国も憎いと言う訳ではないと付け加える。
「黄と緑が歩み寄るのは嬉しいよ。レン様や王様のお陰で東西の関係が変わったのも分かってる。……でもやっぱり駄目なんだ。緑の国への憎しみは消えないよ」
家族を奪った西側を憎悪しながら、黄の国王子の侍女として緑の国へ出向く葛藤は如何ほどのものだったろう。リリィの心情を慮り、同時に疑問を持ったリンは自然と訊ねていた。
「……西側に行くって決まった時、王子を恨んだりしなかった?」
「レン様を? 全然。そりゃ驚いたし戸惑いもあったよ。でもレン様を恨むのは筋違いだよ。そもそも詳しい事は話して無いんだから」
過去をきちんと話すのは今日が初めてだとあっさり打ち明け、リリィは急に思い出したように告げる。
「今話してる事、他の人には内緒でね。戦争で孤児になったって事しか言って無いから」
要は王子にすら教えていない秘密らしい。リリィは一息吐いて気を取り直すと、神妙な顔つきで話を戻す。
「昔は、さ。王族が大っ嫌いだった」
王族や貴族が戦争を起こさなければ。連中の身勝手さのせいだ。あいつらが原因でこんな酷い目に遭っている。弱者を踏みつけて気付こうともしてない連中だ。元々好いてはいなかったが、惨めな日々を送る内に王族を敵視するようになったとリリィは語る。
「レン様に拾われなかったら、この考えを変えられなかったんだろうなぁ……」
「拾われ……?」
さり気なく言われた単語にリンは首を傾げる。そうだ、何故レンの下で働くようになったのかを聞いていない。リリィの話はまだ途中なのだ。
リンはカップを口に運ぶ。お茶は少々冷めていた。
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