33.空戦と奇跡
少し前のこと。
飛び続けるリントたちの視界に、いよいよ島が見えてきた。
真っ青な水平線の間に緑の線分が浮かんでいる。
島の上空にさしかかる前に、リントたち郵便飛行機隊は散開を決めた。
「リントとバルジ機は島の広場へ、右翼の二機は島の右側から回りこんで、東の端と北東の集落へ、左翼の一機は人口の少ない西の集落へ!」
すべての飛行機に、手紙を積んである。島の各集落と、その周囲へ確実に『配達』できるように。そして、もっとも重要な島の中心部に向かう機体は二機だ。
リントとバルジ、どちらがもし落ちても、のこり一機が、手紙を届けることが出来るように。
* *
ドレスズでは、外向きの通信拠点は、海に面した斜面から峰の上に移動した。
郵便飛行場は住民が制圧した。もう『奥の国』から隠れる必要は無い。むしろ、堂々と通信を飛ばしたほうが、ドレスズの力を敵に知らしめることができる。
「現在未帰還の敵の飛行機にも、ドレスズ基地が落ちたことが伝わるはずだ」
「……ソレスさん、根性がやらしいですね」
「正々堂々と戦って、戦に勝てると思っているのか」
峰の上も、平野から上がってきた煙の匂いに満ちている。『奥の国』が燃やした遺跡の炎は落ち着き、かわりに郵便飛行場のあちこちから火の手が上がっている。
「本当に、奪い返しちまったな」
「用意周到に『奥の国』を罠にかけたのは本当のようですね」
下の様子は、山道を走ってくる伝令からもたらされる。飛行場の通信施設はまだ使えないようだ。
「あとは、本当に、ルカの無事だけだ」
そして、ソレスは発信内容に『ドレスズ、住民が制圧』という内容を乗せる。未帰還飛行機にも伝わるように。基地が失われたことで、戦う意思が削がれれば良い、そう願いながら。
* *
島に向かう郵便飛行機部隊が散開する直前、ドレスズに残った部隊から連絡が入った。
「ドレスズの住民が、郵便飛行場を制圧した!」
歓喜に沸く郵便飛行士たちの中で、ルカもほっと胸をなでおろしていたが、リントは奇妙な冷静さを保っていた。
「レンカも、ヒゲさんも、もういない」
故郷の島へ、リントは向かっていく。空を飛び始めてから幾度となく訪れた島は、変わらず夏の緑を湛えて海の青に浮かんでいた。
「……守りたい人はもういないのに、懐かしいなんで、おかしいな」
リントが守りたい人は失われたが、『守りたかったもの』は、まだ残っている。
レンカたちが命がけで救ってくれたリント自身の意志。平和な空だ。
レンカとヴァシリスを失ってぽっかりと空いたリントの心の穴を、今、めいっぱいに埋めているのは、
「人々がのんきに郵便飛行機を見上げるような、平和な空を取り戻す」
ただ、それだけだった。
今、それを実現する力と意志を持ち、リントは島へ戻ろうとしている。
凱旋だな、とリントは思った。
悲しいけれども、晴れやかに心は澄んで、落ち着いていた。
* *
と、情報部隊に残ったソレスから郵便飛行機隊のそれぞれに連絡が入った。
「『奥の国』の飛行記録を手に入れた。『奥の国』の落下傘は、集落の周囲の山野と、中央広場の周囲の山を囲むように落とされている。集落を囲って攻め落とす作戦だったようだ」
「それと、気をつけろ。『奥の国』の飛行機が三機、ドレスズに帰還していない」
それは、『奥の国』の飛行機と、島の空で出会ってしまう、空戦になるかもしれないという警告だった。 ソレスから送られてくる丁寧な情報を、ルカは淡々と受け止め、それを操縦席に座るリントに伝える。
そして、郵便飛行機部隊は、散開ポイントに着いた。島の東へ。島の西へ。そして、島の中央へ、五機の飛行機が散っていく。
「無事で!」
「またドレスズで会おうぜ!」
仲間たちが翼を振って離れていく。
リントの、操縦桿を握る手に力が篭る。
「……いくぞ、ルカ」
「うん」
ルカは、受信器を装着したまま、リントの後姿を見つめる。
「リント、ごめんね」
ルカは、ヴァシリスとレンカは死んだと、リントに嘘を伝えた。
「刑罰では死ななかったけど、戦場になった島で、すでに斃れたかもしれない」
もしかしたら真実になっているかもしれないと思うと、それは強烈に不吉な嘘だったが、ルカはリントに嘘を伝えることを選んだ。
「リント。空を守るなら、他のことに気をとられちゃ駄目。
戦場は、気を逸らしたら、死ぬ」
……最初から死んでいると思っておいたほうが、いい。
もし、どんなに地上が悲惨なことになっていても、それなら戦える。
なんというエゴだろう、とルカは自分を笑う。
「でも、私はリントを守りたい。……私の嘘は、きっとリントを守る」
ほら、今も、とルカは思った。リントは冷静に島を見つめている。
もうすぐ、とルカは思う。
もうすぐ、リントの、夢が叶う。
「そして、私の夢も、叶う」
島と大陸を空でつなぐ仕事を、じかに見ることが出来る。ずっと遠くに感じてきた「島と大陸」。それをつなぐ父の仕事に近づくことができる。軍隊に入ってまで感じ取りたかった『島と大陸のつながり』。それは、ルカの夢でもあった。
その時、真っ黒な飛行機が、彼らの飛行機に近づいてきた。
「制圧前に、ドレスズを飛び立っていた飛行機がある」
ルカの耳に、ソレスの注意がよみがえる。
「未帰還飛行機は三機」
エスタから、すばやく追加情報が飛び込んできた。
ルカは顔を上げる。黒い飛行機が、東と西に別れていくのが見えた。
そして、残る一機が、ルカたちを追ってくる。
「リント!」
並んで飛行していたバルジから合図が入った。
「俺が先に行く!」
バルジが翼を振り、一気にリント機から離れた。ぐっと高度を下げ、速度を上げた。あっと言う間にリントの横を抜けていく。
「バルジがひきつけてくれるつもりだ」
リントは、合図を返しながら、背筋がぞくりと凍ったのを感じていた。
背後の黒い飛行機はどういう判断を下すだろうか。得体のしれない郵便飛行機が、『奥の国』の勝利を確信している島に入ろうとしているのだ。さあ、どうする……
「クロイチ、バルジ機を追います!」
ルカがとっさに敵機に略称をつけた。ふりかえるルカの眼の先で、バルジ機のほうへ翼を転回させる黒の飛行機が見えた。
と、リントがいきなり翼を振った。
バルジ機を追うと見せかけた黒の飛行機が、ぐいとリント機に向かって、銃撃してきたのだ。
「この!」
リントが出力を上げ、上空へと急角度で駆け上がる。追いかけた黒の飛行機が再び攻撃を放つ距離まで引き付け、
「ルカ!」
ぐっと飛行機が空の中で裏返った。ルカは必死で歯を食いしばる。
頭の上に、濃い青の海が見える。やがてそれはだんだんと眼前にせまり、真正面がすべて青に染まり、そして、ぐっと掛かった重力とともに眼をあけたルカの目の前に、黒の飛行機がいた。
「獲った!」
ルカは重力に振られながらも快哉をあげる。しかし、リントの飛行機は本当にただの郵便飛行機だ。直前で武器を積んだバルジたちとは違い、攻撃できる道具などついてはいない。
リントが、ぐいと黒の飛行機へ、背後から距離をつめて威圧する。
黒の飛行機が、出力を上げて、ぐいとリントから距離を離し、バルジ機のほうへと飛んでいった。
リント機をあきらめ、先に島に入りそうなバルジ機へ向かったのだ。
「バルジ……!」
直線の出力勝負では勝てないとバルジも感じたのだろう、翼を急角度で振り、大きく島への進路から外れて引き離しにかかった。島の中央に入るのではなく、東の海の方向へ。
と、次の瞬間、黒の飛行機に接近された彼の翼が、真っ赤な火の玉に包まれた。
「……!」
リントは、声も出せなかった。彼はたしか。奥さんが、ドレスズの人だといっていなかったか。彼は、まっさきにリントについていくことを表明してくれたのではなかったか。
他愛もないことだけが、リントの脳裏に浮かんでは消えていく。
そのとき、彼の飛行機のキャノピーが開いて、大きな白い落下傘が花開いた。
彼の積んでいた手紙が、ばらばらと白い雪のように、紺碧の海面へと散っていく。
落下傘が開いたことで、リントの胸に一縷の望みが生まれた。
「生きててくれよ……!」
リントは、バルジ機を追っていた黒の飛行機が戻ってくる前に島へ入ろうと、島へ向かう。
ところが、出力はあちらのほうが上だった。リントの前方を飛ぶ黒の飛行機は、まるでリントから逃げるようにまっすぐに島の中心へと向かっていく。
「あいつ、どういうつもりだ……」
その時だ。ソレスから、通信が入った。
『ドレスズの郵便飛行場は、町民が制圧』
「これを聞いたのか」
ならば、黒の飛行機の奇怪な行動もうなずける。
彼は、島に降りた『奥の国』の仲間を守ろうとしているのだ。
黒の飛行機が、町の上空に到達したのが見えた。飛びぬけた太陽を遮る黒い姿は、『奥の国』の者たちを鼓舞しただろうか。
リントの島の人々を、恐怖に陥れただろうか。
島の上空で、黒の飛行機が向きを変えた。中心街の上空を旋回している。
リントの喉がごくりとなった。
「上等じゃねぇか……!」
リントが出力をぐいと上げる。ルカの背に、重力がかかる。
「オレにも、守りたいものが、あるんだよ!」
* *
島の変わり果てた中央広場で、レンカは銃を構えていた。
上空を黒い飛行機が飛びぬけた。奇妙な沈黙が満ちて、銃撃が止んだ。
静かに、敵が勢いをとりもどすのがわかった。
じり、包囲網が狭められた。殺気が空気を音も無く満たした。
その空気がレンカの手に力を戻させた。
「もう、あたしは、今後一生立てなくてもいい。ここで立てなかったら、死ぬ」
最後だ、という気迫が、ヴァシリスの背からも伝わってきた。
「いいか。レンカ。俺が死んで、お前が生きていたら、ちゃんと投降しろよ。負ける戦を戦って死ぬなど、くだらないことだ。
生きていれば、いくらでも新しいものを生み出すことが出来る。
……歴史と伝説を見てきたレンカなら、わかるだろう」
そう言いながら、ヴァシリスはしっかりと銃を相手に向けている。
「自分の行動と矛盾してるよ、ヴァズ……」
思わず笑い声を滲ませたレンカに、ヴァシリスは言葉を濁した。
「いいだろ、どっちも本音なんだから」
ああ、とレンカは思う。
あたしたちは、こんなに優しい。
空はこんなに明るくて、いつもの夏の日のはずなのに。
相手も、同じ人間のはずなのに。
どんな国にもどんな民族にも、美しい愛の歌、重く悲しい歴史、希望を信じる物語があるというのに。
どうして、今、こんなに悲しいことになっているのか。
女神様。王様。本当に、大陸を隔てた奇跡の愛があるのなら。
「どうか、奇跡、おこして、ください……!」
緊張が最高潮に達した。太陽が一瞬強くきらめいた。
銃撃の火蓋が切られると感じたその時。
……その時、レンカの視界が真っ白に染まった。
「……雪……?」
青空と黒い飛行機を埋め尽くすかのように降ってくるのは、
「紙……?」
そのだんだんと大きくなる白の舞い散る空の向こうに、レンカは奇跡を見た。
それは、黄色の郵便飛行機。
遠い遠い数週間前に、この広場で子供たちと見上げた、
……死んだはずのリントの、郵便飛行機であった。
* *
戦場に、場違いなほど呑気なエンジン音が響いた。戦闘機とは違う、重く遅い音。
うっかり見上げたレンカは、目を疑った。
「幻……?」
黄色の郵便飛行機が飛んでいた。
落下傘つきの袋が次々と落とされ、上空で口を開く。そして、ぱっと中身の白いものが散っていく。
「なに、これ……」
それは、『奥の国』の言葉で書かれた降伏勧告だった。
末尾に、ドレスズの町長とともに、レンカの良く知る人の名前が加えてあった。
コルトバの娘、ルカ。
「ルカちゃん……!」
つい先ほど、レンカたちは、奥の国の飛行機から、島の言葉で書かれた降伏勧告を受け取っている。今、その逆の内容を、黄色の郵便飛行機から受け取った。
「まさか、本当に、リントも生きているの……」
まるでその言葉に答えるように、飛行機が一瞬だけ翼を振った。
本当に奇跡が起こっているように見えた。
「うおおおおおお!」
歓声が上がったのは、レンカの周囲からだ。あちこちに隠れている、島の人々だった。黄色の飛行機が、いつかのように広場の上空を旋回し始めた。
島の人々の歓喜と、事態を見極めかねている奥の国の兵士の緊張が、影が伸び始めた島の広場に渦巻く。
戦闘への緊張感は、戸惑いと困惑の中で失われていた。
かわりに、人々の目が、上空に向いていた。黒い飛行機と黄色の郵便飛行機が、夕暮れに向かって濃くなっていく青い空の中、互いを牽制しながら回りあっている。
「どういうことだ……」
ヴァシリスが唸った。傍らに、レンカがそっと寄り添う。
「どうなる……!」
つづく!
滄海のPygmalion 33.空戦と奇跡
愛しい人を呼び合いながら、今、島に奇跡が集う……!
なんて!
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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