髪を乾かし部屋着を着てリビングに行くと、ミクがソファでテレビを見ながらポッキーを齧っていた。
撮影ではイチゴ味のほかに定番のチョコや抹茶味のも用意してあったので、余ったのをもらったのだ。今食べているのは抹茶味だ。

撮影を思い出させるようなアイテムを出すなっつってんのに……。

文句を言いたかったがいいかげん突っ込み疲れしてきたので、リンは何も言わず長いソファの隣に座った。
目はテレビに向いているが、ミクがポッキーを食む音が気になって全然内容が頭に入らない。
帰りのタクシーの時と同じように、ちらちらと横目でミクをうかがう。
ポッキーを齧っているミクを見ていると、どうしても撮影を思い出してしまう。
短くなっていくポッキー、吐息がかかるほどに近づいてくるミクの顔――。
あのまま監督の声がかからなければ……ミク先輩と……
気付かれないように、リンはぷるんとしたミクの唇を盗み見る。
黄緑色のポッキーが、ミクの唇の中に吸い込まれていく。

「リン」

ミクが突然こっちを向いたので、リンは猫のようにビクッとした。
ミクはポッキーの箱をテーブルに置くと、招くように両手を広げた。

「リン、おいで。ぎゅ~ってしてあげるから」

ミク先輩の顔でそう言うと、リンの顔がぼわ~っと赤くなった。

「いいい、いいわよ。そそ、そんな、こ、子どもじゃないんだから……」

「さっきからあたしの方ばっかり見てるじゃない。ミク先輩が抱っこしてあげるから、おいで」

「で、でも……」

思わず胸に目が行ってしまう。ミクは薄いグレーのタンクトップ一枚だ。胸のふくらみはささやかなものだが、ブラはつけていないようだ。

「我慢してると身体に毒だよ。思いっきり甘えてすっきりした方がいいよ。ルカやレンには秘密にしてあげるから」

『秘密にしてあげる』という言葉が効いたようで、リンの中で何かがぷつっと切れた。

「ミ、ミク先輩ー!」

恥じらいを捨てて飛びつくようにミクに抱きつく。胸の谷間に顔をうずめ――うずめるほどのボリュームはないが、とにかく胸に顔を摺り寄せる。
ミクはそんなリンの頭を優しく撫でてやる。母に抱かれる赤ん坊のように、リンは至福の思いを味わっていた。

ああ……ずっとこうしていたい……。

とろけるような気持ち良さに浸っていると、ミクがもそもそと身体を動かした。
何をしているのだろうと顔を上げてみると、ミクがテーブルに置いてあったポッキーを手にしていた。
中の一本を取り出す。口に咥えるとリンに向けて「ん」と突き出した。
PVの再現だが、今は監督もスタッフもいないのだから、齧り始めたら止める人はいない。それが分かっていてミクはポッキーを向けている。
胸が高鳴る。リンはちょっと恥かしそうな顔をしてから、反対側に齧りついた。
カシカシと細かな振動が唇に伝わる。細めた眼で見つめ合いながら、二人は少しずつポッキーを齧っていく。
邪魔をする者は、もう誰もいない。もうすぐ唇が触れ合う――ミクとリンは静かに眼を閉じた――。

「!?」

その時だった。うっとりとした顔で今まさにミクと口づけようとしていたリンが、アサリの味噌汁を飲んでいたら砂を噛んだような顔をした。突き飛ばすように肩を押してミクから離れる。

「きゃっ! どうしたの? リン?」

怪訝そうな顔で聞くミク。

「ミ、ミク姉! ネギ食べた!? 生で!?」

リンは手で鼻を押さえ、眉をハの字にして聞いた。

「え? ……あ、うん……お腹空いたから……で、でもちょっとだけよ、一本だけ」

掌を広げて弁解するミク。リンは、はああああああああああああああ、と2リットルくらいの溜息を吐いた。

「……あ~、覚めた覚めた……。バッチリ眼が覚めちゃったわ。夢から覚めたっていうか、憑いてたキツネが落ちたような気分だわ」

最後の「だわ」は女言葉の「だわ」ではなく大阪弁の「だわ」だった。

「ちょ、ちょっとリン、ネギくらいでそんな怒んなくてもいいじゃない。ほら、ミク先輩だよ、抱きついていいのよ」

家に帰ったらベランダに干していた布団が雨でぐっしょり濡れていたというような顔でリンはミクを無視した。十字を切って胸の前で手を組む。

「さようならミク先輩。あなたのことは忘れません。ずっと私の心の中で生きていてください。素敵な思い出をありがとう」

「ちょちょちょ! 生きてる、ミク先輩生きてるってば! ほらここよ~、リンちゃ~ん!」

懸命にミクが呼びかけても、リンはのたっとソファに身体を預け、閉じた眼を開こうとしなかった。
そうこうしているうちに玄関から物音が聞こえた。ルカとレンが帰ってきたらしい。

「ただいま。ちょっと遅くなっちゃったわ。……どうしたのリン? 変な顔して。歯が痛いの?」

リビングに入るなり変な空気を感じ取ったルカが聞いた。レンもリンの顔を見て心配そうな表情を浮かべた。

「ミク姉がネギ臭い息でキスしようとした」

ぶすっとした顔でリンがそう言うと、ルカは手にしていたバッグをドサッと床に落とした。
怒りでピンク色の髪がざわざわと逆立ち始める。ミクは狼狽した。

「ル、ルカ! 違うのよ! きょ、今日はいつもと違って百合っぽいPVだったから、ちょ、ちょっと家で再現を……あれ?」

「ミクー!! リンに手を出すなって言ってんでしょがー!!!」

ルカが飛びかかり、両手のげんこつでミクのこめかみをグリグリする。
ちなみにルカはスタイル維持のため毎日筋力トレーニングをしているので、四人の中では飛び抜けて腕力がある。

「痛いー!! 痛い痛い痛いー!!!」

マウントしたルカに頭をグリグリされ、ミクの叫び声が部屋中に響きわたる。
リンは我関せずといった感じで、普通に立ち上がり普通に歩いて自室に引っ込んだ。
ひとりポツンと取り残されたレンは、ルカの怒りがしばらく収まりそうにないので、とりあえず風呂に入ることにした。
その後ミクはルカに腕ひしぎ逆十字と四の字固めをかけられ、十分間にわたって叫び声を上げ続けた。

     ☆

色々と波乱のあった百合PVの撮影から三週間後、ミク、ルカ、リン、レンの四人はミクの部屋に集まっていた。
「sweet-sour distance」のPVがゲーム発売前にプロモーションとしてニコニコ動画で期間限定配信されるのだ。
曲自体も初めて公開されるので、ファンの間では期待が高まっている。

「どんな風に編集されてるのかな……。ドキドキする……」とリン。

「何心配してんのよ、リンの演技バッチリだったじゃない。きっと素敵なPVになってるよ」

ミクが笑ってリンの背中を叩く。レンがパソコンを操作して、動画を読み込んでいる。
みんながよく見えるように画面を大きくする。コメントは邪魔なので横のフレームで自動スクロールするようにした。

「それじゃいくよ。ポチッとな」

十四歳のくせにタイムボカンの掛け声でレンは動画を再生した。
イントロでロケ先の音楽室や教室の様子が映される。歌が始まるとミクとリンのダンスシーンだ。
二人の可愛らしいダンスを、凝ったカメラワークがセンス良く切り取っている。
横のフレームではPVの出来を絶賛するコメントが上向きの滝のように流れていた。
ルカとレンは感心して見ているが、ミクとリンはちょっと怪訝な表情をしている。

「……ミク姉、あたしたち、こんな甘めの声で歌ってた……?」

「……音質をソフトに調整して、エコーかけてるわね。それでそういう風に聞こえるのよ」

「……編曲もちょっと変わってる……よね?」

「……そうね……ギターが抑え目になって、電子音のくすぐったいような音が追加されてる……?」

「何ていうか……耽美な感じ……」

「そう! 耽美だよね! エッチっぽさが増してるっていうか……」

内容が百合ということで、いくらか曲がアレンジされているようだ。元を知らないルカとレンは気にせず楽しんでいる。
ダンスシーンが終わり、曲調が少し穏やかになる。
ミクがフルートを吹いている。憧れのミク先輩を遠くから見つめるリン。

「うわ、リン演技うま。目にハートマーク浮かんでるじゃん」

レンが感心して感想をもらす。

夕暮れの音楽室。ピアノの上のフルートを見つけたリン。躊躇いがちにそれを手に取る。

この辺りから四人ともピタリと話すのをやめてしまった。親子で日曜洋画劇場を観ていたら濡れ場が始まったような気まずさだった。
画面の隣ではコメント数がうなぎ登りになり、読むこともできないような速さで流れていた。
画面上に表示していたら動画が隠れて見えなくなっていたことだろう。

リンがフルートに口づける。そのうっとりとした表情――。

ルカが思わず「うわ」と声を漏らした。
ミクはちょっと赤い顔をしているくらいだが、リンはトマトみたいに真っ赤になっていた。
レンはどう振舞ってよいか分からず、硬直して画面に見入っていた。
コメントはさらに勢いを増し、新聞の印刷みたいな速さで流れている。
速過ぎてほとんど読めないが、興奮した男達の卑猥な絶叫で埋め尽くされているのは分かる。

二回目のダンスシーン。四人は揃ってホッと息をついた。
しかし当たり前だがダンスシーンが最後まで続くわけはなく、すぐに屋上のシーンが始まった。四人は再び緊張して画面に見入る。

屋上でミク先輩に出会うリン。寄り添うように並んで座り、ポッキーを両側から齧りだす。

「……あなた達、演技じゃないみたいよ……」

ルカがボソッと言った。非常に的確な指摘だった。夢見るような顔で顔を近づけていく二人は、演技がうまいというより真正の百合っ子にしか見えなかった。

「「……」」

さすがにミクも恥かしくて顔が赤くなっている。リンはというと頭から湯気が出ていた。
レンは極力思考を停止しているようで、何も話さず無表情に画面を見つめていた。
コメントは先ほどを上回る怒涛の勢いで流れ続けている。
唇が触れる寸前で画面が切り替わり、最後のダンスシーンが始まった。四人はまた揃って溜息をついた。
コメントのスピードが少しだけ遅くなり、いくらかは読めるようになる。
リンが目をやると、『あの二人絶対あの後キスしてるよな』的な内容のコメントがいくつもあるのが見て取れた。
リンはますます恥かしくなってうつむいてしまい、画面が見れなかった。
二人が掌を合わせ見つめ合うポーズで曲は終わった。リンはうつむいたまま、ミクは手を扇代わりにして顔をパタパタと扇いでいた。

「あ~、何か顔が火照っちゃったわ。ねえリン、あたし達あんなに甘ったるい演技してたっけ?」

「ううう、言わないでよミク姉……。あたしもう恥かしくて死にそう……な、何であんな入り込んじゃったんだろ……セガに言って収録曲から抜いてもらわなきゃ……」

手で顔を覆ってリンが言った。

「この曲を外すのはあり得ないわね。すでに再生数一万超えてるわよ」

ルカが淡々と言った。三人が驚いてカウンターを見ると、確かにその通りだった。

「う、うそ!? 公開されてから二時間経ってないでしょ!?」

リンが叫ぶ。

「夜の方がもっと再生数伸びるでしょうから、ひと月以内にミリオン達成は確実ね。収録曲から外すどころか、この曲のおかげでソフトの売上げが一万本増えるわよ」

リンは頭を抱えた。

「ううう~……何であんなに気合入れちゃったんだろう……もっと手抜いときゃよかった……」

「リンの性格でそんなことできないでしょ、人一倍真面目なくせに。PVの件は気にしたってしょうがないじゃない、今さらどうなるものでもなし。わたしはそれよりも心配なことがあるんだけど」

ルカはミクとリンを交互に見た。顔が何だか怖い。

「な、何よ? ルカ姉」

「あなた達、わたしに隠れてキスとかしてない?」

リンがフリーズした。鳩が豆鉄砲食らったような顔ってこういうのを言うんだろうなとレンは思った。

「し、してないわよ!!! もう、アレはお芝居なんだから!!! ねえ、ミク姉!!!」

突然水を向けられてミクがたじろぐ。

「え!? あ、ああ、うん、してないしてない」

「何でここでうろたえるのよ!! してないでしょ、ホントに!!!」

「怪しいわね……やっぱりあんた達……」

「あーもー!!! あたしは百合っ子じゃなーい!!!!」

リンが涙目で叫ぶ。
なおも問い詰めるルカにミクはたじたじとなり、隠していることもないのにしどろもどろになって余計にルカの不信を買った。
もめている三人をよそに、あまりこの話題に関わりたくないレンはニコニコ動画でグミの新曲を再生して聞いていた。

ともあれ平和なボカロ家である。



     おわり

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ミク×リン百合ソング「sweet-sour distance」【後編】

ミクとリンの百合なお話です。

閲覧数:693

投稿日:2011/11/15 01:59:01

文字数:5,247文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました