第十一章 リグレットメッセージ パート4

 額に感じる、ひんやりとした感覚が心地いい。リンはそう考えながら、差し込む朝日に気が付いて瞳を開いた。まず初めに視界に映ったものは白い壁紙に覆われた天井。ここはどこだろう、と考えて、リンは昨晩発熱して修道院へと駆けこんだことを思い出した。余りにベッドが心地よかったものだから、横になった直後に眠りについてしまったのだろう。まだ軽く頭が熱っぽいことを考えると、まだ風邪が治った訳ではないらしい。そう言えば、ルカはどこに行ったのだろう、と考えて首を横に動かしたリンが次に視界に映したものは、綺麗な白髪の女性の姿だった。確か、ハクという名前だったか。寝不足なのか、優しげな瞳の下に隈を作っているハクは、リンと目が合うと安心したように微笑み、そしてこう言った。
 「マリー、具合はどう?」
 その言葉に、そう言えばあたしはマリーと言う偽名を使っていたな、とリンは思い出した。昨晩熱でぼんやりしたままの頭でもそれだけは間違えなかったことに安堵しながら、リンはハクに向かってこう言った。
 「まだ、少し熱っぽい。」
 甘えるように、リンはそう言った。何故かハクに対しては甘えても良い様な気分に陥ったのである。それは彼女が醸し出している温かい雰囲気によるものであるのかも知れなかった。
 「熱を測るわ。」
 ハクはそう言いいながら、いつの間に用意したのか、ハクが腰をかけている丸椅子の右隣に用意された、背の低い机の上に置いてある医薬セットの中から体温計を取り出すと、それをマリーに手渡した。最近になって発明された、水銀測定式の体温計である。どうしてこんな最新の医療器具があるのだろう、とリンは少しだけ考えたが、それ以上考える程の体力は今のリンには無かった。ただ、素直に体温計を受け取ると、それを服の中に潜り込ませ、そして脇で挟む。
 「暫く動いては駄目よ。お水を持ってくるから、少し待っていてね。」
 ハクのその言葉にリンは小さく頷き返した。その反応にまるでリンを勇気づける様な微笑みを見せたハクは丸椅子から立ち上がると部屋の外へと出て行った。丁寧な手つきで、静かに閉じられた扉の奥へと消えたハクの姿を横目で追った後、一人になったリンは呆然と窓の外を眺めた。ハクの座っていた椅子の向こうは割合広めの窓が設置されていたのである。その窓の外は一面の白い世界に変化していた。昨日降り続けた雪が積もったのだろう、とリンは考える。初雪でここまで積もることなんて珍しいわ、と考えてから、一体ここはどこだろうか、と考えた。黄の国の王宮を出てからひたすら西へと進んでいったことまではルカの説明を受けているが、では現在の自分がどこにいるのかというとどうもはっきりとしない。ルカが言っていた港町やらには到達したのだろうか、と考えながらリンは窓の外に広がる幻想的な銀世界を眺めて、ハクが戻るまでの時間を過ごすことにしたのである。

 「ハク殿。」
 ハクがマリーの為にあてがった部屋から退出すると、色香のある声がハクにかけられた。ルカである。昨日は疲労困憊という表情だったが、幾分すっきりとした表情をしている所をみると、昨日は熟睡出来たのだろう。ハクはそう考えながら、ルカに向かってこう声をかけた。
 「おはようございます、ルカさん。昨晩はゆっくりお休みになれましたか?」
 「お陰様で、久しぶりに身体を休めることが出来ました。それよりも、マリーの様子は如何でしょうか。」
 自分のことよりマリーの方が重要らしい、とハクは考えながら、こう答える。
 「先程目覚められましたわ。まだ、少し気だるそうでしたが。」
 ハクがそう告げると、ルカは少し思案するように右手を口元に当てた。そして、僅かの沈黙の後にこう答える。
 「ハク殿、不躾ながらお願いがあります。」
 「なんでしょうか。」
 「マリーの体調が良くなるまで、この修道院でお世話になることはできませんでしょうか。」
 真摯な瞳でルカはそう告げた。昨晩の様子からも推測出来るが、他に頼るところも無いのだろう。そう考えたハクは、ルカの瞳に向かって優しげな笑顔を見せながらこう答える。
 「もちろん、構いませんわ。」
 体調が良くなるまでとは言わず、ずっと長くいてくれても構わない。事実ハクはそう考えたのだが、この二人にも都合があるのだろう。見たところ、長旅の最中と言う様子であったし、無理に引き止める訳にもいかないわ、と考えたのである。そのハクの言葉に、ルカは安堵したように微かな吐息を漏らすと、続けてこう言った。
 「それでは、宜しくお願いします。私はマリーの様子を見て行きますわ。」
 ルカの良く訓練されたお辞儀を見つめながら、ハクはもう一度ルカとマリーに対して疑問を抱いた。一体、この二人は何者なのだろうか。身なりは質素なものを着用しているが、その身のこなしからはどう考えても庶民の出身とは思えない。マリーの私室へと姿を消すルカの背中を眺めながら、ハクはその様なことを考えた。一時期とはいえ王家に仕えた経験を持つハクにすれば、ルカの態度は違和感の塊でしかなかったのである。でも、それを敢えて尋ねないことも修道院の役目ね、とハクは考え直した。この場所に来る人間は大なり小なり人生に傷を背負っている。誰もがあたしの人生を訊ねないように、あたしもあの二人の過去を訊ねるのはやめよう。ハクはそう考えて、厨房へと向けて再び歩き出した。流石に徹夜は身体に祟ったのか、酷い眠気を感じたハクはそれを誤魔化す様に一つ、大きな欠伸を漏らした。

 「リン。」
 窓の外から見える雪を眺めながら空いた時間を過ごしていたリンは、久しぶりに呼ばれた本名に反応して思わず顔を上げた。そして声を発した人物がルカであることを確認して弱々しい笑顔を漏らしたリンは、ルカに向かってこう告げる。
 「ルカ。昨日はごめんね。」
 「構わないわ。それよりも、具合はどう?」
 先程までハクが腰かけていた丸椅子に着席しながら、ルカはリンに向かってそう訊ねる。まだ頬が熱っぽく染まっている様子からみると、まだ熱が下がり切っている訳ではない様子ではあったが。
 「まだ、熱っぽい。今、熱を測っているの。」
 素直にそう答えるリンの様子を眺めながら、さて、どうしたものか、とルカは考えた。昨日の内にルータオに到達出来たことは幸運というべき事態ではあったが、今後はどうするか。いずれどこかで腰を落ち着かせなければならないが、女二人で船を雇って新大陸に行くことも、遥か彼方にあるオリエントへと向かうことも別の意味での危険が迫ることになる。ミルドガルド大陸の知識ならその殆どを把握しているルカですら、新大陸とオリエントに関する知識は薄い。現地の病もあるだろうし、食べ物も根本的に異なる世界だ。不用意に向かえばそれだけ選択肢を狭める結果となりかねないし、それ以上に荒くれた、欲望に満ちた海男達を相手に、自分はともかくリンが一人で自身の純潔を守りきれるとも言い切れない。かといってこの場所に留まるのはどうだろう。様々な人種が行き交うルータオであれば身を隠し続けられるかも知れないが、何しろこの場所は青の国の支配下にある場所だ。不得意と評価されている内政に関しても、旧黄の国の経済発展に対する早急かつ的確な対応を発表したカイト王がルータオという街を見逃すとはとても思えない。万が一直轄領として支配されればそれだけルカとリンの行動量を抑えることになってしまう。かといって、他に行く宛てがある訳ではないけれど。ルカがその様に考え込んでいると、リンの私室がノックされた。入室を促すと、片手にトレイを持ったハクがその優しげな顔を扉の奥から覗かせる。改めてハクの顔を見ると、昨晩は徹夜でリンの看病をしてくれたのか、目の下に大きな隈を作っていることがルカにも理解できた。湯気が立つお椀を持っている所を見ると、粥でも用意してくれたのかしら。そう考えたルカに向かって、ハクは落ち着いた声でこう言った。
 「マリー、熱はどう?」
 ハクのその言葉に、素直に頷いたリンは掛け布団の中でもぞもぞと動きながら体温計を取り出し、それをルカに向かって差し出した。その体温計を受け取ったルカは思わず顔をしかめ、そしてこう言った。
 「37.5度。まだ熱が高いわ。」
 ルカはそう言いながら体温計をハクに手渡した。手にしたトレイを丸椅子の隣に用意されている背の低い机に置いたハクはルカから体温計を受け取ると、ルカとは逆にリンを力づける様な優しい笑顔を見せながら、リンに向かってこう言った。
 「まだゆっくりと休まなければ駄目ね。お水とミルク粥を用意したから、これを食べて元気を付けて。」
 腰をかがめたハクは、リンにまず、軽く温めたのかマグカップに入れられた白湯をリンに手渡した。上半身だけを起こしてからそのマグカップを両手に持ったリンは、ゆっくりと水分を身体に取り込んでゆく。寝ている間に随分と汗をかいたのか、いつの間にか水分が不足していたらしい。その白湯は妙に美味で、リンの身体にとてもよく馴染んだ。そうして白湯を飲みほしたリンがマグカップをハクに戻すと、続いてハクはお椀を差し出した。
 「お粥よ。ゆっくりと、噛みしめて食べてね。」
ハクのその声に頷きながら、リンは湯気がふんだんに出ているミルク粥の中に、お椀と同時に手渡されたスプーンを入れて掻き回した。牛乳に溶けたパンと野菜の香りがふわりとリンの鼻孔をくすぐる。質素な食事だけれど、とても美味しそう。リンはそう考えて、スプーンを持ち上げるとミルク粥を口に含んだ。塩加減も、温かさも丁度いい。王宮で食べていたような一目で豪華だと分かる食事ではなかったが、このミルク粥はその食事よりも美味しいような気がする。そう考えながら、リンはハクに向かってこう言った。
 「おいしい。」
 思わず零れたリンの笑顔に反応するように、ハクも笑顔を返した。頼りになる姉の様な、優しい笑顔だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン67 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第六十七弾です!」
満「まず、ご報告があります。」
みのり「そうなんです!なんとピアプロで文章家として活躍されているsunny_m様が『ハルジオン』の派生小説を書いてくれました!凄く良い作品になっているので、是非皆様もご覧下さい!」
満「アカウントはこちらです。→
http://piapro.jp/content/o4ffsaiky6akmgn3
sunny_m様、今回は本当にありがとうございました。」
みのり「ということで、今回の解説です。」
満「体温計について。これは実は18世紀に開発されたものだ。それまでも代替品は確かにあったんだが、水銀式の体温計を開発したのは想定している年代よりも百年程後の話しになる。」
みのり「だから『最新式の医療器具』というコメントがあるのだけど。」
満「というか、最近の子は水銀式の体温計知らないんじゃないか・・?全部デジタル式だろ。」
みのり「・・・そうかも。レイジさんが中学生くらいの頃までは大活躍だったけど。」
満「技術の進歩は恐ろしいな。」
みのり「本当だね。では、次回投稿でお会いしましょう!それでは暫くお待ちください!」 

閲覧数:550

投稿日:2010/05/16 09:09:11

文字数:4,103文字

カテゴリ:小説

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  • lilum

    lilum

    ご意見・ご感想

    どうも。朝早くからお疲れ様です!

    >ドキドキしながら読んでくれたら
    まさにすごいドキドキな状態で読ませて頂いてます。この先が楽しみです!

    >丁度十年前~
    あ、もしかしてレイジ様って私と同じ世代ですか…?体温計とか携帯の話がすごく共感できるんですが…。そうですよね、携帯なんか特に進化のスピードが速いですもんね。なんせ半年経たないうちに機能が増えたり便利になったりしますから。(そして、機能を使いこなせなくなる私がいますよ(^-^;) もちろんレイジ様はんそんな心配は無いでしょうが☆)

    最近続きにワクワクしっぱなしで本当に週末が楽しみすぎます!お体に気をつけて頑張って下さい!

    2010/05/16 15:59:34

    • レイジ

      レイジ

      コメントありがとうございます!
      ピアプロってコメント貰えないと読んで頂いているのか分からないので、コメント頂けると本当にうれしいです!これからも沢山下さい!←無茶振り^^;

      >十年前!?
      え、本当ですか!?
      僕は今28歳、今年で29歳になるんで来年三十路かぁ、と戦々恐々している年代ですよ?!
      通信関連は高校入学の時にポケベル、高校二年の時にPHS、大学入学の頃に携帯という進化を遂げています。

      >携帯
      う?ん、実は普通の携帯って余り使いこなせていなかったと思います。
      だって使いづらいし・・。
      僕が営業しているiPhoneは使いやすい上に高性能!
      という人類の理想を体現した機種なんです☆
      ご購入の際はご連絡を((殴←だからここで営業するな^^;

      >いつも週末を?
      ありがとうございます!小説を書く上で本当に励みになります!
      なのに今週は投稿少なくて済みません!とりあえずもう一本は投稿しました!
      あと一本かけたら投稿します!

      何だこいつ、投稿少ないな、どこでサボってんだ・・?
      と感じられた時は僕のプロフに呟き(ツイッター)のアドが乗っているのでそこでチェックしてみてください。土日はかなりの数呟くので、どこで何しているかを把握出来る様になっています^^;

      それでは続きも宜しくお願いします!

      2010/05/16 21:17:57

  • 紗央

    紗央

    ご意見・ご感想

    おぉ
    またも拝見させていただきました☆

    リンは以外と庶民の味を受け付けるんですね・・
    のーっ!って言うかと思った;;

    「リン」と「マリー」の
    名前の使い分けは難しいだろうな。。

    2010/05/16 12:35:03

    • レイジ

      レイジ

      いつもありがとう☆
      やっぱコメントはモチベ維持の源だぁね。改めて再認識。
      感謝してます☆

      んで、マリー(リン)と食事。
      そういうシーンを入れようかとも思ったけど、上手く文章が纏まらなかったのでカットしています。
      質素な食事でも美味しいんだ、そっかぁ、そうなんだ。
      とマリーは感じているはずです。←適当。。。

      >使い分け
      本当だよね!
      ポロっと零したらそれでアウトー!なんだけど。
      まあ、ルカは勿論リンも頭いいから大丈夫。
      問題のシーンまでは、ね・・。

      2010/05/16 21:10:50

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