(何で王弟妃は来ないんだ?)
今日は婚礼の日なのに。ずっとこの時を、自分の妃を愛せるのを・・・楽しみにしていたのに。
(陛下には感謝しないといけないな。あんなに可愛い妃を娶わせてくれたのだから)
見合いの日からずっと、婚礼の日は今か今かとうずうずするくらい楽しみだった。天使のように可愛く笑うこの子が・・・俺の妃になってくれるなんて。そう思うと一日が過ぎるのが遅く感じて、早く過ぎろと何度も念じてしまった。
(もしかして、俺の方から行った方がいいのか? でも、陛下は妃の方から来るものだっておっしゃったし・・・)
待てども待てども、愛しい妃が来ないのだ。それなら・・・こちらから迎えに行くべきだろう。夏の夜は短いのだから。
「殿下、どちらへ?」
「婚礼の日の夜に行くところなんて決まっているだろう。早くしないと可愛い妃が寝てしまう。」
「殿下がお妃様の所にいかれる御予定はありませんよね?」
「でも、ずっと待っているのに全然来ないじゃないか。きっと、妃は恥ずかしがってるんだ。それなら、こちらから迎えに行くべきだろ?」
「・・・あの、殿下。」
カイが何か言おうとしたちょうどその時、こんこんと扉を叩く音が響いた。
「妃だ! やっと来てくれたのだな!」
「え、まさか・・・。」
一気に気分が浮き立った俺と、渋面のカイ。二人で顔を見合わせていると、鈴を転がしたような可愛らしい声が扉の方から聞こえた。
「ガクト殿下。まだ起きてらっしゃいますか?」
扉を開けた隙間から顔を覗かせていたのは、今日式を挙げたばかりの愛しい妃。俺は急いで扉へと向かった。
「待ちくたびれぞ、私の可愛い妃よ。」
そう言って妃・・・ルカの腰を抱き寄せる。ルカの体は素直に俺の方に寄ってきた。俺を見上げたルカの顔があんまりにも可愛くて、ついついその額や頬に何度も口付けていく。ルカはくすぐったそうにしていたが、ニコニコ笑ったままだった。
そして・・・笑ったまま、不可解な事を言い出した。
「お休みのご挨拶をしにきたのです。もう休もうと思ったので・・・。」
「へっ?」
「女官たちには止められてしまったのですけれど、私・・・どうしても、寝る前に一目殿下のお顔が見たくて。それで、来てしまいました。」
はにかみながらそういうルカは可愛くて、ジリジリと待たされていた辛さやら何やらは一瞬で吹き飛んだが、言っている言葉の意味がまるで分からない。
(どういう事だ? 今夜は結婚初夜なのだから、一晩中一緒のはずなのに・・・)
黙って眉間にしわを寄せていたからだろうか、ルカは申し訳なさそうな表情になった。
「あの、やはりご迷惑でしたか? でしたら申し訳ありません・・・もう、部屋に戻りますから・・・。」
そう言って踵を返そうとしたルカの手を握って引き留める。
「戻るってどういう事だ? 俺たちの寝室はここだろう? 俺たちは夫婦になったのだから、今夜から毎晩一緒だろう?」
「えっ!?」
ルカは目を丸くして、パチパチと大きな瞳を瞬かせた。その仕草自体は愛くるしいのだが・・・何で驚いているんだ?
そう不審に思っていると、ルカがとんでもない事を言い出した。
「私たち・・・寝室はまだ別ですよね?」
「・・・はぁっ!?」
(どういう事だ! 誰がそんな事を!)
まなじりを吊り上げている俺と、そんな俺を見て戸惑っているルカ。
すると、俺の補佐官であるカイが俺たちの間に入って説明・・・いや、怒っている俺をなだめ始めた。
「殿下、お妃様のお年はご存じですよね?」
「当たり前だ。俺が十七でルカは十四だろう。」
「この国での成人年齢は?」
「んなもん、十五に決まっとるだろうが。」
「結婚した段階で妻が成人年齢に達していないなら・・・達するまで寝室は別ですよと、俺は事前に申し上げたはずですがね。」
「ふん、そんなのはお前に教えてもらわずとも知っている。」
「・・・なら、なぜお妃様と同じ部屋で休めると思われたのですか?」
呆れたようなまなざしを向けるカイ。若干・・・いや、だいぶ俺を小馬鹿にしたような表情だ。まあ、そんな事はしょっちゅうなので今更いいのだが。
「その決まりは市民たちにあてはまるものだろ? 俺は王弟なのだから関係ない。だから、もう今日はカイも下がっていいぞ。俺はルカと二人で過ごすから。」
しっしっと手を振って、カイを部屋から追い出そうと試みる。カイはそんな俺を一瞥すると、大げさにため息をついた。
「関係ありますよ。この決まりは国王含む全ての国民に適用されます。むしろ、ガクト殿下は王族なのですから、率先して守るべきです。」
一瞬、ぴしりと時間が止まったような気がした。
「・・・・・・・・・嘘だろ?」
何とか声を絞り出す・・・が、カイの口から出てきた答えは、俺をどん底にたたき落とした。
「本当です。そんな事で嘘なんて付きませんよ、何のメリットもないのに。」
ハッ・・・と小馬鹿にしたような態度を崩さないカイ。すると、抱きしめていたルカが俺の腕の中でモゾモゾと動いた。
「どうした?」
ルカの柔らかい頬を撫でながら尋ねる。ルカの体はどこもかしこも柔らかい。早く寝台に連れていって、思う存分可愛がりたいな・・・。
そんな邪な事を考えていたからだろうか、ルカのふっくらした朱唇からも、俺の心を奈落につき落とす言葉が飛び出してきた。
「あの、わたくしも・・・そう聞きました。わたくしはまだ十四だから、来年十五になるまで・・・立場は王弟妃でも、客人用の部屋を寝室としてもらいますって・・・。」
困ったように眉をひそめながらとどめを刺すルカ。自分の顔から、みるみる血の気が失せていったのがよく分かった。
「・・・嘘だろ・・・」
ガックリとうなだれる。期待が大きかった分、落ち込みが半端でない。
「今夜をずっと楽しみにしてたのに。ルカを満足させてあげられるように、いろいろ勉強したのに。陛下に指南書まで借りて読んだのに・・・。」
俺の言葉を聞いたルカが顔を真っ赤にした。俺が今晩何をしようとしていたのか、したいと思っていたのか・・・正確に理解したようだ。ルカは頭が良いからな。
「残念でしたね。」
絶対そう思っていないだろう、と突っ込みたくなるような声音でカイは言い放った。
「珍しく自発的に勉強なさっていたのに、せっかくの勉学が無駄になってしまいましたねぇ、お可哀そうに。まぁ、殿下が真面目に勉強なさった成果は、お妃様が成人される来年発揮して下さい。」
そう言うと、カイはルカから俺を引き剥がした。心地よい温もりまで奪われ、余計に悲しくなってくる。
「今夜は妃を寝かさないつもりだったのにな・・・夜明けまでいろいろ・・・」
独り言としてつぶやいた言葉だったのだが、耳の良いカイには聞こえたようだ。俺を鼻で笑ったカイが、さっそくイヤミを返してくる。
「軍の訓練に余裕でついていく体力馬鹿の殿下と、ごく普通の女人でいらっしゃるお妃様を一緒になさらないでください。化け物並みの体力を持つ殿下に付き合わせては、お妃様が可哀想です。」
「そこを優しく気遣って、自身の望みを果たすのが・・・」
「何を馬鹿な事を。殿下という飢えた狼が、お妃様という可愛らしい子ウサギに食らいつく様子しか想像できません。気が高ぶった殿下に気遣いを求めるなど、愚か者のする事です。」
「・・・」
残念極まりないが・・・正直、全く反論出来ない。
(諦めるしかないのか・・・?)
いや、諦めたくない。可愛いルカと一晩一緒がいい。同じ寝台でルカを抱きしめながら眠りたい。
「殿下。」
座り込んでいる俺の前に、ルカが腰を下ろした。
「どうしたんだ・・・んっ。」
目を閉じたルカの顔が近づいてきたと思った時には、もう唇に柔らかいものが触れていた。
「・・・お休みなさいませ。」
頬を染めながら笑うルカ。ルカの笑顔をみて、俺は決心した。
「・・・きゃあっ!」
よし、実力行使だ・・・と思って、ルカを抱き上げて俺の寝室に連れ込んだ。いや、連れ込もうとした。
しかし、カイに背中を向けた瞬間・・・頭にとてつもない衝撃が走った。カイの鉄拳が落ちたのだ。
「何するんだ! 馬鹿になったらどうしてくれる!」
「今さらですよ! 全く、無理やり女性を部屋に連れ込もうとするような野蛮な人間に育てた覚えはこれっぽっちもないのに・・・。」
カイのお説教が始まった。しまった・・・この調子じゃ、夜明けまでぎゃんぎゃん言われそうだ。
その時、部屋の扉がこんこんとノックされた。助かった、とばかりに扉の方へ駆け寄ると、そこには・・・ルカの侍女として、ルカの実家からついてきたミクがいた。
「お嬢・・・いえ、お妃様はいらっしゃいますか?」
「いるぞいるぞ・・・そうだ、聞いてくれ。せっかくの結婚初夜だからルカと仲良くしようとしたら、カイのやつが邪魔しやがってな・・・。」
「あの、お妃様。もうお部屋に戻られた方がよろしいですよ。明日も朝早いのですから。」
良い機会なので、ミクにカイの辛辣な言葉を告げ口してやろうとしたら・・・そんな俺の言葉は意にも介さず、ミクはルカに話しかけた。
「そう言えば・・・明日はお披露目の日だったものね。」
王族の人間は、結婚すると国民たちにその相手をお披露目する式典があるのだ。明日の式典のために、俺も色々準備していた。ルカは俺の妃なのだと、国民全員に知らしめておかないといけないからな。
と言っても・・・明日の式典でルカが身につけるドレスや髪飾り等を、俺が選んで送っただけなのだが。
「明日は・・・殿下にいただいたたくさんの贈り物を、使わせていただきますね。いただけて本当に嬉しかったから、なるべく多く。」
そう言ってとびきりの笑顔を向けてくれたルカ。しょうがない・・・今日の所は、その笑顔で我慢しよう。
「ああ。たくさん使ってくれ。足りなければすぐに言うんだぞ。」
「はい・・・その時は。明日はあれで十分だと思いますが。」
「そうか。私の妃は慎ましいな。先々も安心だ。」
そう言ってもう一度ルカを腕の中に囲い込む。しばらくルカを抱きしめた後で、ルカはミクを連れて自室に帰って行った。
「仕方ない・・・俺も寝るか。」
「始めからそうしていればよかったんですよ・・・明日は殿下にも着飾っていただかなくてはいけないのに。」
ぶつぶつ文句を言いだしたカイ。カイを出し抜いてやりたい一心で、俺は禁句を口にしてしまった。
「相変わらず、ミクはルカしか見てないな。」
俺の言葉を聞いたカイは、ぴたりと動きを止めた。
「もしかして、やたら俺達を邪魔していたのはヤキモチか? 俺はルカと両想いで、結婚までしたから・・・っ!」
思わずひゅっと息を飲む。カイは・・・眉を吊り上げ、こめかみをぴくぴくさせて・・・鬼のような形相になっていた。
「殿下、まだ反省が足りないようですね。ちょっとそこになおりなさい。」
結局、俺は空が白んでくるまで・・・教育係兼補佐官に、説教される羽目になった。
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