*再会直後のお話です。



 鏡の中、どことも分からない世界の中、少年は消えそうな糸を手繰って歩いていた。

 この糸の先であの少女が待っている。
 だから彼は、この今にも溶けてしまいそうな絆を保つために、彼女のことだけを思っていた。


<魔法の鏡の物語・アフター>


 ようやくリンの隣に立てた。

 しみじみとそう考えながら、腕の中で細かく震えるリンの感触を確かめる。思っていた通り細くて華奢だけど、思っていたよりずっと柔らかい。
 そんなことをつらつらと考えていると、抱き締めていた体がもぞりと動いた。

「…ん…レン…」

 赤く泣き腫らした顔を上げて、リンが体全体で僕に擦り寄ってくる。
 思わず全身の毛が逆立った。勿論嫌悪感からの反応じゃなくて、むしろその真逆の理由のせいだ。

 …ちょ、幾ら世間知らずだからってこれはない!これはない!男は狼なんですよっ、ケダモノなんですよっ、そんなやわっこい体を無防備に押し付けちゃ…やわっこい…やわっ…

 …うわぁ、気持ちいい…



 …ぬあああああ―――!!!何考えてるんだ、落ち着け僕―――!



 とりあえずあれだ!リンに穏便に離れてもらう方向で…!
 必死に気持ちを切り替えて、僕はおそるおそるリンに声をかけてみた。

「り、リン…?」
「レン…レン…ん…」

 でも僕の言葉なんて聞いていないのか、リンはひたすら猫が甘えるように首筋から胸元までを僕に擦り付けてくる。
 たまに首にかかる息が熱い。おまけに、泣いていたせいかリンの声がやたらと色っぽい。
 …なにこれ、どういう拷問ですか。

「…うぐ…り、り、リン、そういえば、リンのお父さんは?」
「…おしごと」

 ふ た り っ き り 。

 やめて神様!今そんなサービスしなくていいから!今までの埋め合わせとか、そんな急いでしなくていいから!
 僕としてはまず、こう、告白から…ってああ、それはもうされてたようなものか…
 内心で頭を抱える。

 何が困るって本気で嫌って訳じゃないのが困るんだよ。流されちゃいそうだ。

「…リン、と、とりあえず…そうだ、今日までの話をしようよ。会わない間に何があったかとか知りたいし、ね?」

 頷く仕草が服越しに伝わるのと同時に、すん、とリンの鼻が鳴る。
 うっわ、かーわいー…ってちょっと、色ボケってレベルじゃないよこれ。
 自分自身に呆れながら、リンの頭をそっと服から離す。

「ね?とりあえず明るいところに行こう?」
「…うん…」

 同意を得られたからドアの方に歩いていこうとして、…あの、リンさん?

「リン、離れてくれないと歩きにくいよ」

 小声で抗議をしてみるも、リンはがっちりと僕の服を掴んだまま離そうとしない。
 抱え上げようかとも思ったけれど、体勢的に無理だし、モヤシの僕にそれだけの腕力があるとも思えないなあ。
 仕方なく手近なベッドに腰を下ろす。
 リンと二人でベッドの上…いや、反応しないぞ。反応するもんか。

「リン、ほら、もう泣かないで」

 背中に回していた手を外し、リンの両頬に当てる。そして、そのままぐりぐりと頬っぺたマッサージ。
 別に柔らかそうな頬っぺたに触ってみたかったとかそういうやましいところは全然一切これっぽっちもない。ないったらない。ただ、リンの意識を少しでも引き上げたいと思ったんだ。
 ちょっと荒療治だけど、こういう実力行使って意外と効くんだよね。

「うみゅっ!?」

 案の定、リンはびくりと体を震わせた。
 気を逸らせられたみたいだ。いける。

「ほら、変な顔ー」
「…元からだもん」
「元から?嘘は良くないよ」

 よし、あと一押し。
 勇気が必要だったけど、ちょっとだけ顔を近付けて囁いてみる。

「そんなかわいい顔してるっていうのに」
「…!?」

 ぼっ、と落ち着きかけていたリンの頬の赤みが蘇った。
 ぱくぱくと口を開閉しているのがまた堪らない。これだからリンを弄るのはやめられないんだよね。

「ば、ばかっ!…っ、レンの馬鹿!」
「うん、馬鹿です」
「せっかく会えたからくっついてたいだけなのに、駄目なの!?」
「ダメではないけど」
「なら良いでしょう!?」
「…まあ、うん」

 言うだけ言って、リンは僕の心臓辺りにぐりぐりと頭を押し付けてきた。なんか小動物っぽくて可愛い。
 だけどこれだと元の状態に戻っちゃったも同然だ。これじゃあやっぱり、リンを離すのは無理かな。
 でも正直この温もりを手放すのが惜しくもあったから、リンが離れないことにほっとした自分がいる。正直というか現金というか、我ながら単純だ。

 じゃあリン、と軽く揺さぶって促すと、一度僕を見上げてから、リンはぽつぽつとこの一年の話を始めた。

 僕がいなくなってすぐのこと。
 しばらくしてからのこと。
 上手くぼかしていたけれど、その全てに僕の存在を感じて、自然と口元が綻んだ。

「僕のこと、忘れないでいてくれたんだね」
「…ごめんなさい」
「何で謝るのさ?」
「…」

 あまり理由を言いたくなさそうだ。
 恥ずかしいのかな?それを無理に言わせるのもおつな趣向だけど、今はこれ以上虐める事もないか。
 今度は僕が話をしよう。…といっても、話せる事なんてそんなにないんだけど。
 だから、かなり掻い摘んでこの一年の話をした。

「―――と言うわけで、ずっと鏡の中で迷っていたんだよね」
「…なんだか難しいのね」
「うん、僕も良く分かってないんだ」
「魔法使いなのに?」

 うっ。
 純真な質問に、僕は内心冷や汗をかきながら笑顔で返す。

「もう魔法は使えないんだ」
「そう…なの?」

 本当は最初から使えなかったんだけど、わざわざリンにそれを明かすつもりはない。
 鏡のこっち側に来たから魔法が使えなくなった、なんてかなりありそうな話じゃないか。…ごめんリン。

「僕は…」



「…誰だ?」



 ―――え?

 僕らの会話に不意に割り込んできた低めの声を聞き、弾けるようにリンが顔を上げる。
 僕も慌ててその声の方向を振り向いた。

 ベッドのすぐ近くにある簡素な扉。
 そこに立って僕達をじっと見下ろしているのは、短い金髪と深い青の瞳を持った中年の男性だった。
 どちらかと言えば痩せ気味で、何処かで見たことがある気がする顔立ちをしている。

 それはつまり。

「…お父さん」

 リンの不安そうな声で、僕の推測は確信に変わった。

 ―――彼が、リンのお父さんか。

 …って待った。

 そこでふと気が付いて、僕は今の状況を分析してみた。
 リンのお父さんからすれば、帰ってきたら家に知らない男がいて、薄暗くて狭い部屋で娘と抱き合っているわけだ。
 しかもベッドの上だし、リンは涙目のままだし、………言い訳できないよこれ!第一印象最悪もいいとこだよ!!
 うわあ、どうしよう…!どう繕ってもダメなシチュエーションじゃないか!
 半ばパニックに陥る僕の横で、父娘の会話が交わされる。

「あの…お仕事は?今日も普通にあるんだよね?」
「午後からある」
「…また出勤時間間違えたの?」
「…む…」

 お父さんもちょっとドジなのか…いやそんなこと考えてる場合じゃないよ!どうしようどうしようどうしよう…!
 頭を抱えてしまいたい。でも想い人とその親御さんの前でそんな事をする訳にも行かず、僕は顔を強張らせたまま固まっていることしかできなかった。
 そんな僕に、彼の目線が向けられた。
 そして。

「リン、ちょっと外に出ていなさい」

 …死刑宣告にも聞こえたのは仕方がないと思う。





 明かりは点けられたものの、それでも狭い部屋の中で僕とリンのお父さんが向かい合う。リンは廊下に追い出される形になったけれど、多分扉の向こうでじっと待っているんだろう。
 なんだろうこれ、自己紹介とかした方がいいのかな。でもそんな自分からぐいぐい話をして行く気にはなれないし、下手な事を言って更に気分を損ねるのは嫌だ。だってその、リンのお父さんだし…
 ぐるぐると考えていると、リンのお父さんの方から声を掛けられた。

「君の名前は?」

 ええい、ままよ。もういいや!

「…はじめまして、レンと言います!」
「ふむ。大きくなったな」
「え?」

 いきなりの言葉に、僕はびっくりして彼を見た。
 大きくなった、って?

「あの、…どこでお会いしましたっけ?」
「お前の父親とは友人だからな、鏡越しに一度紹介された。あの時は生まれて直ぐだったが」
「えっ!?」

 それってつまり、父さんが僕を紹介したってことだよね?
 リンは病気がちだっただろうから、うちの父さんはきっとリンの事は知らなかっただろうけど…
 ちょっと待って。父さん、どれだけ親バカなんだよ!?

 一応確認するが、と父さんの名前を言われて、頷く。
 その通りだ。というか、更に家族構成やら生年月日、好みに好きだった女の子の名前まで言い当てられてし まった。
 …父さーん!何話してんのさ!?
 今度こそ本当に額を押さえた僕を見て、リンのお父さんは何やら納得したように何度か頷いた。

「外見も口調も良く似ている。すぐに分かった」
「そうなんですか…」

 なんだか不思議な気分だ。
 父さんと自分が似ている、なんて、余り考えたことはなかった。
 でも、他の人にそう言って貰えると…嬉しいような…でも今の状況だとちょっと微妙…

「私のことを、何か聞いたか?」
「はい…少しだけ。僕の命を救ってくださったと父から聞いています」

 僕が父さんに聞いたことを答えると、彼は一つ溜息をついた。

「…いつか、訂正したかったな」
「え?」
「私は、君の命を救ったわけではない。だからあいつが気に病む必要はないのだと」

 けれど、叶わないものだな。
 リンのお父さんは、落ち着いた声でそう呟いた。
 そして、今度は顔を上げて僕に言った。
 質問ではなく、確認の口調で。

「あいつは、死んだのか」

 そこに混ぜられた悲しみの気配。
 胸が苦しくなるけれど、それを抑えて頷く。

「そうか…」

 一瞬だけ瞳を暗く陰らせ、しかし彼はすぐに冷静さを取り戻した。
 こういう感情の隠し方は、なんとなくリンと似ていると思う。やっぱり親子だからなんだろうな。

「ところで君に、こちらの戸籍はあるのか?」
「…あっ…そういえば、ないです」
「用意しよう。住む場所もないだろうから、うちにいるといい。とりあえずうちに同居するようになった、としておけば不審がられはしないだろう。好奇の目では見られてしまうかもしれないが」
「えっと…よろしく、お願いします」

 …滔々と紡がれる言葉に、なんとなく気圧されてしまった。
 というか、戸籍の用意ってそんなに簡単に出来るものなのか?
 まだ戦争の混乱が抜けきっていないからかもしれないけど、それにしたってそれなりの地位にいる人じゃないと出来ないだろう。
 大人しく頷く僕に彼は重々しく頷き、扉を軽く開いて外で待っているリンに声をかけた。

「部屋をリンに案内させよう。…リン、レンくんを適当な部屋に案内してあげなさい。可能なら寝具の用意も頼む」
「…?はい」

 そっとリンが部屋に歩み入り、その小さな手がそっと僕の指に触れる。
 指先にびっくりするような温かさを感じながら、僕はその手に引かれて日光の差し込む廊下へ出ていった。
 扉を閉め、少し歩いたところで、不意にリンが歩みを止めて僕を見た。

「…あの、レン、お父さんと何の話をしてたの?」
「えっ、どうして?」
「お父さん、すごく落ち込んでたみたいだったから…」

 思わずまじまじとリンの顔を見返してしまった。
 …そうだったのか。
 でも…そうだよね。父さんとリンのお父さんは仲が良かったんだから、死んだなんて聞いたら辛いだろう。
 何とはなしにそんな事を考えていると、リンが僕の顔をじっと見ているのに気付いた。

「どうかした?」
「…レンも」
「僕も、何?」
「…苦しそう」
「…え?」

 予想外な事を言われて、僕は一瞬思考が停止した。
 苦しそう?…僕が?
 リンは僕を見詰めたままだ。
 その青い瞳に誰かの青い目が重なる。
 誰の?

 …そうだ、父さんの…

「…あ…」

 今までは辛くなかった。考えることがなかったから。
 リンを、リンを。それしか考えていなかったから。
 でも、一度思い出してしまえば―――

「…レン?」

 父さんにはお葬式もなかった。
 いや、あったのかもしれないけれど、僕は参加していない。
 父さんの遺体は、結局僕の家に帰ってこなかった。
 それどころか、僕は、父さんがどこにどう葬られたのかさえ、知らないままなんだ。

 今までも、そしてこれから先も…一生。

『レン。今日はな、お土産があるんだ』

 そんなことを言って、出向いた先で手にいれたお菓子やら何やらを僕に渡してくれた。軽いノリだなあ、なんて思いながら、僕はいつも喜んでそれらの封を開けたんだ。
 貰えたものより、貰えた気持ちが嬉しかった。
 けれど、あの暖かい手に触れることは、二度と出来ない。
 あの笑顔も見られない。

 なにも親孝行らしいことはできなかった。
 終いには亡骸さえ放って、違う場所へ来てしまった。
 そして、もう二度と戻れはしない―――

 戻せない。
 時間も、世界も。

「…う…」

 ぽろ、と温かいものが頬を伝う。

 …ダメだこんなの。リンの前でこんな顔は見せたくないのに!
 慌てて頬を拭う。
 けれど、いくら拭いてもそれは流れ落ちてくる。それに焦って、両手でごしごし頬を拭く。
 その手が、不意に何かに捕まった。

 ―――え…

 僕の手を掴んだのがリンの手だと気付き、みっともなくぼろぼろ泣きながら、涙で霞んだ目でリンを見る。
 それとほぼ同時に、リンが首元に抱き付いた。

 何をしたいのか、すぐに分かった。
 リンは僕に、「泣いていいよ」って言ってるんだ。

 そんな優しさを受けて、我慢することは出来なかった。

 自分よりも小柄な体を潰しそうなほどに抱き締めながら、子供のように泣く。
 小さいけれど確かな掌の熱が心の澱を少しずつ溶かしてくれるのを感じながら、僕はその温もりに甘えていた。





 鏡の向こうで感じていた温度は、鏡の消えた今でも変わることはない。


 誓うよ。この暖かさを失いはしない。
 もう、二度と。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

魔法の鏡の物語・アフター

ちょっとした+α。これで連作は本当に終わります。
リンパパはあの後、一人であの部屋に閉じこもって落ち込んでいます。


閲覧数:1,029

投稿日:2012/01/05 12:21:21

文字数:5,984文字

カテゴリ:小説

  • コメント2

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  • 鈴歌

    鈴歌

    ご意見・ご感想

    レン君あたしの胸に飛び込んできてもいいy(ry
    翔破さんのこの小説はいつも楽しみに読んでいました!
    ・・・そしてリンパパ閉じこもってしまったかw

    2012/01/08 01:17:07

    • 翔破

      翔破

      コメントありがとうございます。最後までお付き合いありがとうございました!
      パパが部屋でショボンとしている間に娘たちはイチャついていると思うと…いや、若さですねぇ…
      でも三人で仲良くやっていけることと思います。

      これからものったりやって行こうと思います。
      ありがとうございました!

      2012/01/08 23:41:29

  • 目白皐月

    目白皐月

    ご意見・ご感想

    こんにちは、目白皐月です。

    読んでいて、レンも色々必死だったんだろうなと思いました。別に変な意味ではなくて、お父さんが死んだ直後は反応とか色々なものが一度凍っちゃったような状態で、そうなったのもおそらく自分を守るための一種の防衛策で、最後リンの前でその辺りの感情が戻って来たのは、もう無理をしなくても良くなったからなんだろうなと。

    と真面目な感想もあるのですが、その一方で「ようやく触れるようになって良かったね」という感想もあったりして……色々すいません。

    リンのお父さんの台詞を読んでいて、以前紹介した梶尾真治さんの短編をちょっと思い出したりもしました。遠く離れた土地に住む少年二人の心が、テレパシーのようなもので伝わって話せるようになる話というのがあるんです。

    2012/01/07 00:17:45

    • 翔破

      翔破

      コメントありがとうございます!
      本当は最終話に入れたかったのですが、余りにも長くなったので別にしました。
      多分この後も彼らにはいろいろとトラブルが起きたりすると思いますが、なんとか超えていって欲しいと思います。

      というかレン君がここまで思春期するとは思っていませんでした。うちのレン君はどうしてこう耐久力が低いのでしょうか…

      2012/01/07 07:42:15

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