第六章 遊覧会 パート2

 レンと別れたメイコが赤い鎧姿のままで向かった先は父親であるアキテーヌ伯爵の執務室であった。黄の国の重鎮であるアキテーヌ伯爵は王宮の第三層にその私室と執務室を与えられている。第三層の大理石造りの廊下に軽い音程で反響する靴音を鳴らしながらアキテーヌ伯爵の執務室の目の前に到達したメイコは軽く握った拳で二回、ノックを鳴らした。
 「入っていいぞ。」
 中からアキテーヌ伯爵の声が聞こえる。その声を確認してからメイコは金属製のドアノブを握ると慎重な物腰でその扉を開いた。
 「失礼します、お父様。」
 メイコはそう告げるとアキテーヌ伯爵の執務室へと入室した。アキテーヌ伯爵の執務室はその合理的な性格を良く表すように簡素な造りとなっていた。照明器具はどこにでもあるような普遍的なもので、壁際には一面の本棚、そして窓際にあるものはアキテーヌ伯爵専用の、落ち着いた木目が特徴の執務机である。
 「城下町の状況はどうだ?」
 アキテーヌ伯爵は老眼鏡を片手で外して折りたたむと、それを丁寧に机に置いた。
 「今日は珍しく犯罪がございませんでした。ただ、街を歩く人の姿が少なくなったように感じます。」
 メイコはそう言いながら、執務室の中央にある来客用のソファーに腰掛けた。反発力がやや強いソファーであるから、座り心地は必ずしも良いという訳ではない。
 「そうか。」
 アキテーヌ伯爵はそう言うと執務椅子から立ち上がり、背の低い接客机を挟んでメイコと向かい合う位置にあるソファーに腰を落とす。その様子を眺めながら、メイコは再び口を開いた。
 「私は経済のことは良く分かりませんが、城下町の経済活動が低迷しているように感じます。」
 「そうだろうな。報告書にも似たような内容が届いている。」
 嘆息交じりの声で、アキテーヌ伯爵はそう言った。執務室の窓に当たる雨の音が妙に響く。
 「一体何が。」
 「昨年の飢饉の対策を我々はほぼ施していない状態だ。その為に今年の作付けを行えなかった農村が多数存在する。結果、今年の税収は前年同様期待できない。」
 低く垂れこめる雨雲の様に口を開いたアキテーヌ伯爵は、その言葉を端に現在の黄の国の経済状況をメイコに向かって説明を始めた。
 「農村経済が崩壊しているのだ。食糧の生産量が低下し、貧困にあえぐ農村と王宮との物流が滞っておる。しかも不足する食糧は他国から輸入している状況だ。今年の貿易赤字額は相当額になると予想している。もちろんその支払いは国庫から行っているものだから、財政も真っ赤な状態だ。現在は備蓄の国庫からの支払いを続けているが、様は身売り状態だ。このままでは、来年の頭には国庫が尽きる計算になる。」
 先程も国庫の残り状況を計算していたのだろう。苛立ちを込めた声でアキテーヌ伯爵はそう言った。
 「リン女王はそれに対して何と?」
 太股の上で軽く両手を絡めたメイコは、深刻な表情でアキテーヌ伯爵に向かってそう言った。
 「相変わらず、聞く耳を持たれない。」
 「どうしてこんなことに。昔は素直なお方であったのに。」
 まるで女王に即位してからというもの、人が変わってしまったようだ、とメイコは思う。内務大臣の娘としての立場からメイコは幼少時にリン女王と触れ合う機会があったが、あの時は花と歌が好きな、少し我儘ではあったけれど心優しい少女であったはずだった。
 「彼の呪いの効果だろうな。」
 虚脱感を覚えさせるアキテーヌ伯爵の言葉と視線がメイコの元に届く。
 「呪い、ですか?」
 「お前はまだ知らなかったな。」
 アキテーヌ伯爵はそう言うと、一度姿勢を正し、メイコに向かって更に言葉を続けた。
 「今日お前を呼んだのは黄の国の抱える本質的な問題を伝える為だ。これは決して口外してはならぬ。このことを知っているのは儂以外にはルカ殿と軍務大臣のロックバード伯爵しか知らないことだ。」
 そのアキテーヌ伯爵の言葉に対して、メイコは息を飲みながら一つ頷いた。とても重要な話を始めようとしていることが震える空気からも実感できる。雨音が更に強く執務室の窓を叩く。湿気の所為か、それともアキテーヌ伯爵の言葉が余りにも重すぎたせいなのか。全ての話が終わった時、メイコは窒息するように薄くなった空気を求めて、大きな溜息をついた。
 彼が、悪ノ元凶だというのか。
 脳裏に浮かんだ、優しい笑顔を持つ彼の無垢な表情を思い浮かべながら、メイコは言葉を失った様に暫く呆然と定まらぬ視線のままでどこともつかぬ空間を眺めた。
 雨音だけが、嫌にはっきりとメイコの耳に届いた。

 雨季が明け、夏が本格化したのはそれから二週間ほど経過した時であった。ようやく天下を掴んだとばかりに盛大にわめく蝉の声が至る所で響く。煉瓦造りの王宮の壁に染み入る蝉の声を聴きながら、リンは私室の窓際に用意されている椅子に腰かけ、窓枠に右肘を置いて頬杖を突くような格好で城下町の様子を眺めた。輝く夏の日差しが窓越しにリンの顔に当たる。軽く皮膚が焼けるような心地の良い感覚を味わいながら、リンは南大通の様子を眺めた。ここから城下町を観察していると、街ゆく人々がまるで手乗り人形のような小ささになることが妙に面白い。その南大通の一角で一人の行商人が露店を開いていたが、どうやら商売の様子は芳しくないようだ。人通りが少なく、顧客を捕まえることができていないことが原因の様子である。その行商人を眺めていることに飽きたリンは、そのまま視線だけで煉瓦造りの通りを南下し、黄の国外壁の南正門を視界に納めた。日中は解放されている南正門にも人の数は少ない。昔はもっと人が多かった気がするわ、とリンは考えながらも、視線を更に南へと移した。南正門から続く街道はオデッサ街道と名付けられている、遠く緑の国まで続く街道である。明日出立する緑の国で開催される遊覧会では、リンの一向はオデッサ街道をひたすらに南下することになっていた。日程は十日間の予定である。緑の国の名勝パール湖へ訪れた経験は今のリンには無いが、何でも鏡の様に煌めく湖面が特徴の美しい湖とか。その景色も楽しみではあったが、それ以上に婚約者であるカイト王からどんな言葉を頂けるのだろうか、と考えながら、リンは心が跳ねるような期待感で覆われていることに気が付いた。
 明日の参加人員については既に決定している。軍務大臣のロックバード伯爵と、召使のレン。そしてリン女王の護衛として参加するのはガクポである。ガクポの立場はリン女王直属の近衛兵という扱いにしておいた。実際に軍務に参加させている訳ではなく、食客という立場であることが最も的確な表現ではあったが、黄の国で一番の腕を持つメイコに勝ったと言う事実から特別に近衛兵としての資格を与えたのである。逆に、メイコはがら空きになる黄の国の防衛のために王宮に残している。そしてメイコの父親、内務大臣のアキテーヌ伯爵は自ら遊覧会への参加を辞退した。内政状況が芳しく無い為、ということがその理由ではあったが、ミルドガルド三国の王族ならびに高級官僚が一同に会する遊覧会に内務大臣が参加しないことは異例と言えるだろう。実際は残り少ない国庫の状況で呑気に遊覧会へと参加する精神状態にはなかったということがアキテーヌ伯爵の実情ではあったが、リンが今日の午前中の閣議でもアキテーヌ伯爵に放った言葉はいつもと同じ。
 「今の生活を変える気はないわ。」
 その言葉を反芻しながら、リンは南方に広がる大平原を呆然と眺めた。どうして今の生活を変える必要があるのだろうか。倹約をしろとアキテーヌ伯爵は言って来るが、それ以外のところで内政状況など変更することはできるだろうに。よく、分からない。リンがそう考えた時、私室の扉がノックされた。
 おやつの時間だわ。
 その様に判断したリンは一言、入って、と告げる。入室してきたレンの姿を眺めながら、リンはレンに向かってこう言った。
 「レン、あなたは外国へ行くのは初めてでしょう?」
 「そうです。」
 レンは微笑みながらそう告げると、私室の中央にある長机の上に丁寧に食器を載せてゆく。まだ食器蓋は閉じられたままだ。今日のおやつは何かしら、と考えながらリンは窓際の椅子から立ち上がり、長机へと歩き出した。
 「楽しみ?」
 リンの指定席に腰かけながら、リンはレンにそう訊ねた。
 「はい。どんな景色が広がっているのか、今から楽しみです。」
 リンの召使であるレンはこれまで外遊に参加した経験を持たない。リンは黄の国の皇女として父親に連れられて何度か外国を訪れているが、それでも外遊は昨年の遊覧会以来。即位してからは初めての経験となる。楽しみにしているのはあたしも同じね、と思いながら開けられた銀製の食器蓋の中に納まっているフルーツゼリーを見て、リンは思わず表情を綻ばせた。夏らしく、涼感を感じさせるゼリーである。ゼリーの隣に用意されたスプーンを手に取り、ふと思い当ったリンはレンに向かってこう言った。
 「ねえ、久しぶりに『海風』を聴きたいわ。」
 紅茶の準備を始めていたレンは、そのリクエストに素直に頷くと、こう言った。
 「では、おやつの時間が終わりましたら一曲失礼させて頂きます。」
 レンはそう言うと、物音一つ立てずにティーポットからティーカップに向かってお茶を注ぎ始めた。優しい香りがリンの心を心地よく撫でた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン⑰ 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第十七弾です!ということで、今日あたし達はジ○ナサンに来ています!もちろんブリオッシュを食べに♪」
満「あった、このメニューだ。」
みのり「えっと、『焼きたてアーモンドブリオッシュバニラ添え』ね!(作者註:実際のメニューです。詳細はジョナサンのHPか店舗にて)」
満「じゃあこれ二つ。あとドリンクバーも二つで。」
店員「はい、ありがとうございます。」
みのり「い、いつの間に店員を呼んだのよ・・。」
十分後
満「来たぞ。これがブリオッシュだ。」
みのり「えっと・・丸いケーキ?これ、フォークでいいのかな?じゃあ早速・・ってあれ、上手にカット出来ないよぅ!」
満「みのり、フォークだけじゃ駄目だ。ナイフ使って。」
みのり「あ、うん。じゃあナイフで。サクッと・・。行かないなあ。弾力が凄くあって・・。ふかふかのパンみたい。」
満「だから菓子パンなんだよ。」
みのり「確かにそうだね。じゃあ味はどうなのかな?」
満「どうだ?」
みのり「・・。パンだね。甘いパン。」
満「だろ?旨いけどね。」
みのり「ケーキより硬いのね。スポンジケーキじゃないんだ。なんだろ、普通のパンを思いっきり甘くしたらこんな感じになるのかな?」
満「そういうこと。」
みのり「でもこれを食べるとリンちゃんになった気分になるね♪」
満「ぜひ一度ご賞味ください。と言うことで次回だが。」
みのり「そうなんです!実は午後からレイジさん外出予定があるので、もしかしたら次回が来週になるかも知れません。もう一本投稿できるように頑張りますが・・投稿出来なかった場合はご容赦ください!それでは次回お会いしましょう☆」

※ブリオッシュの画像はこちらで
http://www.jonathan.co.jp/menulist/item/dessert/item_00540.htm

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投稿日:2010/03/14 09:59:58

文字数:3,862文字

カテゴリ:小説

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