「サザエさん サザエさん サザエさんは愉快だな~♪」
今日はボカロの特番があると聞いたので。これはチェックをしなければ、と帰るやいなや靴も脱がずにテレビをつけたのだけれど、日付か時間を間違って覚えていたのか。流れているのはサザエさんのEDテーマだった。
スマホでもう一度確認してみると、どうやら放送時刻は1時間後だったらしい。なんだ、こうなるんだったらさっきの横断歩道を走らなきゃ良かった。それなら転ばずに済んだのに。
そう言えば、この曲も久しぶりに聴く。幼い頃はこの曲を聞いていると日曜日が終わってしまう気がしてならなくて、凹んだりしたっけ。
そんな朧げな思い出が少しだけ浮かんだが、今は他にやるべきことがある。まだ放送まで1時間も残っていれば、これを仕舞える暇くらいはあるだろう。
ズキズキする膝を左手でこすりながら、右手ではテレビを消して、すぐ側のマウスに手を伸ばす。
慣れた手付きでそれを動かしてはスタジオを起動し、プロジェクトファイルを読み込んだ。 直ちに機械音混じりの、いや機械音そのものと言おうか。いずれにせよ、もう何百回は聞き返していて飽き飽きしているメロディーが流れた。
思わず苦笑交じりの独り言が零れた。
「うんにゃ、こりゃいけんわ」
✽ ✽ ✽
俺は音楽がやりたかった。 できるだけ多くの人の心を動かせるような、そんな音楽が。
それでバイトでお金を貯めて、高校を卒業してすぐ東京に飛び出した。
19歳の夏、夏休み真っ盛りでただでさえ超満員だった列車は、よりによってクーラーも壊れていて、酷く蒸し暑かった。
発車する前からぐずついていた空だったが、外の風景が山や田んぼからコンクリートのジャングルへと変わっていく頃には小雨がぽつぽつと車窓を縫い始めた。
今振り返ってみると、はなから縁起の悪い天気だったと思うが、あの頃の幼く無邪気だった俺は灰色の風景を吸い込まれるように目で追いかけながら「あぁ、ここがまさにあの音楽の大帝都、東京なのか。俺、とうとうここに足を踏み下ろすんだ」とただただ浮かれていた。
四畳半のワンルームは、持ってきた荷物を置いて俺一人が横になるといっぱいいっぱいで、油じみた壁は常に湿気でべたついていて、屋根の隙間からの雨漏れが頭を打っていて、虫もしょっちゅう出てきたけど、それでも良かった。 ここはずっと夢見ていた俺だけのスタジオであり、独壇場だったから。
起きてさっとカップラーメンやバイト先の売れ残りで適当に食事を済ませ、手当たり次第に様々な仕事をこなしては、稼いだ金でプラグインやらバーチャル音源やらを買って、部屋に帰ると風呂に入るのも忘れてすぐさまパソコンに齧り付き寝るまで作曲作業に励んだ。
曲が出来上がり次第、ボーカロイドに託して動画サイトに投稿し、ついにはアルバムまで出すようになった。
そうだ、あの時は結構良かったと思う。
初めて動画を投稿した時、コメントとツイートでの反応が返ってくるのを見た時は、防音もまともにできてない部屋で歓声を上げたっけな。
初めて二次創作を頂いた時は仕事中だったのにも関わらず思わず涙が出てしまって、居もしない彼女に振られたって噂されたっけ。
初めてボーマスからサインをお願いされた時には前日何百回も練習した甲斐もなく、手が勝手に暴れて、歌詞のところまでインクが滲んだものだ。
傍から見たらひっちゃかめっちゃかでも、その頃は本当に雲の上を歩くような気分だった。 まるで世の中が俺の為に回っているようだった。
この勢いでどんどん成長していけたらこの上なく良かっただろうが……。
問題はそこからだった。俺の運は丁度そこで尽きたからだ。
上京して1年半、初めてのスランプが訪れた。初アルバムを出したばかりで、チャンネル登録者数は500人を超えたばかりの頃だった。まるで感情が突如腐ってしまったかように、膿だけが頭に溜まり重たくなって、絞り出しても何も出てこなくなった。
糖も酸味も全部尽くされて枯れちまった言葉をかき集め、辛うじて一、ニ小節を捻り出しても、翌日には塵芥の如くくだらなく見えてしまって、消して作り直す作業を一冬繰り返した。
初冬から起きている間はずっと曲のことに囚われ続け、やっと一曲を完成させたのは夏が終わる頃だった。
やっと出来上がった新曲を投稿する前に、久しぶりにSNSを開いて自分の名前を検索した。YouTubeもTwitterも、どこにも1月以降俺のことを言っている人は見当たらなかった。
一年半の間必死に積み上げた俺の居場所は、半年程続いた長く寒い冬に綺麗さっぱり消えていた。ぞっとした。こんな精を尽くして作った楽曲なのに、誰にも聞かれなくなるのかと思うと。
その瞬間頭をよぎったのが、いつかのボーマスの打ち上げで聞いた話だった。
「最近よく見かけるなぁ、アカウント全消しして引退したのかと思えば、新垢で転生して新人のふりしてるボカロP」
「確かに、なんだかんだ同じ曲でも初投稿っていうとちやほやされやすいですしね」
「ほいでも、そら流石にちぃと酷うないんすかね。僕は今まで好きになってくれんさったリスナーの皆さんを裏切ってまでバズりとぉないですけど」
でも、まあいいか。もういいだろう。どうせ俺のリスナーなんてもう残っていないのだから。
そうして初めての「転生」をした。 数字は前の処女作よりも悲惨だったが。
おそらくその頃からだったと思う、心療内科に入り浸るようになって睡眠薬を飲み始めたのも。
それでも次第に神経は張り、眠るために必要な薬の量はますます増えていった。診療の予約まではまだ日が空いているという時に睡眠薬が切れると、ひたすら酒を呷り寝た。
頭痛と渇きで目が覚めると、閃きと意欲の代わりに疲労と諦念だけが湧き出た。スランプとスランプの間の期間も段々と短くなってきた。
その後、何度もアカウントを乗り換えたが、「初投稿」の楽曲の再生数は減る一方だった。最後にスパムや自作自演ではない、ちゃんとした人間の感想を受けたのはいつだったのかさえもう思い出せない。その度飲酒量は増え、バイトをクビにされることも次第に頻繁になっていった。
ただでさえ狭かった四畳半のワンルームは音楽の機材と空き瓶の山が積もるにつれ、今では足を伸ばす場所さえなくなっていた。それでも相変わらず、俺はまだ音楽を手放せずにいる。
いや、残り僅かの気力をちびちび音楽に注ぎ込むという、手応えのない生を続けているのだ。
窓の向こうから聞こえてくる雨音にふと気が付いた。顔を上げると、またこの鬱陶しい雨が降り出していた。
ため息をついて雨漏りの箇所に手元の空瓶を置きながら、横目で時計を見た。帰ってからもう2時間も経っていた。
余計な昔の想い出に耽過ぎてしまった。 テレビをつけると、観ようとしていた特番はいつの間にか中盤ぐらいまで進んでいた。
ありもしない悲喜劇を紡いでいた(上)
ルビスコと申します。文章初投稿です。
日本語の添削 : おうりんさん
https://twitter.com/ouringo_ngo
この場をお借りして感謝申し上げます。
●本作はボカロPのIDONO KAWAZU様(https://piapro.jp/kawazu_idono)の楽曲「落伍の涎は鴆毒」等からモチーフをとって書いた二次創作です。原作者様とは一切関係ありません。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37116807
https://youtu.be/d6Xku31L2Og
●この小説はフィクションです。実際する人物や作品などとは一切関係ありません。
●憂鬱・自殺関係の表現がありますのでご注意ください。
(下)は次から
https://piapro.jp/t/dHd5
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想