Exile66.6 ~early days~
【2】
翌朝、明け方まで寝付くことができず、寝ぼけ眼のまま食堂で朝食をとっていた少年は、この先どうすればよいのかと、考えを巡らすばかりでおりました。この日は非番であり、普段ならば私用の用事をすませたり、息抜きに余暇を楽しんだりと、気分が沈む理由は何も見当たらないはずですが、この日だけは違っていました。どちらの副団長とも顔をあわせる予定がないことだけは救いですが、まるで刑の宣告を待つ罪人のような気分です。
そんな、しゃんとしない少年の様子がよほど珍しいのか、周りの同期たちはひそひそ話を交わしたり、あからさまにコレか? と小指を立ててからかう者もいたりする始末です。ろくに食事に手がつかないまま、食器を下げようと彼が席を立とうとした時、不意に食堂の入り口から大きな声が響きました。
「見習い騎士 ……は居るか!」
「は、はいっ!」
思わぬところで自分の名を呼ばれ、少年は弾かれたように立ち上がりました。乾いた音を立ててスプーンが床に転がります。
「直々のお召しである。急ぎ同行を願おう」
にわかに周囲がざわつき始めました。騎士団の訓練場では見たことのない装備の兵たちは、どうやら王宮の警備を担う親衛隊ではないかと誰かが呟きます。
「ただいま、参ります」
呼び付けに応えた少年に、道すがら兵の一人が、
「第二王女殿下直々のお召しである。くれぐれも粗相のないように」
と、小さく告げました。少年は宿舎に戻り身支度を素早く整えると、遣いの兵士とともに、王宮の一番奥の間へと足を進めました。
幼い頃には、父に連れられて何度となく通ったこの長い廊下も、父が他界してからはずっと通ったことがありません。あの賑やかな王女様にお目にかかるのも気がつけば3年ぶりです。何となくなのですが次にお会いするのは自分が騎士になったその時と、少年はそう思っておりました。何も知らない子供の頃から、お互いの立場をわきまえるようになって、何か見えない壁のようなものを感じていました。父がいなくなってからは、まさか自分からお目通りを願う……そんなことは許されないものだとばかり思っていたのです。
それが、この日なぜか突然に、その高貴な方からお招きにあずかることになろうとは、思いもよらぬことでした。
その招きに、少年が通されたのは王宮の中庭、季節の花々に彩られた庭園でありました。懐かしい思い出が、少年の脳裏に甦ります。ここで幼き日の王女様と……花摘みやおままごと、いえ、そうしたいわゆる女の子の遊びはとんと遊んだ記憶がありません。広い庭園で木登りや鬼ごっこ、鞠蹴りや剣術ごっこといった、男の子どうしのような遊びばかりしていた覚えがあります。見渡せば、夏には水遊びをした池も、お茶とおやつを楽しんだ大理石のテーブルも、そのまま何も変わっていません。花木はすこしだけ枝を伸ばしたでしょうか。ふたりで口いっぱいに実をほおばって、ひどい目にあった山椒の木もありました。
親衛隊の兵たちは、入り口から奥には入って来ない様子です。促されて少年は歩を進めると、庭園の一番奥のベンチに座る後ろ姿がありました。
「あ……」
と声をかけようとするより早く、
「遅ーい! あたしをこんなに待たせて、どこの偉い見習い騎士様かしら!?」
ベンチに座っていた少女、つまり第二王女は、立ち上がって振り返るやいなや、びしっと指先を突き付けて、「高貴な」挨拶を少年に向けたのでした。呆気にとられる少年に、王女は晴れやかな笑みを浮かべて、
「久しぶり。元気してた?」
と旧知の友人に語らいかけました。
「あ……王女殿下におかれましても……ご機嫌うるわしゅう……」
少年はしどろもどろになりかけながら挨拶を返しますが、
「そんな他人行儀はやめてよ」
たちまち歩を詰めた王女は両手を広げて少年の身体を抱え込み、肩に頬を寄せたのです。
「逢いたかった」
目を閉じて、彼女は吐息交じりに小さく呟きました。
「え……あの王女さま、もう子供じゃないんですから、ハグはやめてください……恥ずかしいです」
「大丈夫。誰も見てない」
「そーゆー問題じゃなくて」
「なら問題なし」
少年は、幼馴染の腕を無下に振り払うこともできず、たっぷり数十秒は抱擁を交わした後、どちらからともなくくすくすと笑い始めました。話す言葉も、特に王女はすっかりくだけた様子の若者言葉ばかりになっています。
「背、ずいぶん伸びたんだ。いつの間にかあたしより大っきいし。腕とか、肩とか、なんか筋肉ついちゃってるし」
「なんだか……姫様も女の子みたいです」
「失礼な見習い騎士くんだなあ~~」
王女は、そうは言っていても口調も仕草も嬉しそうです。
「今でもひらひらスカートとか、ドレスはきらいだけどね」
確かに王女の身なりといえば、男の子のように袖の短いシャツと、やはり丈の短いズボンといった組み合わせでした。そうしたところは3年前までと少しも変わっていないと感じた少年でしたが、先ほど抱擁を交わしたときの肌の感触や体つきの線の細さが、あの頃とも今の自分とも大きく違っていることに気づくと、何故だか胸がどきどきしてしまって、頬が熱くなってしまって、王女の顔を正面から見られなくなってしまっていました。
「あ、あの……姫様……とてもお美しいです……」
「ありがと。……キミにそう言ってもらえると、すごく嬉しい……かもしんない」
場を取り繕うように言った少年の言葉に、何故だか王女はぷいっと後ろを向いて、声がたちまち小さくなってしまいました。
「姫様が嬉しいと」
今度は少年が、王女の背中から両腕を抱えこみました。
「ぼくも嬉しいです」
「ばか……ばかばか……」
不意に王女の声が震え出しました。
「そんなの……当たり前じゃない……当たり前なのに、ぜんぜんふつーなのに、当たり前が当たり前じゃなくなって、ふつーがふつーじゃなくなって、あたし、何がなんだかわかんない……」
「何が……あったのですか……?」
尋常ではない王女の様子に、少年は腕を解くとおそるおそる尋ねました。王女の両手と自分の両手を重ねて軽くひざまずきます。3回、無言の呼吸があって、
「父上が……倒れられたの」
「……」
「毒を盛られたみたいで……犯人はわからない……王宮はまるで伏魔殿だよ……誰が味方で誰が敵かさっぱりわからないよ」
王女の告白は、昨夜の出来事以上に少年を戦慄させました。
少女の手のひらから伝わってきた、例えようもない怯えと細かな震えに、少年はなすすべもなく、ただただぎゅっと両の手に力を込めていることしかできませんでした。
ようやく王女が少しだけ平静を取り戻すと、いつも座って他愛ないおしゃべりをして過ごした池のベンチに二人は並んで腰を下ろしました。話すことは山ほどありました。両親の死への弔意とねぎらいから、最近の様子まで。隔てられていた月日が一気に縮まるような、それでいて時間の流れの無情さをひしひしと感じさせるような、そんな束の間を二人は過ごしていました。
「あっ、アゲハ蝶」
話の途中、不意に王女が花を求めてやって来た蝶を見つけて言いました。
「そう言えば、アゲハ蝶の青虫のこと覚えてる?」
「? ……ちょっと、心当たりがないです」
少年は記憶の糸を手繰りながら、かつての出来事を思い返すのですが、はたして思い当たる節がありません。
「覚えてない?」
王女は少し気落ちしたような様子でしたが、その懐かしい思い出話を少年に語り始めました。
それは、二人がいくつの年だったでしょうか、おそらくは初夏から夏にかけての季節のことだったのでしょう。いつものように庭を駆けまわって遊んでいた王女の右肩に、どこかの葉っぱから落ちてきてしまったのでしょうか、大きな青虫がくっついているではありませんか。びっくりした王女は、
「ヘンなのくっついてるー! 騎士よ、こやつを成敗するのじゃー!」
と少年に助けを求めました。しかし少年は、
「この青虫はアゲハ蝶の幼虫ですね。大丈夫です、何も悪さはいたしません。向こうの葉っぱに逃がしてあげましょう」
そう言って手近の木の葉に青虫を移すと、庭園の奥の木へと逃がしてやったのです。
「姫様、誇り高きわが国の王女様も、その騎士も、弱いものいぢめはしないのです。ぼくはまだ騎士じゃないですけれど、立派な騎士ならきっとそう言います」
王女は、少年がかっこよく青虫をやっつけてくれるのだと期待していたのでしょう、想定外の返答に少し唇をとがらせて言い返しました。
「それは、本当じゃな?」
「はい、本当です。立派な騎士は嘘をつきません」
「なら良し。精進するのじゃ」
誇らしげに王女は、少年に言いました。
「はい、王女殿下。ぼくは立派な騎士になって、いつまでも姫様をお守りします」
少年も誇らしげに、王女に言いました。
「……という話なんだけど」
話の途中から、少年の頬がだんだんと赤くなって、王女の話を聞き終える頃には、彼は耳まで真っ赤になってしまっていました。立派な騎士になりたい、なれるようにと、幼い頃からことある毎に言っていたのは事実です。それでも……こんなふうに高らかに宣言していたことがあったでしょうか。しかもそんな事件を自分がすっかり忘れてしまっていたなんて。
「立派な騎士に……?」
うつむいてしまった少年の顔を覗き込むようにして、王女が続きの言葉を促します。
「ぼくはまだ見習いですが……いつか立派な騎士になります……必ず立派な騎士になります」
少年は静かに、ですが力強く応えました。
「聞けてよかった」
「……」
「キミが、あの頃のままのキミで、ホントに良かった」
王女の朗らかな笑みに、初夏の風がふわりと髪をなびかせました。
太陽がそろそろ真南に差し掛かろうとしています。
「今日、呼んだのはちょっとお願いがあってね」
お召しがかかったのは朝いちばんですから、もう午前中いっぱい庭園で過ごしていたことになります。話の本題が、いよいよこれからなのでしょうか。
「ねえ、短剣を貸して」
「何を……」
聞くよりも早く、王女の手は少年の腰から短剣をしゃらりと抜き放っていました。まさか……と嫌な予感がしましたが、次の王女の言葉ははっきりとしていました。
「騎士叙任をするの。ひざまずいて」
「それは……」
戸惑う少年に、王女はいたずらがちな笑みで続けます。
「もうすこしだけ、わがままに付き合ってよ」
王女の意を解するのに、時間は必要ありませんでした。
もう一度目を合わせた王女の瞳は、藍玉のように澄み渡り真っ直ぐに少年を見つめていました。
「her highness」
少年は、最上級の敬称で王女に応え、ひざまずくと頭を垂れました。
それまで聞こえていた鳥の声がいつのまにか静まり、空気が凛と張り詰めていきます。
「彼の者を騎士と任じます。いついかなるときも、勇気と誇りを胸に、正義の守護者たらんことを」
王女は騎士叙任の言葉と共に、短剣の平で騎士たるべき者の両肩を軽く叩き、その上で誓いの刃をもとの持ち主の手へと戻しました。本来の重厚な儀式とは違って、一番の要所だけを抜き出した全く簡素な儀式です。
それでも少年は、心と体の奥底から熱い何かが沸き起こるのを確かに感じていました。幼い頃、父と共に騎士叙任式には何度か列席したことがありました。細かな手順や流れは記憶が薄らいでいても、その誓いの言葉だけははっきりと覚えていました。いつか自分も口にするであろうその台詞でしたが、少年にとってその時はまだずっと先のことだと今の今まで思っていました。大事に仕舞ってあったその言葉を、少年は真一文字に口を結んで面を上げ、威風堂々に告げました。
「謹んで拝命賜ります。いついかなるときも、正義の守護者として、勇気と誇りを胸に」
剣の礼を誓い、少年が短剣を鞘に収めると、王女は嬉し泣きに眼を潤ませながら彼の体を強く強く抱きしめました。少年は、王女の存在が今までどれほど自らの支えになっていたかということ、そしてこれからさらに大きな支えとなってゆくであろうことを、肌身に感じていました。併せて、今度は自分自身が王女にとっての支えになれるようにと強く願っていました。自分とまったく歳の変わらぬこの少女は、いったいどんな波乱の運命に立ち向かえば良いというのでしょう。まだ自分には何ができるかわからないけれども、自分の存在がわずかでもその力になれるのなら。
あなたと共に在りたい――。
若き騎士は、抱きしめた華奢な背中越しにもう一度誓いを込めました。
ぼくは、立派な騎士になります。
そして、いつまでも姫様をお守りします、と。
《続く》
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BPM=172
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