目の前でにこやかに笑うその人の顔に、私は見覚えがあった。
知り合い、ではない。その言葉はあまりにも、恐れ多い。
ギルド所属の傭兵ならば、誰もが一度は目にしたことがあるその顔。私のような術式を扱う魔術師にとっては、特に近しいその人。
たった5年。たったの5年で、ギルドの質をそれまでの数倍に叩き伸ばした、1000年に一人の天才と呼ばれた魔法具職人。
「氷山、キヨテル…!」
「おや、私はそんなに有名でしたか?」
困りましたねぇ、なんてうそぶきながら、彼は私の言葉を笑顔で肯定した。
歯車はかみ合う。1つ、2つ。
錆つきかけていた車輪を回すために、ぎしぎしと軋みながら少しずつスピードを増していく歯車の回転は、どこか歪な操り人形に似ている。
最も、その響きを感じ取れる者は、現段階では誰も、誰一人、存在しなかったのだけれど。
あまりにも有名な人の顔を見て固まった私を引き戻したのは、不思議そうな鏡音くんの声だった。
「あの…ミクさん?」
彼はきょとりと目を瞬いて、私と氷山キヨテルを交互に見比べる。
「すいません、この方と…お知合いなんですか?」
「あ…ううん、そうじゃないんだけど…」
ゆるりと首を振る。今更のように、心臓が激しく脈打ち始めた。ヤマアラシが暴れているみたいで、胸の内をかき回すように苦しい鼓動。
浅く呼吸をする私と、首を傾げている鏡音くんにニコニコと人当たりのよさそうな笑顔を浮かべていた彼は、私の言葉を引き取って続けてくれた。
「私は氷山キヨテルと申しまして、しがない職人なのですが。昔、ギルドの方でもお仕事をさせて頂きまして、そのおかげで少しばかり顔が広いんですよ」
あくまでも謙虚に彼は笑う。でも、私の緊張はちっとも薄れなかった。
…例えば、私が持っているこの杖。このタイプの原型も、目の前の彼が作ったものだ。それ以前の杖は、個々人の資質なんかまるで考えていない朴訥とした味気ないもので、術を使うのにもかなりの労力を要した。しかし、彼がこの新しいタイプの杖を発明したおかげで、体内の魔力循環が以前よりも行いやすくなり、疲労感は格段に減ったのだ。勿論、その分の弊害もあったりするのだけれど、モデルチェンジ前のものよりは数段ましだった。
これ以外にも彼は、大陸間伝導型大規模魔術装置の開発だったりとか、魔力ベースで動く船を造ったりだとか、様々な業績を残している。
そんなすごい人相手に、緊張するなという方が無理な話だった。
でもそんな私の内心など知る由もなく、氷山キヨテルの優しそうな態度にすっかり心を許してしまったらしい鏡音くんは、無邪気に笑いながらあれやこれやと話をしている。
「あちらに置いてあるのは、今では珍しいクロム鉱石でできたイヤリングです。ラテルナ王国の紋章が入っていることから、当時の王国の王族が身に着けていたものではないかと考えています」
「ラテルナ王国っていうと、今はニーズヘグ公国のある場所にあったっていう王国ですよね。最後は政治腐敗が進んで、内乱で滅んだ…」
「一般にはそう言われておりますね。ですが、私はそれはいささか怪しい説だと思いますよ。何故かと言うと…」
元が説明好きなのか、目を輝かせて話に聞き入る鏡音くん相手に楽しそうに語っている氷山キヨテル。
鏡音君が何か粗相をするのではないかと気が気でなかった私は、ふと、ここに来た理由を思い出した。
さっきから何やかにやと驚くようなことが起こってばかりだけれど…そういえば、ここには、鏡音くんの指輪を取り戻しに来たんだった。
私は、楽しそうな2人を遮ることにためらいながら、それでもさりげなく声を上げる。
「ねぇ、鏡音くん…指輪は?」
「あ!」
「指輪…ですか?」
氷山キヨテルが、つと私に顔を向けた。私はまた緊張がこみ上げてくるのを感じながらも、つとめて冷静に事の顛末を話す。
鏡音くんが、護衛を依頼した傭兵に大切な指輪を奪われてしまったこと。その指輪はここの質屋で換金したと、傭兵達が白状したこと。そして今日、朝一で指輪を取り返すべく、こうして訪れたところ、いきなりモンスターが出現したこと…
こうして語ってみると、昨日から頑張ってるなぁ…私…
体力には自信があるので大した苦でもなかったけれど、思い出すだけでなんとなく疲労感がたまってきた。
私の話を黙って聞いていた氷山キヨテルは、少し顔をうつむけて考えると、困り果てたように眉を下げた。
「その指輪ですが…もしや、燕の紋章の入ったラピスラズリの指輪ではありませんか?」
「は、はい!そうです!」
大きく頷く鏡音くん。それに対して彼は、更に困り果てた様子で肩を落とした。
「申し訳ありませんが…その指輪は、別の方に渡してしまいました」
「…え…」
「ちょ、ちょっと待ってください!そんな、昨日の今日で…!」
茫然とする鏡音くん。代るように私があげた声に、彼は眼鏡の奥の瞳を曇らせて言った。
「昨日、その傭兵達が指輪を持ってきたのが夕方頃。そのすぐ後に、別の方が指輪を引き取りに来たのですよ。『その指輪は私が傭兵達に奪われたものだから返してほしい。金は同額用意した。ここにギルドの証明書もある』と言って…ご覧になりますか?」
氷山キヨテルは、カウンターの裏から1枚の羊皮紙を差し出してくる。
鷲の紋章で封がされた一枚箋…確かに、ギルドの正式な文書だった。
震える手で何度も文書を読み返した鏡音くんが、泣きそうな顔でしゃがみこむ。
「…そんな…」
「鏡音くん…」
「…あれは、あれは、本当に大切なものなんです…!あれがないと、僕は…」
「僕は、姉さんに…会えない…!!!」
血を吐くような声だった。私と氷山キヨテルは顔を見合わせて、同時に何かを決意した顔になる。
ううん…決意なんて、生易しいものじゃない。
…私達が、彼を陥れた訳ではない。でも、彼は『ギルド』に傷つけられた、被害者だ。
ギルドは人々を守るためにあるもの。例え何があっても、どんな事情でも、ギルドが一般人を傷つけることは許されない。
もしも今、私達が「仕方ない」と指輪を諦めたなら、私達はギルドの存在意義に泥を塗ることになる。
そして…何よりも。
今目の前にある、希望を失った小さな背中を見捨てるようなことをしたなら…私は一生、自分を許せなくなる。
前を向いていられなくなる。
私は杖を強く握りしめると、鏡音くん…レンくんの肩をそっと叩いた。
「レンくん、追いかけよう」
「…ミク、さん?」
「追いかけよう。私が付き合うから。見つかるまで、絶対に諦めないから。…一緒に取り戻そう」
レンくんの顔に、驚きと、それ以外の色々な感情が浮かんでは消える。私はそれを見つめながら、空いている方の手をレンくんに差し出した。
「私と契約しよう、レンくん。私を傭兵として雇って。報酬は、レンくんがお姉さんと無事再開できること…いいでしょう?」
「…いいんですか?」
「いいの。私がついてるんだから、大船に乗ったつもりでいなさい?」
わざと軽い口調で言うと、レンくんはようやく、微かに笑みを浮かべた。
<NEXT>
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MVライフ
おにゅうさん&ピノキオPと聞いて。
お2人のコラボ作品「神曲」をモチーフに、勝手ながら小説書かせて頂きました。
ガチですすいません。ネタ生かせなくてすいません。
今回は3ページと、比較的コンパクトにまとめることに成功しました。
素晴らしき作品に、敬意を表して。
↓「前のバージョン」でページ送りです...【小説書いてみた】 神曲
時給310円
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ご意見・ご感想
しるる
ご意見・ご感想
ミク。。。
かなりキヨテルが苦手でしょ?ww
大物だからとかじゃなく、人間的に信用してないような…
いよいよ旅立ちですね!
でわでわ、薬草とひのきの棒と鍋のふたを用意しないとだめですねww
2012/06/24 02:48:42
とうの。
>しるるさん
ばれていましたか…!確かに、きっとミクは先生が苦手です…
あのうさんくさい笑顔が駄目なんですね、多分←
旅立ちます!
薬草とひのきの棒と鍋のふたwwwなんという初期装備ww
そんなもので旅に出た日には、1日でゲームオーバーになりそうな世界なのですが…w
2012/06/24 22:21:35
Turndog~ターンドッグ~
ご意見・ご感想
先生―!!あなた何故そんな大物になっちゃったwww
大陸間伝導型大規模魔術装置…たいりくかんでんどうがただいきぼまじゅつそうち。あかん、噛みそうwwwひとつわかるのはただのメガネじゃないな、アンタ。
珍道中…男と女が二人っきり…むふh(おいソコのダメな受験生
2012/06/19 19:34:59
とうの。
>Turndogさん
膨らませてたら予想以上の大物に…w
大陸間伝導型大規模魔術装t …試してみたら一回で噛みましたwなげぇw
彼はこれからもキーパーソンなので、楽しみにしてやってください^^
ふふ…果たして無事に2人っきりになれるか…←
2012/06/21 09:07:18