「……レン、ほんと性格悪い」
数日ぶりに顔を合わせた幼馴染への第一声がこれか。
化粧っ気のない頬をぷくっと膨らませたリンは、成人した今でもお世辞にも大人っぽいとは言い難い。
これでもかと唇を尖らせて俺のいる食卓を完全スルーすると、そのまま奥のソファーの上にだらしなく倒れ込んだ。
「もう、リンちゃんったら…ごめんなさいね、レン君」
お茶の用意をしていたルカ姉が、困り顔でふうと小さくため息を吐く。
我が家の暴君のような姉貴達とは違って、絵に描いたような優しい大人のお姉さん。
もともと綺麗な顔立ちなのは知ってたけど、歳を重ねるにつれてその美しさは凄みを増しているような気さえする。
美人で気だても良くて、留学経験もあるバイリンガルのキャリアウーマン。
この才色兼備のお姉様に対するリンのコンプレックスは、それはもう昔から凄まじいものがあった。
そんなわけでルカ姉に何か注意されてもリンにはこの上なく逆効果なんだけど、賢いルカ姉もこれだけはいまだに気付かないらしい。
「っ別にいいでしょ?!いいよ、あたしはいらないから!レンとルカ姉で仲良く食べればいいじゃん!」
ダイニングに顔を出してまだ五分もたたないのに、どうやらすっかり機嫌を損ねてしまったらしい。
小さな肩を怒らせながらぷりぷりと部屋へ戻っていく後ろ姿を見送って、俺は苦笑いでルカ姉と顔を見合わせた。
綺麗にセッティングされたティーセットと、有名店の限定プリン。
俺が手土産にと持ってきたリンの大好物が、どうやら彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
「まーたダイエットしてるんだ、リン」
「そうなの、二、三日前から突然…何かあったのかしら」
そりゃあ多分あんたのせいだよ。
まるでわからないといった表情で小首を傾げるルカ姉に、心の中で小さくツッコミを入れる。
いくら食べても太らない、というかむしろ食べた分だけ胸に集中する特異な体質なのか、とにかくルカ姉はスレンダーで、その上グラマラスなナイスバディ。
背も平均より低く、食べた分だけお腹周りに肉がつくリンからしてみれば、羨ましいを通り越していっそ妬ましい存在に違いない。
「いいよ、俺呼んでくるから」
そう言って席を立った俺を、ルカ姉の「紅茶が冷める前に戻ってきてね」という何とも呑気な声が追いかけてくる。
一気に脱力しそうになるのを必死に堪えて、俺は見慣れたリンの部屋のドアを軽快にノックした。
「……なによ」
大きなテディベアに顔を埋めるようにして抱きつきながら、恨めしそうな顔をしたリンがじろりと俺を睨みつけてくる。
だぼだぼのルームウェアから伸びる腕は蔓のようにしなやかで、俺からすれば今でも十分細いと思うのに。
リンはいつも比較対象がおかしいんだ。
ルカ姉やら人気女優やら読者モデルやら、そんなもの競おうとするほうがどうかしてる。
「プリン食わねえの?せっかくリンのために買ってきたのに」
「……いいよ、そんな気ぃ遣わなくて。あたし抜きで、美人のルカ姉と二人のほうがレンだって嬉しいでしょ」
「何でそうなるんだよ…」
はあ、と盛大にため息を吐いたところで、慌てて口元を押さえたけどもう遅かった。
俺を見るリンは案の定傷ついた目をしていて、ああ、またやっちゃったかと軽い罪悪感。
なぜかリンは、俺にため息を吐かれることをひどく嫌う。
「……俺はね、リンに会いにきたの。ルカ姉じゃなくて、リンに。あのプリンもリンに喜んでほしくて選んだもんだから、リンに食べてもらえなきゃ全然意味ないんですケド」
テディベアにしがみつく小さな手をそっと握って、子供に言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、恐る恐るといったように俺と目を合わせたリンが、消え入りそうな声で紡いだ言葉は。
「、うそつき」
「……あのなー」
思わず頬が引き攣りそうになったのを、懸命に抑えた俺は本当に偉いと思う。
いくら長い間人一倍仲のいい幼馴染で通してきたとはいえ、あんなふうに口に出すのは正直相当恥ずかしかったのに。
けど俺を見るリンの目が今にも泣き出しそうに潤んでいるのに気付いたから、俺は飛び出しかけていた軽口をギリギリのところで飲み込んだ。
「……いいんだよ、もう。あたしのお守りなんて疲れたでしょ。あたしのことは気にしないで、彼女と仲良くしてたらいいじゃない」
「は?彼女って…」
「だから、もう隠したりしなくていいってば!見たもん、レンが細くて綺麗な女の子と一緒に歩いてるの!あたしにはゼミが忙しいから遊べないって言ったくせに!レンのばか、大うそつき!」
テディベアやら雑誌やら、泣き喚くリンがそこら中のものを手当り次第に投げつけてくる。
それを何とか受け止めながら、俺はまったく身に覚えのないリンの話に思考回路がショートしかけていた。
自慢じゃないが、彼女なんて生まれてこのかた一度も作ったことがない。
けど年齢イコール恋人いない歴なのはリンも同じことで、だから特に気にもしていなかった。
いつかリンを嫁にもらえばいいかなーなんて、昔から漠然とそう思ってたから。
けど。
「いいもん、こうなったら痩せてレンの彼女より可愛くなって、レンなんかよりずっとカッコいい彼氏見つけてやるんだから!」
「ちょっ、それは困る!」
「なんでよ!」
「リンが他の男と付き合ったら、俺は誰と結婚するんだよ!」
「へ…」
これは、さすがに言い過ぎたのではなかろうか。
言葉を失いぽかんとしているリンに、自分がいかに突拍子もない発言をしたのかを思い知らされる。
ごめん、今のは忘れてくれ。
そんな一昔前のドラマみたいなセリフを口にする前に、リンが驚いた顔のまま小さく唇を動かした。
「だってレン、彼女…」
「……彼女なんていねーよ。リンの見間違いだろ」
「っレンを間違えたりしないもん!三日前、あたしがカラオケ行こうって言ったのに、レンはゼミの準備があるから無理だって…なのにそのあと女の子と二人で歩いてて…」
「三日前…」
というと、つまり先週の木曜日か。
若干混乱気味の頭を何とか整理して、必死にその日の記憶を辿る。
確かにあの日リンに誘われて、でもゼミの発表があったから断って、日中はずっとその準備をしてて…
「……あ」
「え?」
「その女の子ってさ、赤茶色のロングの奴?」
「そうだよ、それに細くて綺麗な…」
「それ、ただのゼミ仲間。準備の合間に、ジャンケンに負けた同士で昼飯の買い出しに行っただけ」
「じゃん、けん…」
あの日、俺が女と連れ立って歩いていたとすればそれだけだ。
細くて綺麗という形容もまあ当てはまるだろう、本人の性格を知ってる以上俺はどうも素直に頷けないけど。
「彼女じゃ、ないの…?」
「絶対に彼女じゃありません。つーかやめてくれ、あんなんと付き合ったら胃に穴が…うわっ!」
否定の意味を込めて軽く手を振ると、目一杯に涙をためたリンが飛びつくようにしがみついてきた。
これくらいで無様に倒れ込むようなことはないにしろ、いきなりのことだったし誰だってそれなりに驚くだろう。
呆気にとられる俺は何も言えないまま、ぐずぐずと鼻を啜りながら、俺のカーディガンをきゅっと握りしめたリンがぼそぼそ話すのに耳を傾けた。
「……あたし、レンに彼女ができたんだと思ったらすごいショックだった」
「リン…」
「あたしの一番はレンなのに、レンの一番は違うんだなって思ったらすごい悲しくて…いつかレンのお嫁さんになるのかなーなんて勝手に思ってた自分が恥ずかしくて、あとレンに捨てられた気分になって無性に悔しかった」
だから痩せて可愛くなって見返してやりたかったんだと、そう言って俺の肩口に顔を埋めるリンはやけに小さく感じた。
小柄なのは昔からだし、わがままで泣き虫のリンを守るのはいつだって幼馴染の俺の役目だった、けど。
今までとは全然違う感情が全身をビリビリと刺激して、どうもそわそわと落ち着かない。
いきなりやる気になった心臓は苦しいくらい脈打つし、よくわからないからこの熱がそのままリンに伝わってしまえばいいとさえ思う。
「リンは…レンのお嫁さんになるんだって、思っててもいい、の?」
一句一句確かめるようにそっと囁かれた言葉は、大人になった俺たちが交わすにはあまりに陳腐すぎて。
でも。
「……ったり前だろ、」
思いきって力を込めた腕が幸せだと叫ぶから、何かもう俺たちはこれでいいんだと思う。
ぼくのおひめさま
(100122)
「……ま、とりあえずプリン食うか」
「で、でもダイエット…」
「んなもんしなくていいから。大体リンは太ってないし、それに…」
「それに?」
「今くらいのほうが抱き心地いいから。むしろダイエットとか禁止な」
「~っ!レンのばか!変態!」
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