UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その15「ヴォーカロイドとの遭遇」
わたしたちは二度目のステージを無事に終えた。
踊り終わった後、ユフさんはさらに二曲歌って、計六曲のミニライブを終えた。
終わった時の盛大な拍手に、ユフさんはうっすら涙を浮かべていた。
わたしはホッとしていた。素人がプロのステージを滅茶苦茶にしたのではないかと不安だった。
ステージを降りてきたユフさんが駆け寄ってきて感謝の言葉を述べてくれた。
マネージャーさん、テッドさんは、少し渋い顔をしていた。このあと、テトさんに怒られるのを気にしているようだった。
ミニコンサートの後片付けは業者に任せて、ユフさんとテッドさんは、その業者と次のイベントの打ち合わせをしていた。
駅の時計は午後七時に近かった。
〔帰ったら、ママにまた言い訳しないと。ネルちゃんと試験勉強していたことにするかなあ〕
きちんと挨拶してから帰ろうと思っていたわたしの脇を、ゴージャスを絵に描いたような毛皮のコートが通り過ぎた。
わたしより少し背が低い髪の長い女の子だった。
その背中は誰も寄せ付けない迫力があった。
「あっ」と声を出す前に、その手がユフさんの肩を掴んで強引に振り向かせた。
「え?」
振り向いたユフさんは不思議そうな、何が起こったのか解らない表情をしていた。
「あなたが、雪歌ユフ?」
その人の後ろ姿は鮮やかだった。存在感があった、とも言えた。周囲がモノトーンで、その人だけが原色の服を着ているかのように見えた。
その人はユフさんと変わらない身長なのに、上から目線で話しかけた。
「『gの歌声』の持ち主が、こんな小さなステージで、満足なの?」
ユフさんの表情は最初笑顔だったのに、次第に固まって震え始めた。
「ふん。パニック症候群か。大変ね」
その人は意味深な笑みを浮かべた。
その次のセリフを、わたしは信じられない思いで聞いた。
「アイスクリーム、一個で、歌えなくなっちゃうなんて」
〔まさか、この人…〕
こんなとき、即座に反応してしまうのがネルちゃんだ。
「あなたが、投げつけたの、ソフトクリームを?」
〔そう、わたしも今、そう思った〕
その人は呆れたように首を振った。「やれやれ」という声まで聞こえてきそうだった。
振り向いたその顔は小悪魔みたいだった。あれ、どこで、会ったかな。
「んなこと、あるわけないでしょ」
「じゃあ、どうして、知ってるのよ」
「わたしと同時期にデビューするならチェックは必須でしょ?」
「え?」
「あなた、誰?」
「ボーカロイドの『兎眠りおん』」
知らない名前だった。もっとも、我が家では芸能界の話をしたことがなかったから仕方のない話だ。
ネルちゃんは心当たりがあるようだ。
「あなたが、あのポスターの?」
ポスター? ああ、そういえば、あのときネルちゃんが破いたポスターって、そうだ。この人が写ってた。やっと思い出した。
「ポスター? 何のこと?」
とぼけている風ではなかった。だけど、上から目線が刺さるように感じられた。つい反発したくなる。
でも「とぼけるな」と怒鳴るのは自重した。
「そうよね。天下の『ボーカロイド』があんなセコいことをするわけないわよねえ」
そして、わたしの気持ちを親友が代弁してくれた。
でも、このボーカロイドは涼しい顔をしていた、憎たらしいくらい。
「なあに、あなた? 『アンチ』なの?」
その目は人を見る目ではなくなっていた。纏わりつくうるさいハエを追い払いたいような視線だった。
これも後でネルちゃんから聞いたのだが、「アンチ」というのは根も葉もない噂でボーカロイドを貶めようとする輩の総称、だそうだ。
「それとも、『有名税』ということかしら?」
これも、憎らしいくらい上から目線だった。
「自信たっぷりみたいだけど、なぜ『今日』で、『ここ』なのか、教えていただけるかしら?」
ネルちゃん、ナイス突っ込み。心の中で拍手した。
「スケジュールよ。この後、ラジオ局に呼ばれてるの。デビュー曲のキャンペーンなんだから」
ふんとネルちゃんは鼻を鳴らした。
「なら、ここじゃなくて、局に行ったら? それとも、ライバルの方が売れてるんじゃないかって、不安になったのかしら?」
ネルちゃんの口撃もどこ吹く風で、りおんというボーカロイドは涼しげに一蹴した。
「素人に付き合ってるほど暇じゃあないの」
カチンときた。ネルちゃんは切れる一歩手前になっていた。
そのネルちゃんを押しのけ、ボーカロイドはユフさんの前に立った。
「わたしをあまり失望させないで」
ボーカロイドの言葉にユフさんは俯いた。
「こんな小さなステージで満足してるんじゃ、いつまでもわたしと並ぶなんて無理よ。言いたいのはそれだけ」
そう言ってターンを決めると、ボーカロイド、兎眠りおんは去っていった。
「待っ…」
悔しい。思うように声が出ないこと、言い返せないこと、何よりもその後ろ姿に怯んでしまったこと。全部、そう。
言い返せるように、ならなきゃ。そのためには、UTAU学園に入る。わたしの中で、小さいけれど消せない灯が燈った。
現れた時と同じように、存在感のある後ろ姿が、駅の反対側に消えていった。
「ユフさん、あのボーカロイドと知り合いなんですか?」
わたしはこの後のネルちゃんとユフさんのやりとりを聞けなかった。視線をネルちゃんに戻せなかった。
ボーカロイドが通り過ぎた通路の脇に、じっと立ち尽くしてこちらを見ているサラリーマンがいた。
他の誰でもない。そこに父が立っていた。
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