「めぐは、めぐは楽さまのおそばにいられるだけで幸せなのです」

ふわりとした笑みを浮かべながらその女はやわらかな声で言った。幸せ、そんなもの家の為に生き死んでゆく俺には縁のない言葉だ。なのにこの女は俺のそばにいるだけでそれを感じるのだという。あまりの馬鹿馬鹿しさに吐き捨ててやろうとも思ったが手の甲に触れた温かなものに言葉が詰まった。慈しむように優しく包まれた手に視線を落とせば女は一歩こちらへ踏み出し、穏やかな笑みをたたえたまま口を開く。

「楽さまのお心は、春が訪れていないのかとても冷とうございます。だからめぐは、楽さまをあたためることのできる春になりたいと思うのです」

喉まで出掛けていた言葉は思いに耽るように瞳を閉じた女の儚さや美しさに掻き消えていった。それと同時に感じたことのない気持ちが胸を占め、そのむず痒さから小さな手を振りほどく。この女を、めぐを見ているとすべてを見透かされている気がしてならないのだ。

「……馬鹿馬鹿しい」

そう吐き出した言葉はめぐに対してか、それとも己自身にか。どちらにせよ馬鹿馬鹿しいことには変わりないと、ざわめく心を押さえ込むように桜の舞う道を歩んだ。背後から聞こえてくる小さな足音の心地好さには、まだ気付かぬ振りをしながら。

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呼吸する春

素敵な歌と小説、そしてPVにときめきを抑えられませんでした。
ふたりが出会ってから少し経ったあとの春をイメージ。

ご本家さま(sm7707089)と素晴らしいPV(sm7902338)

閲覧数:221

投稿日:2009/08/12 02:27:01

文字数:537文字

カテゴリ:小説

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