島野悟志の小説
その日、古びた書店のドアベルが静かに鳴った。石畳の路地にひっそりと佇むその店は、地元の人々の間では「時の書店」と呼ばれていた。誰もその由来を知らないが、一度足を踏み入れると時が止まったような感覚に囚われるのだという。
店内に入ったのは、町に引っ越してきたばかりの青年、タケシだった。彼は好奇心旺盛で、この不思議な書店に一度は訪れてみたいと思っていた。
「いらっしゃいませ」と、柔らかい声が聞こえた。レジカウンターの後ろには、年老いた店主が立っていた。彼の目は穏やかで、どこか夢見心地な雰囲気を醸し出していた。
「探し物は何ですか?」店主が微笑みながら尋ねる。
タケシは少し考えた後、「特にありません。ただ、何か面白い本があれば」と答えた。
「そうですか、それならばこれを」と、店主は棚の奥から一冊の古い本を取り出した。表紙には「時の旅人」とだけ書かれていた。
「この本は特別なものです。読むときは覚悟してください」と店主は言った。
タケシは軽い気持ちでその本を受け取った。店の片隅にある椅子に腰を下ろし、本を開くと、不思議なことが起こった。ページをめくるたびに、まるでその場にいるかのように異なる時代や場所に引き込まれていくのだ。
最初の章は、中世の城の中。タケシは騎士たちの会話を聞きながら、石造りの廊下を歩いていた。次の章では、未来の都市に立っていた。高層ビルが空に向かって伸び、空飛ぶ車が行き交っている。
夢中で読み進めるうちに、タケシは自分が本の中に閉じ込められていることに気づいた。ページをめくってもめくっても終わりが見えない。恐怖が胸に広がり、何とかして元の世界に戻ろうとするが、本は彼を放してくれなかった。
その時、店主の声が遠くから聞こえた。「恐れることはありません。この本はあなたが探し求めているものを見つけるためのものです。」
タケシは深呼吸をし、自分が本当に何を求めていたのかを考え始めた。彼は新しい町での孤独や未来への不安を抱えていたのだ。心の中の迷いが本の中で具現化していたのだと気づいた。
やがて、本の最後のページにたどり着いた時、タケシは再び書店の椅子に座っていた。店内の静寂が戻り、彼は深いため息をついた。
「見つけましたか?」店主が静かに尋ねる。
タケシは頷いた。「はい、少しだけ見つけた気がします。」
「それならば良かった」と店主は微笑んだ。「時の書店は、いつでもあなたを待っていますよ。」
タケシは本を返し、店を後にした。外に出ると、空は夕焼けに染まり、街灯が一つずつ点灯し始めていた。彼は自分が少しだけ変わったことを感じた。未来への不安は完全には消えなかったが、心の中に小さな希望の灯がともったのだ。
それ以来、タケシは時の書店を度々訪れるようになった。本を通じて異なる世界や時代を旅し、自分自身と向き合うことで、少しずつ成長していった。そして、いつの日か、彼もまた誰かにとっての道しるべとなる物語を紡ぎ始めるのだった。
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