――――――――――#1
冬がくる。鏡音レンは基地の付属病院で二週間の安静を命じられていた。昼下がりの灰味の、窓の外から眺める白っぽく暗い青空に、高い空には積乱雲が流れている。夏の入道雲と違って目に見えて速い。内陸にあるエルメルトでは冬支度を知らせる風物だと、FMラジオのパーソナリティが情緒深く語っていた。
二回目の入院だった。脳震盪と肋骨が一本折られて、演習なら死亡判定だった。どの道銃で額を突かれているので、何をしようが命は握られている。骨折は勝手に治ると言われたが、脳の方が大事を取って病室での経過観察になったらしい。サイドテーブルに肘を突いて、朝からぼうっとしていた。
「よお。イケメンの王子様が目覚めたって言うからキスしに来てやったぜ」
「僕は眠り姫じゃないです」
「お前、イケメンが目覚めるっつったらコレだろ。ついに鏡音レンの時代が来たんじゃないか?」
「はいはい童貞ですよ」
「なかなかやるじゃないか」
「何の用ですか」
レンの上官である亞北ネルが、ノックもせずに開始セクハラトークで入ってきた。気配は全く感じなかったが、物凄いスペックの尊敬出来なさである。
「あ、ああ。実はだな、コレを受け取って欲しくてだな」
「ラブレターじゃないですよね。ヤバイ書類ですよね」
「天才か」
「何ですか」
振り向きもせずにあしらって、相変わらずレンは空を眺めている。果てしなく、嫌な予感がするのだ。
「実はだな」
「そう言えば、起きたら夢もショートエコーも聞こえなくなりました。何かあったんですか?」
「……、話を変えよう。あの捕虜、エルメルトに居残る事になった」
思った以上に予想外の話が来た。レンが意識を失っている間に、一体何があったというのだろう。
「重音テトが去った後、捕虜はグミと名乗った。弱音准将がグレートコードを掛けていて、テトとの会話の一部始終は把握しているそうだ。内容は中央で重要機密に指定されたから、エルメルトで知ってるのはハクだけだがな」
「はい」
「捕虜は戦時中の慣例に則って員数外の作業員として基地の業務に従事してもらう。詳しく言えば司令部付きの雑用だ。呼称はグミとし、基地司令の決済で動員される。了解したか、鏡音大佐」
レンは溜息を吐いた。自分が命を賭けた理由については、ひとしきり聞けたようだ。サイドテーブルを押しのけて、向き直る。
「おはようございます。亞北准将」
「お前は寝ぼけてる方がいい性格してるな。まあいい」
ネルは持っていた封筒から紙の束を抜いて、差し出した。
「これはエルメルト市がお前に書いてほしい書類だそうだ。目を通して署名しろ」
受け取ると、一枚ずつめくる。居住地届けだの、税金だの、確かに市役所が送り付けて来る書類である。
「これは改名届けです、か?鏡音レンってもう決まったんですか」
「ああ。それは後回しだ。次の書類を見ろ」
「はあ。別に鏡音レンでも……」
前の名前は過去と共に捨てるつもりだったが、新しい名前の事は考えていなかった。だからもう鏡音レンでいいやとも思っていた。何の気なしに次の書類をめくった。
「……亡命?」
「その書類はだな、亡命希望者がクリフトニアの国民に係累がある場合にそいつを身元引受人として申告して、指名された奴が確かにそういう心当たりがあって、間違いなく本人なら亡命の身元引受人になりますと誓約する、仮の誓約書だな」
「はあ。亡命元は、UTAU?誰だろう……」
ドン。
いきなりネルが壁を殴った。流石にビックリして書類から目を上げる。
「やっぱり……!」
なんだか深刻な表情で考え込んでいる。最初は初音中将から辞令を手渡された時のデジャブを感じたが、二回目というより二週目と形容した方がしっくりくる難易度の違いが肌をちくちく刺す。
「これ、僕の親戚がUTAUにいたんですか?でも、心当たりは……」
ある。
「あるって顔をしたな?」
ハッとして顔を向けると、既に冷酷な視線がレンを捉えている。
「ここは軍の病院だ。お前の血液で遺伝子検査は余裕でした。意味は分かるな?」
内心慌てて、冷静を努めて誓約書を読み返す。そこにある名前は――。
「鏡音レンは生まれた時に母方の祖母とその息子夫婦、つまり君の実母の兄上に引き取られて、すでに一度改名手続きを申請されている。お前が改名届けだと勘違いした書類は、裁判所が改名手続きの無効を決定した通知書だ」
「え?」
そこにある名前は。鏡音レンという名前が4回、記載されていた。以前の名前は、仮改名後の姓名として、事務的に一箇所だけ記載されていた。
「軍に志願する資格はあっても、後見人のない少年だからな。お前の以前の名前は裁判所が成人するまで仮の本名として認めていた名前だ」
「それは、どういう」
「お前の本名は鏡音レンだ。その書類は、サインをすると裁判所の決定に従うという意味になる。サインをしなければお前は裁判所に呼び出される。ま、十割負けるだろうがな」
「僕の名前は、名前は?」
「私に聞くなよ。前の名前が自分の名前だと思うなら、手続きは自分ですればいい」
気絶を通り越して昏睡しそうだった。
「法的にはだな。裁判所の決定を経てから次の名前を考えるというのも、理論上は可能だ。だが、私の考えで言えば、お前の名前は十割の確率で鏡音レンのままだ。戸籍上、お前の本名は鏡音レンだし、お前が今名前を変えると、この書類な、すごく手続きが面倒臭くなる。政府も役所も人間がやってるから、面倒臭い話は嫌いだし、大嫌いだ。だから、お前の名前は鏡音レンであって、この書類は鏡音レンとして署名してもらう。これは命令ではない。忠告だ」
忠告。
「そうですか。この見ず知らずの『鏡音さん』の為に、僕に名前を合わせろと?」
「やっぱりそう思う?でもさ、本当の親御さんの名前だよそれ」
「……嫌です!絶対に!僕は、僕は!」
「僕は?」
「僕は」
僕の、僕は、僕の名前は。
「深く考えるな。兵士の中には本名なんか綺麗さっぱり忘れちまう奴だっているんだぜ?」
「え」
「命があるだけマシだと思えよ。しかも、お前の名前って政府認定じゃねえか、どっちも。とりあえず、私がお前をぶちのめす前に、自分の名前を名乗れ!」
亞北ネルがはっきりと殺意の拳を上げた。
「僕は、鏡音レンです」
「ちっ」
ネルが舌打ちをして、封筒からまた書類を取り出した。ぞんざいに投げつけると、顎で読むように促した。
「で、なんで鏡音レン、って名乗った?」
「正式には鏡音レンなんでしょう、僕は。でも、いつまでも同じじゃないですから」
「やはり天才か」
昔から頭が良いとは言われていたが、別に嬉しくもない。ネルが投げた束を手にとって目を通す。
「軍はこんな事も調べられるんですね」
「それは中央から借りてきたんだ。口外したら狩るぞ」
内容は、『亡命希望者』の身上調査だった。
「一人、ですか?」
「まあな」
健康上の問題なし。病歴手術歴はおたふく風邪と盲腸、心身ともに健康。家族の消息は――。
「なあ。私の知りあいで似たような奴がいるんだが、そいつの話をしてやろうか?」
最後の紙に目を通すと、ネルが書類を奪い返した。
「手前は命を張ったからサービスしてやったが、ここまでだ。さっさとその書類を書いて私に渡せ。さもなくば殺すし、この『鏡音さん』もどうなるか分からんぞ」
「何のためにですか」
「少なくとも、私にとってはこの書類全部サインしてくれたら、市に持っていって今日の業務は終了だ。それ以上の理由を知りたければ自分で考えろ」
取り付く島もない。殺すというのも、本当に殺しそうだ。何故なら。
「その、僕と同じなんですか」
「ああ。でも、お前よりはちょっと大人しいかな?」
聞きたくない。拒絶する資格があるなら、断じて知りたくもない。
「さあ、さっさとサインしろ。それと、人は殺してない『らしい』から安心しろ」
ネルは万年筆を投げて寄越す。書き終わるまで、ネルは苛立たしげに壁を見ていた。
機動攻響兵「VOCALOID」 第4章#1
テトが去ったエルメルトに冬が訪れ、新たな試練が鏡音レンに降りかかる。急展開の予定!こうご期待!
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BPM=172
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まふまふ
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