もう一人の召使

 黄の国王宮の一室。体格に対してやや大きめの執務机で書類作業に追われていた少年に、長い金髪のメイドは一つの連絡を届けた。
「……ああ、そっか。今日だったっけ」
 金髪の少年は仕事の手を止め、今思い出したかのように言う。王宮に新しいメイドが入るのは以前から聞いていたのに、いざ当日になると他の事に気を取られてしまっていた。
「もう来てるのか?」
 少年が顔を振り向けると、後頭部の高い位置で結ばれた髪が揺れた。直属のメイドはいいえ、と答えてから、それでも謁見の準備をした方が良いと少年に勧める。
「予定の時間を考えると、そろそろ来られてもおかしくない頃です」
「分かった。案内は任せるよ」
「はい」
 メイドが衣装掛けへ歩いていくのを視界に入れつつ、少年は椅子から離れて両腕を上げて伸びをする。簡単な体操の途中で、ふと壁に飾られている物に目を留めた。
 鞘に納められた一振りの長剣が、切っ先を真下に向けて据えられている。生活と仕事に必要な物しか置かれていない、飾り気や豪奢さとは無縁とも言える部屋で、場違いな輝きを放っていた。
 鞘には金細工でさり気なく、かつ豪華な装飾が施され、鍔と柄頭には宝石がそれぞれ埋め込まれている。武器と呼ぶより、美術品、芸術品と呼んだ方がふさわしい剣。
 宝剣ルシフェニア。黄の国王家に代々伝わる名剣を眺め、少年は机に立てかけておいた剣に手を伸ばした。
 少年の腕よりも拳二つ分程長い剣は、先程まで見ていた宝剣とは対照的な、鞘や柄などに装飾が無いごく普通の物だった。慣れた手つきで右腰に提げた所で、メイドが緋色のマントを手にして戻って来る。
 見下ろされる形で白い王族衣装にマントを着せ掛けてもらいながら、少年は剣を装備しているかを確認する。身だしなみに問題が無いかをメイドと二人で点検し、うん、と納得したように頷く。
「よし。それじゃ行きますか」
 まるで友達の家に遊びに行くかのように、少年はメイドと共に部屋を後にした。

 時間が来るまで待つよう言われ、リンは使用人を見送って応接室の椅子に腰を下ろす。部屋に飾られた絢爛豪華な調度品を認めて、本日何度目か分からない落胆に襲われる。
 昔はあんなの無かったのに……。
 離れていた六年間に王宮の内装は激変していた。飾り付けは控えめながら、それ故に気品が備わっていた玄関広間や廊下は、美術品や工芸品が見せびらかすように飾られ、記憶の中にあるものとは似ても似つかない状態になっていた。
 何度か見かけた騎士もやたらと煌びやかに飾り立てた鎧を着ていて、今日は何か式典でもあるのかと疑ったくらいだ。尤も、あんな派手なだけで威厳の欠片も無い格好で公の場に出られたら、確実に王宮の品格が疑われる。
 はっきり言うなら成金臭い。そして悪趣味。
 貧乏人の嫉妬と言われればそれまでだが、いくらなんでも酷過ぎる。あれでは税金の無駄遣いと言われても仕方が無い。馬鹿な貴族が幅を利かせているのがありありと伝わって気が滅入る。
「はあ……」
 リンが他に誰もいない応接室で溜息を吐いてしばらく、ノックの音がしてドアが開いた。
「お待たせいたしました」
 自分を呼んだのは女性の声。てっきり先程の使用人が来ると思っていたリンは、怪訝を悟られないように振り向く。
「あ……」
 部屋の入口に現れた人物に驚き、思わず口を半開きにして見つめてしまった。
 腰の辺りまで伸びた長い金髪。女性としては身長の高いメイド。昨日レンの悪口を言った人に同じ言葉をぶつけた人だ。
 メイドは狐につままれたような表情を浮かべたが、瞬時に顔を引き締めて名を名乗る
「黄の国王子レン様の侍女で、リリィと申します」
 失礼にならない程度に急いで立ち上がり、リンは背筋を伸ばして名乗る。
「本日より王宮で働く事になりました、リンベルと申します」
 一礼をして挨拶をする。本名を使う訳にはいかないので、王宮に送った書類にはリンベルの名前と誕生日を記載しておいた。
「レン様の元へご案内いたします。こちらへどうぞ」
 リリィの傍に寄ってみると、やはり背の高い人だと思う。自分の背がやや小さいのもあって、余計にそう見えるのかもしれない。
 身長差のある二人は前後に並び、応接室を去って行った。

 何か、怖そうな人だな……。
 無駄口を叩かずに案内をするリリィに近寄りがたさを感じ、リンは肩を強張らせて付いていく。仕事に関係の無い質問をしたら怒られるような気がしたが、思い切って話しかけてみた。
「あの、昨日大通りでリリィさんと会ったのですが……」
 偶然居合わせただけなので、見かけたと言った方が正しいかもしれない。向こうからしたら、自分はただの通行人程度だった可能性もある。
「……ああ」
 リリィが立ち止まって振り返り、足を止めたリンへ顔を向けた。
「そうか、昨日の。道理で見覚えがあると思ったんです」
 応接室で顔を見た時から気になっていたが、どこで会ったかを思い出せなかったと苦笑する。リンの頭上を指差して問いかけた。
「レン様の悪口に怒っていた、黒リボンの子ですよね?」
 覚えて貰えたのはこれのお陰かと、リンはカイトから贈られたリボンに軽く触れる。
「そうです。あの時はどうも腹が立ってしまって」
 心境を言ってから、何故リリィがあの人達へ同じ言葉をぶつけたのかに気が付いた。彼女は王子のメイドとして働いているから、レンがどんな人なのかを知っているのだ。
 ここで時間を潰す訳にはいかないと、リリィは体を反転させて歩き出す。リンが付いて来ているかを確認し、前に進みながら会話を続ける。
「まさかあの時の子……人が今日から働くメイドとは……。奇遇なものですね」
 喋り方は丁寧だが、始めに感じた近寄りがたさは薄くなっていた。案外話しやすいかもしれないと印象が変わり、リンは改めてリリィを見上げる。
 リリィのような人が王宮に、しかもレンの傍にいるという事は、少なくとも腐っているのは上層部の人間だけだろう。それでもかなり問題だが、話の通じる相手がいるのはありがたい。
「いつ頃から」
 王宮で働いているのかと聞こうとした時、リリィから掌を向けられて制止がかかった。
「止まって。ちょっと寄って下さい」
 手を小さく振られて壁側に行くよう指示され、リンは慌てて横に動く。その前にリリィは移動して、さり気なく庇える位置に立った。
「ちょっと面倒な事が起こるかもしれないので、覚悟を決めておいて下さい」
 注意を促した直後、間が悪いと文句を言うリリィの声が耳に届く。下手な事はしない方が良いと思い、リンは大人しく従ってその場で待った。
 進行方向から一人の人間が歩いて来る。かなりの肥満体で服を膨らませた年配の男が徐々に迫り、リンとリリィの前を通り過ぎようとした。
「……おや? 王子殿下のメイドが、こんな所で何をしているのですかな?」
 廊下の中央、二人の正面で止まり、白々しく挨拶を述べる。わざとらしい態度に不快感を覚えたリンは、リリィの背中から男を窺った。
「……っ!?」
 顔を見た瞬間、胸の中を握り潰されたような感覚がした。急に動悸がして奥歯が震え出し、背中に冷や汗が流れる。
 誰? この人。どこかで見たような……。
 無意識の内にリリィの服を掴む。早く目の前の男がいなくなって欲しかった。
「レン様の命を受け、新人を案内している途中です」
 リンが服を掴んでいるのが男にばれないように、リリィは何気なく動いて死角を作る。相手をしている暇は無いと遠回しに伝えていたが、男はにやりと馬鹿にしたように笑った。
「新人か。ジェネセル大臣殿や野良犬部隊と同様、王子殿下に気に入られるように尻尾を振っておくんだな」
 明らかな侮蔑を言い、宝石を付けたいくつもの指輪や腕輪をひけらかすように手を上げる。貴金属がぶつかる音が小さく鳴った。
 恐怖と不快感が入り混じり、リンは握った手に力を込める。この場で頼れるのはリリィしかいない。彼女は臆する様子も無く、背筋を伸ばして堂々と立っていた。
 男は手を下ろし、薄笑いを浮かべたまま二人を一瞥する。毅然としたリリィからリンへ視線を送り、大きく目を見開いた。男が驚いた理由が分からず、リンは肩を強張らせてじっと耐える。
「……まあいい」
 興味が失せたのか、男は呟きを残して去って行く。姿が小さくなり角を曲がって見えなくなった頃、リリィが顔を後ろに向けて呼びかける。
「不快な思いをさせてすみません」
「いえ……。平気です。何とか」
 リンは服を掴んでいた手を離し、激しく鼓動する胸を押さえる。何度か深呼吸をして気分を落ち着かせ、男が去った先へ視線を送る。
 さっきのは一体何だったんだろう。と言うか、あの人誰?
 ようやく動悸が治まり手を下ろす。張り詰めていた緊張感が緩んだのを肌で感じ、リンは安堵の息を吐いた。
「リンベルさん。今の人はスティーブ……様。黄の国の宰相です」
「えっ!?」
 男の名前を聞き、リンは驚愕して振り返る。呆れと情けなさを顔に出しているリリィが目に入り、再び廊下の向こうへ視線を送った。
「あの人が?」
 六年前とは別人並みに変わっていたので全然分からなかった。あの体型はではお世辞でも恰幅が良いとは言えない。かなり不健康そうな太り方だ。随分と贅を凝らした生活をしてきたのが一目瞭然である。
 リリィには分からないように溜息を吐く。スティーブがまだ王宮にいるとは考えたくなかった。あんな人に頼らないといけない程国は逼迫しているのか。それとも仕事だけは優秀だから割り切って解雇しないのか。どちらにしろ、奴を追放しないレンの忍耐力には脱帽する。
 リリィが仕方なさそうに敬称を付けた辺り、とりあえず人望が無いのは確定だ。
「王宮にいる人が皆ああだと思わないでくれると助かります」
 誤解をしないで欲しいと願う言葉が後ろから聞こえ、リンはリリィに向き直る。
「分かっています。リリィさんのような方がいらっしゃいますから」
「……ありがと」
 リリィは頬笑みを浮かべて礼を言い、進行方向へ体を向けて歩き出す。菜の花色の髪が揺れるのを見ながら、リンは遅れないように足を進めていた。

 晩餐会や舞踏会を開ける程広い大広間の中央に、緋色の絨毯が一直線に敷かれている。道のように伸びる絨毯の先には玉座が据えられており、道と同色のマントを身に付けた少年が座っていた。
 歳があまり変わらない人だって言ってたな……。
 少年は片肘をつき、メイドから聞いた情報をぼんやりと思い返す。黄の国王子と同じ年頃の少女で、わざわざ遠い港町からやって来たらしい。
 王子がこう考えるのもおかしいが、王宮への評判があまりよろしくないご時世で物好きな人もいるものだ。馬鹿な貴族から嫌味を言われなければ良いが。
 親元を離れてまで王宮で働く理由は分からない。だけど、王子や貴族への信頼が芳しくない中、それでもここで働く事を選んでくれた。
「どんな人かな」
 黄の国王子が頬笑みを浮かべていると、赤い道の先にある扉が開かれた。入って来たのは二人の人間。先頭を歩く金髪のメイドは、王子直属として働いて貰っているリリィ。彼女の後ろに隠れるように付いて来ているのは、黒いリボンを頭上で結んだ金髪の少女。
 王子は姿勢を正し、二人が近づいて来るのを静かに待った。目の前まで来た金髪の二人が跪く。
「お連れ致しました」
「ああ。ご苦労」
 謁見が終わった後に仕事を頼むので、リリィには玉座の脇に来てもらう。
「ん……?」
 畏まった黒リボンの少女に奇妙な違和感を覚え、王子は訝るような表情を浮かべる。しかし原因が分からず、今はそれに気を取られている場合でも無いので、ひとまずは後回しにする。
 口を開かずに咳払いをして気を取り直し、跪いたままの少女の頭を見つめる。作法がどうだと言われても、人に下を向けさせたままにするのは好きじゃない。
「遠くからよく来てくれた。面を上げてくれて構わない」
 悠然と聞こえるように、しかし無理をしているのを悟られないように声をかける。相手は緊張しているのか、あまり大きくない声で返事をしてゆっくりと顔を上げた。
 伏せられていた顔が露わになる。同時に、黄の国王子は息を呑んだ。
 六年前に離れ離れになって悲しみに暮れ、捜しては見付からずに嘆いて、僅かな可能性に賭けてすら駄目だったと諦めて、三年前に命を落としたと思っていた自身の片割れ。お互い成長して変わったかもしれないけれど、顔つきはほとんど変わらない。
 リン。
 俺の、姉様。

「……レン様?」
 静まり返った玉座の間にリリィの声が通る。侍女の言葉が耳に入り、レンは現実を忘れていた事に気が付いた。
「え? あ、ああ……」
 しっかりしろと内心で自分を叱る。まだやるべき事が終わっていない。
「……初めまして。レン様。私は、リンベルと申します」
 リンは赤の他人として王宮に入るつもりらしい。ならば、こちらも知らないふりをして応えよう。何より、他の人にリンが生きているのを知られる訳にはいかない。
「初めまして、リンベル。俺……、私は黄の国王子、レン・ルシヴァニア。もう立ってくれても構わない」
 あれから六年。離れていた間に、双子の立場は全く違うものになってしまった。王宮の顔ぶれも変わってしまっていて、リンにとっては知らない人の方が多いだろう。
「リリィ。当分はリンベルの面倒を見て欲しい」
「畏まりました」
 このままリンがいると感極まって隠しきれなくなりそうだ。正直、玉座から飛び出したいのを抑え込んでいる状態なので、ここはリリィに任せて場を終わらせたい。
 退室許可の合図を出す。リンは何か言いたそうな目をしていたが、リリィに続いて玉座の間を後にした。

 扉が閉められたのを確認し、レンは緊張を解いて玉座に体を預ける。
「ふう……」
 高い天井を見上げて息を吐く。広い部屋で一人、ぽつりと言った。
「生きて……いたんだな……」
 今はまだ、お互いに知らないふり、気が付かないふりをしておいた方が良い。リンベルが五年前に死んだ黄の国王女だとばれれば、リンの命が危険に晒される。憂いが無くなるまでは、王子とメイドとして接した方が安全だ。
 瞼を下ろし、自分に言い聞かせるように心で言う。

 今は、まだ……。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第19話

 19話目(プロローグ入れると20話目)にして双子が再会。長かった……。

 リリィって背が高いイメージがあります。なんとなく。個人設定としては170くらい。

閲覧数:298

投稿日:2012/07/15 10:44:55

文字数:5,887文字

カテゴリ:小説

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