54.囚われの女王
てっきり地下の牢屋もしくは強盗や殺人などの罪を犯した者たちの監獄へと送られると考えていたレンだったが、その予想は外れた。
メイコが女王の拘置場所に選んだのは、国教会の塔の一室であった。
とはいえ、だんだんと秋の気配の濃くなる季節に、石造りの塔の部屋に幽閉されるのは苦しかった。
すでに女王が捕らわれたことは、国民すべてが知っている。捕らわれたその朝に各地に向けて早馬が走らされ、順調に駅伝が進めば、三日目の今はすでにメイコの生まれ地方のユドルや、緑の国の統治官セベクのところにも情報が届いているだろう。
秋の月の十日目。恐怖の女王が捕らわれたこの日は、黄の国にとって記念すべき時になったと伝わっているはずだ。
「……メイコ。わたくしは、これからどうなるのでしょうね」
三日目の夜。ふとつぶやいた女王に、やってきたメイコは答えた。
「……明日の昼、あなたは王宮広場の前に引き出される」
レンはうなずいた。開いたままの窓から、涼しくなった風が吹きこんで、無地の麻の衣をゆらした。
「そこで、民衆の意思によって、直接判断されるのよ。あなたの、処遇が」
レンは目を細めて微笑んだ。
「そう。……わたくしは、民の感情によって裁かれるのですね」
メイコが頷いた。
「今の状態の民衆に、理屈は通じません。残念ながら、理性的な裁判を行うことは……この国をもう一度滅ぼすことになるでしょう」
レンは窓の外に目を向けた。たとえば。今回の革命が、平常時に行われたのならば、まだ女王が救われる可能性はあったのだ。
ただし今、民衆は旱魃に苦しみ、戦で疲れ、最後の気力で立ち上がったはずだ。
ここで悠長に女王の裁判を行い、間を伸ばすと、今度は直接的にこの群衆を率いた者、つまりメイコ本人が群衆の不信をぶつけられかねない。そしたら、困窮したこの国の未来に待っているのは、取り返しのつかない混沌だ。
おまけに今、黄の国は緑の国をも統治しているのだ。黄と緑、ふたつの国を治めるために、一刻も早く王に代わって率いる者が必要であり、なにより恐ろしいのは、青の国の存在である。
青の国は、同じ資源国としての黄の国に、工芸の国である緑の国を占領され、焦っている。緑の国へ侵略を行ったということで、青が黄の国へ軍隊を差し向けるのも時間の問題だと本当の女王のリンも言っていた。今の状態で青の国に攻撃されれば、間違いなく黄の国は滅ぶ。
「早く次の王を決めねばなりませんね、メイコ」
メイコはうなずいた。
「私は、六年間だけ、王としてこの国を導こうと思います」
メイコの声が、静かに石の壁に響いた。
「あら、期限付きですの?」
「ええ。世界を股にかける隊商の場合、隊の長(おさ)は、もっとも多くの隊員に能力を認められた者がつきます。国だって、民の技やさまざまな作物を売る、大きな『隊商』のようなものでしょう?」
メイコは女王を見、はっきりと告げた。
「私は、この国に、商売の基礎を組上げるつもりです。その次の王は立候補の中から黄の民すべての投票で選び、次の六年間を任せます。みんなにも、そう言ってあるわ」
レンは、声を上げて笑った。
「面白いわね、メイコ。まるで、本当に隊商みたい」
「そうね。王に向かって、パンをよこせ、小麦を返せと叫び、奪った。それはひとりの人間がしたことではなく、皆がしたこと。
……ならば、叫んだ全員が、羊飼いに率いられる羊の群れではなく、隊商のひとりとして、しっかり仕事をする義務がある。
……私は、そう言いたい」
「できるかしらね?」
女王の微笑みに、メイコの紅い鎧がかちゃりと鳴った。
「最初は、戸惑うと思うわ。でも、やらなきゃ、始まらない」
やらなきゃ、始まらない。
その言葉を、レンは新鮮な思いで聞いた。夜の風は冷たかったが、体の奥はなぜか熱い。相変わらず雨の気配のない乾燥した風を、レンは心地よい思いで受けていた。
* *
そして翌日。太陽が蒼穹に高く上った正午、レンは王宮広場にしつらえた即席の舞台の上に上らされた。
「女王は言ったわ! 『わたくしは、国のために働いた』」
メイコが、見渡す限りの群衆の前で声を張った。
レンは、ただ黙って、メイコのかたわらで立っていた。
「女王を、許すというものは、その場に座りなさい!」
誰ひとり、しゃがむ者はいなかった。
「では、水の税と戦の責任を、命で償ってほしいと思う者!」
広場の全員が立ち上がって声を上げ、手を叩いた。
「悪ノ娘を許すな!」
「増税魔!人殺し!」
「うちのとうちゃんはそいつに騙され戦争に行って死んだ! 」
「病気で水が大量に必要だったうちの子が死んだのも、その娘のせいだ!」
女王に死を! 女王を生かすな!
……ああ、本当に皆、立ち上がったのだな。
その様子を、質素な女の衣に身をつつんだレンは、静かな笑みで見下ろしていた。
メイコが、ちらりとレンを見た。レンは二コリと微笑んでやった。
* *
処刑の日時は秋の初月の十五日、午後三時。国民を困窮に陥れた罪として、公開処刑に処す。
広場には、巨大な処刑道具が運び出された。リンの父のさらに前の王の時代に使われた物である。
その時代、黄の国で多くの人間をだまして、命も財産ももろとも奪った大盗賊団があった。その罪人たちが捕まった時に作られた、人間の首を落とす道具だった。首を固定された罪人の上に重い鉈の刃が落ちてくるという、人を殺すための道具である。
その道具が、広場の真ん中の舞台に設置され、真っ赤な夕日に影をそびえさせるのを、メイコは眉根を寄せて、無言で見つめていた。
その日、一日一度は面会にくるメイコは、夜、はさみを持って現れた。
「……明日。苦しくないように、髪を切らせてもらうわよ」
メイコが女王の幽閉されている部屋に、布と箒を持って入ってくる。
「……あら。今日の牢番は、兵隊さんじゃないのね」
戸口に、静かにたたずむ長身の男の影があった。
白い衣に異国の刀、そして濃い色の長い髪をひとくくりにしている姿に、レンは見覚えがあった。
「彼は、明日のあなたの、立会人だから」
「お世話をかけます、ガク」
リンの声をつくって、レンは戸口のガクに声をかけた。
ガクがちらりと振り向いて、そしてふたたび視線を通路の向こうに戻した。
「懐かしいわ。メイコにガク。……ねえ、メイコ」
椅子に座ったレンの肩に布がかけられ、黄色の髪がメイコの手でひと束ずつ落とされていく。風が吹くと髪が散らかるので、この夜は木窓を閉じている。
揺らぐろうそくの明かりが、石の壁に女王とメイコのふたりの姿を、姉妹のように映した。
「不思議ね。明日の今頃は、もう生きていないはずなのに、『あたし』、全然、怖くないのよ」
メイコの手がふと止まる。
「黄の民は、本当は強くて勇気があったのね。旱魃はまだまだ続いて、どこの地域も苦しい筈なのに、広場には馬も馬車も、そして色んな地方の服を着た人がいたわ。王宮の広場にこんなに集まったんだと思うと、わたくしは何故か、うれしかったの」
メイコがふと、ハサミを閉じた。
「……終わったの?」
尋ねて振り向いたレンを、メイコがじっと見下ろして居た。
「……レン」
メイコの言葉に、レンは声を失った。驚きのあまり目を見開く。その視線を、メイコの茶の瞳が捕えて放さない。ろうそくの明かりが揺れて、やや緑色の入ったレンの瞳の光が揺れた。
「……本当に、レンなのね。その驚き方。……うすうす雰囲気が違うなとは思っていたけど、体の感じと、今の反応で、確信したわ」
レンは驚きすぎて声も出ない。
長い時間が過ぎたと思われた時、メイコはふっと視線をそらせた。
「……さすが、レンね」
え、とレンはかけられた言葉に戸惑う。メイコは何かを吹っ切るように目を細めた。やがて、ふうっとため息を吐いた。
「……女王様を守る召使として、良い仕事したわね。あなたらしい」
その言葉に、レンも思わず微笑んだ。
「メイコさん、あなたも。リン様の意志を、よくぞ汲み取ってくださいました。
……おかげで僕は王として人生を全うできる」
レンの言葉に、メイコが目を丸くした。
「そう。……驚いたわ。それがあなたの本音」
レンはただ口の端を上げて頷いた。
「……父上の見立ては間違っていなかった。メイコさんは、黄の国に新しい風を吹かせ、僕らを、本当の王にした。この国を動かした王として、『リン女王』は悪名とはいえ、しっかりと歴史に残るでしょう。
あなたは、僕らの立派な教育係です」
メイコが声を立てて笑った。
「やぁね。それ、皮肉?」
「いいえ。俺の本心です」
メイコが笑い、レンが心からの笑顔を見せた。
やがてハサミの音が再び始まり、レンの髪はうなじを出す形ですっきりと整えられた。
櫛がレンの髪を梳く。最後の女王様扱いだとレンは言って笑ったが、その言葉にメイコの表情は固いままで、答えはついに帰ってこなかった。
やがてメイコはレンの肩から布を取り去り、箒で切った髪を部屋の外に掃き出した。
「ガクせんせ、ちょっといい……」
メイコがガクに声をかけている。その様子を聞きながら、レンは、ろうそくを吹き消し、窓を開けた。高い塔の上から、夜に街の家々の明かりが見えるのが、レンは好きだった。今は静まりかえっている王宮広場も見える。リンと長い時をすごした王宮も見える。遠くの暗い地平の向こうには、緑の国があるはずだ。
ミク女王の葬儀に姿を見せたというハクは、無事に暮らしているだろうか。
空に、ハクの髪を流したような星の川が、今夜も大きく横切っていた。
「……星空を見るのも、今夜で最後か」
外で、なにやらガクとメイコが話しているのが聞こえた。きっと、メイコがガクに、今聞いたことを口止めしているのだろう。
「誰かの会話が聞こえるというのは、いいな」
その響きは、父王と母の王妃が、幼いリンとレンの枕もとで会話していた、その和やかさに似ているのだと、レンは思った。
軽くなった髪が夜風をはらみ、地肌に風が触れるのが何とも気持ちよく面白かった。
もっと星空と風を感じていたかったのだが、こんな夜に限って眠くなってきてしまった。
「……もったいないなぁ……」
明日から、嫌というほど眠れるのに。
とろとろと睡魔が襲ってきたので、部屋の隅の簡易の寝床にもぐりこむ。
耳を薄い敷布につけると、メイコとガク、そして数名の会話が海のざわめきのように聞こえてきた。
それはまるで、温かく美しい、青の国の浜辺を思わせた。
ふと、レンは思いだす。青の国の美しい浜辺で、リンとともに願いを込めた瓶を流したことを。メイコもガクも居て、みんな、無邪気に笑っていたことを。
「……もしも、生まれ変われるならば、」
その先の願いを思い出し、レンの唇が笑みを形作る。
そういえば、リンの願いは叶ったのだろうか。
遠くに寄せては返す会話が、波の音のように引いて行った。
あ、メイコさんが塔を降りていく……
そう思ったのを最後に、レンの意識は眠りの海に溶けて行った。
つづく。
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つち(fullmoon)
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