『ココロ・キセキ』-ある孤独な科学者の話-[5]
「この通りだ。
君は、いつもたくさんの仲間に囲まれていたね。俺は、君の仲間がしょっちゅう君を呼ぶことで、タクミの名前を覚えた。
そんな君は、人の心が、わかる人間だと思うんだ」
すっと、さらに深く、レンが頭を下げ、そして、顔をあげて真摯にタクミを見た。
「……俺はもう歳だ。残された、時間は少ない。
だから、なるべく急ぎたいんだ。頼む。おれと一緒に」
「わかりました、先生」
レンが三度タクミに頭を下げる前に、タクミは強引に遮った。
レンの手をとり、力強く握った。
「オレ、がんばるよ、先生」
思わず見上げたレンを、タクミの笑顔が見下ろしていた。
「だって、すっげぇ感動したもん。
リンちゃんもすごいけど、実用一辺倒だった先生が『ココロ』を作りたいなんて夢見てたなんて、オレ、想像もつかなかった。
平凡だと思っていた先生が、こんなすっごいことしていたなんて、オレ、なんだかわくわくしてきた」
「お前ね、俺のオモテの研究を平凡だと!勉強不足にもほどがある!」
みなまで言い終わらないうちに、スパンとレンの手のひらがタクミの頭を張った。
レンはにやりと笑う。白衣をはたいてタクミに正面から挑む。
「まあいい。明日から鍛えてやるから、毎日来いよ?
ヒトの秘密を暴いておいて逃げでもしたら、どうしてくれよう……そうだ。本来の追試の点数通りの点数がつくと、覚悟しろよ」
案の定、タクミは固まった。
「本来って、オレ、いくらだったんですか……?」
わしっとレンの手のひらが、タクミの頭をつかんだ。
「不可だ! まったく!」
うっ、とタクミがひるむ。
「不可……」
うつむいたタクミに、意趣返しができたとばかりに、レンは意地悪く笑う。
「フン。よくもまあ、25点の分際で、俺の研究を『平凡』などと言ってくれたな」
「不可……、でした、か」
「あ、ちょっと……おい! 何も泣くことないだろ!」
立ち尽くしたまま動けなくなっていたタクミに焦ったのはレンだ。
「最近の若者はそんなに弱いのかよ!なあ、あれくらい、ちょっとした軽口だろう?」
あわてたレンが白衣を投げ捨てて近寄ると、タクミは、わかってますって、と、明るく笑おうとし、ものの見事に失敗してすすりあげた。
「スイマセン……」
気まずい沈黙が流れる。
人形のリンだけが、優しい微笑みのままで、二人を見ていた。
「先生。オレ、これでもね、大学受かってから、必死に勉強、しているんすよ。……あこがれて入った工科大学だから、これでもね、必死にやっているんですよ……」
それが、不可とは。
最後の言葉は、声にならずに、熱くかすれた。
レンは、思わず涙ぐみそうになった。
そういえば、昔、自分もこんな時代があった。
どんどん先をゆく先輩のカイトに、ちっとも追いつけず、わからず、理解できず、苦しくて、うらやましくて、悲しくて……。
「タクミ。……すまん。俺が、大人げなかった。
ごめんな。お前が、俺のことを『平凡』なんて、痛いところを突くからさ」
ごしごしと、どうにか落ち着こうと顔をこすっては鼻を吸い上げるタクミに、レンは引き出しを開けてタオルを探し出し、放ってやる。
「まだ、学部生だろ? 先は長いんだしさ」
俺とちがってな。
かぶせたタオルの上から、ぽんと頭を叩いてやると、やっとタクミはうなずいて顔をあげた。
涙をのみこみ、タオルを引きよせ、ぐいぐいと顔をこすった。
「スイマセンでした。……オレ、悔しくて」
気まずそうに、照れた笑みを見せたタクミの手を、リンがそっと握った。
「え」
「まだ、ただの反応だよ。相手の動作をみて、それに合わせて反応を選んで行動しているだけだ」
レンが解説した。
「それでもすごい……すごい」
人形に、この反応を教えたのはレンだ。そのことに、タクミは思い当たる。 やさしいしぐさとその表情。口の悪いレンだが、リンの動作、表情すべてが、レンの本質的なやさしさを物語っている。
「本当に、共同研究、オレでいいんですか」
「なあに、織也タクミは、気合だけは『秀』だ、と、全教員お墨付きだからな!」
「先生! ひどいな!」
元気をとりもどしたタクミがレンにじゃれかかるが、タクミは十分に知っている。
気合ではロボットは動かないことを。
鼻声を残したまま笑うタクミを、レンは小突く。
「まあ、せっかく答案を取りに来たんだ。とりあえず、『不可』だった一番大きな理由だけでも、教えてやろうか?」
また、きついことを言われるのではないかと、タクミは一歩引いて、姿勢を正す。 やはり学部生にとって、教授は怖いものなのだろう。精一杯気張った姿勢に、レンは思わず噴き出すところだった。
「おい。俺の講義ノート、つけてるか。……出せ」
威圧的に言ってやると、タクミはおびえながらノートを差し出す。
「フン」
レンはぱらぱらとめくる。おびえたタクミの表情は、顔をあげなくても分かる。
「きったねえな!おい!もうちょっと工夫してノート取れよ! こっちだって工夫してしゃべってんだから!」
わざと伝法に言ってやると、再び泣きそうになりながら固まっているので、レンにとっては面白くてしょうがない。
胸ポケットからボールペンを取り出したところで、タクミはもうひったくりそうな勢いでレンをみている。
レンは吹き出そうになるのを必死でこらえ、頬の内側を噛みしめながら、ボールペンのキャップを抜き、ノートの新しいページに、びゅんっと筆跡をはしらせた。
「ほら! 返す!」
「……へっ?」
タクミが、きょとん、と、ページを見つめた。
「あの、先生……?」
「あのなあ」
がしっと、レンの腕が、タクミの肩をとらえた。
「俺の名前は、鏡音廉!
十五回も講義を受けておいて、教官名、『加賀峰 蓮』だと?
ふざけんなよ?」
でかでかと書かれた力強い筆跡から、タクミは顔を上げる。
「不可の理由って……」
「ほかにもあったが、たくさんありすぎて忘れた! おい、これはチャンスだからな! これから、死ぬ気で挽回してみせろよ!」
「は、はいっ!」
平凡なレンと、落ちこぼれのタクミ。
これが奇跡のはじまりだと、このときの彼らはまだ、気づいていなかった。
……[6]へつづく
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