アレンが退出した直後、イルの部屋にて。
「伯父さん、酷いぞ! アレンは本当に伯父さんの目を治したくて」
喚き始めたジンの口を再び塞ぐ。正直イルも息子とほとんど同意見なのだが、言われるまでもなくレンは心底後悔している。傍目には分からないかもしれないが、恐慌状態と言ってもいいくらいだ。
「ジン、いいからお前は少し稽古に行って来い。ほら、レオンハルトと約束してるんだろ?」
務めて軽い口調で言うのだが、当然紅髪の少年は納得しなかった。
「嫌だ! 伯父さんがアレンに酷い事言ったんだ! ぶん殴ってやる! 離せ!」
足をばたつかせて暴れ始めたジンを羽交い締めにするが、その分口に手が回らなくなって再びその口からは真っすぐな怒りが吐き出された。冷血宰相に向かってここまで暴言を吐けるのは、黄の国広しと言えど自分達親子くらいのものだろう。
「ジン、いいから行ってこい」
しばらくそのまま拘束しておき疲れ果てて動けなくなった息子にこう言うと、体力と共に憤怒も幾分減ったのか、茫然自失状態のレンを睨みつけながらも木剣を持って出て行った。
「大丈夫か?」
微動だにしない義兄に問いかけると、俯きながらも僅かに頷いた。
「そうか」
向かいのソファから腰を上げてレンの前に立ち、目が焦点を結んでいない小柄な男の胸倉を掴んで持ち上げた。
「じゃあ、歯を喰いしばれ」
状況が理解できないようにポカンと眺められる。指示したことを実行したかも確かめず、固めた拳を白い頬に叩きつけた。
「目が覚めたか? 馬鹿兄貴」
義弟の鉄拳を無防備なまま喰らったのは、数年ぶりだった。その衝撃と口に広がる血の味で、相手の指摘通り目が覚めた。現実逃避とはこうも簡単で、さっさと帰還させてくれた親友の方法と判断には感謝するしかない。
「はははははは……、はあ」
間抜けな笑いが漏れ、最後に嘆息。もう笑うしかない。己の怪我を心配してくれて思い詰めて、本来決して得意でもない学業の道を志そうとしている息子に、何と言ったのか。
愚か者、こう言いたかった相手はアレンではなくレン自身だ。
「おい、壊れるな」
「平気、呆れてるだけだよ。どうせ君が殴るなら、ジンに殴らせてあげればよかったのに」
「手元が狂って、万が一にでも目に当たったら困るだろ。俺も殴ってやりたかったしな」
「確かに、ちょっと笑ってられないかもね」
手元にあった布を水で冷やしてから口元に当てる。教訓としてこのまま腫らしても良かったが、アズリが嫌がるのと何より急な賓客が来ると困る。
「どうしてお前って、家族相手だと冷静になれないんだ?」
「ついカッとなったんだよ。自分に対して」
アレンがどういうつもりで、睡眠時間を減らしジンと遊びに行かず稽古をさぼってまで、医学書を読み漁っているかを悟れない程馬鹿ではない。すぐにでも止めさせたかったのに、その為の言葉は何一つ思いつかなかった。
自分の不甲斐無さに対する苛々は降積り、寝不足に目を充血させてそれでも本を抱えるアレンを見ることすら辛かった。分かって欲しかった。レンにそんな事をする価値など微塵もない事を。
縛られて欲しくない。自由に生きて欲しい。
誰よりもそう願っているはずなのに、結局自分の存在が幼い我が子を追い詰めて突拍子もない暴走を招き、望んでも無い道へと走らせた。
アズリやジンとの時間を心から楽しんでいるはずなのに、留学したい。そんな事を言われて自分に対する怒りが理性を沸騰させた。
「探してこいよ。仕事の事は何とかしとくから」
紅髪の王が動物を追い払うかのように手を振るが、どうにも動く気になれない。
「何て言ったらいいか、分かんないんだけど」
「さっき言った事は可及的速やかに忘れてください。ついでにおとーさんが寂しいから留学はしないでください、だろ?」
真剣に悩んでいるのだが、義弟はけらけらと笑い飛ばす。側に居て欲しい事は事実だが、そんな理由で反対しているわけじゃない。そんなことは百も承知だろうに。
恨めし気に睨むと、今度は真面目に考えてくれたように親友が口を開いた。
「とにかく、分かり切ってるだろうけど留学したい理由を訊いたらどうだ? そして本当にそれがアレンのしたい事なら、行かせてやれば?」
まさかイルがアレンを異国に行く許可をやれと言うとは思っておらず、絶句して固まってしまった。しかし彼の紅の瞳は、前と違って冗談を含んでない。
「冗談だろ? アレンは絶対医学より政治の方が好きだよ」
「好みはそうかもしれなくとも、それでも叶えたい目的のために医者になりたいなら、それは認めてやるべきだと思うけどな?」
ぎり、と葉を噛みしめる音が口の中で響く。またしても冷静さが失われて行くのが分かるが、自分では制御できなかった。
「なんで僕の目を治すために、あの子が自分の得意な分野も大切な親友も捨てなきゃならないんだよ。そんなこと絶対にさせたくない」
アズリはアレンを可愛がっているし、ジンだってアレンが心を許す貴重な友人だ。彼らと離れて、何故敵地に等しい場所に送らなければならないのか。
それも今までアレンを傷つけることしかできなかった、馬鹿な父親のために。
「それを含めてアレンの選択だ。決めるのは本人だし、お前が口出すことじゃねえ」
すっぱりと言い切られ、返す言葉が無かった。確かに親友の言葉は正しい。納得するのは到底簡単なことではないが、きっかけはどうあれどうしてもアレンが望むなら、レンは協力してやるべきなのかもしれない。
でも、嫌だ。あんなに楽しそうに地図を眺めている息子が、その道を諦めるなんて。
頭の中で荒れ狂う理性と感情の争いに拳を握りしめていると、親友が穏やかな声を出した。
「けどな、それは意見するなって意味じゃねえよ。お前がアレンに好きな分野を学んで欲しいと思ってる事も、王宮に居て欲しい事も伝えるべきだと思うぞ。親子なんだからな」
その言葉がまた意外で、同時に考えた事もないものだった。
言ってもいいのだろうか? それがたとえ取るに足りない我儘だとしても、そんなものを押し付けていいのだろうか。
「それは、同じにならないのかな?」
「何と?」
「『あの人達』と」
ハウスウォードの両親。養子のレンは言うに及ばず、実の息子であるイルに対しても個人的な利益のために勝手な義務を押し付けた。
義弟は一瞬首を傾げたものの、すぐに察したようだった。そして呆れたように天を仰ぐ。
「どう頑張っても、お前は『あの人達』みたいになれねえよ。身体を張って息子を助けに行く奴には無理だ」
尚も疑わしい目を向けるレンに、親友は言葉を重ねた。
「同じなわけ無いだろ? レンはアレンの事を考えた上で反対するんだから」
彼らの利得追及のために家を追い出され従軍の道を断たれたイルは、一部の隙もなく頷いてもう一度手を振った。
「いいから言って来いよ。遠回りに相手を動かそうとするから失敗するんだ。そういうのは外交相手には有効でも、血の繋がった家族にすることじゃねえんだよ」
部屋を出る直前に言われたこの科白に、やたらと学ばされた気がした。
歩くのももどかしくほとんど駆け足に近い速度で移動するが、アレンがいそうな場所を一通り探しても見当たらない。ジンとの隠れ鬼ごっこで探査能力はかなり鍛えられたと自負していたのだが、アレンの隠遁はそれを上回るのだろうか。
「いない」
把握されている隠し通路を含む王宮内全てを網羅したが、目的の少年の発見には至らなかった。ふと窓を見て、ようやく屋外の可能性を悟る。半引き籠りのレンには王宮の外という考えに行きつくまで時間がかかった。
自分とよく似た息子だからと中を見ていたのだが、よく考えればイルの勧めでアレンは積極的に外に出す様に計らっている。事件が起こるまで知らなかった事実だが、王宮横の林は二人のお気に入りらしいと聞いた。
そちらの方が近いため、裏口から出て林に向かう。事件以来触れて無かった外の空気は割と美味しく感じられたが、生憎天気は良くなかった。
「すぐに降るかな?」
そう呟いた直後、ぽつりぽつりと水滴が滴り始める。入れ違いになりませんように。そう願いつつ止まった足を動かし始めた。
まさかアレンが突然の高熱で動けなくなっているとも知らず、特に急ぐでも無く捜索を開始。事件の時に資料があった場所に行くと、案の定見覚えのある金髪頭が地面に転がっているのが見えた。
「アレン」
緊張しつつ声をかけながら近づくが、相手はびくりとも動かない。嫌な予感がして駆け寄ると、半開きになった金色の瞳は何処も見ていなかった。
「アレン!」
慌てて助け起こすが、小さな身体は火のように熱い。ここ連日の睡眠不足で体調が思わしくない事は知っていたが、まさかここまで重病だったとは!
「……落ち着け」
再び恐慌状態になりかけるも、何とか口に出して自分に言い聞かせる。ざっと検分するが、少々重い風邪だろう。すぐに介抱して薬を飲ませさえすれば、肺炎は免れるはずだ。
弱々しい呼吸を漏らすアレンの頬に水滴が落ちる。急に雨足が強くなってきていたので、自分の外套でしっかりと全身を包み込んだ。夕立だったようで抱き上げて王宮の裏口に着く頃には、土砂降りと形容しても言い振り方になっていた。
「冗談じゃないよ」
蒼白な顔で呟いた。もしあと数分でも発見が遅れて発熱している身体に冷水が掛けられでもすれば、間違いなく命に関わっていただろう。想像するだけでぞっとした。
ん? それはそれで熱が下がっていいんじゃねえの? とか言いそうな親友には是非、その身をもって試してみて欲しいものだ。もっとも発熱どころか咳一つ鼻水一つ異常を感じた事の無い、健康の王には出来ない相談だろうが。
部屋に戻ってサリーにイルへの伝言を頼み、アレンを着替えさせてベッドに潜り込ませた。氷枕を用意して小さな頭を乗せる。頭にぶつかる固い感触が不満なようで眉が顰められるが、その冷たさは心地よいらしく小さく息をついた。
「大丈夫か?」
振り返ると、サリーからの話を聞いて駆けつけてくれたらしい親友が、レンをこれでもかというくらい睨みつけている王子と共に立っていた。
「うん、一晩も寝てれば目を覚ますんじゃないかな」
すぐに愛しい息子に視線を戻すと、後頭部に柔らかいものが投げつけられた。
「何だよ」
むっとしてもう一度振り返ると同時に、投げられたものを視認する。ごく普通のタオルがそこに握られていた。夕立に降られたまま身体も拭いていなかったことに、そこでようやく気がついた。
「お前、濡れ鼠のままで一晩過ごす気か? 朝には息子の横にぶっ倒れることになるぞ。今日の事でただでさえ気が立ってるディーに、そこまでフォローしてやるつもりはねえから風呂入ってこい」
情けない事に、最近寝不足が続いていたのはアレンだけではなかった。その上で全身ずぶ濡れのまま一晩看病していたら、朝には看病される側になっているだろう。
「アレンは俺が見てるから」
アズリは、レンの穴を埋めなければいけないディ―の手伝いに行ってくれているらしい。普段の生活はともかく、仕事上ではすっかり頼りになる大臣になってくれたものだ。
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて」
ベッドの横に置いた椅子から腰を上げて入り口ですれ違おうとした時、頬を風船のように膨らませたジンが口を開いた。
「伯父さん、アレンにちゃんと優しくした?」
イルが黙らせようとするのを制して、しゃがんで視線を合わせた。
「僕が見つけた時はもう倒れてたから、話せなかったんだ。起きたらちゃんと酷い事言ったのを謝ってから、留学の事もちゃんと話すよ」
イルとレオンハルト以外の人間に、こんなに真剣に話したのは初めてだった。
「もう悪口言わない?」
推し量るような紅色の瞳を見据えて、大きく頷いた。
「言わないよ、約束する」
ようやくにっこりと笑った王子はレンに小指を差し出した。意味が分からずそれを見つめていると、ジンに強引に小指を絡め取られて大きく振りかぶられた。痛い。
「はい、指切り」
すぐに解放されたが、やっぱり少年の意図が読み取れずに親友を見上げる。
「約束を必ず守るっていう、おまじないみたいだぞ。青の国の風習らしい」
解説が入り納得する。セシリアからジンに伝わったのだろう。
「ああ、そういうことか。ジンも、アレンは寝てるから静かにね」
自分の口を手で押さえる王子に噴き出しながら部屋を出た。そしてそんな彼の言動を思い出し、アレンに国外に行って欲しくないとまた思う。
アレン、君はこの王子様の側に居るべきだ。
君は僕と同じくらい脆くて、僕がイルを必要としているのと同じように、ジンが必要だろうから。
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