散歩から帰ってみると、すでに研究室には数人の科学者(おそらく本社の者)が集まり、今夜の調整のための機材を用意していた。
 研究室に立ち入るなり、彼らは挨拶もなしに「二人を調整用ベッドに寝かせてくれ」と命令してきた。
 本社の人間は決まって冷たく命令口調で、僕と鈴木君はやはり反感を覚えたが、ここで逆らっても意味はないため、僕は大人しく二人を金属製の調整ベッドの上に寝かせた。その後二人は電源を自然放電され、ゆっくりと意識を閉ざしていった。
 調整の準備を手伝おうとしたものの、研究員達は僕ら二人には一切機材に触れさせることを拒否した。つくづく意味不明な指示を下してくるのが癪に障る。
 研究室の隅でイスに腰を降ろし、二人の体にケーブル類が繋がれていく姿を傍観していると、不意に後ろから、この陰気臭い空気に似合わない脳天気な声がかかった。
 「どうですか? お二人の調子は?」
 その声に僕は溜息さえ吐き出したが、本社の科学者達はその声の主を見つけるなり、一人の例外もなく会釈をした。軍人であるはずのこの男が、本社に対しても高い地位を持っていることが伺える。
 「ほら、網走博士。どうしたんですか。やけに顔色が悪いですが?」
 馴れ馴れしく肩に置かれた手を、僕は苛立を込めて振りほどきたいという衝動に駆られたが、そんなことをしてもやはり無意味なだけだろう。
 「いいえ大佐。ただ、見ていてあまりいいものではありませんね。しかも、なんで二人の担当である僕らが指一本触れられないって、どうかしてます。」
 苛立ちを込めた言い方をすると、世刻大佐は苦笑を漏らした。
 「まあそう言わないでください。お二人のためですし、今晩限りですから。とりあえず、今は彼らに任せてください。」
 その言葉に、僕は溜息で答えた。
 暫くして、研究員達の動きが大分静かになり、三人を残して殆どの科学者が部屋を後にした。準備はすべて終わり、あとは本社曰く「調整」とやらを開始するだけのようだ。送られてきたメールによれば一晩かかるらしい。
 「さぁ、あらかた整ったようですし、お二人ともお休みになられてはいかがですか? もう遅いですし、調整は一晩かかるんですよ。」
 「いいえ。」
 僕より先に大佐の誘いを断ったのは鈴木君だった。
 「僕と先輩は、二人に付き合います。」
 鈴木君がちらと僕に視線を送ると、僕も頷いてその視線に答えた。
 「・・・・・・分かりましたよ。では私は宿直室に戻ります。今夜は早めに休みます。」
 大佐は半ば呆れたかのような声で答え、研究室を去っていった。
 こうしてこの部屋に残されたのは僕と鈴木君、そして三人の科学者、調整用ベッドに横たわり、夢のなかにいるキクとタイト。高い天井から降り注ぐ蒼白い蛍光灯の光が、僕らを無機質な色に染めていた。実際そうなのだろう。物も言わずただ機械のように装置のモニターを睨み続ける科学者、電源を抜かれ正真正銘の「物」になってしまったキクとタイト。それを呆然と眺め続ける僕と鈴木君。何もかもが静まり返った中で、手首に巻かれた腕時計の針だけが、音もなく午前零時へと近づくだけだった。
 日付が変わったことを知らせるアラームが鳴った瞬間、ふと僕はイスから立ち上がった。頭の中では何も考えてはいない。無意識に、だった。
 「どうしたんですか?」
 「いや・・・・・・。」
 呼吸するようなか細い声で言うと、僕は足音もない静かな動きでキクの横たわるベッドの前に立った。研究員の中の誰も僕の存在には見向きもしない。
 ただ無意識の内に、僕はキクの頬に触れた。冷たい。これじゃまるで――
 「先輩?」
 背後から鈴木君が呼びかけ、僕は我に帰った。
 「どうしたんですか?」
 「あ、いや、なんだろうね・・・・・・。」
 僕は言葉に困った。別に「なんとなく」と答えても良かったのかもしれないが、すぐさま直感的な言葉が浮かんだ。
 「なんか、嫌な予感がするんだ。」
 そう咄嗟に答えると、鈴木君は自然な笑みを返した。
 「大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても、ただの調整ですもの。」
 「でも・・・・・・。」
 普段なら大人しく肯定するはずの彼の言葉に、僕は普段とは異なる反応をした。咄嗟に芽生えたどうでもいい筈の感情をどうしても拭い落とすことができなかった。
 キクの寝顔は、いつも僕達と寄り添って微かな寝息を立てる、あの天使のような可愛らしい寝顔では無かった。金属製のベッドに寝かされ、寝息も無ければ体温もなく、蛍光灯に照らされ蒼白になったその顔は、考えたくもないものを彷彿とさせた。
 「お気持ちはわかりますよ。でも今晩一晩限りですし、きっと何事も無く終わりますから。」
 「・・・・・・。」
 キクの冷たい頬を撫でながら、僕は口を閉じ、否定も肯定もしなかった。
 「先輩、疲れてらっしゃるんですか? それとも、お体の調子が悪いとか。」
 「そういう・・・・・訳じゃないけど。」
 「顔に出ていますよ。先輩も自室でお休みになったほうがいいですよ。」
 「いや・・・・・ここにいるよ。二人に寄り添ってあげたいし。」
 と、僕はイスを引っ張り出し、キクの寝顔の前に座り込んだ。 
 「ほら、こんなにいい寝顔じゃないですか。」
 そう鈴木君は言うが、僕には全くいい寝顔には見えなかった。
 一時を過ぎても僕の意識を睡魔が眠らそうとすることはなかった。ただその冷たい寝顔を見下ろしながら、僕は今までの出来事を思い出していた。
 初めて言葉を交わした時のことから、一緒に生活や言葉を学んだり、立って歩く練習、キクを膝の上に乗せていろいろな本を読んだりもした。そうしてキクとタイトは人並みに話し、理解できるようになったし、短時間で何体ものシテヤンヨを描けるようにもなった。
 これからもそんなことを続けていきながら、この子達は今よりももっと人らしくなっていく。いつか見たいと願う。ボーカロイドとなった二人が世界中から脚光を浴びる姿を。今ではまだその実現には至らないが、それでも確かに、実現はすぐそこまで近づいているものなのだと僕は信じて疑わない。この二人と僕達なら大丈夫だ。そんな保証のない、しかし根強い自信を抱いて。
 その時、耳に何か小さな、モーター音のような音が触れた。あまりにも微々たる音の先を視線で探していると、部屋の隅の天井に、球体状の小型カメラが取り付けられていた。それが機械の眼を動かし、研究室の中に視界をめぐらしているのだった。
 その存在に僕は疑問を覚えた。なぜなら昨日まであんな所に監視カメラなど無かったはずだからだ。監視カメラがあるのは、僕達がキクとタイトと暮らしている居住区のみで、研究室にはそんなものはなかった。本社の科学者が新しく取り付けたものだろうか。だとしたら何故? そしてもう一つ、カメラが作動しているということは、宿直室で寝ると言っていた世刻大佐がモニタールームでこの部屋の監視を行っていることを意味していた。
 僕はそのことを鈴木君に話そうとしたが、彼は僕よりも先に、すでに夢の中にいた。
イスから転げ落ちそうになる彼をどうにか抱き上げ、僕は部屋の隅にあるソファーに寝かせた。
 その時、ついに僕にも睡魔が襲いかかり、僕は姿勢を崩した。そういえば、ここ数週間、僕達の睡眠時間は三時間前後だった、いつもならまだ平気な時間帯ではあるが、ついに限界が来たのだろう。僕はそのまま鈴木君の隣に腰掛け、まどろんだ。
 「?!」
 何かが弾け、電流の迸る刺激音が、僅かな眠りから僕をたたき起こした。
 鈴木君も即座に飛び起き、その音のした方向を見据え、その原因を確かめようとした。 
 僕達の視線の先には、キクが立っていたのだ。そしてモニターを眺めていた科学者達の姿はすでに無かった。
 彼女はただあの冷たい寝顔を湛えたまま、僕等の姿を呆然と眺めているだけだった。
 彼女の異様な姿に凍り付いている間に、腕時計が小さくアラームを鳴らした。二時の知らせだ。

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Eye with you第十八話「冷たい寝顔」

ここから展開が加速します。
やっとダルさから抜けだせるー。

閲覧数:176

投稿日:2010/08/31 17:11:39

文字数:3,293文字

カテゴリ:小説

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