金の双獣

「……ちゃん! 兄ちゃん!」
 まどろみの中で声をかけられ、青年は目を覚ました。寝ぼけた頭を掻きながら体を起こし、荷馬車に乗せて貰っていたのを思い出す。野盗から馬をくすねて、もとい拝借した事も。
 御者台へ振り返ると、穏やかに笑っている男性が見えた。彼の向こう側には開かれた門。目的地に到着したのだ。
 青年は荷台から降りて大きく伸びをする。両腕を下ろして荷物を取ろうとした時、歩み寄って来た男性に話しかけられた。
「ありがとうな。兄ちゃんがいなかったらどうなっていたか」
お陰で助かったと、男性は礼を言って頭を下げる。青年にとっては大それた事をしたつもりはなく、しきりに感謝されると照れ臭い。
「帰り、気を付けてくれよ」
 頬を赤らめた青年は淡々とした口調で答え、あんなのは日常茶飯事だと話す。旅をしていると賊に襲われるのは珍しくない。数年前に比べて減ったとはいえ、野盗がいなくなった訳ではないのだ。
 青年が荷物を担いだのを見て取り、男性は再度礼を言ってから王都へ入って行く。馬車と馬を引く彼を見送ってから、青年は王都に足を踏み入れた。
 あいつ、どこにいんのかなぁ……。
 彼女とは王都で会う約束はしているものの、細かな場所を決めていない。宿や酒場を片っ端から当たればいずれ見つかるが、手間も時間もかかって面倒臭い。それに彼女はいつも知り合いに顔を見せて伝言を頼んでいる。
 まずはそこへ行った方が確実だ。青年は昔から世話になっていた場所、小麦問屋へ向けて歩き出した。

「何だぁ? もう一度言ってみろ!」
 食堂と酒場を兼ねた店で怒声が上がり、客の視線が座席の一角に集まる。
「酌すら出来ねぇってのか!? ああ!?」
 注目を浴びたのは人相が悪い太った男と痩せた男。人々は男達に絡まれた相手に気の毒な目を送るも、誰もが見ているだけで動かない。
「あんたら三下の相手なんかしたくないって言ってんの」
 臆さず言い返したのは、長く艶やかな金髪を持つ女性。脇には棒が立てかけられている。旅装束の彼女は度数の低い酒を口にすると、男達へ鬱陶しそうに手を振った。
「待ち人がいるんで、とっとと帰って貰えます?」
 にべもない返事を貰い、太った男は青筋を立てる。次に出る行動を察した女性は、冷静にグラスを置いて耳を塞いだ。直後に大声が轟く。
「このアマぁ! 下手に出てりゃあ付け上がりやがって!」
 横柄な態度しか見た覚えは無い。矛盾極まる発言に呆れながら、女性は耳から手を離した。
「俺達はお前ら下々の為に戦った元革命軍兵士だ」
 痩せ男の発言に店内がざわめく。国民を圧政から救った英雄メイコ・アヴァトニー。彼女が率いていた革命軍は、仲間を粛清されながらも悪ノ王子を打ち倒した。その武勇伝は大陸のみならず、海の向こう、青の国にまで伝わっている。
 黄の国の人間にとって傅く存在。しかし女性に言いがかりを付ける様は、弱者を虐げるごろつきと何も変わらなかった。当事者以外の客は非難の色を浮かべたが、逆らう恐怖に口を噤む。
 女性は周囲の人々を見渡す。力を持つ者に歯向かうには勇気がいる。戦えない者なら尚更だ。傍観者の彼らを責める気はない。
 相手が本物でも偽物でも答えは同じである。女性はグラスに手を伸ばしつつ、にやけた表情をする男達へきっぱりと告げた。
「あたし革命軍嫌いなの。うるさい勘違い男もね」
 明白な拒絶。完膚なきまで袖にされた男達を憐れむ客はいない。ひそひそとした笑い声、あるいは小馬鹿にした会話があちこちのテーブルから生まれる。尊大な男達に不愉快を覚えていた客は胸がすく思いだった。
「こんな事をしてただで済むと思うなよ」
 痩せ男が脅しをかけるが、女性は全く意に介さない。毅然とした相手にますます苛立ち、太った男が指を鳴らす。
 一触即発になったその時、店の扉が外から開かれた。現れたのは右腰に剣を提げた青年。奥で揉めている女性と同じく金髪だが、彼女の菜の花色よりも若干色合いが強い蒲公英色で、黒のリボンで纏めた髪を背中に垂らしている。ぼさぼさ頭に旅装束、手に持った鞄と、一目で旅人と分かる風貌だった。先刻王都に到着した彼である。
 間が悪い青年に、騒ぎを見物していた客が静かにざわつく。剣呑な雰囲気を察して出て行くかと思ったが、彼は店内を軽く見回した後、よりによって騒ぎの中心へ進んで行った。
 青年が近付いて来るのに気付き、女性は男達を無視して目を向ける。青年は軽く手を上げて答え、テーブルの傍で足を止めた。男達の視線を受け流して声をかける。
「息災みたいだな」
 久し振り、と女性が言葉を返す。
「そっちこそ。噂が結構耳に入るよ」
 先程まで無愛想な反応をしていた彼女だが、青年を見た途端に表情が朗らかになっている。
「派手に活躍してるみたいじゃない? 手柄を取られるって落ち込んでる兵士もいるみたいだし」
「人の事言えるのか? テトさんから聞いたぞ。悪徳商人の護衛依頼を蹴って逆恨みされて、そいつらぶちのめして役人に突き出したんだろ?」
「それは正当防衛のついでだっつの。あんただって山賊盗賊野盗相手に暴れ回ってるでしょ? 少しは手加減しなさいよ」
 会話に華を咲かせる青年と女性に対し、すっかり蚊帳の外にされた男達が叫んだ。
「おいこら! 俺達を忘れるんじゃねぇ!」
「てめぇ一体何モンだ! いきなり出てきやがって!」
 矛先を向けられた青年は仕方なさそうに男達を一瞥し、無関心を隠さずに女性へ訊ねる。
「……で、リリィ。こいつら誰?」
「元革命軍兵士だって言うチンピラその一とその二」
 リリィと呼ばれた女性と青年の会話を耳に入れ、男達はびくりと硬直する。自分達が難癖を付けていた相手の名を知っていたからだった。
「リリィだと……。まさか!?」
 痩せ男が割り込んだ青年を指差す。言葉に詰まった小男に代わり、太った男が冷や汗を流して告げた。
「金獅子アレンに! 金狼リリィか!?」
 まるで化け物に会ったような扱いである。リリィは無言で肩をすくめ、アレンは溜息を吐いて呟く。
「そう呼ばれるのは好きじゃないんだがな……」
 流れの剣士アレンと、棍使いリリィ。国や権力とは無縁の旅人でありながら、凄腕として名高い二人組である。
 男達は完全に威勢が萎えていた。猛々しい獣の異名を持つアレンとリリィに恐れを抱き、誤魔化し笑いを浮かべて遠ざかる。
 そそくさと逃げる男達へ向け、アレンは低く凄みのある声で言った。
「二度と革命軍を名乗るんじゃねぇぞ」
 また似たような事をしたらどうなるか。怒りと殺気を叩き付けられた男達は、投げるように代金を支払って店から逃げ出した。彼らと共に不穏な空気も消え去り、白けていた客達が賑やかさを取り戻す。
「全く失礼しちゃうねー。アレンを怖がるのはともかく、あたしはか弱い乙女なのに」
「か弱い乙女はチンピラ相手にあんな対応しないだろ」
 おどけたリリィへ振り向き、アレンも冗談交じりに言葉を返した。怖いと言われた事はあえて触れない。下手につつけば自分がへこむ。
 さっきのやり取りのせいで周りに関心を持たれた。居心地が悪い。ここから出ようと囁く。
「さっさと行くぞ」
「はいはい」
 彼は人前で目立つのが好きではない。それを知るリリィは残りの酒を煽ると、店員を呼んで勘定を済ませた。傍らに置いていた棍と荷物を持って立ち上がる。腰まで届く金髪が踊り、毛先を結ぶ緑のリボンが揺れた。
「皆にも会いに行かないとね」
「そうだな」
 注目を浴びる中、金髪の男女は店を後にした。
 
 悪ノ王子が討たれた革命から四年。生まれ変わった黄の国は、平和と繁栄を享受していた。西の緑の国とは友好関係が結ばれ、いがみ合いは遠くに去りつつある。
 青の国との戦争は、革命の知らせを受けた騎士団が即座に降伏し、呆気なく終結を迎えた。革命によって黄の国が滅んだ以上、母国に貴族の居場所は無い。捕虜となった騎士は大陸に戻らず、青の国に帰化する事になった。侵攻はレン王子の独断だったと見なされ、更に黄の国で革命が起きた事で決定的となり、捕虜は恩赦になったのだ。
 その話を旅の中で聞いた頃、レンはアレンと名乗るようになっていた。新しく生まれ変わったレン。そんな意味を込めて、リリィと相談して決めた名前だ。父が付けてくれた名を捨て切れず、結局元の名前が残る事になった。
 王都から逃亡して以来、アレンとリリィは一緒に大陸を渡り歩いていた。二年が過ぎた頃から別れて旅をするようにもなり、旅路を共にする事もあれば各自で行動する事もある。
 アレンはもう王都に行っても大丈夫。リリィがそう断言したのは一年前の事だ。その時は半年振りに会ったのだが、急速に背が伸びて大人びた顔つきになったアレンは、以前とは別人並みに見た目が変わっていた。リリィは声をかけられても本気で気付かず、彼を軟派男だと誤解して拳を向けてしまった程である。左目の傷痕と名乗りが無ければ、アレン本人だと信じたかも怪しい。

「なんであの異名嫌いなの? かっこいいじゃん」
 足を進めるリリィはアレンに問いかける。昔は彼と頭一つ分程度の身長差があったが、現在ではアレンの背丈はリリィを追い越して、視線の高さはほぼ同じになっていた。
「俺だって他人事ならそう思えたよ」
 アレンは溜息を吐いて返す。師匠と同じ異名は複雑なものだった。自分以外の誰かだったなら、勇猛果敢な印象だけで済ませられただろう。だが、彼は獅子の名を別の意味で捉えていた。
「七つの罪ってあるだろ? お伽噺の」
 ああ。とリリィは頷く。大陸で生まれ育った者なら誰もが知っている。
「原罪者って女が果実盗んで熊に追われる話ね。で、その後世界に罪が散らばったってやつ」
 当然のように流暢な返事を貰い、アレンは怪訝な顔をする。リリィが話した内容は自分が知る物語と大分違っていた。何故かと理由を考えて、間も無く可能性に思い当たる。
「……あ。もしかして西側じゃ違うのか?」
 共に旅をする最中、アレンはリリィから生い立ちや過去を打ち明けられていた。彼女が緑の国生まれであった事も、東西最後の戦争で起きた虐殺事件の顛末も。
「えっ。東側だとどうなってんの?」
 東西で異なっているのはリリィも初耳だった。違いを教えて欲しいと訊かれたアレンはあらすじを語る。
「双子が魔女を焼き殺した後、そこから生まれた罪を七つに分けてばらまいたって話」
 喋る内に東西で重なるものを見つけた。
「多分、その魔女が原罪者なんだろうな。黄の国だと双子が話の中心になってる」
「そう言えば母様から聞いたような……。西側は緑髪の女の話が多いよ」
 同じ大陸でも東西で違うのを二人は再認識する。そしてリリィは再び訊ねた。
「それで、異名を嫌うのと何の関係があんの?」
 意味が分からないと訴える。おそらく彼女は知らないのだろうと判断し、アレンは途切れた説明を再開した。
「七つの罪には、それを表す動物がいるんだ」
 例えば色欲は山羊。暴食は豚。強欲は針鼠。嫉妬は蛇。怠惰は熊と言った具合である。
「『傲慢』は獅子。……俺の異名だ」
 吐き捨てると同時にアレンは立ち止まり、押し殺した笑い声を漏らす。慌てて足を止めたリリィは、自嘲する彼を目に入れた。
「誰が付けたか知らないがお似合いさ。驕り高ぶった挙句、姉を犠牲にして生き延びた俺にはね」
 アレンは諦観したように空を仰ぐ。革命で死ぬべきは自分だった。何年経っても、何度考えてもその思いが変わらない。あの時どうして無理矢理にでもリンを逃がさなかったのか。そんな後悔に捕われる。
 四年の間に背が伸びて、声は低くなった。野盗を前に余裕でいられる程強くもなった。けれど性根は十四の頃から成長していない気がする。
「悪い方へ考え過ぎなんじゃないの? あんたは昔っからそう。自分に厳しく当たって、その癖自分を信じるのを怖がってる。……もう許してあげなよ」
 自信が無い。リリィの指摘は反論しようなく、アレンはぐっと息を詰まらせた。彼女にはいつも心情を見透かされている。
 許し。自分にも誰かにも、それを求めてはいけないと思っていた。犯した罪は大き過ぎて、許しを乞う資格は無いと考えていたから。
「例え世界の全てが貴方を許さなくても、あたしは貴方を許す」
 唐突に耳元で囁かれる。驚いて顔を戻せば、リリィが密着も同然で脇に立っていた。物思いに耽っていたとはいえ、彼女の接近に全く気が付かなかったのは不覚である。
 四年間燻っていた胸の内が晴れたのだが、アレンは礼を言う余裕も無くリリィから離れた。
「ちょっ! おい! 近い近い!」
 そのまま前へ向かって歩き出す。彼の隣に並び直したリリィは平然とした様子である。
「獅子がいるって事は狼もいるの?」
「あ?」
 つい先程の言動と噛み合わない質問。一体何の事かとアレンは呆けた声を返し、すぐにリリィの意図を察する。七つの罪に彼女の異名である狼がいるのかと聞いているのだ。
「狼は……」
 憤怒。怒りの感情を表しているが、アレンは教えない事にする。リリィに知って欲しくないと思った。
「いなかったな」
 別に知らなくても良い事だ。余計な一言で彼女を不機嫌にさせる必要も無い。
 へえ。と納得して、リリィはふざけた調子で眉を寄せる。
「虎の娘が狼ってのもおかしな話だよね」
「まぁ……確かに」
 狼である以前に、お前の名前は百合なんだけどな。
 黄の国ではリリィとも呼ぶ可憐な花。彼女に気障な台詞をかけたらどうなるかと考えて、アレンは胸の内に仕舞っておく事にする。言えば気味悪がられるだけでなく、最悪殴られそうだ。喜ぶよりもそちらの可能性が高い。
 不毛な思考は、いつしか王都の喧騒に紛れて消えて行った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第60話

 素直な言葉を言ったって、気持ち悪がるだけだろ?

 アレンの身長はレンの公式設定+約20㎝位の設定。リンをお姫様抱っこするの余裕です。

 アレンは無精なので髪ボサボサ。リリィはこだわってるので髪サラサラ。

閲覧数:684

投稿日:2013/11/11 11:58:27

文字数:5,655文字

カテゴリ:小説

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