UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その25「悲劇の始まり」
テッドはミクから侵入者が写真を撮って立ち去ったことを知らされていた。
テッドの視界に、家に続く側道の入口が見えてきた。
そこから乗用車が飛び出して、鋭角な交差点をターンして遠ざかろうとしていた。
〔あれが、『敵』か!〕
そう認識してテッドは胸と頭が同時に熱くなった。
「ルナさん、…」
「わかってる、ボーイ」
真剣な眼差しでルナは前を見据えていた。
「今、すぐ、決めて」
〔追うか、戻るか〕
そのとき、テッドはテトの声を思い出した。
〔無茶はダメだよ〕
テッドはいくらか冷静になれた気がした。
「戻ります」
「オッケー、ボーイ、ターンしたらすぐに飛び出して! あと、舌、噛まないでよ!」
側道の手前で、ルナは急ブレーキをかけると、サイドブレーキも引き上げた。次いでブレーキを放し、アクセルを軽く踏む。
盛大なブレーキ音とともに、乗っていた車は百八十度向きを変えた。
止まった瞬間に、テッドはベルトを外し、ドアを開けながら外へ転がり出た。
「グッドラック、…」
再びアクセルを踏み込んで、豪快な空吹かし音を残して、ルナの操る乗用車が急発進 した。
ルナの最後の言葉が聞き取れなかった。聞こえてはいたが、聞き間違えだと、この時のテッドはそう思った。
〔最後、sir(サー)って言ったのか?〕
テッドは立ち上がって、転びそうになりながら、家に向かって坂を駆け降りた。
パトカーはルナの車を追って測道の前を通り過ぎた。
遠ざかるサイレンの音はテッドの耳には残っていなかった。
まだ、水平線には夕焼けの痕跡が残っていた。
半分以上の空が暗くなった状態で、さらに暗くなった家の玄関を見て、テッドは愕然とした。
ドアは斧のようなもので打ち砕かれ、それを保護するシャッターもバールかジャッキのようなものでこじ開けられ、大きく曲がっていた。
玄関に入ったテッドは大声を上げた。
「みんな! 無事か?」
テッドは下駄箱の上のモニターに目をやった。
電源ランプは点いていなかった。
〔くっ〕
テッドは下駄箱の中からマグライトを取り出した。
スイッチを入れると突き刺すような光が、玄関の惨状を露わにした。
複数の足跡が土足で踏み入れた事を物語っていた。
廊下に掛けられた板の上を慎重に進み、テッドは無残に破壊された台所の扉の前に立った。
中を覗くと、冷蔵庫が扉を塞いでいた。
奥のテーブルの下に、ミクの足が見えた。
「おい、ミク!」
だが、返事はなかった。
〔まだ、プログラムを修正してなかったからなあ。電池が尽きたか〕
テッドはリビングに入った。
暗くなった部屋の明かりはどんなにスイッチを操作しても点かなかった。
テッドはリビング中央のソファの前に立って、クッションを取り除いた。さらに背もたれと座席のすき間に手を入れ、中にあったひもを引っ張った。
座席部分が手前に引かれ、ぽっかりと大きな穴が開いた。
マグライトで中を照らすと、狭い階段が現れた。
テッドはマグライトを口にくわえると慎重に中に入って行った。
降りた先には、小さなドアがあり、そこに付いているテンキーを押すと、ドアのロックが解除された。
ドアを開け中に入るとひんやりした空気がなだれ落ちるようにテッドの体を取り巻いた。
入ってすぐ脇にあるスイッチを入れると真っ暗な部屋の明かりが点った。
中は20畳ほどの広さを持つ部屋で、床の上にパソコンサーバーが10台、モニターを上に載せる形で並べられていた。
奥の壁に、エアコンと、バッテリーが並んでいた。
「みんな、無事か?」
八つのモニターが同時に輝きだした。
それぞれのモニターにキャラクターが一人ずつ映し出されていた。
「はい、マスター!」
全員、ほっとした表情を見せていた。
「ミク、電気は、どうなってる?」
「はい」
ミクは、笑顔で答えながら、片手で目尻を拭う動作を加えた。
「現在、潮力発電の出力は、三千ワットアワー、プラスマイナス千百。他は全て切り離されてます」
〔この部屋を維持するだけで精一杯か…〕
「ルカ、他のライフラインは?」
「ガス、水道は、無事です。しかし、電気がないため、通常通りの生活は望めません」
「分かった。ありがとう」
テッドは頭の中で、電気なしで何日暮らせるか計算した。
〔この暑さじゃ、一日でも無理だろうなあ。あ、冷蔵庫の中身も〕
その時、テッドのスマートフォンの呼び出し音が鳴った。
テトからだった。
テッドはすぐに出た。
「はい。テッドです」
電話の向こうはいつものテトの声だった。
「どう、調子は?」
〔何をのんきな〕
と思ったがテッドははっと気付いた。
「こっちは電気が使えないだけだけど、彼女は? 桃さんは、大丈夫?」
電話の向こうのテトの息遣いが聞こえた。ほうっと安心したような優しい吐息だった。
「大丈夫だよ。ちょっと薬を嗅がされただけだよ」
テッドはテトの語尾に微妙な倦怠感を感じ取った。
「テト姉」
「なあに?」
「ひょっとして、落ち込んでる?」
電話の向こうで、テトがふっと薄く笑ったような気がした。
「そんなことはないよ。ま、怒りは収まらないけどね」
「はは、テト姉を怒らせるなんて、馬鹿な連中だ」
「そ、だ、ね」
今度は、テトはクスッと声に出して笑った。
「テッド君、電気屋さんは押さえてあるから、明日の夕方には電気は使えるよ」
「あ、ああ、ありがとう」
「なに、言ってるの。迷惑、掛けたのは、こっちなんだから」
少し、間があった。テッドもテトも言葉を探している風だった。
「今晩は…」
二人が同時に発したのは同じ言葉だった。
思わず二人の口から笑いが洩れた。
「テッド君、どうぞ」
「ああ。俺は、地下室で寝るけど、テト姉は、どうする?」
「わたしは、今晩は、彼女のそばに付いて、病院に泊るよ」
「そう。彼女は?」
「今は、ぐっすり眠ってる」
「そう。じゃ、おれも、ご飯食べたら、寝るよ」
「じゃ、おやすみ。また、明日ね」
「おやすみ。また、明日」
テッドは電話を切ると、少し名残惜しそうにスマートフォンの画面を見つめたあと、毛布を取りに上へ昇った。
電話を切ったテトは、一人、街路灯以外何もない道路の脇に立っていた。
「ホント、莫迦な連中…」
テトは遠くから近付いてくる車のヘッドライトを、赤い瞳で見つめていた。
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