小説版 Re:present パート7
北海道は十一月にもなると雪が山地を中心に降り積もり始める。最後の生命を輝かせるように木々は紅く染まり、その景色を見ながら人も冬に向けての最後の準備を始めるのだ。今年の札幌の初雪は例年よりも僅かに遅く、十一月も後半になってからになった。降り積もる雪を眺めながら、俺達は勉学にいそしむ。敢えて遊んだ記憶といえば、クリスマスイブ、予備校帰りにみのりを誘って大通公園のホワイトイルミネーションと呼ばれるライトアップイベントに参加したことぐらいだろう。みのりが俺に気遣って、無理して笑顔を見せてくれていることくらい、俺にも理解できるのだ。だから、少しはみのりが喜びそうなことをしてあげようと、そう思ったのである。
では、俺にとってあいつは何者だ?
既に足元が隠れるくらいにまでに降り積もった大通公園の雪を踏みしめながら、俺はそんなことを考えた。自然にみのりの手を握っているのはどうしてだろう。手袋越しとはいえ、みのりの体温を感じているのは何故だろう。色とりどりの照明に幻想的に浮かび上がった雪の降る大通公園を二人で、しかもクリスマスイブなんて日に歩いているのは何故なのだろう。本当はもっと早く出してもいいはずの結論を、俺はまだ先延ばしにしようとしていた。
俺が東京に行ったら、みのりはやっと俺の手から離れて、恋人を見つけるかもしれない。
それは俺にとっては苦痛以外の何物でもない想像だったが、遠距離恋愛ではよくある出来事だと俺は思っていた。だから、今結論を出すことから逃げているのだろう。
真冬にも関らず、大通公園で露天販売をしているショップの一つで買い求めた温かいスープを両手に持って飲み、頬を綻ばせたみのりの表情を見ながら、俺は駄目な男だな、と思った。
正月気分を実感する余裕など今年限りは存在せず、一応見た大晦日の紅白歌合戦で初音ミクが一曲歌っていることを確認した俺はすぐに勉強に取り掛かった。成績は順調だ。年末の模試ではB判定が出たから、この調子でいけば何とか合格はできるだろう。だが、合格と同時に俺は住み慣れたこの北の大地から離れることになる。それに対して一抹の寂しさを覚えるのはおそらく誰でもそうだろうが、俺の脳裏に浮かぶのは札幌の街並みではなく、みのりの笑顔だった。だけど。
それでも、俺は東京に行かなければならなかった。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
立英大学の入学試験の前日、俺は母親にそう言われてから自宅を出ることにした。学校の授業は既に終わっているから、最近は予備校と自宅の往復しかしていない。飛行機に乗るのは家族旅行以来だから、本当に数年振りか。降りしきる雪を身体に直接受けながら、俺は駅への道を少し急ぎ目に歩くことにした。札幌の人間は雪の日に傘をさす風習がない。パウダースノーである札幌の雪は払えばすぐに落ちるし、この時期の気温は最高気温でも毎日氷点下を下回るから雪が解けて身体が濡れることも少ない。なにより、傘なんてさしたら雪の重みと吹雪の風ですぐに傘が壊れてしまうからだ。だからと言って、雪の降る日に歩くことは心地がいいかというとそんなことはない。南の人間は雪が降れば喜ぶというが、何なら冬の札幌に一度来てみるといい。一瞬で雪が嫌になる。
大きな旅行バックを持ち、やっとの思いで駅に辿り着いた俺はすぐに身体に積もった雪を払い、一つ溜息を持つと改札に向かって歩き出した。その時、俺は彼女に気がついた。
「みのり、どうしてここに。」
「遅いよ、満。」
どうやらみのりは俺を待っていたらしい。一体、何の為に。そう考えていると、みのりが口を開いた。
「あたし、大学合格したから。」
笑顔で、みのりはそう言った。自然と、俺にも笑顔が戻る。
「そうか、良かったな。どこに?」
「札幌の大学。満の志望校みたいに偏差値の高いところじゃないけど。」
「それでもいいじゃないか。おめでとう。」
俺は素直にそう言った。授業が終わってからというもの、クラスメイトの近況は誰も聴いていなかったから、単純に嬉しかったのである。
「ありがとう。でね、昨日これを買って来たの。明日、立英大学の試験だよね?」
みのりはそう言うと、白い小袋を俺に手渡した。表面には北海道神宮の文字。札幌の西の方角にある、北海道で最大の広さを持つ神社の名前を見て、俺は心が揺さぶられるような気分に陥った。無言で手に取り、中身を開ける。
合格祈願のお守りだった。
「みのり、これ、俺の為に・・。」
「そうだよ。明日は満の夢を実現させる為の大切な日でしょ?あたしも、少しは力になりたいから。」
後ろ手に両手を組んで、軽いステップを踏みながらみのりはそう言った。冷えた体に、灯が宿るような感覚を俺は味わい、そしてこう言った。心からの感謝を込めて。
「ありがとう。これで、合格間違いなしだ。」
「うん。頑張って。あたし、満を応援しているから。」
みのりはそう言って笑った。俺がいつも見ている、俺の心を安らかにする笑顔だった。
暑いな。
羽田空港に降り立った時の俺の一言目の感想だ。東京は雪が降らないと聞いてはいたが、気温までここまで違うとは思わなかった。考えてみれば、札幌の今日の気温は氷点下。対して東京の気温は十度を指している。いきなり二十度近く気温が上がれば暑く感じるのも無理はないことだった。とにかく、俺は早めにホテルに入ろうと考えて携帯電話の乗り換え案内の文字を叩いた。東京には一度修学旅行で来た時以来になる。当然、一人で来るなんて初めての経験だった。ホテルは立英大学の近くを予約していた。場所は池袋だ。乗換案内では京浜急行なる列車で品川に出て、そこから山手線に乗り換えるとなっている。まあ、なんとでもなるか、と考えて俺は旅行バックを担ぎ直すと歩き出した。
新千歳空港の数倍広い羽田空港で目的の列車を探すことは相当困難な仕事だな、と考えていた俺だったが、幸いにも案内板がそこかしこに存在した為に、そこまで迷うこともなく俺は京浜急行の地下ホームへと到達することができた。平日の為か、予想していたよりも人が少ない。東京にはラッシュとかいう危険な時間帯があると聞いていたが、この様子なら問題ないか、と油断した俺がそのラッシュに巻き込まれたのは品川駅で山手線に乗り換えた頃だった。時刻は夕方五時過ぎである。
一言で表現しよう。人が乗る列車じゃない。
すし詰めという安易な表現でこの状況を表現するには表現力が不足している。まるで津波に飲み込まれたかのように俺の身体は緑色のラインカラ―が入った山手線の車体の奥へと流されていった。大事な受験票が入ったバックを手放さないことだけを考えて、苦痛の時間が三十分余り。新宿駅で大勢の人間が降りてようやく一息つけると考えた直後に再びそれと同じくらいの人数の人間が車体に乗り込んでくる。声にならない呻きをあげながら俺は東京で暮らしてゆけるのだろうか、と早速不安に陥った。
そして池袋駅である。こちらも一言で表現しよう。人が多すぎる。
田舎の人間が都会に出ると人酔いするということを聞いたことがあるが、今の俺がまさにその状態だった。ちゃんと前を向いていないと人と衝突する。赤の他人の体温を感じたいわけではないのだか、強制的に体温を移されているような気分に陥り、俺は軽い吐き気を覚えた。しかも、ホテルの場所が分からない。GPSとグーグルマップのついているスマートフォンを持っているにも関らず、俺は正直道に迷いかけた。それでもなんとか目的のホテルにたどり着けたのは幸運とも言うべき事態であっただろう。
ということで俺が本当の意味で一息つけたのは夜も七時を回った頃だった。用意された部屋に旅行バックを置き、最後の勉強をしようかと考えてから、俺はもう一度外出することにした。試験に遅れたら洒落にならない。先に立英大学の位置を確認しておこうと思ったのである。コートを着て行こうか考えて、やめた。暑かったからだ。
翌日、試験当日俺は予定の起床時間よりも一時間も早く目が覚めた。流石に緊張しているな、と思いながら起き上がり、参考書を取りだすと最後の確認と考えてどちらかと言うと苦手な英語のノートを開いた。英語は鏡からも教えてもらっているから、リスニングに対してもかなり対策を打てているはずだ。何しろ鏡の話す英語の発音は素人の俺が聞いても分かるくらいの完璧なキングスイングリッシュだったのである。その鏡も今頃は北海道大学への受験の準備を整えているのだろう。みのりはもう大学に合格している。俺だけ、負けているわけにはいかない。
俺はそう考えて、昨日初めて訪れた立英大学の正門を思い出した。東京都の重要文化財に指定されているレンガ造りの本館。その前庭に左右対称に植えられている大イチョウ。歓楽街のある池袋の歓声とは一別された、学問をするには最適な静かな環境。俺は一目見て立英大学を気に入ってしまったのである。
絶対合格する。
みのりから手渡された合格祈願のお守りを握りしめながら、俺はノートを一枚、捲った。
やっと終わった。
全ての科目の試験が終了した時、俺は無意識に溜息を漏らしていた。手ごたえはある。結果は合格発表まで待たなければならないが、なんとかなっただろう、と俺は考えて帰宅の準備を始めることにした。
次にここに来るのは入学式だな。
俺はそう考えて、赤レンガ造りの本館校舎を一つ見上げると、他の受験生達と一緒になって池袋駅へと向かうことにした。せっかく東京まで来たのだ、色々と観光をしたい気分もあったが、残念なことに航空機の予約時間は今日の夜に設定していた。再びラッシュに巻き込まれるかと身構えたが、時間が昨日よりも早かったのでそこまでの混雑はしていなかった。そのまま羽田空港に到着する。何かお土産くらい買っていこうか、と空港の売店で考えて、俺は家族に定番の東京バナナと、そしてみのりに可愛らしい観光客向けの携帯ストラップを一つ、買い求めた。
そして、再び北海道の大地に降り立つ。たった二日間東京にいただけなのに、降りしきる雪がなぜか懐かしく感じた。ようやく戻って来た、と新千歳空港のロビーの窓から見える暗く落ち込んだ空と雪を眺めながら、俺は航空法の規定通りに電源を落としていた携帯電話の電源を入れ直し、そして一通のメールが来ていることに気がついた。
『明日のさっぽろ雪まつり、一緒に行きませんか?』
みのりからの、メールだった。
小説版 Re:present ⑦
第七弾です。
NHK様、ミクを紅白に出して下さい。
ということで勝手に紅白に登場させました。(本文の内容とは全く関係ない一文ですw)
大学受験
恐ろしいことにもう十年前のイベントだ・・。
僕は浪人したので二回受験したのですが、あの時の緊張感が少しでも伝われば幸いです。あの時はかなり勉強したつもりですが・・それに対して今の俺はなんだ。全く勉強していない気がする・・。
ラッシュアワー
無駄に表現にこだわりました。東京にお住まいの方は毎日ご経験のことだと思いますが、本当に死にますよね。慣れきっている自分がなんとなく嫌なんですけど。ちなみに、ラッシュアワーを体験する為に東京観光に訪れる外国人観光客の方もいらっしゃるとか・・。外国ではラッシュなんてないんですかね。物好きな方もいるものです。
さて、物語では雪が降りつもり、切なさがますます増しております。(書いている俺自身がめちゃ切ない。。。)
そろそろこの物語も佳境に入ってきておりますが、もう少しお付き合いくださいませ。
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