全てが停止した。
時間も。風も。ここにいる全ての者たちも。
キクが羅刹の如き奮迅ぶりでABLやテロリストのヘリを破壊した後、世界は、黄金色の月明かりに照らされた夜となった。
あれほど大地を焼き尽くし全てを飲み込んでいった炎は跡形もなく消え去り、ただ荒れ果てた無毛の地の上には、一人の少女が立ち尽くしているだけだ。
その少女の姿が傾き、膝と両手が地を着いた。
「キク!!!」
ただ唖然と事を見守っていたタイトが叫び、彼女の元へ駆け寄った。
思わず、俺と栄田道子が彼の背を追う。
「キク、大丈夫か?!キク!!」
力ないキクの体を、タイトは優しく抱き上げようとした。
「ッ・・・・・・!!」
だが、タイトがキクの纏うスーツに手を駆けた瞬間、タイトの手が飛び引いた。
恐らく、今の彼女は全身を高熱で覆われているのだろう。
あそこまで炎を放出する装置がスーツに内蔵されているとしたら、人間では耐えられないほどの高熱に、キクはさらされたのだ。
タイトは一度引き下がった手を、再びスーツにあてがった。
「ぅッ・・・・・・ぐぅ・・・・・・!!」
高熱が収まっていないらしく、タイトの手から煙が立ち上った。
それでもタイトは、彼女の体からスーツを引き剥がすことをやめない。
装甲が外されるたびに、悲痛な声が上がった。
そして遂に、キクの体からスーツが取り払われ彼女の姿は薄い皮膜のようなスーツだけとなった。
タイトはその体を、繊細な手つきで抱きかかえた。
「キク・・・・・・大丈夫か?!」
「うん・・・・・・きくなら平気だよ・・・・・・だいじょうぶだもん。きくがたいとを護るんだよ・・・・・・だから・・・・・・。」
彼女の唇は、微かな笑みを浮かべているが、同時に高熱に苦しめられているらしく、微かに喘ぎ声も聞こえる。
「キク・・・・・・ありがとう。本当によくやってくれた。でも、俺のせいで、キクが・・・・・・。」
「いいの・・・たいとのためなら・・・・・・こんなの平気だよ。」
「キクッ・・・・・・!!」
音もなく静かな動作で、二人の胸が重なり合った。
なぜか、前までなら呆れた視線で見ていたその光景も、今なら悪くないように思える。
俺は知ったのだ。二人の関係の深さを。そして、愛の熱さを。
あの炎も、あの羅刹も、彼女の愛情の具現化ならば、俺も二人の抱擁にさほど疑問は持たなるだろう。
しかし、あれが愛ならば・・・・・・随分凶暴な愛なんだな。
俺の脳裏に、あの巨人の姿が蘇った。
あの禍々しい風貌は、今思い出しても身震いがする。
「キク・・・・・・次は俺の番だ。これから、お前は俺が護る!」
「・・・・・・きくも・・・・・・。」
そのとき、どこからか心地よく涼しい夜風が吹き、俺達を包み込んでいった。
夜が、二人にささやかな贈り物をしたかのように。
その風が気持ちよかったのか、キクは安心したように目蓋を閉じた。
「やはり・・・・・・。」
不意に、背後で栄田道子の声がした。
その一言だけで、彼女がまるで空気を察していないことは俺にもわかる。
俺とタイトが。怪訝そうな顔で彼女を見た。
「なんだ。」
「あんな戦闘をするアンドロイドは見たことない・・・・・・あそこまで徹底的な破壊をするのは、やはりコンバット・エキサイトのせいかしら。」
・・・・・・?
彼女が、俺の知らない言葉を発した。
似たような言葉なら耳にしていたが・・・・・・コンバット・エキサイトとは、何のことなのか。
「・・・・・・どういう意味だ。」
タイトの言葉には怒りが見え隠れしている。
タイトにはそれなりに知るところがあったのか。
だが、俺にその意味までは知るところはない。
「いえ・・・・・・今ならコンバット・ハイと呼ぶべきね。兵士の戦意高揚による、極度の緊張状態。あるいはそれによる発狂よ。やっぱりこの子にもそれがプログラミングされていたみたいね。」
「・・・・・・お前、何が言いたい・・・・・・。」
タイトの口調が、更に高圧的なものになる。
水面下に隠れた怒りの火のように、あくまでも声を荒げない、その姿勢が。
「あのね、今のような状態は、もしかしたら敵に対してのみには限らないってことよ。」
何だと・・・・・・。
何を言ってるんだ。この人は。
「どういうことなんだ。」
コンバットハイなら知っている。今彼女が言ったとおりだ。
軍用ナノマシンが兵士に及ぼす作用の一つで、兵士が敵を殺害したときに、ナノマシンが脳内麻薬物質のノルアドレナリンの分泌を促進させ、興奮を得て戦意を増し、次第に必要以上の殺戮を求めるようになると言う、おぞましい言葉。
恐らく、俺とタイトにも、そしてキクにもそれは作動する。
それがどのような結果を生み出すかは、俺にも計り知れない。
だが・・・・・・。
それが、敵に限ったことじゃない、とは・・・・・・。
「こういうことは余り言いたくないけど、この子、過去に友軍を攻撃したって事はない?」
馬鹿な・・・・・・この期に及んで何故そんなことを訪ねるのか、俺には全く理解できない。
「・・・・・・それがどうした。」
「やっぱりね。その子は、長くは戦えない。もうすぐ精神に限界が来る。」 「何を訳の分からないことを・・・・・・!」
水面の中に隠れた怒りが、浮上しようとしていた。
「私はほんの数週間前まで、クリプトンの地下研究所に研究員として潜入していた。そして、そこでこの子を含む三体のアンドロイドが修復を受けているのを目にしたのよ。」
「?!」
余りの驚きに、タイトの瞳が大きく見開かれた。
「あなた達知っているでしょう。水面基地事件を。そのときに甚大な損傷を受けた三体の戦闘用アンドロイドのことを。」
もはや、威圧的な態度はなく、タイトは首で頷くだけだ。
「この子を含めた、まさにその子達。今あなた達の仲間であることも知っているわ。」
「・・・・・・。」
「そのときに、擬似的なコンバット・ハイを起こすプログラムを検出したの。でも、それのおかげで、精神が僅かに侵食されていたわ。」
彼女がキクを一瞥し、一度俯く。
「彼女たちの修復が終わる直前にある事故があって、とりあえず私はそこを離れたから後のことは知らないけど・・・・・・。」
「そうか・・・・・・あんたがキクを・・・・・・。」
対めき混じりに呟くタイトの言葉には、怒りという感情はこもっていなかった。
そして二人は口を閉じ、沈黙が流れ始めた。
そのとき、博士からの無線が届いた。
「どうした?」
『デルさん、タイト。大丈夫かい。衛星で全てを見ていたよ。』
「なんとかな。キクのおかげで命は助かった。」
『あと三十分ぐらいで、陸軍のVTOLがそちらに到着するはずだよ。寒いと思うけど、もう少しそこで待機してて。』
「ところで、博士。」
『なんだい?』
「コンバット・ハイ、というのは知っているか。」
『ああ・・・・・・知ってるよ。』
「それは、人の精神を蝕むものなのか?」
『それだけじゃない・・・・・・それのせいで平和な世界を壊し、戦争ばかりが続く。人の精神ではなく命を奪い合う、残酷極まりないもの。ミクも、一度そのせいで戦闘を心から愉しんだ・・・・・・もう、嫌だ。誰かが戦うことも、誰かが傷つくことも。早くミクと一緒に、元いた生活に帰りたい。』
「・・・・・・・そうだな。俺もそんな平和に憧れる。」
『デルさん・・・・・・。』
そこで博士との無線が切れ、再び沈黙が訪れた。
タイトに何気なく声をかけようとした・・・・・・が、俺は肩にかけていたスナイパーライフルを構えた。
銃口は、何か禍々しい気配を感じる、あの林の中へと向ける。
タイトも既に銃を構えていた。
来る・・・・・・。
兵士でもABLでもない何かが、一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
「フフフフフフフ・・・・・・・・・・・。」
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