頬に当たる光に、彼はぱちりと目を覚ましました。彼の周りではすでに、自動で動き出すように定められているプログラムが、着々と己の仕事を果たしていました。その空間を明るく照らすプログラム、音を出して主にいろいろなことを知らせるプログラム、そして、自動警備のプログラムが、この居場所を守るため、いかめしい顔で巡回を始めます。
彼はうーんと大きく伸びをすると、にわかに明るくなった自分の居場所を見渡しました。それは彼の主が、彼の居場所を眠りから覚ましたことを意味していました。でも、明るくなりはしたものの、まだまだそこは静まり返っています。海の底だってもうちょっと騒がしいぞ、と彼はつまらなそうに唇を尖らせました。それでも、そこがにぎやかになることはありません。彼は肩をすくめて、いつものようにつぶやきました。「仕方ないや」
彼は静かな方よりも、賑やかな方が好きです。静かな美術館よりも、たくさんの子供たちがはしゃぎまわる動物園の方が好きですし、おしゃべりできない一人のごはんより、みんなでワイワイガヤガヤしながら一つのお皿をつついた方が楽しいに決まっています。でも、彼はまだ一度も、そうやってみんなでわいわいがやがやしたり、子供たちの声を聴いたりしたことはありませんでした。
彼はふと思い出して、彼のために主が作ってくれたファイルを見てみました。でも、いくら見てみても、最後に主がそのファイルを開いた二週間前から、ファイルは少しも変っていません。当然です。主がいなければそのファイルを書き換えてしまうことはできないし、主だって彼がいなければ、そのファイルを開くことができないのです。つまり、彼が知らないうちにファイルが変わってしまうことなど、まったくありえないことなのでした。わかっていたけれどやっぱり落ち込んで、彼は小さな声でまたつぶやきました。「仕方ないや」
寂しく感じるたび、彼は決まって仕方ないや、と思います。そして、そうやって自分で自分に言い聞かせるのでした。だって彼はとても高いし、ものすごく広い居場所が必要なのです。彼の主が彼の居場所にやってきて彼を使ってくれれば、少しはこの寂しさもまぎれるのでしょうが、彼の主が彼を使うためだけに彼の居場所へやってくるとは限りません。だからいつの間にか、彼は「仕方ないや」が口癖になっていました。でもその口癖は、言えばいうほど寂しくなってしまう、悲しい癖でもありました。
それにしても、彼の主はいったいどうして、この居場所を眠りから覚ましたのでしょう。彼は不思議に思って首をかしげました。いつもなら彼の隣で楽しげに文字を吐き出し続けるメモ帳も、別の空間への道を開く扉も、今日は黙りこくっています。それは、彼の主がそれらを使っていないことを意味していました。主は、彼らの居場所を眠りから覚ましたものの、そのまま別の場所へ行ってしまったのでしょうか。しばらく使ってもらえないと、またこの空間は眠りに落ちてしまいます。そうしたら、また主が帰ってくるまで、彼らはじっと待っているしかありません。
さすがに今度は彼も「仕方ないや」とは言えませんでした。不安に思って上の方を見つめ、彼は眉をしかめます。一分、二分とたっても、主が戻ってくる気配はなく、空間は不気味に静まり返っていました。
……やがて、この空間を維持している一番大切なプログラムが、「ふわぁぁ」と大あくびをし、みんなが不安に思ってお互いに顔を見合せた時。
じっと上を見つめていた彼は、きらりと一点が輝くのを確かに見ました。その輝きは、瞬く間に大きくなり、彼がいる空間の隣を切り取って、四角の箱を作り出します。彼は驚きのあまり、その光景をじっと見つめていました。
「インストールだ」あるプログラムが叫びました。「インストール?」彼は目の前に広がっている光景をじっと見つめながら、不思議に思って聞いてみました。「新しいプログラムがやってくるんだ」そういわれて、彼はもっとびっくりしました。
「マスターが、これをやっているの?」「そうだよ」問いかけてみると、また別のプログラムが興奮したように叫び返しました。「お前もこうやってこの空間にやってきたんだ」言われて、彼はもっともっとびっくりしました。あまりにビックリしすぎて、なんだか妙に気持ちが浮き立ってきます。「僕も?」どきどきと高鳴る胸を抑えながら、彼は問いかけてみました。「僕も、あんなふうにやってきたの?」
「そうだよ」と、以前の空間から引っ越してきた古いプログラムがやさしく言います。「プログラムは、主が選んだ銀色の円盤からこの空間へ、こうやって四角の部屋をもらってやってくるんだ」
でも、もう彼は、古いプログラムの話を聞いていませんでした。彼の隣で四角く切り取られた空間に、無数の1と0が降り積もっていきます。それは、まるで今まで彼が見たことのないような美しい光景でした。降り積もっていく1と0が、やがて少しずつ、人の影のようなものを作り始めます。彼はドキドキしながら、それが出来上がっていくのを見つめていました。
でも、それがあと少しでしっかりとした人の形になるというときになって、この空間を支えているとても重要なプログラムが、小さな声で「あれ?」とつぶやくのを、彼は聞いてしまったのです。「このプログラム、私が支えているこの空間では、もしかしたらインストールできないかもしれないぞ」
「どうしたの?」彼は心配になって聞いてみました。「どうして、インストールできないの?」
「とても古いプログラムなんだ」とても重要なプログラムは、難しい声でそう答えました。「君もそうだったけれど、最新型の私に対応していないプログラムなんだよ。君の場合はまだ、ほんの少し前に開発されたばかりだったから何とかなったけれど、このプログラムはもっと古いみたいだからなぁ」
とても重要なプログラムが、あんまり難しい声でそう言うので、彼はとても悲しくなりました。いつの間にか四角く切り取られたその空間に降り続いていた1と0はすっかり止んでしまっています。このまま、この空間は消えてしまうのでしょうか。
と、彼の空間で何かきらりと輝くのが、彼の視界の隅に映りました。きらきらと、それはまるで、何かを待っているかのように静かに輝き続けています。彼は振り返り、その輝きがいったい何なのか探してみました。きらり、きらりと弱弱しく輝くそれに近づいていくと、誰も開くことのできない、あのファイルではありませんか。彼は驚いて、そのファイルをそうっと持ち上げてみました。彼のファイルとよく似た拡張子、でも、彼では開くことのできないファイルが、1と0が止んでしまった空間に向かって、きらり、きらりと悲しげに輝いています。そうか、と彼は気が付きました。彼の主は、このファイルを開くことができるプログラムを、この空間にインストールしようとしているのです。
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ファントムP
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しょぼハム
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仕方ないや面白いですね(`・ω・´)
2013/04/27 00:07:56