角を生やした女は、魁人を見ると静かに微笑んだ。
「いらっしゃいませ。どうかしたのですか?」
魁人は唇を噛んだ。
『どうしたの、魁人。また逃げ出してきたのね?』
耳を奥で懐かしい声がする。目の前にいる女鬼と同じ声が。
――否、あれはあの人ではない。花の名を尋ねた時に答えられなかった。“あやかし”の存在を否定した。
あの人なら赤い薔薇の名を答え、“あやかし”の話を全て受け入れた。
それに、自分は見たではないか。あの人の葬儀を、土に還る瞬間を。
魁人は手にしていた物の布を解き始めた。中から鞘を呪符で覆った、一振りの刀が姿を現した。
女鬼はそれに気付いた素振はなく、魁人に訴えた。
「屋敷から出られないのです。“あの子”を捜しに行かねばなりませんのに」
「……“あの子”?」
「私がいなければなりません。“泣いてしまう”のに」
はっ、と目を開いて、魁人は女鬼を見つめた。――泣いてしまうのは、誰だ。
『ちょっとお向かいさんまで行っていただけよ? 何で泣くのよ、この泣き虫さんは』
あの人の姿が見えないと、すぐに泣きだしてしまったあの頃。死の間際、自分に言い残した言葉もそんな自分に当てたものだった。
女鬼が男児ばかり攫っていた理由は――
「――すみません。貴女をここから出す事は出来ません」
魁人は刀を鞘から抜き、その刃を目の前に立つ女に向けた。
「この屋敷は外界から隔離されています。もう貴女は逃げられません」
昼に摘んでもらった花。あれに呪をかけながら崩し、彼女にその花弁を渡した。その時点で、女鬼の動きを封じる最後の呪は完成されていたのだ。
何を言われているのか理解しきれていない様子の鬼にゆっくり近付くと、
「……ご免なさい」
女鬼の左胸を刀で突いた。
刀は“あやかし”を滅する呪を施してある。もう、この鬼はこの世にいる事は叶わない。
その時だった。
「――大きくなったわね、魁人」
語調が変わった。とても懐かしい響きだ。
女鬼を見ると、額に角は無く、遠い昔に見た笑顔があった。
「めい子……さん……?」
「もう平気ね。立派な退治屋だもの」
女――めい子は朗らかに笑った。
魁人の目に涙が溜まる。
「ありがとう、魁人。――私の未練は、消えたから」
成長した貴方を見届けられない。だから一目だけでいいからその姿を見たかった。例え、退治される“あやかし”となっても構わなかった。
「さようなら」
そう言い残すと、めい子の身体が崩れ始めた。そして次の瞬間には、彼女は赤い花弁となって散った。庭の薔薇と同じように。
涙が流れる。
「……平気なんかじゃ、ありません……っ」
また泣いている。貴女がいないから、貴女の屋敷にいるのに貴女の姿が見えないから。
止んだ筈の雨が降る。止め処無く溢れるそれを止める事が出来る人は、もうこの世にはいない。
* * *
男児を攫う女鬼の怪は消えた。
しかし魁人はその季節――時雨が降る季節になると、空を見上げあの日の事を思い出す。
「時雨よ、あの人に伝えてはくれないか?」
自分は、貴女を――今でも恋い慕っているのだと。
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