04
「ケイト? 呼びましたか?」
ノックしてソルコタ政府代表室に入る。ケイトはデスクでなにかの書類を読んでいた。
「ああ、グミ。いらっしゃい」
顔をあげて私をちらりと見ると、デスクの前のワーキングチェアを勧める。
ニューヨークの国連本部にある、ソルコタ政府のための部屋はこの大使の個室と外の事務室しかない。……まあ、先進国や大国と違って、ケイトと私の他は事務要員として二人いるだけなので、ここ以外の部屋が必要になることなどないのだが。
「政府からの書状が先程届きました。確認していただけますか?」
「え……私が、ですか?」
ケイトが手にした書類をデスクの上でこちらに滑らせてくる。どこか釈然としないままそれを手に取り、文面を目で追った。
『ソルコタ大統領、シェンコア・ウブク
ケイト・カフスザイ殿
貴殿の特命全権大使、国際連合ソルコタ政府常駐代表の辞意に対し、これを承諾するものとする。
同時に貴殿をソルコタ外交部国連政策調整参事官に任命する。
貴殿のソルコタ外交部国連政策調整参事官任命に伴い、貴殿の帰国を要請するものとする。
また、貴殿の特命全権大使、国際連合ソルコタ政府常駐代表辞意に伴い、特命全権大使、国際連合ソルコタ政府次席代表グミ・カフスザイを特命全権大使、国際連合ソルコタ政府常駐代表に昇格し、その任につくものとする。
これを大統領令三一四五号とする。
大統領令三一四五号の効力は、現特命全権大使、国際連合ソルコタ政府常駐代表ケイト・カフスザイが受け取った時点で効力を発するものとする』
その書類の意味を理解するのに、最低でも十分はかはかったと思う。
「え……ソルコタへ戻るのですか?」
「ええ。国連大使としての仕事は、もう貴女に任せられるでしょうからね」
私の驚愕とは裏腹に、ケイトは事も無げに笑う。
が、私にとっては笑い事ではない。
「そんな。まだ私はなにも――」
言いかけるが、ケイトの笑みの中にある真剣な表情に気づいて、口をつぐむ。
「――ふふ。ほら、もう私の言いたいことがわかるわね?」
「ケイト。……ズルいですよ、そんな言い方」
ちょっと情けなさそうな顔をすると、ケイトの笑みがより大きくなった。
「貴女がここで仕事をこなせるなら、私はソルコタ国内での仕事ができます。実際のところ……現在のUNMISOLの活動にはかなり制限がかかってしまっています。ソルコタ政府との間に入る調整役が、現地に必要でしょう?」
「それは、その通りですが」
UNMISOL――国連ソルコタ派遣団が展開して二年、国内の状況はあまり改善されていなかった。
テロ組織ESSLFの抵抗はいまだ激しく、ソルコタでの子どもたちの環境改善は、主要都市部の一部分にとどまっている。
UNMISOLの活動を妨げている主たる要因は、それを受け入れたはずの当の政府自身だった。
展開直後はまだよかった。だが、展開から半年後に政権が変わり、セグルム大統領が失脚。変わりに副大統領だったシェンコア・ウブクが大統領に就任した。とたん、国連に対して内政不干渉原則を主張しだし、急に距離をとるようになったのだ。
内政不干渉原則。
国連の原則の一つだ。
あくまで国と国との関係を構築すべき場所であり、国連は一つの国の内政に干渉すべきではないというものだ。
現政権の方針に、私とケイトは泡を食った。
私たちはなんとか新大統領を説得し、安保理での説明に追われ、UNMISOLの撤退をなんとか引き留めることには成功している。だがそんな私たちの努力も、このままでは無為に終わる。
そういう意味では、ケイトはまだ未熟な私に国連大使としての仕事を任せてでも、ソルコタに戻って現政権と意思疏通を図らなければならないと痛感しているのだ。
その点に関しては、私も否定できない。
「しかしウブク大統領は――」
私の懸念に、ケイトもうなずく。
「――ええ。そう簡単に受け入れはしないでしょう。ですが、そのためのこの役職ですよ。ソルコタ外交部国連政策調整参事官として仕事をこなせなければ、ソルコタという国は崩壊しかねない」
ケイトの予測を、否定できなかった。
いまのまま、大人たちが子どもたちをないがしろにして戦争と政争に明け暮れれば、争いのあとに残るのは荒れ果てた死体だらけの大地だろう。子どもが生きられない国に将来など存在しない。ソルコタは国としての体裁すら保っていられなくなっているはずだ。
そんな私でもわかる現状の問題に、現ウブク政権の人たちは誰も気づいていないのだろう。
ソルコタの将来を決める重要な事態が、ケイトの双肩にかかっていると言える状況だった。
そもそもUNMISOLは、ESSLFの武装解除と子どもたちの支援を行う部隊だ。政府の方針と協調することはあっても、相反することなどないはずなのに。
「……こちらでの仕事、貴女に頼めますね?」
「わかりました。でも本当――」
「どうしました?」
ふ、と息をはく。
「ケイトには敵わないな、と思って。下手をすれば、向こうはこっちよりも大変な仕事ですよ」
「ふふ。それも、貴女のおかげですよ」
「私の?」
もちろんです、とケイトがうなずく。
「ええ。ここでの仕事は充実しているし、ソルコタのための大事な仕事だわ。けれど私はやっぱり、ソルコタの大地で、現場で働きたい人なのよ。貴女と出会ったときみたいに、子どもたちと直接話をして、勉強を教えて、一緒にご飯を食べる。そんな仕事が好きなのね」
「ケイト……」
「しばらく、国連大使を任せられる人なんて現れなかったし、いまなら……立派な仕事をしている私の娘の話をみんなにできるわ。過酷な過去を持った子どもが、いまではちゃんとした志を持って、立派な仕事をしてるんだって。みんなもそんな風になりなさいってね」
「ちょっと……やめてくださいよ。そんな話されたら恥ずかしい」
「なにを言いますか。私の自慢の娘よ。誰にだって自慢するわ。当然です」
参ったなぁ、と苦笑いすると、ケイトの笑みがより大きくなる。
「さ、仕事に取りかかりましょうか」
「わかったわ」
私とケイトは、すっと背筋を伸ばして姿勢を正す。
「私、ケイト・カフスザイは大統領令三一四五号がここに効力を発揮したものと認めます」
「グミ・カフスザイもここに同意します」
お互いにうなずいて、書類の下部にそれぞれ署名をする。
ケイトは署名が終わった書類を手に取り、ブリーフケースに仕舞った。
「それじゃ、このデスクはいまから貴女の場所ね」
「そうですね」
「私も早く本国に戻らないと」
「ええ。……気をつけてくださいね。向こうはまだ……戦場ですから」
「そうね。それが私たちの日常だった。でももう、それも終わらせないといけないわ」
「はい」
「グミ。貴女も最善を尽くしなさい。迷い、悩むこともたくさんあるでしょう。それでも、貴女は貴女の思う道を進まなければならないわ」
「わかりました。ケイト」
ケイトは立ちあがり、デスクを回り込んで私の前にやってくる。
私も立ちあがり、どちらからともなく抱擁をかわした。
「さみしくなるわ」
「私も。ケイト……母さん」
「……! やあね……私を泣かせないでくれるかしら」
身体を離すと、ケイトは目元をぬぐう。その瞳はまだ潤んでいた。
「おかしいわね。別にこれで……二度と会えなくなるってわけじゃないのに」
「でも私も……できるならもっと一緒にいたい」
「そうね。今度は故郷で会いましょう。貴女が来る頃には……新しい弟と妹がたくさんいるはずだわ」
「わかりました。ソルコタに戻ることになったら、楽しみにしていますよ」
私たちは笑って、それからようやくそれぞれの仕事に取りかかった。
……これがケイトとの今生の別れになってしまうなんて、このときの私には知りようもなかった。
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