第九章 陰謀 パート4
僕の担当は南東地区か。
三十名ほどの兵士を連れて城下町へと向かったレンは努めて無機質にそう考えると、騎乗している馬の手綱を少しだけ緩めた。最近、良いか悪いかの思考を敢えてしないようにしている。リン女王が望むことを全て叶える以外の目的は今の自分に見出すことはできなかったし、なにより自身の存在価値もそれ以外に発見することができなかったのである。ミク女王を殺してから、レンの心理に嵐の様に吹き荒れる感情という思いを抑えるための手段を、心を閉ざすこと以外にレンは知らなかった。それでもレンがポケットにしまいこんでいるミク女王のリボンに手を触れたのは、今回の命令が酷くレンの心を傷つけた何よりの証拠である。何か辛いことがあればリボンに触れる。それが今のレンの習慣となっていたのである。それでも、黄の国の財源が尽きかけていることは相変わらず厨房に出入りしているレンには良く分かっていた。リン女王には最高の食事を提供しているが、それ以外の人間に対する食事は日に日に貧しくなっていたのである。確かに、略奪以外に財務状況を改善させる手段はないのかも知れない、とレンは考えて、真東に延びる東大通を黙したままで歩んでいった。レンの背後で列をなす兵士達も黙したままだ。特別徴収の指示を伝えた時に、全ての兵士の表情が青ざめ、困惑した。これまで戦はしても略奪をしたことは一度も無いのだ、その反応は当然といえた。民は守るものであって、痛めつけるものではない。黄の国の軍人全員に共通していた認識はこの瞬間に崩れ去り、これが後に発生する新たな戦の火種となるのだが、未来を見通す力を持たないレンはとにかく指示通りに略奪を行おうと考えて、とある商家の前で馬の歩みを止めた。黄の国でも有数な商人の館である。東方との貿易で大きな利益を上げている商人だと言う噂話を思い出したレンは、ここならいいだろう、と考えると馬から降りて、後ろの兵士に向かって目配せをした。金のあるところから、必要な分だけを略奪する。結局のところ略奪には変わりないが、貧乏人から奪うよりはいくらか心理的な負担は少ないだろう、とレンは考え、そして二階建て煉瓦造りである商人の館、その玄関を無造作に叩いた。その音に驚いたように玄関口から顔を出したのはこの館のメイドらしい若い女性であった。その女性に向かって、レンは鋭くこう告げる。
「僕は黄の国王立軍のレン。リン女王陛下の名代として参りました。これから特別徴収を行います。」
その言葉を聞いた時、メイドは失神するかのように表情を青くし、そのまま硬直した。何を言っているのか理解できなかったのだろう、と判断したレンは更にこう言葉を続けた。
「通して頂けますか?」
言葉づかいこそ丁寧だが、その語気は鋭い。その言葉に、慌てふためながら、メイドは屋敷の玄関の扉を大きく開いた。その扉を、レン以下三十名が乱入してゆく。広めの玄関ホールに侵入したレンは、兵士達に向かってこう告げた。
「手当たり次第に財宝を王宮へと運んでください。」
妙に冷静なその言葉には流石の兵士達も戸惑いの表情を浮かべた。誰も、こんなことはやりたくないだろうな、と考えながらレンは一人、屋敷の奥へと足を踏み出す。一体何事かと奥の部屋から飛び出してきたのは執事服に身を包んだ初老の紳士であった。
「こ、これは一体何事でしょうか。」
武装した兵士を目の前に平常心を保てる民衆はいないだろう。彼もまた例外なく、緊張した声色でそう告げた。その執事を一瞥したレンは一言、こう告げる。
「特別徴収です。」
その言葉に、執事は空気の薄くなった水槽に入れられた金魚の様に口元をせわしなく動かし始めた。話にならないな、と考えたレンはその執事を無視して、今執事が飛び出してきた部屋へと歩みを進める。その時、我に返ったように執事が二階へ続く階段を駆け上がり始めた。主人に事の次第を報告するつもりだろう、と考えながら、レンは兵士達に向かってこう言った。
「まずはこの奥の部屋から、特別徴収を開始します。」
レンがそう告げると、兵士達は諦めたように、まるで糸の切れたマリオネットの様に奥の部屋へと歩き出した。全員で一部屋に向かう必要もないな、と考えたレンはとにかく一階部分にある財宝を確保しようと考え、部隊を五名ずつの六部隊に分けると、それぞれ担当の部屋を決めて略奪を開始するように指示を出す。この商家の主人が二階から駆け下りて来たのはその時であった。
「こ、これはレン様、一体何事でしょうか。」
流石に執事よりは腹が据わっているみたいだな、と考えながらレンは主人の姿を瞳に納めた。丸々と太ったその姿は文字通りボールの様だから、階段を駆け下りて行く姿は文字通り転がり落ちる様で滑稽だったけれど、という感想を抱きながら、レンは静かにこう告げる。
「リン女王から特別徴収の指示がありました。余計な財宝は国庫に徴収致します。」
「そ、そ、そんな、お待ちください!我が家には余計な財宝など存在しません!」
強がるようにそう叫ぶ主人の姿を見て、レンは僅かに眉をひそめた。金切り声が耳に痛む。面倒だな、とレンは考えて、そして腰に佩いたバスタードソードを引き抜くと、主人に向かって突き出した。主人の首を一撃で狙える位置に剣を構えたレンは、その状態で言葉を返す。
「リン女王への反逆は死罪となっています。」
刃を見て、本気だと判断したのだろう。主人は声にならない呻きを上げながらその場に崩れ落ちた。そのまま、白眼をむいて呻き続ける。失神したな、と判断したレンは主人の肥えた豚のような身体から視線を離すと、二階からも特別徴収を行うように、と兵士達に指示を出した。
その頃、レンとは別の方向、南大通を赤騎士団五十名と歩みを続けていたアレクは、結局何もすることなく到達した城下町最南端にある南大門を見上げながら一つ溜息をついた。黄の国の為と言われても、結局俺には略奪などできない。そんなことをしたら、メイコ隊長はどんな表情をされるのか。また、涙を見せるのではないか、と考えるとどうしても略奪に踏み切れなかったのである。第一、国王の指示はどんなことでも従わなければならないのだろうか。明らかに間違えている指示に対しては、抵抗をするべきではないのか。その思考そのものが反逆罪に当たるとは十分に理解できていたが、それでもそう考えなければ納得できなかったのである。後の世にアレクが民主主義の申し子と評価されるきっかけとなるのはアレクのこの発想が元になっていると通説には言われている。即ち、権力者に対する抵抗権をアレクは今後主張することになるのだが、それはまだ先の話であった。ただ、この時のアレクの行動が後のミルドガルド大陸に大きな一石となったことだけは間違いのない事実である。このまま帰還しても、おそらく反逆罪として処刑されるだろう、と考えたアレクは、配下の五十名に向かってこう告げたのである。
「やはり、俺には略奪はできない。」
その言葉に、その場にいた五十名が色めき立った。赤騎士団に在籍することは即ち黄の国の騎士にとっては誇りなのだ。その精鋭部隊が略奪などに興じる訳にはいかない。誰もが、強くそう考えていたのである。その反応を確かめてから、アレクは更に言葉を続けた。
「このまま王宮に帰っても処刑されるだけだろう。俺は、逃げる。お前達はどうする?」
家族がいるものもあるだろう。逃亡よりも死を選ぶ者もいるだろう。リン女王に絶対的な忠誠を誓うものもいるだろう。そう考えて問いただしたアレクの言葉だったが、その場にいた五十名は一同に同じような反応を示した。
「我々も、アレク隊長にお供致します。」
「そうか。」
その言葉を受けて、半ば呆れるようにアレクはそう言った。この先、食べて行く当てがある訳ではない。五十名ともなると相当の部隊だが、まあいい。傭兵稼業にでも手を染めれば何とか食って行くことは出来るだろう、と軽く考えたアレクは、そのまま南大門を通過して城下町から飛び出して行った。赤騎士団が一斉に城下町から出て行ったとしても、不審に思う人間はいない。なにしろ、黄の国最精鋭の部隊である。何か特別な指令でもあるのだろう、としか考えないはずだ。だが、王宮に残るロックバード伯爵は別だ。ロックバード伯爵に気取られる前に出来るだけ距離を取っておく必要がある。黄の国に残るのは危険だ、ならば行く場所は一つしかない。
青の国のカイト王に救いを求めるか。
そう考えたアレクは、道の途中で馬の進路を東へと向けた。ただひたすら、東のザルツブルグへ。今日の内に、出来るだけ王宮から離れる。不思議なことに、黄の国の王宮から離れた瞬間にアレクの心はまるで羽が生えたかのように興奮で跳びはね始めていた。
自由。ここから先は、自由の世界だ。なんて素晴らしい響きなのだろう!
アレクはそう考えたのである。ただ無邪気な子供の様に、自由という言葉そのものに興奮したままで。
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