突然 "透明人間になりました" なんて言って、誰が信じるだろう。
確かに、目の前で話していて姿が見えなければ、それは信じざるを得ない。
だが、姿も見えずに言われたらどうだろう。
誰しもが "そんなことは有り得ない" と言うに違いない。
しかし、そんなとんでもない現象に、僕は出逢ってしまった。
いつから透明化が始まったのかは、当然わからない。
気付く原因は人との関わりにはなく、街のショーウィンドウを通りかかったときにあった。
どうしようもない状況に万歳をしたくなるが、言ったところで無意味なので飲み込む。
原因を "ああでもない、こうでもない" と推測しても、やはりわからない。
けれど気になって仕方なく、馬鹿の一つ覚えでこれを繰り返した。
でも、しょうがないことなのかとも思う。
透明人間になりました、ハイそーですか、なんて素直に受け入れられる方が異常だ。
原因を追究していくのが普通。
なぜなら、元通りになれる手掛かりになるかもしれないから。
知れる範囲で知って、自分を自分で守る防衛反応。
まぁ、そんな煙たい倫理はさて置き。
あんなことやこんなことで悩ませる煩悩の妄執を頭の片隅に置いて、溌剌(はつらつ)と透明人間の生活を送った。
ここ数日、透明化してから、こうなる前に馴染みのあった場所を訪れている。
それは学校。
誰にも気づかれないように細心の注意を払いながら、自分のクラスに向かう。
当然ながら僕の噂は回りに回っているが、話題にしているのは僕を嫌うグループのみだった。
他の生徒は、当たり障りのない会話をしている。
興味がないようだ。
友人と呼べる人すらいないので、心配する人などいやしない。
そのグループからは、聞きたくなかった陰口が聞こえた。
いなくなって清々(せいせい)しているのか、清々(すがすが)しく笑っている。
悪意の籠った笑顔から、性格の悪さが滲み出ていた。
学校を去る帰り際、グループ内で付き合っている一組の男女が、校舎裏で熱烈な接吻を交わしていた。
見たくないものを見せられて、すぐにその場を去る。
だが、脳裏に焼き付いて離れない。
よりによって、嫌いな奴らのキスシーンなんかが。
そのせいで、脳内をリセットしたいほど頭が痛くなった。
奴らには、大嫌いな僕が見えているのだろうか。
集団で無視を決め込んでいるかもしれない。
そんなわけはないのだが、僅かな可能性から複線を考えてしまう。
決していいものとは呼べないものを目にして、大分疲労が溜まった。
こんなことを気にせず、知らん顔できるようになれば……
普段の僕には可能だろうが、この状況下の僕には無理だ。
心地よさなどどうでもいいから、凭れかかれる斜めが欲しい。
透明人間だから楽観視できる、というわけではない。
僕の場合、寧ろ逆だ。
実際、視えないフリをして世迷い言を垂れても意味はなかった。
結局、どう足掻いてもこの状況からは逃れられない。
帰り道は街の混濁に注意を払わなければいけなかった。
そうは言っても、帰る宛などどこにもないのだが。
兎も角、人とのコンタクトの回避は絶対だ。
すれ違うときに少し肩が触れるくらいなら別にいい。
ただ、店内でそこに誰かいる、なんて状況はいただけない。
適当な道案内で僕を導いてくれるコンダクターを強く切望した。
然為(さす)れば、こんな葛藤に苦しむことはないだろうに。
今の僕は無人島に置き去りにされた、セルカークのようで。
世間に置き去りにされながら、彼のように粋に――人情の表裏にまで精通しているような感覚をもって、こんなシチュエイションを見送ってゆく。
ああでもないこうでもない、あんなことやこんなこと……
悩み追究する日々はもう沢山。
うんざりだ。
と、意味もなく負の感情を排斥する排他的感情論を、つべこべと心中にぶちまけた。
街をふらついて夜。
僕の足は自然と海岸へ向かっていた。
そこで、学校の旧友だった人を見かける。
薬を服用しているのか、一人で夜遊びするには、随分大胆な狂気を放っていた。
乱用者本人は、世界一無害な人間になれたと思い込むだろう。
元々この子は、精神面がめっぽう弱かった。
きっとそこに付け込まれたのだと推測する。
僕の親切を振り切って、君は手を出した。
傍若無人な姿ね。
まるで、ゴミ屑のよう。
……君はどうしたって、僕を捜すことはできない。
嗚呼、捜すはずないか。
薬の件で友達を辞めたんだから。
それに、そもそも居なくて当たり前だった。
僕の存在なんて、誰も気付いちゃくれないよ。
家族、教師、クラスメイト――。
僕を嫌いな皆が皆、僕を忘れる。
なかったことにする。
それはいいけど、知らん顔で楽しく生きるな!
こっちの気も知らずに、のうのうと、へらへらと――。
見ていて腹立たしい。
苛つきしか覚えない。
どうしてそう、楽観視できる。
お前らに悩みはないのか。
……そうか、ないよねあるはずがない。
悩みの種は、僕だったんだから。
発芽前に刈り取れて、さぞ嬉しかろう。
嫌になって、悪癖だった爪を噛みたくなる。
こうなってしまった今、止めても意味はないので爪を噛んだ。
これを止めるどころか、生きる意味すらないような気がしてくる。
誰にも見つけられない、僕なんて。
そんな大往生を前にして、少し歩いた海辺の公園で、声の嗄(しゃが)れた老夫婦が笑っていた。
それを見て思う。
道理で一人じゃ笑えない、僕を見てくれる人とではないと笑えやしない、と。
でも、笑えなくてもいい。
皆の大嫌いな僕は今日、張り裂けて無くなる。
これでもう、戯れ言は届かない。
聞かずに済む。
しかし思い返してみれば、今までの陰口はすべて、僕の存在を認めなければ言えないこと。
気づいたら
「ありがとう。」
そう、口にしていた。
嫌いでいいから、彼らにはどうか忘れないで欲しい。
端っこに座って傍聴して、自分の存在を確かめたかった。
ひたすら歩いて、交差点まで来てしまう。
夜の街は帰宅する人で溢れ返っていた。
墓場はここにしよう。
僕が目立って死ねる、唯一の場所で。
最期だからと、人とのコンタクトは気にしなかった。
そのまま道路へ前進する。
すると、何ということか――横断歩道で信号待ちをしているサラリーマンが、歩く僕を避けた。
見えるはずのないこの僕が……彼には、見えていた。
そう思うと、彼を神としか思えなくて。
それでも僕には、死ぬしかなくて。
車の飛び交う交差点を、突き進む。
一台の車が、一人の透明人間を撥ねた。
痛い、すごく痛い。
痛みと共に、人の視線を感じる。
嗚呼、やっと見てもらえた。
気づいてくれた。
居るとわからせるために死んじゃうのは、少し残念だけど。
知られないよりずっといい。
今、僕はここに――。
End.
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万々歳は飲み込んで
ああでもないこうでもない原因推測をぶちまけて
一つ覚えで悪かったね
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煙たい倫理は置いといて
あんなこと そんなこと煩悩妄執もハツラツと
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