『あの日の青。桜色』①
長い冬が過ぎ去り、暖かい風が優しく吹いている。
見上げた先に広がるのは、
青い空と薄紅色の花弁。
桜の花。
「・・・・・・・・」
私は、その花を見つめ、小さな溜息をついた。
春。
新たな始まりの季節。
私がこの『桜坂高校』に入学して、二度の春が過ぎ、そして、三度の目の春。この一年で、私も桜坂高校を卒業するのだ。
とはいっても、高校生最後の一年間は始まったばかり。卒業と言ってもまだまだそれほど自覚があるわけでもない。
しかし、長い間一緒に過ごしてきた先輩たちもいなくなり、今は少し、心に穴があいたような気分にもなってしまっている。
それにしても、今日はとても良い天気だ・・・。
二年前の・・・、春の日。
入学式のあの日も、こんな春の日だった。
桜坂高校は、私自身の家からはやや離れている。
快速電車で1時間半。何故、そんな遠い学校に入学したのかと言えば、ここには県内でも珍しい美術科が存在するからだ。
そのため、同じ中学の知り合いなどもおらず、入学式に遅刻をしかけた私はとても焦っていた。
そんなとき、私は彼女に出会ったのだ。
彼女はミクと名乗った。同じ美術科の入学生であったのだけれども、彼女は学校の内部にくわしく、困っていた私をたまたま助けてくれたのだ。
ミクとの出会いはただそれだけ、だったのだけれども・・・・・。
とても美しい、綺麗な長い髪の毛。そして、その可愛らしい声と表情が忘れられなくて、もっと彼女と仲良くなりたいと、私は瞬間的に思った。
でも、残念ながらミクと私はクラスが違っていたのだ。
そして、自分自身で言うのもなんなのだけれども、私は少し素直になれない性格でもある。もっと仲良くなりたいと思うのに、そう思えば思うほど近づく事ができなかった。
私たちが学んでいた桜坂高校美術科は2クラスだけなので、実は年ごとのクラス替えが無いのだ。特別な理由がなければ、三年間ずっと同じクラス・・・。そのため、もちろん、最高学年となった今でも、ミクと同じクラスになったことは一度もない。
ふわりと、風が吹く。
桜が舞っている。
校門へと続く坂道の桜は、きっと来年も同じように咲き誇るだろう。けれども、その場所には、私も、そしてミクもいない。
こうして二度目の春が過ぎても、彼女との距離は離れたまま。そして三度目の春は最後の春。四度目の春を感じる頃には、自分はこの学校を卒業してしまっているのだ。
「・・・・・このまま、卒業しちゃっていいのかな・・・・・」
私は、小さい声でそう呟いた―――――。
その日の放課後。校門の桜の木の下で、一人の少女が佇んでいた。
まるで桜のような色のロングヘア―の少女。やや長身で、同世代としては少し大人びた雰囲気を出している美人の女子生徒である。
その女子生徒――――、巡音ルカは、その場所で目的の人物を待っていた。
その人物と約束をしている訳ではない。ただ、彼女はきっとここを通るだろうと言う事をルカは予想していたからだ。
「あ・・・」
しばらく待っていると、校舎から目的の人物が出てきた。
サラサラとした美しく、長いツインテ―ルが春風になびくとても美しい女子生徒。
彼女はルカと同学年の友人、初音ミクであった。
(友人・・・、なんだよね・・・?)
正直な所、ルカとミクは、それすらもあやふやな微妙な関係だった。ただの顔見知り、そう言われてしまったらそれだけの関係かもしれない。だが、
「あ、あの、ミクさんっ」
思い切ってルカは木の下から飛び出す。
「・・・はい?」
突然話しかけられたミクは、少し驚いた様子で彼女を見つめたが、それがルカであることが分かった後は、いつものようなとても優しい笑顔を見せた。
「こんにちはルカさん。今帰る所ですか?」
「え、ええ。そうよ。ミクさんも、今帰る所かしら?」
「はい、そうですよ」
「そ、そう。それは、ぐ、偶然ですわね・・・」
彼女も下校する。そう聞いたルカは、一度胸の高鳴りを抑えた後、
「そうですか、ミクさんも今帰りなのですね」
「……?」
念を押されるようなセリフに、ミクは小首をかしげる。ルカは自分の胸に手を当てると、
「ま、まぁ、ミクさんがどうしてもって言うのなら、帰り道、付き合ってあげてもいいですわよ」
突然、彼女はそう言った。
「ルカさんと一緒に・・・?」
え? と、ミクは少し戸惑った表情を浮かべた。それもそのはず。帰り道、とはいっても、ミクが住むのは学校近くの学生専用アパートなのである。
実はミクは県外からの入学生であるのだ。そのため、学校が借り上げている、駅とは反対方向の・・・、しかも学校からかなり近い学生専用アパートに住んでいる。
つまり、ルカとミクは帰る方角はまったく違っていたのだ。
「ええと…、それは、駅前とかで遊ぼうってこと、かな?」
ミクは彼女の言葉をそう理解したようだ。
「えっ、遊びに…!? ま、まぁ、遊びくらいは付き合ってあげてもいいわよ」
ここが自分の悪い癖だとルカは常々思っている。素直に遊びに行きたい! と言えばいいのに。それができないのだ。
ルカの言葉に対して、ミクはやや困ったような表情を浮かべた後、
「んと・・・、その、ごめんなさい。今日は・・・、ちょっと別の待ち合わせがあって・・・」
ミクは顔を赤くし、もじもじとしながらそう答えた。
「待ち合わせ・・・。ああ、グミさんと?」
それならルカは納得する。ミクとルカは同じアパートに住むクラスメイトで、入学当初からの大親友であるのだ。二人は夫婦だね。そんな風に友人らが冗談を言う事もあったくらいなのだ。
「ま、まぁ、それなら仕方ないわね」
ルカが勝手に納得をしたが、
「あの、その…。グミちゃんじゃないんだけど…」
「あら、そうなの? ふうん…?」
人に好かれやすい性格のミクなので、他の友人であっても何もおかしくはない。ただ、他の友人との約束があると言うのには、少しだけ嫌な感情―――嫉妬を覚えたが。
「…そ、そうですか。ま、まぁ、もしも暇だったらどうかしら、と思っただけですから」
「あ、うん。今日はごめんなさい。でも、今度一緒に遊びに行こうね」
「ま、まぁ、ミクさんがどうしてもと言うのなら、一応考慮してもいいですわ」
ルカがフンッと言うような雰囲気でそういうと、ミクはおかしそうに笑った。
「ああ! そういえば、ルカさん。今年もよろしくね! 最後の1年、絶対に良い1年間にしようね!」
実は、新3年生になってから、こうしてミクとルカが会話をするのは初めてだ。ミクが満面の笑顔でそう言いながら、彼女の両手を握る。その行動に、ルカは顔を真っ赤にして言葉を失ってしまう。
「・・・・・・」
ルカが何を言えば分からずに立ちつくしていると、
「ミク先輩!」
と、不意に男子の声が聞こえ、ミクは振り返る。
「あ、レン君―――」
ミクは嬉しそうにそう言ってから、ハッとルカの方を見て咳払いをする。
「・・・こ、こんにちは、鏡音君」
そして彼女は取り繕うように少年の呼び名を訂正する。
ミクの前に現れたのは、地毛の金髪と碧眼が特徴的な、やや小柄な男子学生であった。
「すみません。待ちました?」
「ううん、今来たトコ、だよ・・・」
「じゃぁ、行きましょうか」
「え? あ、うん。そうね。ええと・・・、あ、そうそう。授業の道具! 授業で使う道具を買いに行くのよね?」
妙にわざとらしいミクの言葉。
「え? ああ…! はい、そうでした」
男子生徒の方はかすかに苦笑する。
「そ、それじゃ、またね、ルカさん」
茫然とするルカをよそに、男子生徒とミクはその場を去って行った。
そうして二人が去っても、ルカはしばらくその場に立ち尽くしてしまう。
今の光景が彼女の脳裏から離れないのだ。
(鏡音・・・レン・・・?)
ルカも彼の存在は知っている。と言うよりは、美術科の人間なら全員が知っているだろう。桜坂高校美術科に、やはり県外から入学してきた1学年下の天才少年である。しかも、なかなかの美少年であるため、その存在は美術科のみならず、普通科の生徒も良く知っているくらいだ。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
ルカにとって重要であったのは、レンを振り返った時のミクの目であった。ミクのあんな目は見たことが無い。
ミクの目は、普段からとても綺麗に澄んでいたが、しかし、今のミクの目はそれとはまた違う、眩しい輝きに包まれていた。
まるで、白いキャンバスに初めて絵具をのせた瞬間のように。
その瞳には、そこから何かが始まりそうな。そんな輝きが満ちていたのだ。
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