1.
午後七時三十八分、巡音学園椿寮女子棟。そこは、まさに戦場だった。
「グミ、状況報告を」
「はっ。今より五分前、三〇九号室の初音嬢が脱衣室にて敵影を確認した模様でございます。その初音嬢が、縞パンのみの扇情的な姿で飛び出してきたところを、その場に居合わせたわたくしが保護いたしました」
「そう……学園きっての歌姫を標的にするとは、万死に値するわね」
私は制服のまま、寮の板張りの廊下を歩きながらそうつぶやく。隣で一歩後ろを歩く彼女の「扇情的な」という謎のセリフはスルー。
「もちろんでございます。すでに寮内で動員できる人員の八割を徴発し、現場の封鎖、監視、そして第三次までの防衛線の敷設が完了しております」
「わかったわ」
――よくわかったわ。いくらなんでもやりすぎだということが。
巡音学園生徒会書記を務める彼女は、同じく巡音学園生徒会会計を勤める私、巡音ルカの、いわゆる親友というやつだ。私は親愛の意を込めてグミと呼んでいるのだけれど、彼女は私のことをかたくなに「お嬢様」と呼ぶ。そもそも同学年なのに過度な尊敬語を多用するあたり、もしかしたら親友だと思っているのは私の方だけなのかもしれない。
彼女の綺麗な淡い緑色の髪の毛はショートカットにしており、シャギーをいれてだいぶすいている。なので、ボブカットのように全体的にまとまっているというより、かなり動きのある髪型だ。私みたいにシャギーなどいれずにロングにしているのとは全く印象が違うが、何かにつけて活発に活動する(そして、彼女が首をつっこんだ事象のほとんどが混迷を極めることになるわけなのだが、彼女は彼女で不思議と皆に信頼されている)彼女にはよく似合っていると思う。そしてグミはそのひたいに必ずなにかしらのアイウェアを載せていた。デフォルトは普通のメガネなのだが、それも銀縁だったり黒縁だったり縁なしだったり、はたまた丸メガネあり四角メガネあり、色もデザインも様々で、一体いくつのメガネを所持しているのかは全くの不明だ。場合によってサングラスだったり水泳ゴーグルだったりすることもあるのだが、それらを普通に掛けていることはまれであり、ひたいに載せるのが彼女のスタイルだ。目が悪いわけではないので、それらのレンズには度が入っているわけではない。なぜそうするのか私は尋ねたことがないからわからないが、それはそれで彼女によく似合っているから、とりたてて尋ねてみようと思ったことはなかった。きっと、譲れないポリシーなんだろう。ちなみに、今日はシンプルな銀縁メガネだ。
「それで、初音さんは、今は?」
「はっ。とりあえずはわたくしの部屋にかくまっております。初音嬢は自分の部屋の鍵を脱衣室に置いてきてしまったとのことですので、わたくしの洋服をお貸ししております。ですが、わたくしの服では胸元にずいぶんなゆとりができてしまうでしょう」
「……」
暗に自分の胸が大きいと自慢されても困る。私にどうしろと。
私の微妙な沈黙に気まずくなったのか、小さく咳をしてからグミは話を変えた。
「……ともかく、今、寮母室にてBC兵器の借用を申請しております。また、戦闘に備えて近接武器の扱いに手慣れた精鋭も現場に待機しております」
「……そう。いいんじゃないかしら」
でも、あれをBC兵器――バイオケミカルウェポンって呼ぶのは、正直、どうかと思う。確かに、化学薬品とかを使っているのは、たぶん、間違いないんだろうけれども。
「は。つきましては、以降の陣頭指揮をお嬢様にお願いしたいのですが……」
「この前のときに私が退治したから、今度も私に――ということなのでしょう? いいわよ。構わないわ」
私の言葉に、グミは深々と頭を下げる。だから、そういうところが過度だというのに。そのうち、学校から寮に帰ってきたらメイド服にでも着替えるようになるのではないかと不安になる。それはそれで、彼女にはとてもよく似合いそうだけれど。
「ありがとうございます。皆、あの黒き悪魔に恐れおののいてしまい、もはやお嬢様にお頼みする他ない、と申しておりまして」
そんなことないと思うけどなぁ……とぼやきそうになるのをグッとこらえ、私はうなずく。
「わたくしが指揮をとっても構わなかったのですが、わたくしにはお嬢様ほど実績や実力があるわけではございませんし、そもそもカリスマ性がありませんので、皆の安心度が違うのです。それに、わたくしもなかなかの巨乳だという自負はありますが、さすがにお嬢様に匹敵するほどのものではありません。形の美しさであれば、あるいはお嬢様といい勝負ができるのかもしれませんが――」
「……」
今度は堂々と、自分の胸が美乳だと自慢し始めた。が、私が無言のままジト目で見つめたので、グミは仕方なくといった様子で口をつぐむ。おそらく、私が止めなければ十数分くらいは私を持ちあげる裏で、自分のスタイルのよさについて延々と語っていたことだろう。彼女の悪いくせだ。だいたい、今回の件のいったいどこに胸のサイズが関係してくるというのだ。蛇足だといっても過言ではない。というか、蛇足でしかない。
――そうやって、軽い打ち合わせのようでいて、実のところただの雑談にしかなっていない会話をしながら階段を下り、一階へ。
そこには一年の女生徒が三人、戦々恐々とした様子で廊下の先を見つめていた。とすると、ここがグミの言っていた防衛戦の一番外側、つまり第三次防衛線なのだろう。こんな所にまで人を置いてどうするんだろう。こんな、現場である脱衣室からかけ離れたところにまで人を配置しておく必要が本当にあるのかどうか疑問だ。
彼女たち一年生の三人組は、グミと一緒にやってきた私の姿を見て、明らかにホッとしたようにため息をついた。
「あぁっ、ルカ様、よかった! あの黒い悪魔が出たって聞いて、あたし達とても怖くて――」
「ルカ様が来て下さったのならもう安心だわ! 黒い悪魔にルカ様の恐ろしさを思い知らせてやって下さい――」
「お姉様! いつものようにあの悪魔をやっつけちゃって下さい! お姉様がいらしてくれたのなら、もう大丈夫ですよね――」
三人が一斉に話し始めたので、私は片手をあげて半ばさえぎりながら、ほほ笑むことで答えて通り過ぎる。と、話をさえぎられたにもかかわらず、その三人組は歓声を上げながらまた騒ぎ出した。
「ちょっとアンタ、ルカ様をお姉様って呼ぶなんて生意気よ」
「なによ。別にそれくらいいいじゃない。私たちより年上なんだから、お姉様って呼んでも間違ってないもの」
「もー。二人ともやめてよね、恥ずかしい――」
――と、背後でさっきの三人組が言い争う声がばっちり聞こえてくるのだが、面倒くさいので、これもスルー。
内心でため息をつきながら、第二次防衛線と第一次防衛線を越え(この二つも無駄だと思うのだが、そこにいた皆は、なぜかそれが重要な任務だと意気込んで前方を見つめていた。脱衣室の方を見ている他にやることなんて無いのだけれど)私は脱衣室へと向かう。
脱衣室の扉の前では、袴に竹刀や薙刀を構えた女生徒が、四人待機していた。彼女たちが例の「近接武器の扱いに手慣れた精鋭」とやらなのだろう。竹刀と薙刀はともかく、わざわざ袴に着替えなくてもよかったのにと思う。グミに聞けば「雰囲気作りも重要なのです」とでも答えるのだろうか。
「お嬢様、申し訳ございません」
「……? なにがかしら」
グミは、なぜか沈痛そうな表情をして続けた。
「わたくしも、本来であれば剣道部員の他にそろえるべきは柔道部員と相撲部員だと承知していたのです。ですが、ですが……! 柔道部員はその全員が男子であり、相撲部などそもそもこの巡音学園には存在さえしていなかったのです……!」
彼女の弁明は、どこまでも意味不明だった。
「……グミ?」
「剣道部員はまだしも、薙刀部員を連れてきても仕方がないことはわたくしも重々承知しております。そんなことをしてしまえば『歌詞と違う』などと言われかねません。それだけならまだしも『原曲を侮辱している』などと、いわれのないそしりを受ける可能性も否定できないのでございます。そのため、わたくしもできる限りのことを致しました。……最善を尽くしたつもりにございます。ですが……ですが、学園内でお嬢様の次くらいの美巨乳を持つわたくしといえど、存在しないものはどうしようもないのでございます……!」
その場にくずおれ、グミは瞳に涙さえ浮かべている。だけど、それでも私にはなんのことだかさっぱりわからない。しかもとうとう自らが美巨乳だと自慢し始めた。この際、グミが美巨乳だということは事実なので否定しないけれど、だからと言って、その事実は全く関係ない。
「グミ……あの、歌詞が違うって?」
「ああ、お嬢様! お嬢様の口がそのような台詞を言ってはいけません。お気をつけ下さい。なにごとにも都合というものがあるのでございます。そんなことをみだりに口に出すようでは、お嬢様は主人公の座を奪われてしまいかねません!」
「……」
よくわからないけれど、どちらかというと、問題発言を連発しているのはグミのような気がする。けれど、そこはたぶん指摘してはいけないところなのだろうから、私はそれを聞くのをグッとこらえた。グミ自身の理屈でいくなら、問題発言を連発する彼女に次回以降の出番があるのかどうか、ちょっと不安だ。
「……それでは、わたくしはここにて待機させていただきます」
数秒ほどでグミは――立ち直ったのか、それとも諦めて開き直ったのかは私には判断がつかないけれど――いつもの様子に戻り、直前の会話など無かったかのようにそう告げた。
「ええ。わかったわ」
面倒くさいので、私もそこをあえて指摘したりはしない。
「なにかご入り用のものがありましたら、遠慮無く申し付け下さい」
「そうね……寮母室から借りてきたスプレーと、あと新聞紙をお願いするわ」
「はっ。BC兵器と新聞紙をここに!」
グミの声に、袴姿の四人衆のうちの一人が、竹刀とともに携えていたスプレーと新聞紙を差し出してくる。ちなみに、グミがBC兵器を呼ぶそのスプレーには、○キジェットプロと書いてある。新聞紙は今日の朝刊の日○経済新聞だった。伏せ字なのは、なんとなく察して欲しい。商標とかその辺の大人の事情というものが存在するのだ。
まあ、それはいい。
私は新聞紙を丸めて棒状にして右手に握りしめ、左手にはゴ○ジェットプロを構える。
「じゃ、いきましょうか」
『はっ』
私の言葉に、袴四人衆は声をそろえて各々の武器を構えた。そんな仰々しい武器よりも、この新聞紙の方が小回りもきくし、汚れても気にならないのでいいと思うのだが、おそらくこれも指摘してはいけないところなのだろう。
と――察しのいい方もそうでない方も、そろそろ皆が「黒い悪魔」とか妙な名前で呼んでいる相手について、だいたい想像がついているのではないかと思う。
そう、二本の長い触角に、六本の脚、そしてツヤのある黒い体躯のあいつのことだ。実に信じがたいことに、三億年ほど前からさほど形が変わることなく生き続けており、「生きた化石」などと美化するのもはなはだしい呼ばれ方をすることがある。大きいものだと五センチを越えるものさえ存在し、狭いところや汚いところをカサカサと動き回るくせに、場合によっては羽を広げて飛び回ることさえある。最期に、意外なことに奴らは生物学の分類的にはカマキリに近い存在だという。生意気な。昆虫は基本的にそう好きではないが、それでもあいつとカマキリだったらカマキリの方が数百倍はマシだと思う。
ともかく。
巡音学園二年で生徒会会計の私、巡音ルカはそうやって、もはや手慣れはじめたとさえ言えるゴキ○リ退治を開始した。
まさかその場で、思いもよらぬ相手――というか、想像さえしていなかった相手というか、存在して欲しくなかった相手というか――と遭遇するハメになるとは夢にも思わずに。
Japanese Ninja No.1 第1話 ※2次創作
第1話
お久しぶりの文吾です。
前回より1年半も開けてしまいましたが、ようやくの2次創作第3弾です。
今回はデッドボールP様の「Japanese Ninja No.1」です。
第1弾は純愛、第2弾は愛憎劇ときて、第3弾にコメディというのは、いい感じに毛色の違うものに挑戦できているのかな、と思っています。ちゃんとコメディになっているかどうかは不安ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
タイミングの問題でもあったのですが、これは東日本大震災の直後から書き始めました。
こんな時期にコメディなんて不謹慎だと思われる方もいるかもしれません。ですが、つらい時に、ただ楽しいだけのものは不必要だ、とは自分は思いません。自分のつたない文章で、つらい思いをしている人が、ほんの一瞬でもそのつらさを忘れることができたなら、自分の文章は無駄ではなかったのかな、と思います。
つらいことから目を背け、少しだけ逃げ出すことが悪いことだとは思いません。一人でなんでもできる強さを持った人は、決して多くはありませんから。疲れたなら、ちょっと立ち止まって振り返ったっていいと思うのです。
と、長々と蛇足を失礼しました。
それではまた、
「AROUND THUNDER」
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