6.ルカの家庭
島の昼間。夏も近づくこの頃の太陽は、眩しく高い。白い石畳と粘度の壁が、鮮やかに光を反射している。時折家々の軒先に日よけとしてしつらえられた葡萄の棚が木陰を落とす中、ルカは濃い影を映しながら歩いていた。
「冷たく白い石像、面影にそっと、手が触れるとき……」
うつむき歩くルカの桃色の唇が、小さく小さく歌を紡ぐ。
「朱に染まり色づく頬、あなたに逢いたい……」
いくつかの道の角を曲がり、石段を上ると、やがて高い壁に囲まれた大きな建物に出会った。
この島の市庁舎である。
屋根にはこの海域の島々を示す旗がはためき、兵士がその門を守っている。
ルカの父親は、大陸の国の将校だった。海域の島々は、連邦として国の形を取っているが、その軍事力は低く、実質、大陸の国と同盟を結んで必要な力を確保しているという状態である。
大陸の国がこの海域の島々の連邦と同盟を結ぶ利点は、何といっても『海の道』の確保であった。農業も漁業も工業的にも、島の人口を支えるだけで精いっぱいである島々。特に有用な資源があるわけではない、歴史が古くて景色が綺麗なだけの島々。そんな島々を渡り歩いて、時折、島の同盟に対する状況を確認していく。それが、ルカの父親の仕事であった。ルカはしばらく市庁舎のいかつい建物を眺めていたが、やがて踵を返した。
「父さまは、お忙しい。いつだって」
ルカの知る父の姿は、仕事場での父の姿である。いつも石造りの執務室に居て、いかつい服を着て、難しいことをしている。
「ルカさま。ルカさまの父さまは、大陸の国と島の国の関係を良くする、大切な仕事をしているのです。ですから、誇りに思ってくださいね」
大陸にある、ルカの屋敷の使用人たちは、そう言い聞かせながらルカを育てた。
しかし、ルカは、なかなかそうは思えなかった。
「寂しい」
そう思っていたのは、幼い日の数年だけだった。やがてその感覚は当たり前になり、何をしているのかは解らないけれども誇りに思えとだけ言われる状態にも無感動になってきた。
ある時期、大陸の国と島の国が連合して、もっと奥にある大陸の国と戦ったことがあった。世界の情勢を知らせてくれる新聞には、ルカの父の行動が大きく書かれ、賞賛されていた。
「私たちの国と戦った『奥の国』は、それは大きくて強い国です。でも、奥の国が、いくら海側に攻めてこようと、私たちの国は負けなかった。ルカさま、あなたの父さまが島の国をまとめて率いたおかげですよ」
ルカにとって、実感のないままに、父の功績だけが増えて行く。その温度差が、ルカの心を固く閉ざさせた。
「みんな、いろんなことをいう。でも、私は見たことがない。信じられない」
本当は一番振り向いて欲しい筈の父親を信じられないという事実が、ルカの心をさらに締め付けた。
「信じたい人を、信じられない。それは、嫌なことだ。見たことのないものを信じる。それは、駄目なことだ。私は、どうすればいい?」
自分の中で、さまざまな感情が渦巻く。捌け口は見つからず、自分のことだけで精いっぱいになってしまう。他人のことに気を向けている余裕はなく、気がついたときは、ルカはひとりぼっちだった。
「整理しきれない心は、他人に明かせない。でも、他人に心を開けなければ、人も心を開かない……」
そうして、ルカの表情は、白く固い石の中に埋もれて行ったのだ。そしてルカ自身も、いつしか心を開くどころか、扉の開け方ですら、忘れてしまった。
まぶしい昼の光の中、ルカは兵士の立つ石造りの市庁舎をしばらく眺めていたが、やがて背を向けて歩きだした。
父は、今頃、どの部屋で、どんな仕事をしているのだろう。
冷たくひやりとした室内を想像しただけで、ルカの肌にぞわりと粟が立った。
無意識に両手で寒さに震えるように体を抱く。
「昼の太陽が暑くて、助かった。」
自身の作る濃い影に目を落としながら、そうとさえ、ルカは思った。
* *
「レンカ。……さっきの、ヒゲさんの話、どう思うよ?」
昼食と食休みのあと、街の博物館から岬へ向かう道を歩きながら、リントは昼食の時にヒゲさんから聞かされた、ルカの家庭にまつわる話を、レンカに問いかける。
「ルカちゃんのお家のこと? お父さんが軍人で、ルカちゃんはその仕事を見るために、今回この島についてきたって話? ……でも、そういう外交の現場って、子供が見られるようなものじゃないでしょう? さびしがっている、というのも、何だか……いまいち、しっくりこないなぁ。どれもルカちゃんの態度、というか様子に合わないというか」
リントはうなずく。
「ああ、レンカは、昨日のオレとルカの会話を知らないんだ。レンカが海に潜っている間聞いたんだけど、ルカは相当真面目だぜ?
オレが軽く、オレやレンカのこと好きか、って聞いたら、解らない、って。
ルカは他人のことを、好き嫌いで判断したこと、無いんだってさ」
「え?!」
レンカの口が思い切り開いて固まった。レンカにとっては、相当な衝撃だったらしい。
「そんな人間居るの?!」
「オレも、まだ出会って二日目のせいかと思ったんだけど、どうやら時間の所為でも無いらしくって」
リントは歩きながら体をほぐすように肩をぐるぐると回す。
「オレは、それならあの女神像は好きか、海は好きか、とかいろいろ聞いてみたんだ。そしたら、きれい、とか優しい表情、とかは解るんだけど、それが好きかどうかは解らないって言ってた」
「ふうん……」
レンカの返事が、聞こえはじめた潮騒の音にまぎれ始める。葡萄畑を抜け、低木の荒地、そして草原の道へと風景が変わっていく。リントは黙ってレンカの思考が終了するのを待った。
やがて、おもむろにレンカは口を開いた。
「ルカちゃんは、きっと、解っている。あたしたちよりも二年も先輩で、いろんな場所に行っているから、いろんな思いをたくさん心の中に貯め込んでいると思う。でも、それを外に出すやり方が解らないんだ」
レンカが、ふとリントを見た。
「外に、素直に感情を出す人が、普段周りにいなかったから」
レンカが、にこりと笑った。
「お手本が、無かったのよ」
そして、すっとリントの胸を指さした。
「リントだって、岬の女神像を元に、粘土を掘っているでしょう?」
リントはうなずいた。
「そうやって、リントは憧れの形を手にする方法を見つけようとしてきた。あたしも、ヒゲさんの仕事を真似ながら、伝説の調べ方を勉強してきた。
感情の表現もそう。あたしにも、リントにも、遠慮なく接してくれる島の人たちがいる。思い切り、思いをぶつけられるお互いがいる。
気持ちの仕入れ方も、出し方も、実践できる場所が沢山ある。それって実は、すごいことなのかも」
リントが、目を丸くしてレンカを見ていた。
「……お前、すごいな」
「へ?」
突然の賞賛に、レンカの方も目を丸くする。
「よくそこまで理屈をこねたな! さすが、レンカ先生!」
「はい?! 聞いたのはあんたの方でしょう?」
リントがいやいやと笑いながら手を振る。
「妄想で鍛えた跳躍思考も、こういうときは役に立つな!」
「リント! ならあんたはどう思ったのよ!」
「いやー、オレはただルカを見ていることしか出来なかったよ! あ、今何か表情が動いたな、みたいな! でも、感覚的には、形を彫り出す前の大理石の塊みたいで、一体何が作れるのかわっかんねー、というあたりか!
だから、オレ、あいつを、彫り出したいって思ったんだよ。周りの余計な石なんかとっぱらって、ルカの本来の輪郭が現れたらいいなって、思ってる」
今度目を丸くしたのは、レンカの方だった。
「……やっぱり、リントは芸術家だわ。感覚の切り出し方が、半端ない。表現が鋭い」
「だろー? 理屈屋のレンカ先生には真似できないよな! こういう、感覚的にズバッとくる言い回し!」
と、レンカの回し蹴りが、ズバッとリントの腿に入った。
「いって! なにすんだよ!」
「あたしも! リント先生の変態的な勘の強さにあやかりたいなって!」
さらにリントが抗議の声を上げるが、レンカは歩く速さを上げてそれを無視した。
「本当は、……ちょっとさびしいんだけどな。リントのやつ、ルカちゃんに釘づけだよ」
その時、レンカは岬の異変に気がついた。
「あれ……誰か居る?」
この島一番の名所とはいえ、普段は人に会うことなど滅多にない。しかし、レンカが指差す方を見ると、たしかに、人がいる。
「あれ、もしかして」
リントが額に手を当てて目を凝らす。
「ルカ……だよな?」
……つづく!
滄海のPygmalion 6.ルカの家庭
ルカちゃん側の事情がじわじわ。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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