プロローグ
興味深い事実は多くあるが実際に公表することのできる話はほんの一部だ。
その一部の中には真実を語っているとは言い難いものある。果たしてどのような形になるのか…私にも分からない。
現在、取材を進めてはいるが世に出すことは困難であろう物語を以下に記す。

鏡の中の住人
塔に夜は来るか
プラトーの花
その町に秘密はあらず
悪ノ娘の処刑人

-ユキナ=フリージスの手記より




私は悪くない。
いつもと同じ言葉をお呪いのように心の内で唱えながら紐を緩めた。
刃を押さえている紐の掛け金を外せば、勢いよく落下した刃は一撃で首を切断する。
目の前で起きた人命の消失は、かの王女の下では珍しくもないことだった。

ああ、私はいつまで、罪のない人の首をはね続けるのだろう?

胸中で嘆きながら、自然と目はルシフェニア王宮へ向いていた。
死刑執行の合図となったレヴィン大教会の三時の鐘が鳴り響いている。
この亡骸の刑罰は、あの尊大な建築物内の「音の間」という場所で王宮と同じぐらい尊大な人物によって決定された、らしい。
いや、自分の目で確認したわけではないが場所と人物に関しての情報は誤りではない。
王の住処が立派であることは何の問題もない。問題なのは王のほうだ。
リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュ。ルシフェニア王国を統べる王女。
罪人の多くは政治家や使用人であり、彼らの罪状は様々だ。共通点は偉大なる王女様の機嫌を損なったこと。つまり、彼女が気に入らない人間が裁判にかけられる。判決はほとんど確定しているため茶番と言って間違いないだろう。
その茶番の例外は親衛隊長レオンハルト=アヴァドニアのみ。私はその三英雄の一人が事切れる様を最も間近で見ることになるのではないか、と怯えている。

先月は17人、その前の月には28人もの人間がギロチンにかけられた。
今日、絶望を絵に描いたような表情で断頭台の露と消えたのは使用人の少年だった。王女殺害を試み、失敗に終わった。
彼がどのような理由で王女に刃を向けたか、私は知らない。
罪人は与えられた最後の時間に面会人と言葉を交わす場合もある。今回の少年には赤髪と金髪の少女が別れを告げに来た。同僚の使用人で、しかも王女付きだという。
「王女付きの使用人」。そう呼ばれる人物を目にするたびに私の中である思いが高ぶる。

-私はお前たちと同じだ

王女の命令を実行する存在。刃向かう権利など最初からなく、そこに善悪はない。
そう、騎士だって同じだ。戦で人を殺めることがあるため、より我々と同類である。
だから私は唱えるのだ。「私は悪くない」。
たとえ無実の人の刑を執行したとしても、その意思決定は王女にある。悪いのは彼女だ。
正に-『悪ノ娘』。民衆が囁く呼び名は正しい。


だから、
私は悪くない。
私は悪くない。
私ハ悪クナイ。




ミラネ広場は多くの人々で埋め尽くされた。
彼らは自らの頭上に立つ人物へ罵声を浴びせていた。玉座から処刑台へ引きずり下ろされた王女へ。

レジスタンスに始まり、ほとんどが貧民階級の人間から編成された群衆。
最初、彼らはただの反乱軍に過ぎなかった。しかし、小さな火種は多くの人間を巻き込み、屈強な傭兵団、騎士団を燃やし尽くした。
革命は成功したのだ。そして、今日は皆で祝われる日となるだろう。
『悪ノ娘』の誕生日の前夜祭ではなく、彼女が暴政の果ての死を迎えた日として。

王女は青い空とギロチンの刃を見上げると、素直に指示に従った。うつぶせに寝かされ、首と両手首を固定される。
「もうすぐ時間だ。レヴィン大教会の鐘が三度鳴った時、処刑は執行される」
王族扱いすることなく、他の罪人と同じ口調で告げた。
相変わらず罵声は続く。普段とは異なる状況でも、すべきことは変わらない。敵意をむき出しにする民衆の中、抜け殻のような女剣士の姿をふと見つけた。

昨夜、彼女は青髪の男と共に我が家を訪ねてきた。王女の処刑日時を告げるために。革命の英雄と見るからに高貴な身なりをした人物がする仕事ではないだろう。
二人は何があっても明日の処刑を完遂するように要請してきた。成る程、王女の逃亡の手助けをしないよう圧力をかけるためか。その気は毛頭なかったが。
来訪者への驚きと疑問が沸き上がり、それが解消された後に感じた別の引っかかり。
こちらは答えを得ることは出来なかった。…今なら、処刑台の上の今なら分かる。
『王女』を初めて見た時、この熱狂の全てが陳腐と化す真実を知ったような気がした。

「そろそろだ。王女、最後に言い残すことはあるか?」
多くの人の最後を事細かに見てきた。貧富、職業、老若男女問わず。そうして人を見る目は養われた。
王女の仕草や歩き方。昨夜の二人の表情。晴れやかとは言い難い、何かを抱えたような。
王女に感じた違和感。いや、彼女は『王女』ではない。何故なら『彼女』は-。

「時間がない。王女、これが最後だ。神に願うことはあるか?」
言ってしまえ。そのような思いを込めて二度、『王女』と呼んだ。
真実を言えば、また全てがひっくり返る。また動乱が起こる。また血が流れる。
皆、己が「正義」のために戦った。皆が皆、等しく血で汚れた。私たちと同じく。彼らが「正義」ならば私たちも「正義」である。この処刑は皆が望んだもの。悪ではない。
私は悪くない。私は悪くない。私ハ悪クナイ。
言ッテシマエ。言ッテシマエ。言ッテシマエ。
モシ、オ前ガ身代ワリナラバ本物ガドコカニイルダロウ。


悪ノ娘ガ生キテイレバ、アノ茶番ガモウ一度-




ルシフェニアの北西部に広がる迷いの森は土地勘のない人間が足を踏み入れると、まず間違いなく道に迷う。少数ながら森の中で生活している人もいるが、あまり人気はない。
一時期、この森を根城としていた盗賊団やレジスタンスには好都合だったであろう。
彼らやエルフェゴート侵攻といった理由で森に立ち入ることを諦めた時期もあったが、今は安心して目的地を目指すことができる。森に入った目的は、また森だ。

エルフェゴート国南西部の千年樹の森。迷いの森はこの森と繋がっている。
千年樹の森には、その名の通り巨大な樹木が生え、レヴィン教エルド派の巡礼地となっている。
私は別にエルド派信仰者ではない。この宗派は主流であるレヴィア派の四分の一程度の信者数だ。数が少なければ他人と顔を合わせることも少ないだろう、というただそれだの単純な考え。それが巡礼地を訪れる理由だが、一応祈りは捧げている。
神なら誰でもよかったのかもしれない。ただ、偉大な存在にすがりたかった。そして、可能であれば問うてみたい。
…私に罪はあるのか。その罪はどこへゆくのか。

広場のように開けた場所に出た。目的地に来るまでに人と遭遇しなかったことに、安堵のため息をつく。休日まで蔑みを湛えた目に見られることなどしたくない。森の住人は処刑人の顔など知らないだろうが、それでも体が拒否していた。
千年樹の隣には小さな木が生えていた。樹木に詳しくはないが、恐らくあの修道院にあったものだろう。

港町にあるルシフェニアでは珍しいエルド派の修道院。
革命後、同様の理由で訪れたそこで天地がひっくり返るような衝撃と出会った。
苗木に水をやる二人の修道女。その片方、金髪の女性とよく似た顔の人物の首は、私がはねた。
思わずその場で立ちすくみ、家に帰ってからも部屋に籠り自らに問いかけた。
幽霊か赤の他人か、はたまた私の頭がおかしくなったのか。幾つかの仮説を並べたが、最も有力な答えは初めから頭に思い描かれていた。
それを受け入れた時の感情は、覚えていない。

私はそれを告発するつもりはない。一人の女性の人生を破壊したくないというものではなく、処刑人は罪人の処刑を遂行するだけで、その罪を問う者ではない。
人に問われたとしても、私が真実を口にすることはないだろう。人生や思い、或いは革命前夜の訪問者は語るかもしれない。しかし「王女」の違和感や現在の居場所は、決して。

祈りを済ませると、ぼんやりと千年樹を見上げた。
人には会わなかったが神に見られているという意識からか、または処刑のことを思い出したからであろうか。いつもの言葉が自然と口から出た。私は悪くない。口癖になってしまったようだ。心底からのものであるため、駄目ではないのだが。
それでも、自らの職務に対する罪の恐怖はある。処刑人が正義の刃であるべきとは理解しているが、これまでの処刑が全て「正しい」ものであったとは言い切れない。
今、世を支配するのは人間であるが、死後の世界については分からない。もしも、処刑人に罪が存在するならば…。
あの修道院長に身分を明かしたのは、それが理由だった。神の答えが知りたかった。
結局、聖職者の見解はあまり納得できるものではなかった。やはり、私自身の意識の問題なのかもしれない。そう確信出来れば、私の不安は払拭されるのだが。


そう。私は。
罪はあるかもしれないが、悪ではない。



エピローグ
エルルカ=クロックワーカー様

お久しぶりです。貴女とグーミリアさんはどちらにいらっしゃるのでしょうか?
居場所ぐらい教えてくださればいいのに。魔術とはいえ、宛先の分からぬ手紙を書くということは不安でしかありません。
こうして筆を執った理由は私の家族ではなく領域外の出来事に遭遇したためです。
私は『悪ノ娘』の死刑を執行した処刑人を取材しました。男性は修道院長のイヴェットに身分を明かし、その後も度々修道院を訪れているというのです。彼女を心配したクラリスからの手紙がきっかけで、彼の真意を知りたいがため取材という名目で接触しました。
修道女の友人と知ると男性は丁寧に私の質問に答えてくださいました。革命前夜、王女処刑。『悪ノ娘』の処刑に関しては処刑人としての領域にとどまり、個人的な話は聞けませんでした。
私の実感の限りですが、彼は真実を知っているようです。恐らくリンさんの正体についても気付いているでしょう。今のところ、この事を世間に公表する気はなさそうですが。
続けて話題は自身の人生となりました。ここで問題が起こったのです。
唯一の不可解な点であり、貴女にご相談したいこと。それは彼の口癖に関係しています。

「私は悪くない」と常に言い聞かせる。お呪いのような口癖。
…実はそのお呪いで頭が一杯になり、処刑台の上での出来事は正直あまり覚えていない。ギロチンを作動させたことすら。罪人の姿も死後のものしか記憶にない。
もしかして紐を緩めているのは私ではなく、もう一人の私かもしれない。
馬鹿馬鹿しい考えではあるが、私は人の死を嘆くことはあれ、自らの仕事を不幸とは思わない。仕事に関する不満といえば…人々の目ぐらいか。死が己の生業にあるものだとの実感は薄い。執行しているにもかかわらず、だ。
それはお呪いがスイッチとなり表に出て来た人物、自覚できない「もう一人の私」が処刑を請け負っているからではないか?
処刑に関する記憶が制限されているのは、こうした理由なのではないか。

処刑人として差別される苦悩。革命の当事者になるかもしれなかった使用人の処刑。その話の中で語られた言葉が上記のものです。これは明らかに矛盾しています。
彼は僅か数十分前、処刑の状況を詳細に説明してみせました。執行日時、罪人の表情、面会人の髪色…。憶えていないというならば何故これらの情報を語ることができたのか。この不一致を問うても不思議そうな顔をされるだけに終わりました。とぼけているか、まさか痴呆かと疑いましたが、そう思えないほど詳細な説明だったのです。白を切るならば、それは必要ないでしょう。
確証はありませんが、彼の中で王女と修道女が結びついているならば、それに至る理由があったはずです。記憶がない状態で、どうやって真実に気づいたのでしょうか。
順調に進んでいた会話が途切れた原因を、彼は本当に認識していないようでした。

その時、私はグーミリアさんの顔を思い出しました。
男性は『転身の術』により一つの身体に二人分の精神が宿った…アビスI.R.の妨害に遭ったエルルカさんのような状態なのではないか。あの時の貴女方の正確な精神状態は私には分かりませんから、思い過ごしだと笑い飛ばされるかもしれませんね。
ですが、その仮説に至った理由がもう一つ。
彼の「お呪い」の意味の片方は自らが悪ではないと正当化するためです。
国命とはいえ人命を奪う宿命を背負わされた苦しみからのもの、とも見えます。しかし彼は死を悼めど、罪悪感は抱かないのです。苦しみは内的ではなく外的な、処刑人に対する差別を不服とする思いからでしょう。
修道院長に対しても懺悔することなく、自分は罪人なのかという問いが多いそうです。
自らの生業故に死後の審判を恐れてはいるが-。前置きの後、彼は言いました。

私は王の意思により刑を執行する。悪ではない。
私はもう一人の私の行動により処刑する。悪ではない。
私は悪くない。

矛盾する話と湧くことのない罪悪感。
この二つの不可解さから『転身の術』を受けた処刑人なのではと思いましたが、別人となったような違和感も男性の魔術との関わりも見られません。これはフリージスの情報網の限界なのかもしれませんが、怪しい人物が浮上することはありませんでした。
魔術師の所業でない、生来の状態なのでしょうか。医者ならば罪悪感から逃れたいがための精神的な防衛が働いた結果、と診断するかもしれません。
そうであっても、この処刑人を異常者だと断定するつもりはありません。しかし、私は「もう一人の私」が気になるのです。
処刑台の上でしか現れぬ精神。まるで殺人のための人間です。
もし『悪ノ娘』の正体に気づいていたのであれば、何故それを白日の下に晒さなかったのか。教えるべき人物は目の前に、山ほどいたというのに。処刑を続行した真意は。

此処までの処刑人の話、私の考えをまとめた上で疑問が浮かびました。

-処刑を実行している人物はどのような感情を抱いているのか?
もし、「彼」が殺しを望んでいるのであれば、それは「her」なのではないか?

死とは切り離された場で、私に過去を語った処刑人は「本来」の人物なのか。
「本来」と言える程、確固たる精神がまだあるのか。既に浸食されているのではないか。
果たして、人格のスイッチを押しているのはどちらなのか。

貴女の見解をお聞かせください。可能な限り即急なお返事、または再会を願います。

ユキナ=フリージス

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

悪ノ娘の処刑人

「私は悪くない」

「悪ノ娘」ショートストーリー応募作品。
本編から派生していますが、原作にほとんど登場しない人物視点の物語です。名前も記述されておりません。
「悪ノ娘」以外のmothy_悪ノP様による楽曲をお聴きになっていなければ、理解できない部分もあるかもしれません。
何故かエピローグが物語の中で一番長いです。



「私」が異常ならば、貴方達はどうなのでしょうか。
それとも-処刑が悪とでも?

閲覧数:1,269

投稿日:2018/09/23 16:25:46

文字数:5,978文字

カテゴリ:小説

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