【レン】


 三時を知らせる鐘が鳴り響く。
「あら、おやつの時間だわ」
 鐘の音を聞いて、毎日リンが言うお決まりの台詞。
「今日のおやつはなあに、レン?」
「ブリオッシュだよ、リン。君が好きだって言ってた」
「ほんと?嬉しいわ」
 リンが無邪気に微笑む。
 それを見ていると、僕の顔にも自然と笑みが浮かんだ。リンの笑顔を見るのが、僕の生き甲斐。僕はリンを守るために生きている。
 ブリオッシュを乗せた皿をテーブルの上に置き、紅茶の用意をする。リンはいつも、僕のいれた紅茶でないと美味しくないと言う。それは当然、僕が一番リンの好みを解かっているから、当たり前だけれど。
 そう言ってもらえるのは、やっぱり嬉しい。
「どうぞ」
「有難う、レン」
 三時のおやつの時間。
 この時間は、リンはただの女の子に戻る。僕の双子の片割れ。僕の半分。今は普通の女の子。
「そういえば」
 ブリオッシュを食べながら、リンが口を開く。
「レンが緑の国で買ってきてくれたお菓子も美味しかったわ。また食べたいな」
「また行ってくるよ。緑の国へのお使いも、僕の仕事になりつつあるからね」
「あら、レンだって嬉々として行ってるじゃない。そんなに緑の国は楽しいのかしら?」
 少しむっとした顔をしながら、リンが言う。からかったのがいけないらしい。そんなリンに思わず笑みが浮かぶ。
「リンの傍より、楽しい場所なんて無いよ」
「あたしだって、レンが一番大切よ」
 そう言って二人で笑い合う。
 実際、秋に一度緑の国に行き、其処から持ち帰った土産物をリンは随分気に入ったようで、それからも度々僕は緑の国にお使いに出された。
 どんなに急いでも行って帰るのに一週間はかかる。勿論、馬車でなく、馬に乗るだけならもっと時間は短縮されるだろうけれど、リンへのお土産をいっぱい買うから無理な話だ。
 そして、緑の国、と考えて思い浮かぶのは、ミクさんの事だった。緑の国に行くたびに顔を出す僕に、いつも笑顔で接してくれる。彼女の綺麗な歌も、優しい笑顔も、緑の国へ行く楽しみの一つだった。
「僕が頻繁に緑の国へ行くようになったのも、カイトさんのおかげだね」
「そうね。…ああ、今度はいつ来てくれるのかしら」
「多分、夏前じゃないかな。一度緑の国へ行ってからこちらに回ってくるらしいから」
「早く会いたいわ。今度会ったら、ジョセフィーヌに乗って一緒に遠乗りに行きたいし、他にもしたい事がいっぱいあるもの」
 きらきらと、恋する少女の瞳でリンはカイトさんのことを語る。次は何をしよう、ああしよう、そうして話すリンはただの女の子だ。
 それが微笑ましいし、カイトさんなら、僕も大歓迎だ。本当にそうなれば良いのに、と思うのだけれど、カイトさん自身はリンの事を妹のようにしか思っていないようだ。
 そのカイトさんは、今頃は緑の国に居るのかも知れない。
「今度僕が緑の国に行く時には、カイトさんに会えるのかも知れないね」
「あら、ずるいわ、レンばっかり会うのは」
「もし会えたら勿論、リンにも報告するよ」
 カイトさんは、緑の国で僕に会ったら、驚くだろうか。
 いつものような優しい笑顔を浮かべて話しかけてくれるのだろう。そういう人だ。
 彼の一言で、リンが今までよりもずっと、緑の国に対して好意的になっているのは間違いない。このまま、友好的な関係が築ければ、と思う。ほんの少しずつでも、リンの考えを変えて行けたら、よりよい、施政者になってくれれば。
 どんなに良いだろうか。



 僕がリンに緑の国に行くように言われたのは、それから三日後の事だった。
 馬車に揺られて緑の国に向かう。
 国境近くでは、廃村になってしまっている村がいくつかあった。この冬は厳しかったし、それを越えられなかった者がたくさん居ると聞いた。
 国を改善するなら、早くしなければいけない。けれど、どうしたらリンを説得出来るのだろうか。このままでは黄の国にも、リンにも良くないという事は、解かっているのに。
 そして、国境を越え、緑の国に入れば、豊かな土地が広がっていた。これが、施政の違いだろうか。冬が明けてそれを目の当たりにすると、流石に気分が重くなる。
 リン、君の幸せを願っているけれど、このままで良い訳は無いのも事実なんだ。君はどうしたら、それを解かってくれる?
 一度、城の外へ連れ出してみた方が、良いのだろうか。事実を見せれば、リンの考えも変わるかも知れない。
 そんな事を思いながら、緑の国の城下町へと馬車は向かう。


 緑の国に来るのは、一ヶ月ぶりぐらいだろうか。
 相変わらず賑やかな国だ。そして、これ以上に賑やかだと言う青の国というのは、一体どういうものなのだろうか。
 興味はあるけれど、流石に海を越えて行こうと思うと、緑の国に来るよりも時間がかかってしまう。リンを置いて何週間も国を出るのは、流石にまずいよな、と思う。リンの周りには、信頼出来る人なんて殆ど居ないから。
 こうして頻繁に城から出てくるのもよくないかも知れない、と思うのだけれど、それでもリンも望んでくれているし、僕も彼女に会いたいという願望がある。
 緑の国に来ると、まず最初に彼女の姿を探してしまう。
 大体いつも、広場の公園の噴水前で歌っているから、まず其処に足が向かう。
 そして、広場まで行けば案の定ミクさんが居た。けれど、いつもは楽しげに歌を歌っている彼女が、今日は何故か噴水の前で座り込んでいた。
 一体どうしたんだろう。
 僕は彼女の前まで近づいていく。
「…ミクさん?」
 声を掛けると、ミクさんが顔を上げる。どこか浮かない顔だ。何かあったんだろうか。
「レンくん?」
「どうしたんですか?今日は歌わないんですか?」
「えへへ、ちょっとね。そんな気分じゃなくて」
 そう言って笑って見せながらも元気がない。思わず顔を顰める。何か悩み事があるのなら、力になりたい。
「悩みごとですか?」
 問いかけてみれば、考え込むような表情。そして、溜息。
 何処か沈んだ様子が、何だか悲しい。
「レンくんを好きになれたら、良かったのにな」
「え…?」
 彼女の言葉に驚いて、一瞬鼓動が跳ねる。
 しかし、その言葉をよくよく噛み締めれば、どうやら彼女は他に好きな人が居るようだ。ようするに、恋わずらい、という事だろうか。
 そう考えれば、気分が沈む。相手が誰だか知らないけれど、それは僕では無いのだろう。その相手が、凄く羨ましい。
「ミク!」
 彼女の名前を呼ぶ声がして、反射的にそちらを向く。なによりもそれは、聞き覚えのある声だったから。そしてミクさんの方も、さっと立ち上がって声の主に駆け寄る。
「カイトさん!」
 花も綻ぶような笑みを浮かべて、ミクさんは相手と向き合う。ああ、この人が、彼女の好きな相手なんだという事はすぐに解かった。
 しかし、その二人の様子を見ても、嫉妬心はわいてこなかった。互いに微笑み合うその姿を見て、羨ましいとは思うけれど。妬ましいとは思わなかった。
 何より、カイトさんも、ミクさんも、本当に幸せそうに笑うから。何処か、憂いを帯びた眼差しばかりを浮かべていたカイトさんが、何処か、時折寂しげな様子を纏わせていたミクさんが、二人とも、本当に幸せそうに笑い合っているから。
 仲良く話をしている二人を見つめていると、カイトさんがふと僕の方に気がついたようだった。
「……あれ、レンくん?」
「カイトさん…こんにちは」
「こんにちは、久しぶりだね」
 変わらずに、優しい笑顔を浮かべてくるカイトさんに、僕も笑みを返した。いや、いつもよりも、カイトさんはずっと幸せそうな笑顔だ。
「あれ、知り合いなんですか?」
 ミクさんが不思議そうに問いかけてくる。それは当然かも知れない。僕は召使で、彼は青の商人の息子で、接点なんて普通に考えたら無いだろう。
「ああ、うん。レンくんは…」
「カイトさん!!」
 カイトさんが言いかけた言葉を、思わず遮っていた。
 だけど、ミクさんには知られたく無かった。僕が、リンの、黄の国の王女の召使だということを。知られたく無かった。
 その事を知られて、彼女に嫌われるのも、そして、彼女からリンの悪口が出てくるのも、どちらも耐えがたかった。リンが、この国の人たちにどんな風に噂されているかを知っているから、余計に聞きたくなかった。嫌われるのも、気遣われるのも、嫌だから。
「レンくん…?」
 僕が大声を上げたことで、ミクさんもカイトさんも随分驚いた顔をしている。当然だろう、僕は二人の前で声を荒げたことなんて、一度も無かった。リンの前でだって。
「駄目だよ、レンくん。隠したり誤魔化したりするのは、良くないよ」
「カイトさん…」
 僕の言いたかった事を理解したのか、カイトさんが嗜めるように言う。ひやり、と冷や汗が背筋を伝う。そう、隠しているのは間違っているのかも知れない。
 だけど、それでも。
「レンくんは、黄の国のかなり身分の高い人の召使でね。そこのお嬢さんの相手を俺がしてた時に知り合ったんだ。あの国はあまりよくない噂があるから、知られたくなかったんだろう」
 え?
 一瞬、カイトさんが何を言ったのか解からなかった。嘘は、言っていない。けれど、明らかに誤魔化している。駄目だと、自分が言ったばかりなのに、相変わらずの優しい笑顔を浮かべて。
「何だ、そんな事。全然気にしてないのに」
 ミクさんは、カイトさんの言葉に納得したのか笑顔を浮かべて言う。ひょっとして、誤魔化しても不自然にならないように、気を遣ってくれたのだろうか。
「有難う御座います」
 ミクさんに何とか笑みを浮かべてそう言ってから、カイトさんに視線を向ける。目が合うと、ふわりと優しい笑みが返ってきた。
 ああ、本当に、誤魔化してくれたんだ、僕のために。
 僕の考えたことも、全部見透かして。
 無意識のうちに、頭を下げていた。
 有難う御座います。どうして、貴方はいつもこんなに優しいんだろう。
 こんなのは、僕の我侭でしか無いのに。
 ミクさんは不思議そうに僕とカイトさんのやり取りを見ていた。
「ところでミク、今日は歌ってないの?」
「あ、はい。まだ、歌ってないです」
 カイトさんの事を考えてて歌えなかった、なんて事は当然言えないんだろう。それを知らないカイトさんは、控えめに問いかける。
「そっか、ミクの歌を聞くの楽しみにしてたんだけど。……一緒に歌ってもいい?」
「はい、是非!」
「良かった、断られたらどうしようかと思った」
「断ったりなんかしませんよっ」
 ほっとした様子のカイトさんと、嬉しそうに笑うミクさんを見て、ひょっとしてこの二人は、まだお互いに想いを告げていないのだろうか、と思い至る。傍から見ていても解かるぐらいに、想い合っているのが解かるのに。
「あたしも、一緒に歌いたいです」
 その一言に、本当に、本当に幸せそうに、カイトさんが笑う。
 ミクさんも同じように。
 そして二人は歌いだす。最初はミクさん、次はカイトさん、最後は二人で。
 お互いを見詰め合って、幸せそうに。

   私(僕)は歌う 一緒にいられるように
   喜びも 悲しみも 二人で共に

 ああ、本当に、この二人は、お互いが大切なんだと思う。
 合わさる声が綺麗に響いて、溶け合って、胸に染み込む。そして脳裏に浮かんだのはリンの事だった。
 僕は良い。
 ミクさんの事は勿論好きだけれど、それでも、カイトさん相手だと妬く気にもなれない。何より本当に二人が幸せそうだから、仕方無い、と思う。
 だけど、もしこの事をリンが知ったら。

   二羽は出会って 一緒に飛んだ
   自由に飛んで 新しい歌を歌った

 幸せそうに歌う二人を見て、思う。
 リンがこの事を知ったら、どれだけ悲しむだろう。
 そう思うと、二人を見ているのが辛くなって、視線を逸らす。そして、二人から逃げるように広場を走り出る。
 もし、この事を、リンが知ったら。
 どうする?
 どれだけ悲しむ?
 そして何を思う?
 解からない。僕の双子の片割れ。でも、あれほどまでにカイトさんを恋い慕うリンが、僕のように受け入れられるとは、とても思えなかった。
 けれど、事実は曲げられない。
 あの二人に、幸せで居て欲しい。
 でも、リンも悲しませたくない。
 僕は、一体どうすれば良いんだろう。
 解からないまま、僕は立ち止まり、空を見上げた。
 透き通るような、青い空。カイトさんそのもののような色が、目の前に飛び込む。
 失恋よりも、リンが悲しむことの方が辛い。
 父上、こういう時、僕はどうすればいいんですか。どうすれば、大切な人たちみんなが、幸せに笑っていられるんですか?
 問いかけても、答えなんて返ってくるはずもない。
 青い空を見上げながら、ぼくは目を閉じた。
 そうすれば、何か答えが見つかるかも知れない、と願いながら。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第九話【カイミクメイン】

レン視点です。
レンはリンもミクもカイトも好きだから複雑。
これで爆弾の導火線の一つに火が点いた模様です。

閲覧数:481

投稿日:2009/04/16 08:47:08

文字数:5,320文字

カテゴリ:小説

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  • 甘音

    甘音

    その他

    >エメルさん
    あはは、別に強制じゃないですよ。
    ご自分のペースで読んでくださればいいと思いますし。
    ユーザーブクマ別に気にしてないですよ。読んでくださる人が居るというだけで嬉しいです。

    レンはいい子です。四つ巴ですよ。ええ。リンが一番の強敵です。
    そうですね、このレンとカイトが争うのは、私も想像出来ません。というか、したくない、かな。レンとカイトは似たもの同士ですね、みんなが好きで、みんな幸せになって欲しいと思ってる。
    しかし修羅場は…いずれ起こるものです。
    ルカさんもこのまま黙ってはいないでしょう。あんまり激しい修羅場は私も怖いので書けないと思いますが。
    嫉妬に狂った娘は、何をするか解かりません。ミクが王家の人間だと知っていても、知らなくても同じことをするでしょう。好きになった分、嫌いになった時の反動は大きいものです。
    レンが報われるのか、それは…レンの心持しだいかな、と。
    いつも感想有難う御座います。

    2009/04/22 10:48:11

  • エメル

    エメル

    ご意見・ご感想

    こんばんわ~

    うわ、遅くなっちゃいました、すみません><もう十話でてるよ~
    ようやく頭が冷えたのでw
    前回は思いっきりふざけた感想になってしまってごめんなさい。
    あ、私もユーザーブクマしてます。何も言わないで勝手ですみません

    レンくん本当にいい人ですね。全然4つ巴じゃないじゃないですかー・・・あ、リン合わせて4つ巴か。
    でもなんだろ、レンが身を引いたときホッとした自分がいる・・・レンとカイトが争うなんて考えられなかったしね。
    修羅場なんて無い方がいい。このままミクとルカも何事も無く和解できると良いですね。
    でもそうはいかなそうだなぁ。軽い揉め事くらいは起こりそう・・・?ただ足場が見えないから何も考えられない、予想もできない。リンが嫉妬することは火を見るより分かりやすいのにどんな展開になるのか分からない・・・
    リンが核弾頭っぽいのはわたしも考えてましたよw原作では一国を潰してるもんね。しかし国を潰すということはミクの出自が王家だってことがリンにばれるってことですよね。ただの町娘一人に多大な兵力をつぎ込むなんて考えられないし。
    レンは自分で選択するにしたってどこかで報われることがあるといいなぁって思いました。ただただ苦労人なだけじゃあ可哀想です・・・

    すみません、私もこの場をお借りします。時給310円さん、こちらこそよろしくお願いしますね~今度そちらに伺いますね、うちのKAITO`sをつれてw

    2009/04/21 22:17:03

  • 甘音

    甘音

    ご意見・ご感想

    >時給310円さん
    はい、レンはいい奴です。何か、この物語は野郎の方が苦労している気がします。

    レンの恋はあっさりと。
    どうしても欲しいという強さが無かったのかも知れないけれど、相手の幸せを願う恋もあってもいいですよね。取り敢えず、時給310円さんの体験談が気になります。
    レンは確かに微妙な立場です。それでも、レンも自分の大事なものを選んで決断していくのです。少なくとも選択する余地はあるのです。
    リンは爆弾ではなく核弾頭扱いされてしまっている事にこそ吹いてしまったんですが。まあ、それぐらいの威力はありますが。まあ、一言、仕様です。

    次の視点が誰なのか、皆さん予想できてるのでは?
    これからも頑張っていきます!


    >フォルトゥーナさん
    はじめまして。
    わわ、有難う御座います、ユーザーブクマ大歓迎ですよ!
    少しでも楽しんでいただければ幸いです。

    2009/04/17 09:53:13

  • 氷雨=*Fortuna†

    氷雨=*Fortuna†

    ご意見・ご感想

    はじめまして、フォルトゥーナといいます。

    これから甘音さんの作品を読んでみたいので
    とりあえず、はじめましての挨拶に参りました。m(_ _)m

    ユーザーブクマもして良いですか?

    2009/04/16 23:08:53

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