獅子の花
午後三時を伝える教会の鐘。定刻を知らせるに過ぎない音だが、墓地では鎮魂の音色として響く。
歴代の王族の墓が並ぶ場所を通り過ぎ、アレンとリリィは墓地の片隅へ向かう。リンと近衛兵隊は眠っているのは、まるで他の墓から追いやられたような一角である。周りと比べて明らかに手入れがされていない、落ち葉に覆われた道を二人は歩く。
トニオ。アル。メイト。ルキ。グミヤ。テッド。六人の墓が二列に分かれて並び、彼らの奥にレン王子の墓は立っている。王子と近衛兵隊を同じ場所に葬り、墓を造ったのはメイコの計らいである事を、アレンとリリィは以前テトに教えられていた。
リンベルは革命時に逃亡したが行方不明。生死も分からない。テトにはそう説明している。
「やっぱり妙な気分だよ」
王子の墓を前にアレンは呟く。自分の墓参りをするなんて笑えない冗談だが、レン・ルシヴァニアは四年前に死んだ。『悪ノ王子』は処刑され、自分はもう王子ではなく別の人間なのだから。
リンも同じ気持ちだったのだろうか。黄の国王女は大人達の勝手で殺されて、姉の名を刻んだ墓は空っぽのままだ。本物の『悪ノ王子』は生きているのに、王子の墓には双子の姉が眠っている。
行き掛けに購入した花束を供え、アレンとリリィは祈りを捧げる。リンと近衛兵隊の墓参りは王都に来た際に必ず行っている。町の様子も気になるが、この儀式の為に足を運んでいるようなものだ。
「……リンは、幸せだったのかな」
アレンは組んでいた手を下して呟く。歯車がほんの少しだけ違えば、姉弟の立場は逆になっていた。リンは王女として生きられた。弟を憎んで当然なのに、恨む所か身代わりになってまで弟を守った。
自責の念に苛まれるアレンに、リリィはきっぱりと告げる。
「幸せだったかは分からないけど、きっと後悔してないよ」
「何で言い切れるんだ」
根拠があるのか。アレンは非難と疑問が混ざった目を送る。リンの弟としては、他人のリリィに何が理解出来ると若干不服だった。直後にこんな事で機嫌を悪くした自分は子どもだと反省する。尤も、東側の法的にはまだ成人ではないが。
気分を害した様子も見せず、リリィは笑いながら答えた。
「女の勘で」
呆気に取られる返答。アレンは口を半開きにしてリリィを見据えた。ふざけるなと怒って良いのかもしれないが、頭から否定してはいけないような妙な説得力を感じる。彼女は嘘を言っていなさそうだ。
「……そっか」
同性だから分かる事もあるのだろう。適当に納得付けたアレンは、リリィの言葉に頷いた。そもそも、男の自分に女の勘など理解出来る訳が無い。
住人の反対があったのか、王子と近衛兵隊の墓は墓地の外れに位置している。多くの雑草が生えた緑一色の中、黄色と白の小さな花が咲いていた。
リンの墓石に寄り添って伸びる花に目を落とし、アレンはふっと笑いを漏らす。
「蒲公英か」
「えっ」
怪訝な顔をしたリリィに思い出を話す。
「いや……。昔、リンと花の好みでちょっと話してさ」
アレンが言う『昔』とは、彼が王子でいた頃の話だ。リリィと二人きりでいる時、王宮時代の事を口にする事は多い。
「蒲公英が好きだって言ったら変な顔されたよ」
「あー……、思い出した。リンに惚気られた事あったわ」
記憶を掘り起こされ、リリィは脱力した口調で返す。何気なく髪をかき上げた後、不意にアレンのぼさぼさ頭を見つめた。蒲公英色の髪と黒いリボンが目に映る。
「ねえ、アレン。蒲公英の別名って知ってる?」
「いいや」
アレンは首を横に振る。別の名前がある事自体が初耳だ。緑の国に伝わっている言葉なのかもしれない。
リリィも同じ考えだったらしく、そう、と返された。
「もしかしたら西側か、あたしが住んでた所だけかな」
大した問題じゃないとリリィは呟く。勿体ぶる彼女に焦れてしまい、苛立ったアレンは答えを急かした。
「一体何なんだよ」
「まあまあ落ち着いて。せっかちは損だよ?」
おどけたリリィがやんわりと宥める。合わせるように静かな風が吹き、二人の髪と蒲公英を揺らした。綿毛が一本宙に舞い、ふわりとどこかへ飛んでいく。
咳払いをしたリリィは微笑むと、ようやく蒲公英の別名を告げた。
「ダンデライオン」
アレンは目を見開く。ライオン。つまりは獅子だ。嫌っている異名と同じとは一体何の偶然だろう。
「傲慢の獅子が嫌なら、ダンデライオンって思えば良いじゃん。髪の色も一緒だし」
「好き勝手言ってくれるな。お前は」
思わず苦笑する。異なる価値観と物の捉え方をするリリィに気付きを与えられ、救われた事は数え切れない。彼女がいなければ、自分は無力さを嘆くだけで終わっていた。
自由に綿毛を飛ばし、地に落ちれば苛酷な環境でも逞しく伸びる花。そんな蒲公英を連想するのなら。
「悪く無い、かな。金獅子って呼ばれるのも」
満更でもない表情を浮かべ、アレンは目を伏せる。穏やかな顔から悲愴の色は微塵も感じられない。彼が自身の異名を好意的に受け止めるのは初めてだった。
突然、背後から足音がした。落ち葉を踏み締める音を聞き逃さず、佇んでいたアレンとリリィは振り返る。レン王子と近衛兵隊の墓に近付くのは誰かと、警戒心を持って身構えた。
花束を手に迫る人の姿を目に入れ、アレンは自然と背筋を伸ばす。姿勢を正す必要はないはずなのだが、条件反射で気を引き締めてしまう。最後にちゃんと会ったのは十年も前で、相手はもう師弟とは思っていないだろうが、何年経っても気分は弟子のままらしい。
「メイコ・アヴァトニー……」
リリィが眉を寄せて進み出る。剣呑な雰囲気を察したアレンが口を開くより早く、彼女は黄の国元首に食って掛かった。
「王子を殺して成り上がった奴が、ここに何の用なの?」
「おいリリィ」
「言わせてよ、アレン」
肩に乗せた手を跳ね付けられたアレンは、喧嘩腰な態度のリリィに戸惑いを覚えた。確かにメイコは革命で王子を、正確には入れ替わったリンを処刑した人間である。その功績と支持で国家元首になったのも事実だ。
しかし、アレンにとっては尊敬する師匠だった事。反乱を起こした事を憎んではいない事を知っているはず。リリィもメイコを恨んでいる様子は無かったから、心配はいらないと思っていたのに。
道を塞ぐ二人の手前で立ち止まり、メイコは花束を示す。
「主君の墓参りですよ。……通して貰えますか」
「贖罪のつもり? それであたしが許すとでも?」
「何を苛ついているんだ。お前は」
アレンは再びリリィの肩に手を乗せ、やけに突っ掛かる彼女に囁く。先程から少々おかしい。あるいは自分が気付いていなかっただけで、リリィはメイコを憎んでいるのか。
「私は王子を裏切り、黄の国を滅ぼしました。貴女方には復讐する権利も正当性もある」
仇を討ちたいのなら構わない。メイコは冷静に告げる。彼女は腰に剣を提げているが、護衛はおらず一人だ。アレンとリリィの二人掛かりならメイコが勝てる見込みは低い。実力を把握した上での発言だった。
アレンの身に緊張が走る。黄の国の革命はもう終わった。水に流すのは無理でも、憎しみに任せて争っちゃいけない。もしリリィが戦う気なら絶対に止めてみせる。
「どっかのお姫様みたいに嫌わせてくれないんだね。腹立つわ」
一転した軽い口調を聞き、覚悟を決めていたアレンが拍子抜けする。リリィはあっさり道を開けると、驚きで立ち尽くすアレンに声をかけた。
「そこ退きなよ。邪魔でしょ」
後ろ髪を引っ張られたアレンは我に返る。とりあえず言われるがまま移動し、目の前を通るメイコに会釈した。髪を掴まれた状態で。
「さっきから何なんだ」
意味が分からない。手を放されたアレンは痛む首筋を摩りながら訊ねた。喧嘩を売ったかと思えば急に態度を変えるわ、いきなりこっちに文句を付けるわ。リリィは何をしたいのか。
「大丈夫。怒りには飲まれない」
「はあ? 今度は何だよ」
「アレンが悩む必要は無いって事。……ちょっと試させて貰ったんだよ。英雄さんが驕っていないかをね」
声を潜めて話し合う。要するに、リリィはメイコを見定めたかったらしい。革命に何を思っていたのか、平和の為に王子を犠牲にした事を認めるかを。リリィは母国に裏切られて家族を殺され、正義の標榜に利用された過去がある。だからメイコを確かめずにはいられなかったのかもしれない。
王子の墓に花を供えるメイコから注意を逸らさず、リリィは小声で問いかけた。
「気付いた?」
短い一言。アレンには充分意味が伝わっていた。互いにだけ聞こえる声で返す。
「ああ。俺を疑ってる」
貴女方には仇打ちをする権利がある。メイコはそう言った。革命時に戦ったリリィだけでなく、初対面のアレンも含まれている。彼が王宮の関係者である事を知らなければ出ない発言だ。
「どうする?」
アレンを本物の『悪ノ王子』だと勘繰っている。ここでメイコを倒した方が安全ではないか。リリィの意図を汲み取り、アレンは小さく首を振った。
「戦う気は無いよ。やっぱ俺にとって先生は先生なんだ」
十年離れていても、国を滅ぼされても尚メイコを信じるアレンに、リリィは口を尖らせた。
「お人よし」
呆れられはしたが、彼女も納得してくれた。リリィとの付き合いは長い。ちゃんと意思が伝わっていると胸を撫で下ろし、アレンは吐息を漏らす。
「悪いな。いつも我が儘聞いてもらって」
王子の頃から自分の勝手に巻き込んでばかりだ。リリィの寛容さが身に沁みる。
祈りを終えたメイコが立ち上がり、ゆったりと歩いてアレンとリリィに近寄った。そのまま立ち去るだろうと眺めていた二人の前で足を止め、アレンへ微笑みかける。
「大きくなられましたね。レン王子」
「なっ」
アレンは息を呑み、動揺を隠せずにメイコを見据える。まさか、始めからばれていたのか。自分が本物の『悪ノ王子』である事も、四年前に処刑したのは双子の姉であった事も。
「革命の際、リン王女から全て聞きました。秘密は墓まで持って行きます」
公にしないと断言され、アレンは肩の力を抜いた。安堵する彼を横目にリリィが口を開く。
「他に知ってるのは?」
「緑の王族兄妹だけです。ご心配なく、『王子』の遺志を尊重すると三人で誓いました」
「……信じて、良いのね?」
リリィの声色からは、不審が拭い切れない事が窺えた。アレンは彼女の肩を抱き寄せる。
「俺が傍にいる。大丈夫だ」
独りじゃない。それはアレンが自身に向けて言った言葉でもあった。不安を感じている時に誰かが傍にいてくれるのは、それだけで心強いものなのだ。
身を寄せ合っていた二人が離れる。それを見計らい、メイコはアレンへ声をかけた。
「リン王女から遺言を預かっています。貴方に会ったら伝えて欲しいと頼まれていました」
リンの名前を呼び、王女の存在を無かったものとして扱わないメイコに感謝しつつ、アレンは胸が塞がるのを自覚する。遺言。姉はこの世にいないのだと再認識させられた。
「姉様は、何て?」
聞くのは怖かった。リンは俺を恨んでいるんじゃないか。弟の身代わりになった事を本当に後悔していなかったのか。
心して返事を待つアレンに、メイコはリンの遺言を一言一句全て伝えた。
「『もしも生まれ変われるのなら、その時はまた遊んでね』」
鋭く息が鳴る。呼吸を止めた瞬間に涙が溢れた。熱い雫が頬を伝って行く。リンは最後まで俺を愛してくれていた。さよならは言わないで、また一緒にいられたらと願っていた。
なのに、どうして弟を恨んでいると考えた。何で俺は姉を信じられなかった。
リリィとメイコは滂沱するアレンを見守っている。やがて彼は短時間で充血した目を腕で擦り、涙を止めて笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。メイコ先生」
十年振りに、彼女の弟子として頭を下げた。
「ああ、そうだ。緑の国王から伝言がありますよ」
ふと思い出したようにメイコが言う。西側の王が一介の旅人に伝言があるとは奇妙である。事実身に覚えが無いアレンは首を傾げた。
「クオが? ……俺、緑の国でまずい事やらかしました?」
今では弁えるべき立場なのは承知の上だが、クオは事情を知っている。それに周りにはリリィとメイコしかいない。昔と同じでも構わないだろうと、アレンは隣国の若き王を呼び捨てにする。
王の耳に入る程の事を仕出かしたか。アレンが半信半疑で自身を指差し、メイコは苦笑いを見せた。
「『西側であまり暴れないでくれ。事後処理が大変なんだ』」
アレンとリリィは与り知らないが、クオは二人が旅をしやすいように水面下で動いていた。同様に、メイコも極力手を回している。
緑の国で活動しているのはむしろリリィの方だ。アレンは多少の理不尽を覚えながら、恩に着ます、と密かな支援を受けていた礼を呟き、メイコに伝言を頼む。
「『当分行かないから安心しろ。良い嫁貰え』って伝えて下さい」
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