「よく来たな。私が、音楽を追及する男、神威楽歩だ」
足音すらも、重々しく響く、長い廊下を、しばらく歩いて、やっと、辿り着いた、やはり、美しいけれど、厳(いかめ)しくて、奇妙な扉の向こうの広い居室(いむろ)で、椅子に腰掛け、彼らを待ち構えていた男が、そう言った。
「はじめまして。私は、鈴」
「俺は、蓮だ」
ニッコリ微笑って、鈴が言い、見定めるように、楽歩を見据えて、蓮が言った。
楽歩が、二人を、ゆっくりと、見据えた。その視線は、決して、鋭いものではなかった。しかし、何もかもが、あらわれてしまうような、そんな視線だった。
蓮は、その視線を、まっすぐに受け止めて、自分も、また、何もかもを、映し出そうとするように、見返した。
その視線も、鋭いものではなかった。しかし、時を追うごとに、鏡のように、澄んでいた視線は、だんだんと、澄みきったまま、まるで、研ぎ澄まされた刃のように、鋭くなっていった。
「そうだ! 廻子お姉ちゃん、どうして、ここにいるの?」
その沈黙の視線の邂逅(かいこう)を、打ち破ったのは、鈴の弾んだ声だった。その明るい響きに、蓮は、金縛りでも、とけたように、鈴を振り返った。
そんな蓮に、鈴は、不思議そうに、首を傾げて、蓮を覗き込んだ。自分と似ていて、違う、澄んだ、空色の瞳に、蓮は、何かがとけたように、微笑んだ。そんな蓮に、鈴の空色の瞳も、細められ、ふわりと、微笑みになった。
「ああ。落ちてきたので、私が助けた」
一瞬で、柔らかくなった空気に、廻子よりも先に、楽歩の声が、響いた。
「廻子お姉ちゃんを助けてくれて、ありがとう」
「いや、当然のことをしたまでだ」
「……空の国の乙女たちを、心配させてしまったようで、申し訳ありません」
三人の前に、杯を並べながら、廻子は、静かに、そう言った。
「ううん! 廻子おねえちゃんが、無事でよかった! 天鳩(ミク)お姉ちゃんたちも喜ぶよ」
「すみません。何の連絡も、できませんで。こちらと、あちらでは、幾らか、問題がありまして……」
「私にとっては、然程の問題ではない」
「いえ、楽歩様の手を、煩わせるわけには!」
楽歩の言葉に、先ほどまでの消え入りそうな声を翻したような、廻子の声が響いた。そして、そのまま、自分の声に、驚いたように、竦んだように、俯いてしまった。
「……時に、二人とも、歌が好きなのであろう?」
「うん! 大好き♪」
「ああ。好きだけど」
「では、歌合せをしよう」
「うん♪ 楽しそうだね♪ しよう! 蓮も、するでしょ?」
上機嫌に言った楽歩の言葉に、そんな時間がないと、蓮は思ったが、間髪いれずに、楽歩以上に、嬉しそうに、鈴が言って、蓮を見た。
「……うん。するよ」
結果、満面の笑みに、楽歩の視線に、負けなかった蓮も、ものの三秒も立たぬうちに、陥落するのだった。
「しかし、私は、音楽に優劣をつけるのは、好きではない」
二人の様子を眺めてから、楽歩は語りだした。
「切磋琢磨することは良いことだが、音を楽しむことをないがしろにするきらいがある」
そう言って、楽歩が立ち上がった。一つに結い上げた、紫色の長い髪が、ゆらりと揺れる。
「だから、これで、お題を決めて、順に作って行こう」
そういうと、楽歩は、袂から、取り出した、楽と書かれた、扇子を振った。風が起こるかわりに、そこの空間に、存在していた影という影が、起き上がり、重なり合って、楕円形の影ができた。
「な、何なんだ!?」
「な、何か……黒い姿見みたい……」
「鋭いな。これは、影鏡(かげかがみ)だ。己の知らぬ望みや傷が映る」
「そんなもの出して、どうするんだ?」
「ふむ。これには、それ以外に、こういう遣い方がある」
そう言って、楽歩は、影鏡に、おもむろに、手を伸ばし、そして、彼の手は、そのまま、その影の中に入ってしまった。
そして、再び、出てきた時、その手には、鏡か、氷か、玻璃(はり)か何かの欠片が握られていた。楽歩は二人の前で、その欠片を翳(かざ)す。そこには、窓に、息を吹きかけて、書くような、それでいて、ひどく、達筆な字で、“桔梗”と書かれていた。
そして、それは、見ているうちに、まるで、何もなかったかのように、楽歩の手にとけていってしまった。
「あ。消えちゃった?」
「ああ。仮初に、持ってきたものだからな。だが、お題を決めるのには、問題あるまい」
「うん。ちょっと、淋しいけどね」
欠片のあった楽歩の手を眺めながら、鈴は、淋しそうに、笑って、そう言った。
「なぁ、でも、勝敗を決めないんじゃ、いつになっても、終わらないんじゃないか?」
「そうだな。では、時をみておこう」
そう言って、楽歩は、蓮と鈴の前に、朔から、満ちていって、満月になって、さらに、また、欠けていく月が、浮かんだ円を出した。そして、その円は、ひどく、ゆっくりと、回っているのだった。
「うわぁ! きれ~い!」
「月の満ち欠けだな」
「ああ。今、三日月を過ぎたところだから、上限の月くらいまでにしよう」
楽歩の言うとおり、三日月が、天辺を通り過ぎたくらいだった。そして、楽歩は、三日月から、四つめの上限の月を差した。
蓮は、三日月から、上限の月を見て、それから、八つ目の満月を見た。運命の、月満ちる、十五夜。蓮と鈴が十五歳となる夜。そして、どちらかが、滅びてしまうかもしれない夜。満ち欠ける月たちを睨みながら、絶対に、二人で、十五歳になるんだと、堅く、誓って、ふと、蓮は、違和感に気が付いた。何かが、おかしい。良く、考えなくてはと、そこに、焦点をあわせようとしたとき。
「うん。わかった♪ 楽歩は、いつも、廻子お姉ちゃんと、こうやって、歌を創っているの?」
鈴の明るい声に、蓮は、思わず、鈴を見た。鈴は、蓮には気付かずに、明るく、楽歩に話しかけている。
「……いや、一人だ。ごく、たまには、他の者とするが、ほとんど、一人だ」
何となく、おもしろくなくて、もう一度、満ち欠ける月を見たが、もう、何に違和感を覚えたのかも、さっぱり、掴めなくて、ただ、楽歩の、低い、何か、堪えるような声が聴こえてきた。
「淋しくないの?」
「さぁ……どうだろうな」
「作った歌は、どうしているんだ?」
感情を殺した……というより、最初から、感情が欠落しているような声に、ひどく、淋しさを覚えて、蓮は、そう聴いた。
「外に流している」
『外に流す?』
蓮と鈴は、顔を見合わせあって、そう聴いた。
「海や空に流す。そうすると、耳の良い者が聞きつけて、歌うようになる」
「だから、海渡たちが知っていたのか」
蓮は、納得するとともに、自分の元へ導く歌を、どんな思いで、外に流していたのかと、何だか、淋しく思った。
「でも、一緒に、歌ったりしたいって、思わないの?」
鈴も、蓮とは違うが、淋しいと思ったのか、そう聞いた。
「……思わないでもないが」
「わかった。じゃあ、じゃあ、作った歌、みんな、一緒に歌っていこう♪ 作った人は、そのまんま歌って、他の人は、ちょっと、編曲を加えて歌うの♪」
鈴が、嬉しそうに言った。それは、楽歩のためというよりも、自分もやってみたいという、きらきらした感じだった。
「それは、おもしろそうだ。では、それでいこう」
「うん。じゃあ、それで。順番は、誰から?」
「そうだな。三人だから」
「え!? 廻子お姉ちゃんはしないの!?」
楽歩の言葉に、鈴が、そう叫んで、廻子を振り返った。
「はい。私は……遣り残した仕事がありますので……」
廻子は、申し訳なさそうに、俯きながらも、消え入りそうな声で、そう答えた。
「そっかぁ。じゃあ、仕方がないね」
「すみません……皆様で、お楽しみ下さい………それでは、失礼いたします」
廻子は、うなだれるように、頭を下げた。そして、扉の前で、もう一度、深々と頭を下げると、そのまま、扉の向こうに消えていった。
双子の月鏡 ~蓮の夢~ 二十一
このニ、三日、影鏡から出てくるもののアイディアが出てこなくて、苦労しました。締め切りが、二日、三日って迫っているときに、アイディアが出てこないって、ものすごく、辛いですね。
まぁ、でも、無事に、決まって、本当に、良かったです。
月の満ち欠けの円は、時計というより、観覧車見たいな感じです。時計とは、さかさまに、回ります。(これのアイディアも、少し、苦労しました)
あと、中秋の名月なんですが、陰暦に、数え直した場合は、九月十四日が八月十五日(なかあき)になります。でも、満月なのは、十五日になります。何だか、混乱しますね。
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