「海と花火と衿元と (上)」
「レーンー。開ーけーてーっ!」
寮室の扉の向こう側で、姉が声を張り上げている。訝しげにレンが扉を引くと、大量の雑誌とともにリンが雪崩れ込んできた。
「うわっ、なんだよこの量は!」
「見てないで手伝っ・・・あーっ!」
ぷるぷると抱えていた腕から、派手な音を立てて雑誌が崩れ落ちる。間一髪、レンは足の甲に雑誌が直撃する前に、後ろに飛びのいた。しばし唖然と床に散らばったそれらを見つめた後、ため息を吐くとリンは雑誌をまたいでベッドに倒れこんだ。
「まぁ落ちちゃったのは仕方ないか。あー重かった」
「だろうな。それにしてもすごい量だな」
散らばった雑誌を揃えてやりながら、レンは改めてそれらの表題に目をやる。若い女の子向けのファッション誌ばかりと思っていたが、よく見ると観光ガイドや情報誌などもある。花火ガイド、と題された雑誌をめくっていると、レンも行くんでしょ?と云われた。
「今度の屋形船。あ、聞いてない?」
「聞いてない。いつだよ?」
「20日。花火ある日だから、予約大変だったらしいよ」
そういえばだいぶ前に、そんな話も聞いた気がする。屋形船といったら、とリンがベッドの上に座りなおす。
「浴衣着ないと! レンはねー、黒っぽいのより明るい色が似合うと思うんだよね」
「え、俺も着んの?」
「そりゃそうよ! 大丈夫、お金はあっちが出してくれるって云うし。みんな着るんだよ?」
その言葉に、レンは雑誌から顔を上げる。
「みんなって?」
「みんなはみんなよ。ミク姉にネル、ハクとルカとメイコさんにカイトさん」
でね、とリンは揃えられた雑誌を手に取り、パラパラとページをめくった。
「今度の金曜日、学校終わったらみんなで浴衣買いに行くの。レンも一緒に行く? っていうか、浴衣以外なんて有り得ないからね」
雑誌から顔を上げ、リンの大きな瞳がレンを見据える。否を云える雰囲気ではない。しょうがねぇなぁ、とレンは花火ガイドをさりげなく目で追いながら、買い物の約束を承諾した。
晴海埠頭は、思いの外風が強い。寮から一緒だったミク、リン、ネルに加え、ハクとルカも近場で合流した。夕暮れ時の橋の上、華やかに着飾った女性陣の中でレンはひとり、居心地悪そうな表情でりんご飴を齧っている。
「あ! りんご飴ずるい! どこで買ったの?」
からからと下駄を鳴らし駆け寄ってくるリンの浴衣は、白地に明るい黄色の格子柄に、なでしこの花が散っているものだ。背中に二重に結われた、ピンクと赤のふわふわの兵児帯が彼女のこだわりである。そこの屋台、と指しながら生成りにところどころ小さな藍色の蝙蝠の飛んだ浴衣のレンは、人ごみの中に視線を泳がせる。時間では、もうそろそろのはずだ。
「あ、いたいた! こっちこっちー」
隣でミントグリーンに淡赤(うすあか)い金魚の染め抜かれた浴衣の、ミクが手を挙げる。呼びかけた方を見遣ると、浴衣姿のメイコとカイトがいた。
「遅いよー、乗り遅れるかと思ったじゃん」
明るい黄色に朝顔の咲く浴衣姿のネルが、ぱたぱたうちわで扇ぎながら云う。ごめんごめん、とメイコはその頭を撫でた。
「仕事終わってから着替えてたら、時間かかっちゃった。みんな可愛いねぇ、やっぱ若い子はいいわ」
おっさんか、とハクがメイコの口調に呆れる。まぁ行こ、と皆を促しながら、メイコはハクの浴衣に目をやった。
「相変わらず渋好みねぇ。あと10年遅くていいんじゃないの?」
「余計なお世話だ。そっちこそ、新調したのか?」
「ん? まぁね」
濃い紅地に黒で芍薬(しゃくやく)の柄の入った浴衣の袖をつまみ、メイコはいいでしょ?と振ってみせる。帯も渋めのゴールドで、彼女の雰囲気には合っている。が、グレーに深緑と芥子のよろけ縞の浴衣に白の博多帯のハクは、着れてあと3年、とシビアな見解を下した。
「酷ッ! ねぇちょっと酷くない?! ルカ、何とか云ってやってよ」
ん? と黒地にピンクの大柄の蝶が舞う浴衣のルカが振り向く。合わせた帯も、メタリックなシルバーと黒の市松模様とルカらしい。彼女はメイコの姿を上から下に、そしてまた上へと視線を上げると、云った。
「帯を変えて、あと2年」
「たいして変わってないし!!」
メイコの咆哮が、宵の口の空に響く。女の子たちは元気だなぁ、とその後姿を見ながら、いつの間にかレンの隣に来ていたカイトが笑う。
「あ、りんご飴」
「・・・なんだよ。やんないからな」
「違うよ、ここに付いてる」
すっと長い指が、くちびるの端に触れる。思わず歩を止めた隙に、りんご飴が一口、齧られた。
「あーっ! カイトさんにはあげてリンにはくれないとか!」
屋形船乗り場の桟橋に片足をかけ、リンがむくれる。はいはい、後が詰まってるからね、とメイコがその背中を押す。
「船乗ったらすぐ天ぷら出てくるから。リンはジュース、なにがいいの?」
「んーとオレンジ!」
あたしコーラ! とその後ろに続きながら、ネルが声を張り上げる。
「青汁ってない?」
「ない。メロンソーダで我慢しておけ」
ミクの問いに、ハクがバッサリと答える。うーんまぁ色が緑なら、と渋々納得するミクに、ホントにそれでいいのか・・・?とレンが呟く。
「タコの刺身は・・・・・・」
「大丈夫だ、それはちゃんとある」
屋形船に乗り込み、下駄を脱ぎながら何の心配だ、と前を行くルカに呆れる。入り口は案外狭く、先に入っていった女の子たちの下駄を端に寄せ、なんとか下駄箱の中で場所を作ろうと苦心していると入りそう? と肩の上からカイトの声がした。
「うん、平気。リンの厚底下駄が場所取ってるだけだから」
「ぽっくりって云って!」
リンが座敷から、抗議の声を上げる。男にはわかんないのよ、とネルまで便乗しているのを聞いて、レンはむっと残りのりんご飴を一気に頬張った。じゃりじゃり噛み砕いていると、危ないよ、とカイトがその口から棒を引き抜く。
「もう動き出すんだから」
下駄箱が狭いせいで、やわらかい声がすぐ傍でする。ん、とその声の近さに目も合せられずりんご飴を噛み続けているとカイト、全員乗った?とメイコの声がした。
「うん、俺で最後だから。あ、メイコ。飲み物全員決まってる?」
やっとのことで下駄を仕舞い入れ、レンとカイトが座敷へ向かう。中央に並べられた卓の両脇に各々が並び、早くもどの刺身がいいだのデザートは出るのかだの勝手なことを云っている。おしぼりの封を切りながら、はい、とメイコがドリンクメニューを差し出した。
「あとはレンだけかな。あ、カイトは一杯目はビールでいいでしょ?」
「俺はいいけど、ルカ呑めたっけ?」
「二十歳だから大丈夫」
真面目腐って答えるルカに、そういえばそっか、とカイトは頷いた。
「あんまりイメージなかったなぁ。いや、大人っぽいんだけどどうもお酒呑むって云うと、メイコの印象が強すぎて・・・・・・」
「なんか云った?」
にっこり微笑んで振り返ったメイコに、あ、俺決まった!とレンが上ずった声を出した。
「えっと・・・レモンソーダ」
酒を呑んで暴れたときのメイコも怖いが、怒ったメイコはもっと怖い。ドリンクメニューを返そうと腕を伸ばしたとき、船が動き出した。
「わー、案外速いんだね」
窓辺に寄り、ネルが向かいを走る別の屋形船に手を振る。赤い提灯を吊り下げた屋形船の乗客が、手を振り返すのを見てネルはノリいいなぁ、などと笑っている。
「ほらほら、飲み物来たからグラス持って~」
運ばれてきた飲み物とグラスが、各自の前に置かれていく。そのうち一本の瓶ビールは、早くもメイコががっちり掴んで放しそうにない。仕方ないなぁ、と苦笑して、カイトはルカとハクと自分のグラスに、ビールを注いだ。
「乾杯は? 誰が音頭取るの? ミク?」
嬉しそうに泡立つビールを眺めながら、メイコが云う。え、とメロンソーダを持つミクがメイコを見遣った。
「いやいや、ここはメイコお姉さまが」
「ホントに~? 年長者だからって、何でも押し付けるんじゃないわよ」
「屋形船予約したのだって、メイコじゃん」
中途半端にコーラを持ち上げたままのネルの隣で、何でもいいから早くしろ、とハクが顔をしかめた。
「それじゃあ、まぁ~。えっと、私たちの黒字化と今後の発展に・・・・・・」
「メイコ、それ一部笑えないよ」
今後の発展、の部分にカイトが苦笑いする。ああ厭な事思い出しちゃったじゃないの、とメイコは額に手をやった。
「・・・いいや。納涼に! かんぱーいっ!!」
明るいメイコの声に、グラスがぶつかり合う音が重なり合う。いっただきまーす! とネルが元気な声を上げた。
「サーモン食べていいよね?!」
「あ、リンはエビ! エビの天ぷら!」
「――タコだけは渡さない」
箸が伸びあうテーブルを見つめ、唖然と一瞬出遅れたが、俺も天ぷら、とレンは手を伸ばした。
「おーいいね。食べとけ食べとけ、成長期」
しっかり二杯目のビールを注ぎながら、メイコが豪快に笑う。背を伸ばすなら今からだからな、とハクも頷きながら、ビールを煽った。窓の外の空は、いつの間にか夕空から夜の色へと変化している。花火が上がる時間までは、もう少しありそうだ。それまでに食べておいてしまおう、とレンは再び、天ぷらの山に箸を伸ばした。
「海と花火と衿元と (上)」
【諸説明】
・とあるものの、完全スピンオフです。
本編よりこっちが先に出来ちゃうとか (ノД`)
・夏なので、みなさんに遊びに行ってもらいました。
・【腐】注意 って題名に入れるの忘れました。すみません。
・でも、コンセプトは「お母さんが子供に読み聞かせしてもおkなレベル」
・設定は
中高生 ・・・ リン、レン、ミク、ネル
学校の併設機関の人 ・・・ ルカ、ハク
職場の同僚 ・・・ メイコ、カイト
・浴衣設定は(下)の方で。
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