第九章 進軍
グミとメイコの密談から二週間ほど経ったある日、青の国の王宮で必死に彼の呪いを解く方法を探し求めていたルカは、青の国の王宮が妙に慌ただしいことに気が付いた。
一体何事だろう。
そう考えたルカは、私室から身を乗り出すと、ルカの目の前を大急ぎという様子で歩いていた一人の兵士を呼びとめてからこう尋ねた。
「一体何があったの?」
「これはルカ様。全軍の招集がかかりましたので、練兵場に向かっているところです。」
新兵だろう、まだ少年の面影を強く残したその兵士は足を止めるとそう言った。
「全軍の招集?」
嫌な予感がした。今軍を召集する理由が見当たらない。もしあるとすれば。
ルカがそう考えていると、その兵士は興奮した様子でこう答えた。
「はい。とうとう悪逆非道の黄の国への進軍準備が整ったのです。」
「そう。忙しいところごめんなさい。」
ルカは心の動揺を隠すようにその兵士に向かってそう言った。
「はっ!」
覚えたてのような敬礼をルカに行ったその兵士は、足早にルカの元から立ち去って行った。
とうとう、この日が来た。
ルカはそう考え、僅かに乾いた口内を舌で舐めた。カイト王がミクを殺した黄の国のリンに対する復讐を宣言してから、いつかは訪れると思っていた。
けれど、たったひと月余りで遠征準備を終わらせるなんて。
まずは、カイト王の真意を確かめなければ。
ルカはそう判断すると、長いローブを靡かせながら謁見室へと急ぐことにした。
「突然どうしたのだ、ルカ殿。」
事前の連絡なく謁見室を訪れたルカに対して、カイトは意外という表情でそう声をかけた。
「この度、黄の国に進軍されるという噂を耳に挟みました。それに当たり、カイト王のご真意をお尋ねしたいと考え、参りました。」
「確かに進軍をする。」
煩わしそうにカイトはそう言った。やはり、と考えたルカは更に言葉を返す。
「今ミルドガルド大陸に無用の混乱を発生させようとすることが私には理解できません。ご再考を。」
「混乱を起こすためではない。ミルドガルドを安定に導くためだ。」
「御冗談を。ほんのひと月前に大きな戦があったばかりでございます。今のミルドガルド大陸にこれ以上の戦は不要です。」
「貴殿には理解しえぬところであるようだな。」
「と、言いますと?」
「黄の国の国民を救うために我々は出兵するのだ。聞けば、内政の要であったアキテーヌ伯爵を処刑したばかりか、最近は守るべき国民に対して略奪行為まで働いているということではないか。これ以上リン女王陛下に統治をお任せすべきではない。そうではないのかな?」
「略奪行為を?そんな、まさか・・。」
思わずルカは言葉に詰まった。アキテーヌ伯爵の処刑についてはルカも耳にはしていたが、略奪行為を行うまでに財政が逼迫しているとは予想していなかったのである。
「分かっただろう。もはやリン女王は国王として失格ということだ。我々はそれを是正するために黄の国へ止むを得ず進軍するのだ。」
「・・内政干渉ですわ。」
苦し紛れと言う様子で、ルカはそう告げた。
「内政干渉には当たるまい。なにしろ、黄の国の暴政を逃れるために、多数の逃亡者が青の国に入国している。早い段階で黄の国の政治体制を変更しなければますます多くの住民がその住処を失うだろう。その住民たちが頼ることができる国は我が青の国しか存在しない。なにしろ、緑の国は既に黄の国により滅ぼされているからな。しかし、我が青の国といえども黄の国全ての住民を養える程の国力はないのだ。これ以上流民が増えれば青の国の経済がおかしくなる。お分かりか?既にこの問題は国際問題へと発展しているのだ。」
緑の国、と告げた時に、カイトは僅かに語気を強めた。その様子を見て、本音はそこだろう、とルカは考える。
やはり、ミク様の仇を討つというお考えには変更がない。ただ、都合のいい言い訳を考えているだけだわ。
「それでは、リン女王陛下とのご婚約はいかがなさるおつもりですか?」
「我が軍が攻めた段階で破棄する。当然だろう。」
「畏まりました。では、最早何も言いますまい。」
ルカはそう告げると、謁見室を退出することにした。もう、何を言ってもカイトは止まらないと考えたのである。
それよりも、このことを極力早くリン女王にお伝えしなければ。
そう考え、ルカは歩む足を僅かに速めた。
「軍団長。」
ルカが退出したのち、カイトはルカとの会話を一部始終聴講していた軍団長に声をかけた。
「はっ。」
「ルカ殿は黄の国に帰国するおつもりだろうか。」
「おそらく。」
「そうか。何、最近は治安がどうも悪い。夜盗に襲われなければよいが。」
カイトはそこで言葉を区切ると、軍団長に向かって不敵な笑みを見せた。それを受けて、軍団長も僅かに口元を緩める。
「そうですな。今日の夜は新月です。危険ですな。」
軍団長はそう言うと、謁見室を退出して行った。
急いだ方がよさそうね。
私室に一度戻ったルカはそう考えて、最低限の荷物をまとめると私室を後にすることにした。
なんだかんだ言って、半年近くお世話になったわけだ。
そう考えると妙な愛着も湧く。黄の国と青の国が戦争になれば今後この国に訪れることもあるまいと考えて、ルカは部屋に向かって小さく、ありがとう、と告げた。
使い慣れた私室との簡素な別れを済ませると、ルカは足早に青の国の王宮の廊下を歩いて行った。あの様子では数日のうちに進軍を開始するはずだ。一刻も早く黄の国に戻り、このことをリン女王に伝えなければならない。
本当は、秘策が見つかるまで帰国するつもりはなかったけれど、仕方がないわ。黄の国の存亡にかかわる事態だもの。
厩舎に到達すると、ルカは使い慣れた愛馬の背を軽く撫でてからその上に飛び乗った。すぐさま手綱を引き、馬を走らせる。
ねえ、ファーバルディ。私、あなたの国を守れるのかしら。
寒い風を切り裂くように駆けながら、ルカは気の遠くなるような過去に共に過ごした人物の優しい表情を思い出して、心の中でそう呟いた。
その夜。
ルカは黄の国へと続く街道の宿場町で一泊することにした。敢えて町外れの寂れた宿を選んだルカは、夕食もそこそこに二階に用意された部屋に向かうと、すぐにベットにもぐりこんだ。明日は朝一に出発しなければならないからだ。
その前に、片づけておかなければいけないことがあるけど。
ルカはそう考え、部屋の照明を消してから、周囲の気配を探る。
やっぱり、付けられていたみたいね。
ルカが感じたのは、僅かな殺気であった。熟練された兵士がおそらく五名、この宿をとり囲んでいる。
この宿にして正解だったわ。私以外、宿泊客はいないようだし。
ルカはそう考えると、暗闇の中で身を起こした。
間違いなく私を殺しに来たわね。流石カイト王は抜け目がないということかしら。強行突破も不可能じゃないけど・・騒ぎを大きくしたら返って不都合かしら。
ルカはそう考えると、忍び足で部屋を抜け出した。
「隊長、ルカ殿は既に就寝された様子です。」
偵察に向かわせた一人の兵士が足音を立てずに戻ってくると、青の国王立軍第一部隊隊長である男に向かってその様な報告を行った。
「そうか。部屋はどこだ?」
「二階の奥の部屋でございます。」
「よし、行くぞ。寝込みを襲うとはいえ、相手は強力な魔術師だ。油断するな。」
隊長はそう告げると、総勢五名の部下を引き連れて宿に侵入した。
「はい、何事でしょうか。」
帳簿をめくっていた宿の主人は、殺気だった兵士たちの姿を見ても臆せずにそう言った。
「ご迷惑をおかけする。今、指名手配犯がこの宿に入ったと聞いて急行した。桃色の髪を持つ女性が宿泊していないか?」
「その方でしたら、はい、確かに。」
「その女性が指名手配犯だ。捕り物故に多少五月蝿くなるが、ご主人はここで身を隠しておいて頂きたい。」
「なんと。そ、それは一大事でございます。ご武運をお祈りしております。」
主人はそう告げると、身を隠すために奥の部屋へと引っ込んで行く。
「行くぞ。」
隊長は部下にそう告げると、階段を慎重に上り、そして二階の奥の部屋まで歩く。変に物音をたてて勘付かれる訳にはいかないからだ。その様に慎重な物腰でルカが宿泊している部屋に到達すると、隊長は静かに扉を開けた。
ベットが軽く膨らんでいる。どうやら完全に睡眠しているようだ。
隊長はそう考えると、無言で剣を抜き放ち、そしてそのままベットに向かって剣を突き刺した。
呆気ない。
隊長がそう考えた瞬間、背後で歌うような声が響いた。
「スリープ。」
何事だ、と隊長が考えた時には、強力な睡魔が彼を襲ってきた。抵抗する術もなく、隊長は床に倒れこむ。それは後から続いた兵士たちも同様だった。
「油断もできないわね。」
兵士の全員が昏睡したことを確認したルカは、そう言いながら溜息をついた。ルカは今まで隣の部屋で身を隠していたのである。
とにかく、もう出発しましょう。
ルカはそう考えた。睡眠魔法であるスリープの効果はせいぜい数時間。遅くても日が昇る頃には全員目覚めるはずだった。
今のうちに、極力距離を稼がないと。
ルカはそう判断すると、階下に降り、厩舎に繋いでおいた馬の手綱を取ると夜の街道を駆け出して行った。
「逃げられたか。」
翌日、軍団長から事の報告を聞いたカイトは悔しそうにそう言った。
「申し訳ございませぬ。」
「よい。今更ルカ殿が黄の国に戻ったところで何もできまい。それよりも、進軍はできる状態なのか?」
「はい。予定通り、本日の進発が可能でございます。」
「そうか。では行こう。黄の国へ。」
カイトはそう言うと、玉座から立ち上がり、軍団長を引き連れて練兵場へと向かうことにした。
もう少しだ。
もう少しで、君の仇が取れる。ミク、天国で我々を見守っていておくれ。
カイトは王宮を踏みしめるように歩みながら、その様に心中に呟いた。
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