滅亡のハイウェイ
滅亡のハイウェイ。溶け、歪んだアスファルトがそう呼ばせていた。
時速三百キロの夜風がリオンの銀髪を激しくなぶる。アウターバイクは途轍もなく速く、鋭く、凶暴で、ただひたすらに直線のハイウェイを疾走する。
この冷たく閉ざされた世界は狭かった。バイクで丸一日もかければ端から端まで行く事が出来る。その他の地域も行く事は不可能ではないが、放射能の濃度が強く何の装備も無しでは生きて帰る事は出来なかった。
過去に一度だけ、リオンは探索に行った事があった。冷たく閉ざされた世界の果て、『死の荒野』へと。
そこには何も無かった。建物の痕跡はおろか、瓦礫の一つすらなかった。広大な荒廃が視界一杯に、三百六十度の地平線が見えた。
だが、あの時よりさらに向こうの場所こそが今の目的だった。七番対核シェルター――そのシェルターの巨大さに見合った、大量のコンテナが、今も地下深くで眠っている。
確実にある。
自らを鼓舞するようにそれだけを頼りに彼は『死の荒野』へと旅立った。黒いレザー質のNBCスーツと灰色のマスクが生きて帰るための装備だった。二日分の食料とシュラフ、燃料は荷台に括り付け、唯一の武器、白銀のレイピアはバイクのフレームに縛ってあった。
凍てついた風がリオンをなぶる。死の荒野へと近づいたらマスクではなく、ヘルメットを被らなくてはならない。そうしたら、臓腑よりぶくりと泡立ってくるこの気持ちを抑える手段はなくなるだろう。風との戯れは終わりを迎え、彼女らのお気に入りだったこのさらさらの銀髪は臭いヘルメットの中で蒸れゆき思考は腐り果てていくのだ。
あと何キロだろう。累々と横たわる瓦礫を茫洋と眺めながら、リオンは自由意志を深く沈め、思考を凍結させた。
その話を聞いたのはディリスを冬眠させ、リオンたちが活動している植物プラントに着いての事だった。
プラント内では共同体と呼ばれ内容ごとに三つに分けられたグループがおり、相互扶助の形で彼らは助け合っている。
共同体は毎朝、住居としているシェルターからそれぞれの仕事をするために出かける。食べられる植物を育てる班、水資源を得るため地下をボーリングする班、そしてキメラからグループを守る班に分かれる。リオンとジャッカルはキメラ対策班で自らの役割を全うしていた。
そして二人はプラントに帰り、近隣の哨戒を終え当直室に戻っていた班長に事の顛末を語った。
「ディリスがコールドスリープ?」
話を聞き終わり、髭面の四十男が二人に問い掛けた。筋骨逞しく、瞳は活力に溢れている。あまり目にする事のない、『生きた』人間だった。
彼は哨戒から終えたばかりで冷え切った身体を粗末なパイプ椅子に預け、ヒーターをつけて、ジャッカルにコーヒーを作れと命じた。
「ディリスは水資源確保のボーリング班だっただろう。どうしてキメラなんかと遭遇して、死ぬほどの怪我をして、だな――」
「事のいきさつは先ほど話したとおりです」
リオンが言う。
「まず、どうしてディリスが外に出てキメラに襲われたのかについては不明です。何か用があったのかもしれません。かなりの遠出をした事については全く想像の範疇外ですが、ただ数時間前にジャッカルに一言、探し物がある、と」
ジャッカルはべこべこにへこんだスチールのカップを三つ置き、メーカーからコーヒーを注いでいる。ジャンクで埋め尽くされ狭く、雑然とした当直室に香ばしい匂いが漂った。
「ほぉ、そうなのかジャッカル?」
「えぇそうです。俺に探し物があるから手伝えないか、って」
リオンがコーヒーを口にした。……苦い。お前のために特別に濃く入れた、黙って飲んでろとジャッカルはリオンを諌めた。二人は立ちっぱなしで、椅子でくつろいでミルクと甘味料を入れ掻き回している班長を恨めしげに眺めた。
「んで、お前はどうしたと」
「キメラが最近多発しているから警戒中なんだ、悪いが自分で探してくれ――そう言ったんです」
「……リオン。お前は彼女から何か聞いていたのか」
「いえ、何も」
「班長、外に出るなら必ず対策班同伴じゃなきゃならない。ディリスは人見知りが激しいから頼るとしたら俺かリオンだ。だけど兄貴の俺には探しものがあるとだけ。外に出るだなんて一言だって聞いていない。リオンには探すとも言っていないんだ。あれだけ好き合っているなら――」
「ふん、探し物ねぇ」
ジャッカルの話には特に耳を貸した様子も無く、班長は獣のような声で唸った。
「なんだ探し物って」
「わかりません」「さっぱり」
それが分かれば、まぁ動機も納得できるんだが。と、班長が言ったきり場にはしばらく沈黙が降りた。ずるずると三人がコーヒーを啜る音だけが聞こえた。
「そう言えばその助けてくれたキメラって何者よ」
班長の投げかけにジャッカルが答えた。
「人と動物の混種です。理性を失うことなく遺伝子操作に成功した戦争前からの個体だと。事実なら個体年齢は八歳――かなりの長生きですよ」
「大体二年で死ぬからな――十倍くらいに増えて。そんなことより、まともな人格をもって友好的な態度を取っていた事のほうが驚きだ。前例がない。
あとで他の共同体にその事を報告しておいてくれ。――おいジャッカルっ」
「……え? あぁ、はい。まとめときます」
何かジャッカルは考え込んでいたようだが、班長にどやされて慌てて返事を返した。
「コールドスリープの事はひとまずいいとしてだよ。薬品はどうする? ここにはお前のいう薬はないからな」
「薬がどうかしたんですか?」
半分開いていた扉から同じ対策班の人間が顔を出した。廃車のグリスでオールバックにした頭が特徴の二十代の男で、リオンたち二人の先輩に当たる。
実はなぁキーハ、と班長が語り、彼は驚き二人を見やり、真摯な顔になったかと思えばにやにやと打算的な表情を浮かべ、彼らに向き直った。
「他の互助集団の人間から聞いた話です。……『死の荒野』奥にある七番対核シェルターには、まだ生きたコンテナがあるそうですよ」
それは暗に薬がある、と思わせる口ぶりだった。
「……うさんくさい」
班長がいぶかしむのは無理もなかった。長期の間地上に出る事が出来なかった人間は、居住していたシェルターの物資を全て使い尽くしたのだ。多くのシェルターが今ではただの屋根付きベッドと成り下がっている。
「旧アークタワーに構えてる互助集団の一人から知りました。まず、僕たちが住める可能性のある地域は、都市部であったためシェルターが集中していますが、そのうちNBCスーツが装備されているのは三番以下のシェルターだけです。それはどれも規模が大きい。ところが四番からのシェルターは規模が小さくNBCスーツがない。つまり――」
キーハは一度喋るのを中断し、欠けたホワイトボードを持ち出して図を描き始めた。巨大な円を描き、中に左上に小さい円を描く。そしてその小さな円の中に四つの三角形。
それは自分たちが生きる事が可能な世界と、そこに存在するシェルターの図だった。
「三番以下は汚染された地上で活動する事を前提としたシェルターだということです。……これだけ酷いとスーツがあった所で根本的な解決にはなりませんが」
溜め息。
「それで、シェルターは都市部を中心として数が多いわけなんですが五番からはほぼ過疎地、今の『死の荒野』です。そのため地上で活動をしてもあまり意味がないと判断されてNBCスーツが配置されなかったんでしょう」
班長が退屈そうにあくびを漏らした。
「んで、結局何が云いたいんだよ」
自分の知識をひけらかすのが楽しいのか、生き生きと喋っていたキーハの顔が不愉快に歪む。
つまりですねぇっ、キーハは露骨に語気を荒げ説明しようとし、
「今更とやかく言ってもしょうがない。あまりにも突発的過ぎて地上にいる奴らは全員死んだ。一瞬で焦土になった。生き長らえたのは偶然でしかない……」
リオンの悲壮な声に、キーハたちの動きが止まった。
「俺たちはあの日、交代で訓練していた時の市民だったという事を忘れてはいないか」
三人の胸のうちにあの日の出来事がまざまざと思い描かれたのか、その表情はどれも暗く沈んでいた。
彼は続ける。
「復興するとき一番から三番までがトンネルで広くネットワークされていた事は幸いだった。ただ、俺たちは汚染を洗浄するだけが精一杯で、もうその物資はない。ぎりぎり食べていける分だけしか植物を育てられず、危険に晒されながらそのための水を掘り、キチガイが創ったキメラと毎日毎日飽きるまでファンタジーごっこをするのが関の山なんだ――この限られた世界が全てなんだ」
「そ、そんな言い方は……」
ジャッカルがリオンに語りかけ、やめた。普段無口なリオンが堰を切ったように喋るのに、一体自分のどれだけの言葉が届くのだろう。
「俺はまだガキでなんにもわからなかった。世界はもう終わりました、だと? ふざけるなもいいところだった。親を探そうと思って緊急ロックを外して外まで出た。その代償がこのみっともない白い髪だ」
「やめろよリオン……」
「親は死んだ。友達も死んだ。訓練で使っていた五千人の人間だけが生き残ったんだ。みんな生きるのに必死でさ、ただでさえ貴重な食料を独り占めしようとして逆に殺された奴がいた。ババアが外にいて死んでやりきれなくなって自殺したジジイだっていた」
「やめろ……」
「いよいよやばくなってきてようやく一致団結し始めたって頃にキメラだ。なにが食糧難に備えて強い大豆を作りましょうだ。遺伝子いじって飢餓に強い生き物でも作りましょうとでも思ったのか? わらわら変なのがでてきてそのせいでいらぬ物資を使ったじゃないか! 等間隔に置かれているシェルターまでもう到達できず、そのシェルターの物資を使えばうまくいけばこの大陸だけでも浄化できたはずなんだ! キチガイ野郎のせいで今まで積み上げたものが全部おじゃんだ!」
「やめろっ!」
「世界は死んだっ! もう無理なんだっ! ぶった斬ってやるっ!」
昂ぶる感情を抑える事をリオンは未だ知らず、反吐でも吐くように鬱積したものを言霊にして放った。班長とキーハは話し半ばで既に呆れ、ジャッカルはいつまでも落ち着きを取り戻さない彼に殴りかかった。左の頬に拳を見舞い、三歩後ろの壁に吹き飛ばしてようやくリオンはおとなしくなった。気絶したのかもしれなかった。
「……つまり、そういうことですよ」
ぼそりとキーハが呟き、ジャッカルが湿布を探しに部屋を出て行った。
「荒野のシェルターには手のつけようがなかったって事か。……キメラに追われてばかりで、気付く余裕すらなかった」
「七番なのには理由があります。荒野にあって、ここから一番近く、国の訓練指定日から外れたシェルターの一つだからです。他のは我々と同じような境遇の人間もいたかもしれませんが、NBCスーツがないので屋外活動はできませんし、食料なんてとうに尽きているはずです。それと――」
なんだ? 言いよどんだキーハに班長は促し、コーヒーを飲む。もう冷めてしまっていたがヒーターが効いてきて温かかった。
「武器があるかもしれません」
「……本当か?」
「ソースが不明なので確証は持てませんが。ただ七番はバヴィ基地に近かったですから、シェルターに敵兵侵入、迎撃の想定を視野に入れ置いてあるかもしれません。可能性があるというだけです」
「銃があるんだな」
「……多分」
班長の目に暗い炎が宿った――ようにキーハには感じられ身震いした。やはり、これは話すべきではなかったかもしれない。班長の性格では多大な犠牲を払ってでも取りに行くとでも言い出しそうだ。
班長には家族がいた。過去形だ。妻と娘の二人の家族がいたのだ。だがプラントを出て僅かもしない距離でキメラに殺された。戦える自分がいながら家族をむざむざ殺されたその怒りは自分には計り知れない。班長はいつも力が欲しい力が欲しいと繰り返している。こんなことになるまではしがないプログラマをやっていたと聞いたこともある。それがいつの間にか筋肉で固められた肉体となっていた。必要以上の栄養が得られない中でそれはどんなに辛い鍛錬だっただろう。やはり、心境は自分にはわからない。
「銃があればキメラの殲滅が出来る。数は三百くらいだとは俺は思ってるが銃があれば、全部倒せる」
危険な考えだ。キーハは思った。
「でも今回は調査だけです。僕はそれならばと今の話をしてリオン君たちに勧めただけです。薬が見つかるだけでも僥倖だ」
「それは、――わかっている」
残念そうな、それでいて引き下がりたくない抑揚であった。
「……行きます」
班長とキーハは顔を見合わせる。リオンが頬を押さえ、立ち上がっていた。
「今の君ならそう言うと思った。……殴られたところは大丈夫かい?」
大した事はないです、あれくらい。班長が肩をすくめ、ヒーターに手をかざした。
「一時間後に出ます」
「いくらなんでも早いよ。夜は夜行性のキメラが徘徊して昼間より危険だ。朝まで待って――」
「ディリスは冬眠して身体の代謝を遅らせているに過ぎない。一刻も早く治療が必要なんです。そんな悠長な時間はない」
「無線はここにはないし、一時間じゃ他の互助集団の応援は呼べない。それでも一人でいくのかい? NBCスーツは一着しかないんだ」
「心配要りません。俺一人で行けます」
湿布は必要ないな。ドアの陰で立ち聞きしていたジャッカルは、リオンの屹然とした態度で回れ右をした。
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