部屋の窓から海辺を眺める。地平線の向こうまで永遠と続いている海。もし、この海の水が全てお酒だったら、私はそれを全て飲み尽くすことができるだろうか。そんな荒唐無稽な考えがふと脳裏を掠めた。
こんなたわいない考えが浮かぶのも、5年前から続く案件にようやく、本当の意味で終止符が打たれたからだろう。
5年前、当時のルシフェニアの統治者リリアンヌの暴政から始まった革命。それを裏から操っていた黒幕である赤猫の魔道師を、先日打ち倒すことに成功した。
あの革命はこの国の、そしてそこに住む国民の未来を考え、私自身の意思で起こしたものだと自負している。けれどあの王女の暴政から始まった全ての出来事があの魔道師の思惑によるものであったのであれば、途中にあった革命すら彼女の手のひらで動かされていたに過ぎなかったといえよう。
(だからこそ、彼女を倒した今、ようやく私たちの革命は終わりを告げたと言える)
革命を決意したときは、まさかこれほどまで長い期間に渡るとは思いもよらなかった。当時の私はあの『悪ノ娘』を倒せば全てが終わると思っていたのに。
(昔の私は、とても短絡的だった。後先を考えず、自分の独り善がりの革命……あの時あの子が言った言葉も、あながち間違いとは言えないわね)
自虐的に笑みを浮かべながら、そんな風に考える。
5年という年月は、人が変わるには十分な期間であろう。あの頃から私の中の世界も、考えも大きく変わった。そんな私の話を、5年前の私が聞いたとしたら、何について一番驚くだろうか?
魔術のこと、大罪の器のこと、悪魔のこと……私の理解を遥かに越えた、超常的なことを数々経験したけど、一番驚くであろうことは────
「ジェルメイヌさん、今……お時間、いいですか?」
扉をノックする音と共に声が掛けられる。少し頼りない印象を受けるが、5年前とは違って、芯の通った声だ。
「クラリスね?ええ、大丈夫よ」
「ありがとうございます」
私の答えを聞いた後、扉を開けて入ってきたのは、予想通りのクラリスと、そしてもう一人。
「アンタは……」
「この子が、ジェルメイヌさんとお話をしたいと言って……」
クラリスの後ろに、半ば隠れるようにして立っている金髪碧眼の少女。男女の性差はあるが、やはりあの子に顔がよく似ている。表情はどこかばつが悪そうだ。
5年前の私が一番驚くであろうこと、それは……あれほどまで憎み、革命にて罪を償わそうとした相手。ルシフェニア王国王女、リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュが生きていることだろう。
「…………」
立ち話もなんなのでとりあえず二人を部屋に招き入れた。
座席の位置は私の前にリン……リリアンヌが座り、その横にクラリスが座っている。話があるのは王女の方らしいが、彼女がこの場にいるのは……まあ、さすがに私たち二人きりにする訳にはいかないからだろう。初めて私と王女が会ったときの反応から、彼女が隣にいる少女の正体を知っているのは想像に難くない。
「…………」
それにしても、いつになったら話始めるのだろうか。話があるのはあちら側らしいが、部屋に入ってからずっとうつむいて黙ったままだ。
(まあ、かつて自分を殺そうとした人間が目の前にいるんだから、萎縮するのは当然といえば当然か)
このままでは話が進みそうにない、ここは私の方から話始めよう。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
「えっ……?」
私から声を掛けられるとは思っていなかったのか、王女は少し驚いた表情で顔を上げる。
「私の名前はジェルメイヌ=アヴァドニア。アレン=アヴァドニアの姉で……『三英雄』の娘よ」
自分と弟の名前、そして『三英雄』という単語だけを少しだけ力を込めて自己紹介をした。父の名前はあえて出さなかった。彼女ならわざわざ名前を言わなくとも分かると思ったからだ。いや、むしろ分からなくてはいけない。忘れていていいはずがないのだから。
仮に分からないような雰囲気を少しでも感じたら、話を打ち切るつもりだったが、その心配は杞憂に終わった。私の言葉を聞いて彼女が動揺したのがよく分かる。どうやら彼女は自分の感情が顔に出るタイプらしい。弟とは正反対だ。
私から話しかけられたことで覚悟を決めたのか、彼女は一度大きく深呼吸をした後、ゆっくりと話始めた。
「自己紹介されたら、それに返さなきゃ失礼ね。私は、ルシフェニアの元王女、リリアンヌ=ルシフェン=ドートゥリシュ。初めまして、革命の英雄……『赤き鎧の女剣士』ジェルメイヌ=アヴァドニア」
未だ顔に緊張の色は見えるが、先ほどまでとは違い落ち着きを払って堂々と語る姿は、さすがは王族といったところか。
「今日、あなたに重要な話があって……」
「ちょっと待った」
突然、話を遮られて面食らう様子の王女。
「な、何よ?」
「アンタの話を聞くのに、条件があるわ」
「条件……?」
訝しげな顔をして聞き返す王女。
「前から……あの革命の日から、アンタに尋ねたいことがいくつかあったの。それについて答えてくれたら、アンタの話を聞いてあげる」
王女は少し考える素振りを見せた後、頷いて言った。
「ええ、分かったわ。といっても、別に言い訳じゃないけど……私にも本当に分からないことは答えられないわよ」
「大丈夫よ。絶対に答えられるはずだから。私が聞きたいのは、父さんの死について」
それを聞いて王女の体が一瞬で強張ったのがすぐに分かる。彼女の隣にいるクラリスが心配そうに横を見るほどだ。
自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐いた後、王女は口を開いた。
「……そうね、あなたにはそれについて知る権利があって、私には語る義務がある。何から話せばいい?」
「そうだな……じゃあまず最初に、父さんを殺したのは誰?」
私の質問に対し王女は目を逸らしながらこう答えた。
「私よ。私が彼を殺した」
「……質問を変えようか。父さんの命を直接奪ったのは誰?まさか、か弱い王女様が、一人で父さんを殺したわけじゃないでしょ?」
「…………」
数瞬の沈黙の後、彼女は小さな声で言った。
「アレンに……命じたの。彼に、彼の養父を殺すように……でも彼は私の命令に従っただけで、悪いのは私ッ……!」
「はい、ストップ。私は今、誰が悪かったかを聞きたいわけじゃない。事実が知りたいだけよ」
興奮気味に椅子から腰を浮かせた彼女を落ち着かせるように、静かな声で言った。
「リン、気持ちは分かるけれど、今はジェルメイヌさんの言うことだけに答えよう。ね?」
私たちの話を黙って聞いていたクラリスも諭すように彼女に言い聞かせる。やがて王女はゆっくりと椅子に座り直した。
「ごめんなさい、少し取り乱したわ。それで、他にも聞きたいことがあるの?」
「そうね……いくらアレンの剣術が相当だったからって、親衛隊長だった父さんをそう簡単に倒せるとは思えない。それについて、何か補足はある?」
「……ええ、酒に薬を盛って、彼に飲ませたの」
「お酒?だけど父さんは、お酒を断っていたはずじゃ……」
父が殺された頃、ルシフェニアでは大規模な飢饉が起きていた。そのため父と私は贅沢を控え、その一環で大好きな酒を飲まないようにしていた。
「私が飲ませたのよ。彼に、食料庫の食べ物を自由に国民に分けていいと言って、彼に歩み寄ったかのように騙し、その祝いだと言ってね」
私は唖然とした。まさか彼女がそこまで策を巡らしていただなんて。単純な父のことだ、おそらくその時の王女の言葉を本気にして、喜んで祝いの酒を飲んだことだろう。そしてその後……
「……アンタは、そこまでして国民に、自分の食べ物を分けたくなかったってわけだ」
平静を装ったつもりだったが、少し声が震えてしまった。もしかしたら顔にも感情が出ていたかもしれない。クラリスの額に汗が見える。
一方の王女は思いのほか冷静だった。
「当時の私は国民の食料事情がそんなに酷くなっていることを知らなかったし、何より彼の言葉に聞く耳を持っていなかった。当時の私にとっては、彼は自分に逆らう敵でしかなかったの。私はお母様のような強い支配者であろうとした。だから、敵である彼を亡き者にしようと思った」
「そして、それは全部『傲慢の悪魔』に取り憑かれていたから……ってわけね」
彼女の悪政も、そして父の死も、全ては悪魔によって引き起こされたこと。しかも、彼女は自分で契約したのではなく、他人によって強制的に悪魔を取り憑かされた。
これらのことを考えると、一概に彼女を責めることはできないのかもしれない。そのことは頭では理解できているけれど、やはりそう簡単に納得できるものではない。
「……私は、自分の行動全てを、悪魔のせいにするつもりはないわ」
「え……?」
私が一人考え込んでいると、彼女はそう切り出した。
「確かに、悪魔の影響はあったのかもしれない。けど、私がやってきたことは……私の罪は、紛れもなく私の意思で行ったものよ。私が強ければ、こんなことにはならなかった。今さら自分の罪を悪魔に押し付けたりはしない。だから……」
王女は一呼吸置き、真っ直ぐ私の目を見つめてこう言い出した。
「今日あなたに話そうと思っていたこと、それは私の処遇について、決めて欲しいの。私はどんな罰も受けるつもりよ。あなたが望むなら、この命で償う覚悟も、できている」
「リンッ!?」
クラリスが立ち上がり、驚いたように彼女の名前を叫ぶ。どうやら話の内容までは知らなかったらしい。
「いやさ、色々考えたんだけど、やっぱりこれしかないかなって。あなたは私を許してくれたけど、他の人々は決してそうじゃないはずよ。だから、私はあの革命の指導者だったあなたに、任せることにしたの」
クラリスに語りかけながらも、私に対して答えを求める王女。さしずめ私は、彼女を恨む人々の代表として選ばれたということなのだろう。
王女とクラリスの視線が私に注がれる。
私は目を閉じ数分の間考えたあと……
「いたっ!?」
王女にでこぴんをした。
「いったー……い、いきなり何すんのよ!?」
「あら、どんな罰でも受ける覚悟じゃなかったの?」
「そ、それはそうだけど……まさか、こんなので済ますの?」
涙目で額をさすりながら、困惑した様子で彼女は問いかける。
「今のは私の私怨ね。父さんを殺したことと、弟……アレンに人を殺させたことのね」
「……そうだとしても、軽すぎると思うけど」
「そうね。けど、復讐なんて……虚しいだけよ。それに、あなたには生きて欲しいの。生きて……その間、ずっと自分の罪と向き合って、懺悔し続けなさい」
「…………」
私の言葉を王女は黙って聞いている。
「死ぬまで贖罪の日々を送る、それが、私が人々の代わりにあなたへ課す罰。まあ、もし人々に尋ねればあなたの命を奪いたいって意見の方が大きいでしょうけどね」
「それをしないのは……さっき言ったように、復讐が虚しいから?」
そう尋ねる彼女に私は首を振った。
「それもあるけど、一番の理由は……あなたが死んだら、無駄になっちゃうじゃない。彼の……アレンの想いを、無駄にしたくない」
それを聞いた王女は大きく目を見開いたあと、目を閉じ涙を流しながら小さく呟いた。
「……ありがとう」
それは私への言葉か、それともあの子への言葉か、もしくは両方か。真相は彼女にしか分からない。
「さてと、お堅い話はこれで終わりにしましょうか。アンタには他にも聞きたいことはあるしね」
「え?」
「アレンのことよ。父さんに引き取られる以前や、王宮に勤めてからの彼の話……それについて聞かせて欲しいの」
王宮での話はシャルテットからも聞いていたが、王女に対してあの子がどのように接していたかを聞いてみたかった。それに幼い頃の話は、彼女からしか聞けないことだ。
「ええ、構わないわ。さすがに幼い頃のことは全て覚えているわけじゃないけれど……そうだ、なら私にも教えて欲しい。彼があなたのところに引き取られてから、どのように過ごしていたかを」
「お互いに知らない時期の頃を話すわけね、分かったわ」
「それじゃあ、私はお茶とお菓子を持ってきますね」
私たちの話を聞いて、二人にしても大丈夫だと判断したのか、クラリスがそう提案してくれた。
「ええ、ありがとうクラリス」
「あ、私おやつはブリオッシュがいい」
「分かったわ。それじゃあ少し待っていてね」
その後、私とリリアンヌ……リンはアレンについての話で盛り上がった。
荷物をまとめ、教会から出ようとする私の背に声がかけられる。
「もう行くのね」
振り替えるとリンが立っていた。
「ええ、元々そんなに長居をするつもりもなかったしね」
「……これからどうするつもり?」
「そうね……カイルのせいで家はボロボロだし、また色んな国を回るのもいいかもね」
「そう、体調とかには気をつけて」
「フフ、ありがとう。まあ数年経ったらふらっと戻ってくるかもしれないし、その時は彼についてまた話しましょう。まだ話し足りないところもあるしね」
私の提案に彼女は微笑みながら頷いた。
「ええ、私も聞きたいし、話したいこともあるから」
「決まりね。それじゃあまたね、シスターリン。クラリスにもよろしく」
私は手を振りながら教会から離れた。再会の約束をして。
ルシフェニアの西外れにある海辺。私は再びそこを訪れていた。あれから長い年月が経った。そう、とても長い……100年ほどの時が。
結局彼女との約束を果たすことはできなかった。私はあのあと、倒したと思っていた魔道師に体を乗っ取られてしまった。
「……あの教会にいた……リンというシスター……あなたは知っている?」
私の乗る車椅子を押すネツマ族の男性に尋ねる。
「ええ、知っていますよ。多くの孤児に慕われた、優しいシスターだったと聞いています」
「そう……」
それを聞いて私は頬笑む。彼女は贖罪を果たしたようだ。
彼女の犯した罪が消えることはない。けれど、その罪が許されることはあるだろう。彼女の贖罪が犯した罪を許されるほどであったかは分からない。けれど、願わくば彼女が許されることを祈ろう。
(そして、次は私の番)
あの魔道師に操られていたとはいえ、私は多くの罪を犯した。生きて償うことはできないけれど、向こうでそれをしよう。特に彼女には大きな迷惑をかけた。私のせいで灰にされてしまった彼女、まずは彼女に謝るところからだ。
英雄は静かに目を閉じた。その後彼女が再び目を開けることはなかった。
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orca
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