48.秋の月、第一日目の朝

 夜明けとともに、遠くから、近くから、ざわめきが聞こえてくる。それはやがて小さなまとまりとなり、だんだん大きな塊となり、乾いた黄の大地を埋め尽くす。
 昇る陽とともに、熱い人のうねりが近づいてくる……。

「リン様! リン様!」
 朝一番に駆けこんできた女性の召使は、すでに完璧に支度を済ませて立つ女王を見た。
「おはよう。あまりにも騒がしいので、早くに起きてしまったわ」
 秋の月の第一日目のことであった。
 涼しい空気にすっきりと目覚めたリンは、執務室から中庭に向かう窓を開ける。
「お気づきでしたか! 王宮広場に人が大勢詰めかけています! 外は大変な騒ぎですよ!諸侯の方々が王の間に御集りです!」
 リンはにこりと微笑んだ。
「ありがとう。すぐ行くわ」
「失礼いたします。そのまえに、朝食だけはお召し上がりくださいな!すぐお持ちいたしますわ」
 女性の召使がやや慌ただしく去っていく。ぱたりと閉まった扉に向かって、リンはつぶやいた。

「……本当に、今まで残ってくれて、ありがとう。恐怖の女王の元に残る召使がいるなんて、誤算だったけど」

 朝食を取らずにすぐにでも王の間へと向かおうと思ったリンだったが、今回はきっと、人生でもっとも頭を使う日になる。
「そして、きっと……女王として最も大事な日になる」
 栄養は少しでも取っておいた方がいい。リンがしばらくも待たないうちに、先ほどの召使が朝食を運んできた。
 涼しい朝にぴったりの、温かい根菜とバターのスープと、平たく焼いた小麦のパンだ。
「……料理人も残っているなんてね。本当に誤算だわ」
 リンの口が野菜のスープを含み、細い指が小麦のパンをちぎる。視線は中庭を向いていた。

「シャグナ。ホルスト。……王に無断で課税していたあなたがたの所業、こんどはわたくしが、利用させていただくわ」

 リンは、食べ終えた食器を端に寄せ、書類の棚に向かい合った。
 そして今年から数えて三年分の文字の書かれた紙の束を手に取った。
 ぱらぱらとめくり、いくつかの数字を新しい紙に書き出した。そして書き終ると、召使を呼ぶ呼び鈴を鳴らした。
 節を何度か付けて鳴らすと、幾人かの足音が聞こえてきた。
「リン様。お呼びですか」
 集まった召使たちを見て、リンは苦笑を向けた。
「これで全員なのね。……恐怖の女王とこの状況の中で王宮に残っているなんて、あなたがた、すごいわね?」
 集まった召使は三十人。男性と女性はちょうど半々。もちろん、その中にレンもいる。こんなに大勢の人が残っていたのかとリンは少々呆れ顔をかれらに向けた。先ほど鳴らしたのは、全員集合の合図である。
「さて、集まってもらったのは、至急やっていただきたいことがあるの」
 リンは執務机に歩み寄り、先ほど何やら書きつけていた紙を取り上げてひらりと示した。
「……この数字は、何ですか? リン様?」
「それに、この……丸いケーキが一切れだけ欠けたような絵は……」
「この数字と丸の絵をね、なるべく大きな布に書き写してほしいの。
 太く大きく、王宮広場に面したバルコニーから見えるように」
 リンがあでやかに笑った。
「お願いね。……広場の大騒ぎを何とかするために、必要なものだから」
 リンが、集まった皆を、その海の色の視線で見つめた。
「急いでね」
「ハイッ!」
 レンをはじめ、召使たちの声が揃った。
「バルコニーから見えるようにだって?」
「って言ったって、インクはそんなにないぞ!」
「かまどの炭はどうだ?」
「そうだ、城壁を塗るペンキがあったはずだ!」
 料理人と庭師が駆けだす。
「布は!」
「シーツを何枚か縫い合わせれば……」
「女王さんはすぐにとおっしゃっている。広場の騒ぎにしたって、縫っている時間はないぞ」
「ええい、カーテンをニカワでくっつけちまうってのはどうだ!」
 あっという間に召使たちはそれぞれの場所へと駆け去って行った。
「レンもかれらを手伝って」
「ハイ、リン様」
 この時、リンの発した言葉、『広場の大騒ぎを何とかするために』、この『何とか』の意味を深く考えなかったことを、レンは後に強く後悔することになる。
「さて、わたくしもゆかねば」
 リンはひとり、執務室の扉を閉め、そこを後にした。向かうのは諸侯の待つ王の間である。

          *         *

「リン女王!」
「大変な騒ぎになっておりますぞ!」
「どうなさるおつもりか」
 リンが王の間に現れるなり、諸侯たちがまるで扉へ押し戻すように詰め寄ってきた。
 リンは無言で緋毛氈の道を歩き、玉座へと上る。
「民衆が朝から続々と集まってきて、パンを寄こせと大騒ぎですぞ!」
「緑の国と戦ったのに、報酬はほとんどなかったと!」
「戦利品を、戦った黄の民ではなく緑の女王の葬儀に使ったこともすでに知れ渡っておるようです!」
「もともと、無理な戦争だったのではないですか! 青の国がすぐにせめて来るとも限らなかったのでは」

「静まりなさい!」

 玉座へと昇りつめたリンがドレスをひるがえして十人の諸侯らに向き直った。
 朝日が彼女を煌々と照らし、金色に輝いた姿を諸侯らが焦りの表情で仰ぐ。

「……諸侯らの言う通り、戦争を始めたのはわたくしの責任です。そして、この国の女王はわたくし。
 ……わたくしが、かれらに向かって説明をいたします。すべての責任は、王としてわたくしが被りますから、あなたがたはただ付いていらっしゃい」
 
 リンがそう発した瞬間、諸侯らになんとも言えないゆるい笑みが浮かんだ。朝日に照らされた檀上のリンは、彼らの顔に浮かんだ保身の笑みを、ただ静かに見下ろしていた。

「今、召使たちに、最終的にこの騒ぎを収める準備をしてもらっています。諸侯のあなたがたは、それを持って立っているだけでいいわ」

 それは、自分もまさかいきり立った群衆の前に出るのかと不満な表情を浮かべた諸侯らに、リンは傍らの剣に手を触れて見せた。

「あの戦争が無茶だったというけれども……それを言うならあなたがた、『地域の民と富を守る』諸侯のくせに、わたくしに何も言わなかったわね? 」

 諸侯たちが『地域のために』という名目で、王の定めた税率よりも多く民から接収していたことへの痛烈な当てつけだった。
 リンが剣を少し持ち上げて見せる。かちゃりと音をたてた剣の束に、数名の諸侯が後ずさった。

「仮にもこの国の諸侯だというのなら、わたくしのために垂れ幕を持つくらい手伝いなさい」
 
「……垂れ幕?」

 首をかしげた諸侯らだったが、リンはふふんと微笑んだだけで、それ以上何も言わなかった。


つづく!

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悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 48. 秋の月、第一日目の朝

季節はめぐり、黄色の季節が動き始める!

悪ノ愛のはじまりは此方↓
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
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閲覧数:208

投稿日:2011/01/29 23:30:51

文字数:2,773文字

カテゴリ:小説

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