※今回も若干グロテスクな表現を含みます。
注意して読んでください。
気持ち悪くなられても責任もてません。。
悪食娘コンチータ 第二章 コンチータの館(パート3)
ランチタイムに現れた料理人は、瞳が落ち窪んだ、病的にまで頬がこけた、青白い人物であった。
「マイヴェイと申します。」
低く、そして響かない声で、その男はそう言った。どうやら、この不健康な男が新しい料理人である様子だ、とバニカは考え、小さく頷いた。
「コンチータ様、早速ランチをご用意致しました。」
レヴィンがそう言うと、呼応してリリスが、
「どうぞ、ご堪能くださいませ。」
と続けた。
バニカの目の前に並べられた白磁のプレート、その上には多数の、そして雑多な種類の蝉が存在していた。ただし、全て素揚げされた状態で。香りだけを感じるならば食欲をそそる、だが蝉の姿そのままに食卓に並べられたその見た目は、どのような高評価をつけたとしても、醜悪なもの、或いは逸れに類する表現しか値しない。しかし。
「美味しそう。」
その様子を眺めて、バニカは食感を期待するようにそう言った。
「お褒め頂き、光栄にございます。」
ぼそり、とマイヴェイが言った。その口調からは勿論、彼の表情からも喜びの色は見えない。ただ淡々と、いや、寧ろ深く、そして暗澹とする気配すらも感じさせる光を、瞳からどんよりと放っている。
「これは貴方が用意したのかしら?」
続けて、バニカはそう訊ねた。
「私どもで用意いたしました。」
と、見る限り平静を装った口調でレヴィン。
「全神経を動員して、なんとか確保いたしましたわ。」
対して、明らかな嫌悪感を隠さないままで、リリスがそう言った。
「ご苦労さま。」
その二人の様子に気付く様子もなく、ただバニカは満足そうに頷いた。そして、用意されたナイフとフォークを手に取る。ナイフを利用しようかと考えたのは一瞬、少し大口を開ければ一口で平らげられる大きさだとバニカは考え、ぷすり、とフォークの切先、鋭利な刃を蝉の身体に突き立てた。からり、と破けた甲殻の奥、溢れだした肉汁にバニカの心は果てしなく躍り、そのまま蝉を口元にまで運ぶ。良く見ると、羽がもぎ取られている。これは偶然か、それともそうする必要があって薄い、透き通る羽を毟り取ったのだろうか、とバニカは考えながら、一口、蝉を口に含んだ。まだ熱い、灼熱の油の香りが残る蝉を、そのまま咀嚼する。僅かな固さ、寧ろ歯ごたえと表現すべき、心地よい感触を楽しみながら、バニカは甲殻の奥に隠れる肉を堪能した。そのまま、無言で、噛む。成程、羽は無いほうが食感を相当に良くすることが出来るのだろう。何より、深く、そして未知なる旨みが、肉体の脂がバニカの舌を刺激した。美味、ああ、何と言う美味!
「素晴らしい料理だわ。」
一匹を嚥下し、胃の中に収めてから、バニカは溜息混じりに、恍惚したようにそう言った。今まで様々な美食を、この世の中にある食は全て食い尽くしたつもりになっていたが、まだまだ甘い。世界には、まだこのような美食が存在していた。バニカはそれを知り、そしてそれまでの自分を恥じた。この味を知らずして、何が美食家であろうか。
「お褒め頂き、光栄にございます。」
先程と全く同じ言葉を、全くもって同じ調子で、マイヴェイはそう言った。ただし、もう一言をバニカに添えて。
「今後とも、バニカ様の見知らぬ美食をご提供いたしましょう。」
その言葉に、バニカは頷き、そして答えた。期待に満ちた瞳で、そして口調で。
「ええ、楽しみにしているわ、マイヴェイ。」
バニカが料理人の名前を呼ぶことは極めて稀であった。それだけの期待を、彼に託したともいえるだろう。
「うぇ、気持ち悪い。」
唐突にリリスがそう言ったのは、館の厨房、井戸水から用意した水桶に、バニカが飲み干した直後のグラスを放り込んだ時のことであった。グラスの奥底に残っていた朱色の液体が、ふわりと、小さな筋を描きながら水桶へと広がり、一種幻想的な景色を水中に描き出している。
「余計な言葉は慎みなさい、リリス。」
冷静に、レヴィンはそう言った。そのまま、水桶の中に鈍い銀色に光る粉が付着した器を差し入れる。ただ、その手つきは大分あやふやで、力の抜けた、頼りないものではあったが。
「こんなもの、普通の人間なら食べないわ。」
「コンチータ様は特別だ。」
即座にそう言って、レヴィンはリリスの言葉を半ば強制的に封じ込めた。マイヴェイが訪れてから、もう一月近い時間が流れている。今日のディナー、大量に盛り付けられた食材が多少はまともなものであるならば、レヴィンのリリスも、何一つ文句を言わずに食後の片付けに勤しんでいただろう。そう、ワインの代わりとして牛の生き血が、そして胡椒の代わりとして鉄粉が塗された、猿の脳髄が提供されるようなことがなければ。何より、その見る者に嘔吐感すら感じさせる食事を、バニカが嬉々として平らげるようなことが無ければ。
「昨日は蛇のソテーに、前庭の雑草の盛り合わせ。」
妙なリズムを取りながら、リリスはそう言った。そのまま、鼻歌交じりに続ける。
「一昨日は毛虫の炒め物、」
「やめなさい。」
尖った口調で、レヴィンはそう言った。そのまま、一心に、濡らしたタオルで鉄粉を擦り落としてゆく。
「だって。」
「どうしても。」
拗ねるリリスに対して、レヴィンはもう一度、そして強い口調で言った。そのまま、言葉を続ける。
「コンチータ様を馬鹿にすることは、僕が許さない。」
「はーい。」
呆れたような、諦めたような気の抜けた口調で、リリスはそう言うと、渋々、という様子で生き血のこびりついたグラスを海綿スポンジでごしごしと拭い始めた。当時、そして現在においても尚高級品として用いられる天然スポンジを遠慮なく利用できることは流石、まさしく貴族特権と表現することが出来ただろう。その海綿をリリスはふと持ち上げて、なんとなく眺めた。底部には、先程押し付けた生血がぬらりと、こびりついている。
「そのうち、スポンジまで召し上がるのかしら。」
リリスのその言葉に、レヴィンは今一度眉を潜め、再び厳重注意を果たすべく半ば口を開いた時である。
「それも、良いアイディアですね。」
どんよりとした、今まさに豪雨が襲い繰るような暗澹とした雲天のような口調で、レヴィンよりも早くそう言ったのはマイヴェイであった。手には、なにやら怪しげな小瓶を摘んでいる。
「さて、海綿をどうして調理すれば、コンチータ様はお喜びになるだろうか。」
「まさか、本気でしょうか?」
リリスに向けて飛び出しかけたレヴィンの毒舌は、矛先を変えてマイヴェイへと向けて放たれた。その言葉に、反応の刺激ひとつ受けない様子で、マイヴェイは答える。代わりに、にたりと、滴るようないやらしい笑みを漏らしながら。
「さて、全ての食材はコンチータ様のもの。」
そのまま、瞳を歪めて、マイヴェイは続ける。
「そうは思われませんか、忠実な召使どの?」
本心から褒めているのか、或いは単なる嫌味であるのか、判別を付けがたいマイヴェイの言葉に、レヴィンは軽く、ぎし、と歯軋りを見せた。
「コンチータ様には、更なる美食を堪能して頂きたい。私が考えているのは単純に、それだけです。」
珍しく饒舌に、マイヴェイはまるで自身の言葉に酔う様に、そう言った。
「美食と言うより、悪食。」
ぼそり、とリリスがそう言った。その言葉を無視して、レヴィンはマイヴェイに向かって問う。
「その新しい美食が、その小瓶とでも?」
レヴィンの問いに、マイヴェイはああ、と吐息のような力のない声を置いて、答えた。
「新しい調味料を手に入れたので、早速明日にでも。」
そう言いながら、マイヴェイは手にした小瓶を軽く揺らして見せた。薄暗いランプの光に、中の液体が鈍い青白に光る。
「コンチータ様がご堪能される限り、苦言を述べるつもりはありませんが。」
日々、どこからかマイヴェイが手に入れる奇妙な、そして気色の悪い食材に、毎日のような吐き気を覚えながら、レヴィンは続けた。
「コンチータ様にとって害になれば、その時は。」
レヴィンが剣を刺すような口調でそう言った。その言葉に対して、マイヴェイは唯一つ、くつくつと弱火で、薬だか毒だか分からない煮物を沸騰させる様に、気味悪い、小さな哂いを一つ、漏らした。
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