カイトに連れられてアイスを食べたあと、レンはカイトと帰宅した。帰ったら、ミクとリンに謝らなくてはならない。
「……リン、戻っているかな?」
自宅が近づくにつれて、レンは不安になってきてしまった。ミクはカイトに自分を探してくれるように頼んだぐらいだから、落ち着いているだろう。だが、リンの方はわからない。あんな状態で飛び出して行ってしまったのだ。もしかしたら、まだ帰宅していないかもしれない。
「大丈夫だよ。ミクはめーちゃんに、僕と同じことを頼んでいたからね」
その言葉に安心する。メイコなら、上手にやってくれるだろう。
「ただいま」
カイトがそう言って、ドアを開ける。レンが家の中に入ると、奥からミクが飛び出してきた。
「カイトお兄ちゃん、レン君、お帰りなさい」
予想したとおり、ミクは怒ってはいなかった。そんなミクの表情を見て、レンは謝らなくてはと思う。
「……ミク姉、さっきはごめん。俺、ミク姉に八つ当たりしちゃったんだ。リンだけ曲を作ってもらえるのが、羨ましくて。それでリンに当たって、で、ミク姉にも当たってしまった。……けど、曲はマスターが作るものだから、ミク姉のせいでもリンのせいでもない。本当にごめん」
レンの言葉を聞いたミクは、ふーっとため息をついた。それから、微かな笑顔を浮かべる。
「レン君、落ち着いたみたいで良かったわ。さ、あがって」
ミクに言われるまま、レンとカイトは家に入った。いつものように、まず居間に行く。だが、誰もいなかった。
「……ミク姉、リンとメイ姉は?」
「まだ戻ってきてないのよ」
思ったより、メイコは手を焼いているようだった。それならと、ソファに座る。ここは玄関の近くだから、帰ってくればすぐにわかるはずだ。カイトも椅子の一つに腰を下ろす。
「あれ、そう言えばルカは?」
この家で暮らす六人目のボーカロイドのことを、カイトは尋ねた。
「ルカお姉ちゃん? そっちも、まだ」
「今日の食事当番はルカだったよね?」
「わたしが代わったの。ルカお姉ちゃん、用事ができたっていうから」
ミクはそのまま台所に向かうと、料理を始めた。包丁を使う音や、何かを炒める音が聞こえてくる。今日の夕食はなんだろうか。その頃には、リンは機嫌を直してくれているだろうか。レンはそんなことを考えていた。
やがて、料理が終わった。ミクを手伝って、テーブルの用意をする。その時、ドアが開く音がした。
「帰って来た!」
レンは手に持っていた皿をテーブルの上に下ろすと、玄関へと飛び出して行った。きっとリンだ。そう思って。
だが、レンの様子に反して、玄関にいたのはメイコとルカだけだった。二人とも、難しい表情をしている。そんな二人は、飛び出してきたレンを見てはっとなった。
「メイ姉、リンは? 一緒じゃなかったの?」
メイコとルカは顔を見合わせた。今は二人とも、困り果てたという表情をしている。そこへ、奥からカイトとミクがやってきた。カイトたちも、玄関にいるのがメイコとルカだけなので、驚いた表情になる。
「めーちゃんとルカだけ? リンは?」
「メイコお姉ちゃん、ルカお姉ちゃん、リンちゃんはどうしたの?」
メイコとルカは困った表情のまま顔を見合わせていたが、やがて、メイコが口を開いた。
「……見つからないの」
レンは驚いてその場に立ち尽くした。カイトが呆気に取られた声をあげる。
「見つからないって……」
「街中を探しました。でも、どこにもいないんです」
ルカが答えた。二人の途方にくれた、困り果てた表情を見るかぎり、それは真実なのだろう。だが。
「いないってどういうことだよ!?」
レンは思わず、メイコとルカに向けて詰め寄ってしまった。詰め寄ったところで事態が変わるわけではないのだが、そうせずにはいられなかった。
「言葉どおりよ。探しても見つからなくて、途中からルカにも手伝ってもらったんだけど……」
メイコの言葉はそこで途切れた。そして、そのまま無言で、首を横に振った。
「途中でがくぽさんにも声をかけて手伝ってもらったのですが、どこにもいませんでした」
ルカが続ける。
「そんな……そんなはずないだろ。どこかにいるはずだよ。だって……」
あとは言葉にならなかった。パソコンの中の街は、決して広くはない。街全体を探し回っても、さほど時間はかからない。リンが街の中にいるのなら、探し出すのはそんなに難しくはないはずなのだ。
「決まり悪くて隠れているとか、逃げ回っているんじゃないか?」
カイトがメイコに訊いている。
「その可能性もあると思うから、一度戻ってきたの。カイトも手伝ってくれない? リンが動き回っているのなら、人数がいた方がいいわ。がくぽさんは、グミを呼んで、それから、キヨテルさんたちにも声をかけてくれるって」
「俺も行く!」
メイコはレンをちらっと見ると、うなずいた。そして、後ろにいるカイトに声をかける。
「カイトはレンと西側を探して。私はルカと東側を探すわ。がくぽさんたちには南側、キヨテルさんたちには北側をお願いしましょう」
「わたしは?」
「ミクはここで待機してて。もしリンが戻ってきたとき、家が空っぽだと良くないから」
「わかったわ。気をつけてね。セキュリティソフトが動いてるから、危ないことはそんなにないと思うけど、万が一ってこともあるから」
パソコンの中の世界では、現実のような危険は多くない。厄介なのは外から侵入してくるウィルスの類だが、ほとんどはセキュリティソフトが駆逐してくれるため、ボーカロイドたちに危険が及んだことは、今のところ無い。
そして、その後。
カイトと一緒に、レンはリンを探した。既に日が暮れてしまっているので、外は薄暗い。パソコンの中の世界では、内臓されている時計の時刻にあわせて、外の風景が変わる。朝にはちゃんと日が昇り、夕方には沈んで暗くなる。何故そうなるのかは、誰も知らない。
「きっと、すぐ見つかるよ」
家を出た時、カイトはそう言ってレンを元気づけようとしてくれた。レンもそれにうなずいた。……だが。
いくら探しても、リンはどこにもいなかった。
夜遅くなったところで、リンの捜索は一度打ち切られた。ボーカロイドたちはプログラムだが、休みなしに動くことはできない。人間を模して作られたせいか、一定の休養を必要とするのだ。
夜通しでもリンを探したいとレンは主張したが、倒れたら元も子もないと、カイトとメイコに強制連行されてしまった。
「ちゃんと休むんだ。レン、リンがみつかった時に、疲労でふらふらじゃ格好が悪いだろう?」
「俺はそれでも……」
「いいから寝なさい。そんな状態じゃ、外には出せないわ」
レンはベッドに入って、寝るより他はなかった。だが、横になっても、眠れそうにない。リンはいったい、どこに行ってしまったのだろう。帰宅した時、ミクが言っていたことが頭をよぎる。
「もしかして……リンちゃん、ネットの向こうに行ってしまったのかしら?」
このパソコンは、「インターネット」に接続している。だからボーカロイドたちは、ネットの情報を自由に閲覧することができるのだ。だが情報を取得することはできても、ウィルスのように、回線を通じて他のパソコンに行ったりすることはできない。
とはいえ、インターネットの通路を通って、他のパソコンに行くことができるのかも……そんな妄想が、ボーカロイドたちの頭に浮かぶことだってある。
「ミク、アニメじゃないんだから。ネットの向こうからプログラムがやってくることはあっても、僕たちが外に出ていくことはできないんだよ?」
「でも、そうとしか考えられないわ。だってリンちゃん、どこに行ったの? 隠れられる場所なんてほとんどないのに」
それはミクの言うとおりで……だからこそ、レンは不安になってしまっていた。リンはもしかして、ネットの世界に出てしまったのではないかと。
ネットの世界は、信じられないぐらい広いという。そして数え切れないほどのパソコンが、そのネットに繋がっているのだ。もしリンがネットの向こうの世界に行ってしまったのなら、ここに戻っては来れないかもしれない。
「このパソコンの中のことだって、私たちはちゃんと把握してるわけじゃないのよ。もしかしたら、私たちの知らない何かがあるのかもしれないわ。リンがいるとしたら、そっちの可能性の方が高いと思う。ネットの向こうの世界なんかじゃなくてね」
どちらかというとミクではなく、レンに言い聞かせるような形で、メイコはそう断言してしまった。レンはリンが戻ってくるかもしれないから、起きていたいと言ったのだが、メイコは許してくれなかった。
「私とカイトが交代で起きているから、あんたは寝なさい。リンが戻ってきたら、起こしてあげる」
そういうわけでレンは自室に引き上げたのだが、前述のとおり、眠れそうにはなかった。リンのことが気にかかってならないのだ。リンが飛び出して行ってしまったのは、どう考えても自分のせいだ。自分があの時、リンの幸運を一緒に喜んであげることさえできれば、いやそれは無理でも、せめて不満を見せず、ただ用事があるからとでも言って自室に引き上げていれば、リンが飛び出して行ってしまうことはなかったのだ。
メイコもカイトも、ミクもルカも、自分のせいではないと言ってくれた。だがそんなものでは、レンの気は晴れない。
レンは自室の天井を見上げながら、眠れない時間を過ごした。
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