朝独特の喧騒と、どこか慌ただしい空気の立ち込めるホーム。そこに電車が滑り込んで来る。
扉が開くと同時に、ただでさえ窮屈な車内に、次々と人が吸い込まれていく。
明らかにキャパオーバー。なのに、諦めずに無理矢理入ろうとする奴は一人や二人必ずいるわけで、俺の(不本意だが)小さな体は周りの大人達に容赦なく押し潰される。…マジ勘弁。
この小さな箱の中には、今一体どれだけの人間が詰め込まれているのだろうか。不測の事態で電車が横転でもしたら、死因は間違いなく「窒息死」だろう。
通勤サラリーマンと学生で溢れかえる、朝の電車。オフィス街や学校が沿線に多くある関係で、朝夕はとにかく混む。俺の通う高校も、その中の一つだ。
正直満員電車は得意ではないので、出来るだけこの時間帯は避けたい。
何本か前の電車を利用すれば少しはマシになるのだが、残念ながら俺は早起きは得意ではない。
そしてそれ以上に、どうしてもこの電車を逃すわけにはいかない理由があった。
大きな体に挟まれながら電車に揺られること十数分。オフィスビル群の最寄り駅に着くと、サラリーマンの団体が電車から降りて行き、かわりに車内には数人の乗客と、新鮮な空気が入ってくる。酸素マジうめぇ。
そこから1駅。乗り降りする客も殆といないようなその小さな駅に電車が止まり、ドアが開く。
「あ…」
そして、そこから乗り込む小柄な少女。
肩までの短い髪に黒縁の眼鏡、手には…文庫本だろうか。白いリボンのついたカチューシャは彼女のお気に入りなのだろう、見たところ毎日身につけているようだ。金色の髪は俺と同じ色なのに、全く別物のように、朝の日差しに輝いている。
2ヶ月ほど前に偶然同じ車両に乗り合わせたのだが、満員電車に疲れ果てた俺の目に、その姿はまさに砂漠の中のオアシスのように映った。
……まぁ、いわゆる「一目惚れ」ってやつです、はい。
制服を見たところ、彼女はこの沿線にある女子校の生徒らしい、という事がわかった。
女子校といっても、いわゆる「お嬢様校」ではなく、ガツガツ勉強するような奴らが集まる進学校。
その真面目そうな表情とどこか近寄りがたい空気に、すっかり目が離せなくなってしまった、というわけだ。
以来、俺は電車に乗る度に彼女の姿を目で探すようになった。
とはいえ、通勤・通学ラッシュの時間帯にたった一人の少女を探し当てるのは、そう簡単なことではない。
電車の時間や乗る車両をいろいろ変えてみたものの、当初はなかなか会うことが出来なかった。
だが、幸運にも2週間ほどたったある日、再び彼女の姿を見つけることができた。
その日を皮切りに、偶然を装い、こっそりと彼女の通学時間に合わせて電車に乗るようになったというわけだ。
朝の7時43分発。今日も、彼女はこの6号車に乗りこんできた。
――彼女に会うため。それこそが、窮屈で息苦しい満員電車に我慢してでも乗る理由だ。
これだけ思いを募らせているというのに、実は未だ彼女の名前すら知らない。
……そう。情けないことに、俺はこの2ヶ月、何のアプローチも出来ずにいたのだ。
彼女が電車に乗ってから降りるまでは3駅。俺の高校は、そこから更に2駅。つまり、一緒にいられるのはこの3駅間のみというわけだ。
もちろん、今までチャンスが1度もなかったわけではない。彼女がすぐ隣に立ったことすらあった。
ただ、話しかけるきっかけがうまく掴めなかったというか…まぁ、正直にいうと、怖じけづいたのだ。
……もうヘタレとでも何とでも呼びやがれ。
そんなことを考えてるうちに、電車は無情にも彼女が降りる駅へと到着。
…結局今日も見てることしか出来なかった。ちくしょう。
こちらの存在なんかこれっぽっちも意に介さず、さっさと出口に向かってしまう彼女の背中を恨めしく眺めていると。
「…ん?」
彼女の制服のポケットから、何かが落ちた。形からして定期入れだろうか。
これは…チャンスかもしれない。
自分の降車駅はまだ先だが、俺は迷わずそれを拾い上げ、彼女の後を追って電車を飛び降りた。
ホームに降り立ち辺りを見回すと、彼女の姿は容易に見つけだすことが出来た。
ここでチャンスを逃すわけにはいかない。恐れず立ち向かえ鏡音レン!
「ちょっと、君……!」
裏返りそうになる声で呼びかけると、黄色い頭がこちらを振り向く。あ、初めて目が合った。
「これ、さっき落としたよ。君のだろ?」
いきなり知らない人間に呼び止められたからか、警戒するような目を向けられ、慌ててそう取り繕う。
差し出された定期入れをしばらく見つめ、彼女は自分のポケットに手を入れた。そしてそこで初めて、定期を落とした事に気がついたようだ。
「……ありがとう」
初めて聞いた彼女の声は、耳に心地好かった。どこかぶっきらぼうなのも可愛い。
ていうか今俺彼女と向かい合って話してるよ!これ大進歩じゃね…!?あわよくばこれをきっかけに二人の距離が急接近しちゃったりなんて…
「あの…」
「へ?」
独り歩きしていた思考を強制的に呼び戻され、視線を下げると、そこにはまるで不審なものでも見るような彼女の顔があった。
「定期。そろそろ離してくれない?」
「え…あ!ごめん!!」
かけられた言葉に慌てて手を離す。うわ、まずい。これじゃ俺本当に不審者みたいじゃん。
受け取った定期入れをポケットに収めると、彼女は観察でもするような目でまじまじと俺を見る。
「…その制服。あなた、この先の高校の子でしょ。なんで途中で降りてまでして、私にこれを届けたの?」
「なんでって…」
あれ、もしかして気持ち悪がられてる?やっぱりいきなり声をかけるのはマズかったかなぁ……。
でも、面と向かって話せるチャンスなんて、次いつ訪れるかわからないのだし、ここまで来たのなら、自分の気持ちも伝えてしまおう。当たって砕けろだ!!
「これが無いと君は困るだろ?落としたところを見たのに、知らんぷりするのも気が引けるし…。それに」
そこでいったん言葉を区切り、ゆっくりと息を吸う。
「同じ車両で君のことよく見かけるけど、ずっと気になっていて。だから、一度ちゃんと話をしてみたいなって…!!」
頭の中はごちゃごちゃで、自分が何を言ってるかなんてわからない。
たったこれだけの事を伝えるのに心臓はバクバク、顔は血が上って多分真っ赤だ。
こんな姿同じ学校の奴らなんかに見られたくない。いやむしろ見られたら死んだ方がマシだ。
恐る恐る彼女の顔を見ると、彼女は真っ青な瞳を丸くしていて………そして、次第にその眉間にシワが寄りはじめる。
「……バッカじゃないの?」
小さくつぶやかれた言葉の意味を理解するよりも先に、彼女は後ろを向き、改札口へと消えてしまった。
「あっ!…あぁ~……」
これって俗にいう「失恋」ってやつなのだろうか?あまりの反応に、涙すら出てこない。
背後で後から来た電車のドアが閉まる音が聞こえる。…こりゃ今日は遅刻かもしれない。
「…せめて名前くらいは聞きたかったなぁ……」
つぶやいた言葉は、走り出した電車の音に掻き消され、誰の耳にも届かない。彼女のみならず、電車にまで取り残された俺は、暫くの間無言でホームに立ち尽くしていた。
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ご意見・ご感想
日枝学
ご意見・ご感想
読みました! 良い雰囲気出てますね。読んでいて、その光景が本当に目の前で繰り広げられているような、そういう印象を受けました。レンの心情描写に共感! 良いですね、心情描写。良かったです!
2011/08/20 19:59:50
草月
コメントありがとうございます!心理描写や会話はなるべく生き生きとするように心がけているので、そう言っていただけてうれしいです(´∀`*)続きものなので、よろしかったらこの後もお付き合いいただけると嬉しいです^^
2011/08/20 22:42:07