自分にはとても無理だ、と王女は思ったそうだ。
どうして父上も母上もあたくしが物心つく前に逝ってしまったのですか? そう空に涙を流したとも一説には伝えられている。その時まだ彼女は十を過ぎたばかり、玉座を埋めることはできてもとても一国を動かす力なんてものはなかった……支え続けてくれた忠臣が老衰でこの世を去った今では。
彼女は双子だった。顔のよく似た男兄弟が、同じ王位継承者として共に育つはずだった。王と王妃が生きていればふたりとも帝王学を学び、どちらかが王位を継ぐはずだったがなぜか、そうなぜか崩御の知らせから幾分後に発表された新しい玉座を埋めるべき存在は王女のほうだったのである。
そのことに関する詳しい資料は紛失している。
王国が悪逆非道と後に呼ばれるようになった原因のひとつでもある奸臣どもが動きだしたせいだとも言われているし、王と王妃が突然のことだったが故に遺言もなにも残していなかった混乱のせいだとも伝えられている。
ただ、彼女は物心つく頃には王冠を玩具として育ちただひとり残っていた老臣に勉学を学んでいたそうだ。
双子ならばもうひとりいたはずの子はどうなったか。
本来なら隣国にでも縁を結ぶため婿に出されてもおかしくない王子は、単なる召使として彼女に仕えていた。血を分けた双子なのにその扱いには歴然とした差があった。しかし彼がひと言でもそれに対して恨みつらみを残したことはなかったのである。
「どうすればいいのかしら……」
老臣亡き後、王女は悩んでいた。王位を継いだ以上、善政を敷かねばならない。だがその力がない。いつの間にか蔓延っていた奸臣たちの勢いは凄まじく、その細腕でなんとかできるものではなかった。
勉学もまだ途中、支えが必要なはずだったがそれに相応しい人物はもう大臣たちの中にはいない。ともすれば足元をすくって嘲笑いそうな連中ばかりである。
「王女。僕の力不足です。こんな時もっと力があれば」
「いいの。仕方ないの……できる限りやるしかないのよ」
跪く召使に彼女は言った。切りそろえられた金髪が、踵を返す王女に連れて揺れる。
明日が来ることが王女にとってはとても恐ろしかった。
なぜならその細い両肩に乗せられた一国という重さに毎日潰されそうになって生きることが辛すぎたから。
眠れない彼女にそっと付き従う顔のよく似た召使は、うなされる王女の髪をそっと撫でながら思った。
「僕ができるだけ、守らなければ……王女が笑ってくれるなら、僕はなんだってやってやる」
その双子の心を知ってか知らずか、毎晩秘密会議で交わされるは奸臣たちの杯。どうやったら王女を傀儡として支配できるかの企みだ。双子の王子は召使として位をすでに落としてある。ひとりだけ強固に逆らっていた忠臣は暗殺に倒れた。その事実を王女が知ることはないし、なにかを繰り出すだけの手腕も能力もまだ身につけてはいない。国を自由にするチャンスだったのだ……。
王女が唯一贅沢をするのはおやつの時間だけだったが、彼らの食事は無駄に豪華だった。グラスに満たされたワインは隣国からの蒼い血とも呼ばれる特級品。突き合わせてささやきあう言葉は悪に満ちていた。
「まずは王女の言葉が民衆に届かないようにすればいいのですよ」
「そうですなあ、そして王女が民の生活を知らないようにすればいい」
「ならばまずその計画から……」
乾杯の音頭に合わせるグラスの音は涼やかだったが、どこか淋しげでもあった。
そしてその夜から少しずつすべてが狂い出したのである。
王女と召使は目を見開いた。
質素を基調としていた謁見の間も執務室も、ひと晩で様変わりしていたのである。
「こんな調度品、頼んでないわ……!」
「いいえ王女様。これは民からの献上品でございます」
白亜に黄水晶が施された執務机、壁は新しい漆喰で塗り替えられ装飾も豪華になっている。鮮やかな色とりどりの生花はこの国ではまだ咲いていないはずのもの。それだけでもどれだけの金がかかったかわからない。
「民は王女様に期待しておられます。よき政を、よき発展をと」
「……本当?」
「ええ、本当ですとも。なんせ可愛らしく咲き誇った我が国の王女様です。まだわからないこともあるやもしれませんが、ちゃんと我々がついてますとも」
彼女は正直で可憐だったが、同時に素直で政治に関して無知でもあった。金の流れもまだ悟るには幼すぎ、それは支えとなっている召使も同じ。あまりにも酷い奸臣はわかっても、見た目忠臣として過ごし心の中で舌を出しているような者を見抜くことなんてできやしない。亡くなった老臣が生きていればこんな突然の贅沢なんて許さなかっただろうがもうその堰は壊れてしまっている。
それでも王女は熱心にたくさんのことを学ぼうとし、たくさんの時間を国のために費やした。眠るのはいつも日付が変わってから、唯一の贅沢は午後三時のおやつだけ。
――だが、そう思っていたのは王女とその忠実な召使だけだった。
次に贈られたのは陽に透けると金に輝くたてがみの、立派な蹄鉄をつけた牝馬だった。
王族の常というわけではないが、乗馬や狩は趣味として盛んであった。それはどの国でも同じだったが、この国は良質の馬を生産することでも有名だった。
乗馬をして楽しむ暇なんてないと言う王女だったが、家臣たちはさかんに民からの贈り物ですぞと諭すのだった。
「お名前をおつけくださいまし、この国随一の牧場からの献上品です」
「わかったわ。考えておきます。ああ、申し訳ないんだけど来月からの税率のために資料がほしいの。あとで召使をやるから渡しておいてくれます?」
「わかりました」
ジョセフィーヌ、と牝馬に彼女は名をつけたが一度乗っただけで後は召使と世話役にまかせていた。
だが、その頃少しずつ悪い噂が流れ始めていたのである。
――毎日姫様は馬に乗って遊んでおられる。
――先日召し上げられた調度品の派手さといったら! どれだけの税が使われたのだろう。
――また税が上がるというよ。まだお若いとはいえ、王女様はこの国を玩具とでも思っておられるのだろうか?
その声を彼女と召使が知ることはなかった。
市井にお忍びで行くことも許されず、ただ王宮の奥底で決して伝わらぬ政を行っていたのである。
ただ、不穏な雰囲気を召使だけは感じていたが彼もまた普段は王宮にて王女に仕える身。本当の民の声を聞くには、あまりに時間と余裕がなさすぎた。
王女の本当の声は届かず、ただ奸臣たちが仕組んだ事柄だけが進められていく。
「今は国庫が潤っているから、来月から国民への税を少し下げましょう」
……お金が足りなくなったなら、愚民どもからいくらでも搾りとりなさい!
「あの人たちはよい意見を述べてくれたわ。是非採用しましょう」
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(その2に続く)
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